パシミナを求めて

■パシミナの出現

Pashminaと綴る。
日本語ではパシミナとも、パシュミナとも。
語源はペルシア語で、ウールを意味する言葉から派生したものらしい。

この言葉がmakiの周辺で囁かれるようになったのは、昨年の夏頃だったと思う。
きっかけはganga工房の織師マンガルだ。
かつてパシミナとウール(羊毛)を混紡したことがあるという。
パシミナの原毛が手に入るのか!?
そのときから、このエキゾチックな繊維素材がぐっと身近なものに感じられるようになった。

パシミナと言えば、真木千秋も、二十数年前にインドで仕事を始めたときから心惹かれた素材だった。
首都デリーで初めてその糸を手にする。
手紡ぎのウール(獣毛)でありながら、細く、柔らかく、ふんわりしている。
羊毛も含め、こんな糸は他になかった。

ただ、とても「はかない」糸だった。
ちょっと引っぱると、まるで春陽に雪が融けるように、すっとほどけて、消え去ってしまう。
当時のデリー工房はまだ、丈夫な木綿糸をタテ糸にして織っていた時代だった。
とてもこのような「はかない糸」は織り込めなかった。
いや、様々な絹糸が主役となった今のデリー工房でもやはり無理だろう。
パシミナを織るには、ウールの扱いに慣れた職人が必要だ。
たとえばganga工房のマンガルのような。

ヒマラヤ南麓のganga工房では、一昨年からウールを使って織物づくりをしている。
その素材はヒマラヤ山中に産するヒマラヤウールだ。
地元の羊にメリノ種をかけあわせた丈夫な羊から採れる。
そのワイルドな毛質は真木千秋の好みだ。
ただ、もう少し柔らかなバリエーションがあっても良い。

ganga工房近在の高原では、アンゴラうさぎが飼育されている。
その毛はたいそう柔らかく、また羊毛の数倍の保温性がある。
ものは試しと、アンゴラ原毛を入手し、ヒマラヤウールと混紡して、手紡ぎ糸を作ってみた。
しかし、残念ながら真木千秋の気に入るものではなかった。
たしかに柔らかさはあるが、何というか、コシがないのだ。
やはりパシミナを探るべきか。
 
■ラダックへ飛ぶ

パシミナというと、近年とみに人口に膾炙している。
私ぱるばもじつは大小四枚ほどショールを保持し、冬場重宝している。
軽くて柔らかで暖かい。
天然のグレーが美しい。

しかしそれがいったいどこに産するのかというと…
ネットで調べても意外なほど情報が少ない。
織師マンガルによれば、お隣ヒマチャルプラデシュ州のクルに行けば原毛が手に入るという。
後述するが、パシミナはカシミヤとも呼ばれるくらいだから、きっとカシミール州が産地なのだろう…。
いろいろ調べていくと、どうやらインド北部、カシミール州のラダック地方が原毛の産地らしい。
そして製糸や織物は伝統的に州都スリナガルを中心に行われているようだ。

そこで頭の中で計画を立てる。
まず車を仕立ててクル(Kulu 標高約千2百)まで行って原毛や糸を調べ、それから車でラダックに入ってパシミナ山羊や原毛を探り、必要とあれば州都スリナガルへ行こう。そのほうが高地馴化もラクだろうし…。
しかしながら、私たちがインドへ行くのは5月中旬。その頃はまだクル — ラダック間の峠(標高5千m超)が不通であるらしい。
そこで、えーい面倒だって感じで、一気にラダックの中心地、レー(Leh)まで飛行機で飛ぶことにする。
デリー・レー間は意外なほど簡単に飛べるのだ。

ラダックと言えば、昔から、写真などを通じて、あこがれの地ではあった。
とにかく、すごくキレイ(そう)なのである。
いつかは行ってみたい土地のひとつだった。
だから、パシミナの存在は、ちょうど良かったのである。

そこで私たち三人(真木千秋、ラケッシュ、私)は2011年5月12日に日本からデリーに飛び、翌13日朝、デリーからレーに飛ぶのであった。
デリーから真北に約6百km、1時間ほどのフライトだ。
眼下の眺めは筆舌に尽くしがたい。大ヒマラヤ山脈6千m級の峰々を飛び越えて行く。
インド国内線でヒマラヤの山越えをするのはおそらくこのデリー・レー路線のみだろう。
レー到着の少し前、山中のとある湖の上を通過する。これが後に出てくるカル湖であった(標高約4千5百m)。英語ではTso Kar(ツォカル)と表記される。Tso(ツォ)とはラダック語で湖を意味するらしい。


 
■レーの街

ここラダックはインド最北、ジャンムー・カシミール州に属する。
カシミールと言えば、かつて北インドの「楽園」として、新婚旅行人気ナンバーワンの土地だった。しかし近年は隣国パキスタンとの国境紛争やテロ問題を抱え、インドでも最も危険度の高い土地柄となっている。(実際、ビンラディン潜伏地も国境からわずか数十kmの距離であった)
州民はイスラム教徒が大半を占める。

ラダックは同州の東部を占めている。面積的には同州の七割にも達するが、大半が標高3千メートル以上の高地であるため、人口は三十万弱。一千万を越える同州の人口から見ると極めて少数だ。宗教は仏教徒とイスラム教徒が半々。仏教というのはチベット系の仏教で、ダライ・ラマ等チベット系の高僧が篤く崇敬されている。
チベット「本土」は現在中国の支配下にあるが、ここラダックは西チベットとも言うべきチベット文化圏だ。住民の主流をなすラダック人は、チベット語系のラダック語を話し、顔つきも文化もチベット人に近い。インドの中のチベットだ。
中国領のチベットと境を接するため、ここラダックはかつて中印国境紛争の舞台だった。現在は比較的安定しているが、流動的なチベット情勢もあり、まだ緊張状態は続いている。それで国境警護のため軍隊も特別に配備され、兵士の姿を見かけることも多い。

酷暑のデリーから飛来すると、その気候風土の違いに一驚する。
一言で言うと、高温多湿ならぬ、低温寡湿だ。こんな土地もなかなか珍しい。
世界最高のヒマラヤ山脈に遮られ、降雨が少なく、極めて乾燥している。集落や川沿い以外にはほとんど植生が見られず、周囲は荒涼とした山地と原野だ。
そして高地だから気温が低い。
ただ、緯度は北緯34度で日本の四国くらいだから、夏場の日差しは強い。乾燥しているので気温の日較差が大きく、「一日の内に冬から夏まである」と言われるほどだ。実際、昼間はTシャツ一枚で過ごしたいくらいだったが、夜になるとけっこう冷える。

ラダックの中心地はレー(Leh)という街だ。
デリーから飛行機が一日数便飛んでいる。
中心地と言っても人口は数万。日本で言えば「田舎町」といった風情だ。
仏教徒であるラダック人が中心だから、インドのほかの街とはだいぶ趣が違う。
空が抜けるように青い。
周囲には雪を頂いた山々。傍らにはインダス川が流れている。
その風情は信州・安曇野を思わせなくもないが、ちょっとスケールが違う。


 
■パシミナの糸

標高2百メートル強のデリーから一気に3千5百メートルのレーまで一気に飛んだので、空気の薄さを実感。ちょっと歩いただけで息が切れる。
まずは高地馴化が必要だ。
これは甘く見てはいけない。命にかかわる場合もある。
特に私たちは4千メートルを越える高地まで出かける。
そこで3〜4日間、レーの周辺でのんびり過ごすことにする。

レーに来た目的は、パシミナの手紡ぎ糸と原毛(フリース)の入手、そしてパシミナ山羊の見学だ。
手懸かりはほとんどない。
ただ、「世界最高のパシミナ原毛はラダックのチャンタン高原に産する」という情報くらいだ。しかしその「チャンタン高原」の位置すらイマイチ定かでない。
日本を出る間際、ネットを通じて、とある旅行会社を知る。
ヤンペル(ラダック人)とサチ(日本人)という若夫婦の経営する小さな店だ。
彼らに相談すると、さっそくいろいろ手配してくれる。

ラダックの中心街「メイン・バザール」に面したビルの一画に、ナワンという若いラダック人青年が店を出していた。パシミナとウールの専門店だ。
以前「チャンタン・パシミナ協同組合」に勤務していたというナワン青年、独立してウールとパシミナを扱い始める。
この店で、初めてパシミナの手紡ぎ糸と原毛(フリース)を見せてもらう。
色は白とグレー。他にキャメル(淡褐色)もあるということだったが、実物はなかった。
さすがにパシミナの産地だけあって、糸や原毛は思いのほか容易に見つかった。

ただし、手紡ぎ糸はあまり量がなかった。
紡ぎ手が少ないのだそうだ。
パシミナの製糸は伝統的にカシミールの州都スリナガル周辺で行われ、また現在はその南パンジャブ州あたりを中心に機械で紡がれることが多い。
ナワンによるとラダックの原毛産出量は年間で30〜40トン。そのうち現地ラダックで消費されるのは100kg程度。ほとんどがバスリなど他州に移出される。カシミールへの移出は20〜30%ということで、思ったほど多くない。これはカシミールが「カシミア」のセンターとして、中国など他国からも原毛を多く入れているからだ。

おそらく州都スリナガルへ行った方がパシミナの手紡ぎ糸は入手し易いかもしれない。中国にしろネパールにしろ自国産のカシミヤを「世界一」と称している。
我々にしてみれば原料が中国であろうとインドであろうと構わないのであるが、せっかくラダックに来たのであるから、できればチャンタン高原のパシミナを使えればと思うのである。


 
■カシミヤとパシミナ

ところで、カシミヤとパシミナの違いは何か?
ナワンに聞いたところ、同じだとの答え。
カシミヤ(cashmere)は英語で、その語源はカシミール(Kashmir)。
パシミナ製品がカシミールを通じて西洋にもたらされたので、カシミアと呼ばれたのだ。
カシミアと呼ばれるには基準があって、繊維の太さが19ミクロン以下となっている。(1ミクロンは1ミリの千分の一)。一般のスーパーなどで売られている「カシミア」はこの19ミクロンぎりぎりのようだ。繊維が細いほうが柔らかな織物となる。16ミクロンくらいになると「上質のカシミア」と呼ばれる。ナワンによるとチャンタン高原のパシミナは13〜15ミクロンだという。一説には12〜14ミクロンだとも言われる。
またチャンタン産パシミナの繊維長は5〜8cmと長く、より細い糸を紡ぐことができる。
現在、カシミアの最大産出国は中国で、主産地の内モンゴルではやはり同じくらい細い原毛を産出するようだ。

ラダックへ行くと、パシミナというほうが通りが良い。
カシミアは英語で、パシミナはペルシア語起源だから、パシミナの方が産地に近いと言える。
それで本稿でもパシミナの名前を使おうと思う。
ただ、ラダック語では、カシミヤでもパシミナでもなく、レーナと呼ばれる。

伝統的な産品であるから、その流通経路もいろいろだ。
先述の「チャンタン・パシミナ協同組合」もそのひとつ。パシミナ生産者保護の立場から、現地政府の肝煎りで近年立ち上げられたものだ。

その協同組合に連れて行ってもらったが、レー郊外に立派な原毛加工場があった。
ウールもそうだが、原毛がそのまま糸になるわけではない。
パシミナ山羊の場合、羊よりも事情は複雑だ。
パシミナ山羊の体毛は、内毛と外毛の二層構造になっている。その内毛がパシミナと呼ばれる繊維素材となる。
採取したばかりの内毛には、汚れなどのほか、一定の割合で外毛が混入する。外毛は硬いのでパシミナの柔らかさを阻害する。

加工工場では、まず洗毛を行い、泥や油脂などを除去する。
次いで、手作業で原毛の色分けだ。生産者は黒山羊以外の毛色を区別しない。ここで、白、グレー、キャメルの三色に分けられる。
その後、加湿などの操作で、外毛を除去する。
そして最後に梳(くしけず)って、フリースにする。

ナワンの店には手紡ぎパシミナの在庫が少なかった。
それで、あるだけ購入し、残りは注文することにする。
インドで注文というのは難しいものがあるのだが、ここはナワンを信じることにしよう。

彼の手許にひとつ面白い糸があった。
特注で作ったというのだが、外毛の混入率の多い手紡ぎパシミナだ。
硬い外毛が多いので、糸も通常のパシミナ糸より張りのある感じ。
ワイルドな糸を好む真木千秋には興味ある風合いだ。
これは、外毛の除去過程の途中で毛を取り出して紡いでいる。
これも数kg注文することにする。

ただ、注文しても期限内に届かないのがインドの常。
そこでフリースも併せて購入することにする。
ganga工房にはパシミナを紡いだ経験のある織師マンガルが居る。奥さんは手紡ぎの専門家だ。
工房で紡いでみるのも面白いだろう。

パシミナ地図1
1.インド亜大陸とレー(Leh)

14.遊牧民の黒テント(奥)と白テント(手前 — 標高4550m)


4.レー郊外の様子

パシミナ紡ぎ9.パシミナを紡ぐ

16.ルプシュ地方
17.ポロコンカ峠の山羊の群(標高4970m)


7.レーのメイン・バザール
6.レー郊外を流れるインダス川
パシミナ屑22.灌木についた毛屑

■インダス川を遡る

はるばるラダックまで来たのは、パシミナ山羊と、その採毛を見るためだ。
パシミナの牧羊は高度4千メートル以上の高地で、遊牧民によって行われている。
そして5月くらいからは採毛のシーズンらしい。
しかしどこへ行ったらいいか?
旅行会社をやっているヤンペルがプログラムを立ててくれた。
一泊二日の行程でカル湖方面に出かける。
日本から寝袋持参で、遊牧民のテントか僧院に泊めてもらうという話だ。
その晩はちょうど満月。
標高4千5百メートルの湖畔、遊牧民のキャンプで過ごす一夜。
いかにも幻想的な光景が眼前に浮かぶのであった…。

5月17日の朝5時、宿を発つ。
この日のため、四日四晩レー周辺で過ごして高地馴化に努めたのである。
一行は6人。私たち3人のほか、ヤンペル、運転手、そしてコックだ。
湖畔には飯屋がないらしく料理人まで帯同の旅である。

レーの街を出て、インダス川の谷をひたすら遡上する。
車はトヨタの7人乗り、2WDだ。
川沿いや村々の他はほとんど緑のない荒涼とした大地。
ただ道は舗装されて、かなり快適だ。中国との国境に近いため、軍用道路を兼ねているからだ。
両岸は峨々たる岩山。ときおり見える高峰の白雪が朝日に映える。

車窓に展開する渓谷はまさに絶景。
まるで上高地の連続だ。どこを切っても河童橋のよう。その下を流れるのが梓川ならぬインダス川なのがすごい。
この川の源流は遥かチベットの霊峰カイラーシュに遡るという。
私ぱるばはしばしば我を忘れ、走る車の窓から半身を乗り出しシャッターを切り続けるのであった。生涯でこんなにたくさん写真を撮った日も初めてだったが、後でそのツケを払わされることになる。

この朝二度目の休憩地はチュマタン。インダスのほとりに温泉が湧く。
インドに温泉は珍しい。私の記憶では、ブッダガヤにひとつあったきりだ。
温泉国日本の最高所温泉は富山の地獄谷温泉2300mだが、ここはそれを遥かに凌駕する標高4030m。世界でも有数の高地温泉だろう。日本だったらきっと旅館が建つだろうが、ここには質素な沐浴場があるのみ。
源泉は七十℃を越える高温泉。乾燥地だから湯気があまり立たない。
川水と混じってちょうど良い湯加減のところもある。服を脱いでインダス温泉と洒落込みたいところだったが、高山病の出る恐れがあるとヤンペルに言われ、今は足湯だけで満足することに。


 
■パシミナ山羊との遭遇

そのすぐ上、マヘでインダス川に別れを告げ、支流のパドン川を遡る。(16地図参照)
谷のスケールはぐっと小さくなり、まるで箱庭のようだ。

しばらく谷を遡上したところで、家畜の一群に遭遇する。
もっさりとした体毛。
パシミナ山羊だ。
二百頭ほどもいただろうか。
車を降りて、初めて山羊たちとまみえる。
人慣れしているようで、ほとんど逃げたりしない。
思いのほか小さい。体高50cmほど。
白、黒、グレー、茶…様々な色がある。
立派な角が生えているが、おとなしい動物だ。
牧童がひとりつき、草をはみながらゆっくり移動している。
草といっても、乾燥した砂地からまばらに細い葉を伸ばすのみ。
それを山羊たちは丹念にむりし取って食べる。
牧羊犬のチベット犬が一頭、ゆっくり後からついてくる。
群が遠くに去って行くと、その姿は荒野に溶け込んでいく。
その多様な色が保護色となるのだ。

このあたりの標高は4200メートル。
チャンタン高原のとっつきだ。
「もう採毛は始まってるそうですよ」
牧童と言葉を交わしたヤンペルが嬉しそうに言う。
「この先にあるスムド村でも見られるそうです」
スムド村は標高4390m。カル湖へ向かう道と、モリリ湖へ向かう道の分岐点にある。
その地方一帯はルプシュと呼ばれる。
チャンタン高原の中でもとりわけ伝統的な遊牧生活の残っている土地だ。
遊牧民の根拠地は、モリリ湖畔のコルゾグ村と、カル湖畔のトゥクジェ村だ。
私たちはまずモリリ湖畔に行き、次いでカル湖畔に赴く。

標高4500mを越える高燥地帯。
まるで月か火星にでも居るような特異な空間だ。
空気は更に薄く、冷涼になる。
植生に乏しい乾燥地だが、春5月になると草が芽生え、地表がうっすら黄味を帯びる。
そうした若草を追って、山羊たちが移動する。
山の斜面のところどころに山羊たちの群が見える。
そして遊牧民たちのテント群もあちこちに。
黒いテントが伝統的なヤクの毛織物製。重くて冬用。白いテントが近代的な市販品で、夏を中心に好まれる。

道の舗装は途切れ、場所によっては道路自体もなくなる。何もない荒野を、車の轍に従って走る。
こんな所を2WDで走っていいのかと思っていたところ、案の定、砂地でスタック。
男たち5人で押しても引いてもビクともしない。
陽も傾き、標高4700mでビバークかと思ったところ、運良く国境警備隊のトラックが通りかかる。隊員数名の助太刀を得て、やっと砂地を抜け出す。


 
■カル湖畔の村へ

モリリ湖畔のコルゾグは小さな村だ。
この村にはコルゾグ・ゴンパがあり、ここルプシュ地方の信仰の中心になっている。
ゴンパというのはチベット仏教の僧院だ。チベットやラダックでは各家庭からひとりは僧を出すというくらい、生活と宗教が強く結びついている。僧は尊崇され、家族から僧を出すことは一家にとって名誉なことだ。逆に還俗することはこの上ない不名誉とされ、多額の罰金を課され、袋叩きにされるという。

コルゾグ村からスムド村に戻り、未舗装の道路をカル湖へ向かう。
広々とした谷で、真ん中に小さな川が流れている。
一本の木もない荒涼とした大地。ときどき山羊たちの群が乏しい草をはんでいる。
途中プガという場所に温泉が湧き出している。標高4400m。おそらく世界最高地の温泉のひとつだろう。とは言え、人っ子ひとりいないし、何の施設もない。私たちも時間がないし高山病も恐いから、ここは素通りする。

やがてポロコンカ峠。今回の旅の最高地点だ。標高4970m。
惜しい!! あと30mで5000mだったのに。
冷たい風が吹き、人を寄せつけない高山の厳しいたたずまいを感じる。
さすがに軽い頭痛を覚える。
ここにも山羊の群がいる。牧童と牧羊犬も。
こんな高処でも彼らにとっては日常の生活の場なのだ。

カル湖畔のトゥクジェ村に着いたのは夕方6時過ぎ。
陽はだいぶ傾き、しんしんと冷え込んでくる。標高4570m。
ここは村というより、遊牧民の基地という感じ。
石造りの簡単な小屋があちこちに建っている。戸数は30戸ほど。窓も少なく、家というより、納屋か倉庫だ。
この場所を根拠地として、遊牧生活が営まれている。
丘の上に小振りのゴンパがひとつあり、コルゾグ・ゴンパから僧たちが送られてくる。僧の数は4名ほどだった。
僧たちは丘の麓の小屋で寝起きしている。

私たちはその小屋を借りて夜を過ごすことになる。
一間だけで、真ん中にストーブが据えられている。
村に到着してほどなく、私ぱるばは、高山病の症状が現れ、早々に床に就く。
昼間、はしゃぎ過ぎた報いがここで現れた。
寝袋の中で頭痛と吐き気に苦しむ。
傍らで料理人がモモ(チベット餃子)などラダック名物を調理するが、その匂いも気持ち悪くて仕方ない。

この日はたまたまブッダ・プルニマと呼ばれる祭日であった。
湖畔で遊牧民たちと過ごす幻想的な満月の夜だったはずが、ほとんど悪夢のような一夜となる。
ラケッシュは夜間たびたび私の顔を覗き込み、生死を確かめたという。

 教訓:高山でハシャギ過ぎは禁物


 
■獣毛のいろいろ

山羊たちの群は夕方の7時ごろ高原の各所から村に戻り、また翌朝7時ごろ高原に散っていく。
村では石積の囲いの中に行儀良くぎっしり収まる。
そうすればお互い温かいだろうし、そして安全だ。狼などの天敵がいる。
囲いの外ではチベット犬が番をしている。いわるゆチベタン・マスティフとして世界的にも人気の高い、強壮な大型犬だ。

良く見ると、囲いの中には、山羊ばかりでなく羊もいる。
そのほか、ヤク、そして馬もいる。
ヤクというのはチベットなど高地に生きるウシ科の動物だ。毛の色は黒。
家畜は基本的にすべて、荷役用、毛用、皮用、乳用、食肉用に使われるが、向き不向きがある。
毛が使われるのは、主に羊、山羊、ヤクだ。

羊毛は衣料、毛布、敷物用だ。
そして何より、伝統的に、大切な交易品だ。
チャンタン高原の羊毛はラダックの市場でも高く評価されている。
油脂分が極小で、繊維が長く(10cm以上)、捲縮が豊かだ。
遊牧民は自分たち用に最上の羊毛を取り分け、家畜を追いながら糸を紡ぐ。
私たちも先述の糸商ナワンにチャンタンウールの手紡ぎ糸を注文してきたが、果たして届くだろうか。

ヤクには山羊と同じく外毛と内毛がある。
ヤクの外毛は山羊の外毛より強靱で、テントや鞍袋、紐に用いられる。(鞍袋というのは馬の背に掛けるバッグ)
内毛は羊毛より柔らかだが、繊維長が短く紡ぎづらいので、毛布や衣料のヨコ糸として用いられる。

山羊の外毛は鞍袋や紐に用いられる。
内毛すなわちパシミナは羊毛より温かだが、意外なことに遊牧民たちは用いない。
要するに繊細すぎるということだろう。
織ろうとしてもすぐ糸が切れてしまうのだ。
パシミナ・ショールは都市生活者の嗜好品と言えよう。

先述の通り、チャンタン高原のウールやパシミナは市場で高い評価を受けている。なぜか。
まずは気候風土だろう。標高4千mを越える高燥地帯で、気温の日較差・年較差が大きい。それが、より温かい体毛を動物たちにもたらす。
また、チャンタン高原の変化に富んだ植物相と、カル湖を始めとする塩湖の塩分が、動物の健康を増進させる。
更に、同地方では冬も動物たちを家畜小屋に閉じ込めることがなく、屋外で飼育するため、糞尿による毛質の劣化がない。
しかしなにより、動物たちと共に、日がな一日、年がら年中過ごすという伝統的な遊牧生活がひとつ見逃せない要素だと思われる。そこから生まれる互いの絆のようなものから、より健康的な畜産品が生まれるのであろう。 


 
■パシミナの採毛

例年、パシミナの採毛は5月下旬から始まるという。
私たちの訪ねた5月17日は、ちょうど今年のパシミナ採毛が始まった時だった。
実はガイドのヤンペルが、レー市外にある遊牧民の寄り合い所に出かけ、採毛の見られそうな場所を探ったのだ。その結果、カル湖畔のトゥクジェに行こうということになった。

先述の通り、パシミナ山羊の体毛は二層構造になっている。
外側に長く垂れる「刺し毛」と、内側の「綿毛」だ。ここではわかりやすく外毛と内毛と呼ぶ。
内毛は気温の下がる秋に生え、冬期には体にピタッとくっつき厳しい寒気を遮断する。春になって気温が上がると、だんだんそれが解きほぐれてくる。
5月になって若草が萌え、荒れ地の地肌が黄色く変わる頃、内毛はそろそろ不要になる。
すると山羊は肌に痒みを覚える。そして、灌木帯を通過する時など、トゲトゲしたその枝に体をすりつけ、内毛を脱ぎ捨てる。

谷川添いに灌木帯があるが、小枝にはそうした綿毛がたくさんついている。
つまんでみると、大部分がパシミナで、外毛も少々混じっている。
遊牧民はこうした毛屑は用いない。山羊から直に採毛した方が良いからだ。
余談だが世界最高のウールと呼ばれるシャトゥーシュの原料は、そもそもこういう所から採取された。毛の主であるチベット・アンテロープ(チルー)は飼育不能だからだ。しかしシャトゥーシュが世界的に珍重されるようになると、原料入手のためチルーの密猟が横行するようになる。おかげでチルーは絶滅危惧種だ。それで現在インドではシャトゥーシュは取り引き禁止となっている。

内毛の採毛は、朝、野原に出る前、あるいは、夕方、野原から帰ってきてから行われる。
切るのではなく、梳(す)き取るのだ。
山羊の両脚を縛り、クレッドと呼ばれる小さな金属製の熊手みたいなもので内毛を梳き取る。
山羊は小柄でおとなしいから、それほど重労働ではあるまい。

ただ、山羊にとってはちょっと災難かも。毛をむしり取られるのだから、きっと痛いに違いない。
ただ、いずれ痒くなって脱ぎ捨てるものだから、「イタ気持ちイイ」というところかもしれない。
どちらにせよ年に一回のことだから、ここはガマンだ。
外毛が長くて梳き取りづらい所は、外毛をハサミで切って、それから梳き取る。

一頭から採れるパシミナは200〜300グラムというところ。
ただ、大きな雄からは1キログラム採れることもある。
雄の内毛は細く良質だとされるが、現在のところそれを区別して採毛はしていない。
ラム(子羊)ウールを採る羊とは違い、パシミナは成獣からしか採らない。
3歳から寿命の尽きる10〜11歳まで採毛する。

山羊の外毛は、白、黒、茶、グレー、ベージュと色々だが、内毛は、白、グレー、ベージュの三種。
つまり、黒山羊からはグレーのパシミナ、茶山羊からはベージュのパシミナ、それ以外の山羊からは基本的に白いパシミナが採れる。

近年、遊牧民助成事業として、州政府が優秀な種山羊を貸し出している。
その種山羊がすべて白山羊なのだ。白だと染色に便利ということもあろう。
それで最近は白山羊の比率が増えている。
結果としてグレーやベージュのパシミナが減り、価格も少々高い。
ウチとしては黒や茶の種山羊も貸し出して欲しいものだ。 


 
■遊牧民とパシミナ

ここチャンタン高原の遊牧民はチベット系だ。言葉もチベット語に近い。
私たちと同じモンゴロイドだ。
ただ、高山で紫外線が強いから、真っ黒に日焼けし、顔には深い皺が刻まれている。
かなり年輩に見える人も、実年齢はけっこう若いかもしれない。

遊牧民がカル湖畔のトゥクジェ村に滞在するのは、5月末から始まる採毛のシーズンだけだ。
採毛は山羊から始まって、ヤク、羊の順になる。
羊の毛刈りが終わるのは7月末か8月始め。
それ以外の時期は、家畜の群とともにチャンタン高原のあちこちでテント生活だ。

気温が氷点下二十度を下回る冬期も遊牧は続く。
動物たちの食料は原野に残った枯草だ。
しかし雪が降ると枯草は覆い隠されてしまう。そんなときはトゥクジェ村に戻り、備蓄の秣(まぐさ)を与える。

もともと、遊牧民にとっては、山羊よりも羊の方が大事だった。
山羊は乳用には優れていたが、毛の用途は限られていたからだ。
羊毛は重要な交易品だった。
毎夏、羊毛の刈り取り時期には、下界から商人がやってきて買い取っていく。
それゆえ、羊は遊牧の中心となり、山羊よりも数が多かった。

交易品としては、他に、カル湖の塩が重要だった。
カル湖の塩を家畜の背にくくりつけ、南部のザンスカールやクル谷まで下る。
内陸に位置するその地方では、カル湖など塩湖に産する食塩は必需品だった。
遊牧民は物々交換によって、小麦や大麦を手に入れた。
高燥地のチャンタン高原では耕作は行われていないのだ。

パシミナは王侯貴族の間では古くから珍重されていた。
しかしその需要が伸びるのは、カシミヤの名前でヨーロッパ人に知られるようになったここ数世紀のことだろう。
先述の通り、遊牧民自体はパシミナを利用していない。
古老に聞くと、7〜8世代前あたりからパシミナの取り引きが始まったという。
ただ、当時、パシミナの主産地は、ラダックの西方、チベット本土だった。

近年になって、チャンタン高原のパシミナをめぐる状況が大きく変化する。
交通網の発達により、海産の塩や、遠く豪州のメリノウールが入り込み、チャンタンの塩や羊毛を圧迫するようになる。
そして1960年代、中国によってチベットの国境が閉じられると、チベット本土からのパシミナがインド・カシミールに入らなくなった。
そしてインド国内外においてパシミナの需要は増えるばかりだ。
その結果、ラダックにおけるパシミナ原毛の価格は急騰する。

塩・羊毛の需要が減り、パシミナの需要が急増すると、遊牧民の生活にも変化が起こる。
今までの羊と山羊の地位が逆転するのである。
トゥクジェの村で見る限り、山羊と羊の比率は8:2くらいであったろうか。
パシミナが高く売れ、搾乳量も多く、肉も美味となれば、その比率も頷ける。(インド料理に使われる肉は鶏と山羊のみ)

現在、遊牧民の生活を支えているのはパシミナ山羊だと言っても過言ではあるまい。
また現地政府も、秣(まぐさ)の補助や原毛の買取など、パシミナ産業保護育成のため様々な方策を採っている。


 
■記念すべき合作



先進国におけるパシミナの需要は、これからも伸び続けることだろう。
あの素材に代わるものも、なかなかあるまい。
パシミナが求め続けられる限り、チャンタン高原での遊牧も続くだろう。
ただ、あのような厳しい自然環境の中で家畜たちとともに移動生活を送るというのは、私たちの想像の及ぶところではない。
高度成長を続けるインド社会の中で、はたして遊牧民たちはいつまで山羊や羊を追っていられるだろう。

ともあれ、インド随一の品質と言われるチャンタン高原のパシミナ。
束の間ではあるが、こうしてその山羊たちを目にし、その世話をしている人々に交わり、また、原毛を加工する人々、糸を紡ぐ人々、糸を商う人々にも出会った。

あの何もない、風の音しかしない、天空と山々、なだらかな丘陵、乾いた大地を渡る動物たちと人々。
岩と砂ばかりの地面に生えるわずかな草、それを山羊たちがはんで、育まれる綿毛。パシミナ。
山羊の体から梳き取られ、標高4千5百メートルの高処から、様々な人々の手を通じ、遙かなる旅路をたどって、私たちの手許に至る。

奇しくも今日6月10日、ヒマラヤの麓、ganga工房で、そのパシミナから初めての布が織り上がった。
今までのMakiにはない手触りだ。
あの高原と、山羊たちと、遊牧民と、ラダックの人々と、工房メンバーとの、記念すべき合作だ。
(2011/6/10 記)



18.カル湖とトゥクジェ村 (標高4570m)

19.囲いの中の山羊と羊

パシミナ山羊13.パドン谷のパシミナ山羊(標高4200m)

28.ganga工房で手紡ぎ手織りされた初のパシミナショール(左側)
24.遊牧民の家族

27.プガ付近の家畜群(標高4400m)

12.インダス温泉で足湯(標高4030m)
11.インダス渓谷の朝

20.ヤクの乳を搾る

パシミナ採毛23.パシミナ採毛



パシミナタテ糸10.パシミナショールのタテ糸づくり
21.歩きながら羊毛を紡ぐ
26.真木千秋と子山羊

 



3.飛行機から見たカル湖

5.レー市内。民族服のラダック婦人と

パシミナ地図22.デリーからラダックへ

 

パシミナフリース8.ナワン青年とパシミナの手紡ぎ糸

15.砂地でスタック(標高4730m)

25.小屋と囲いとチベタン・マスティフ犬