India 2005 Nov-Dec
 


2005年11月27日、真木千秋と田中ぱるばが入竺(にゅうじく)。
 真木千秋はそのまま翌2006年1月中旬までインドで布づくり。
その中から、初めと中頃の様子をお届けしよう。



11月29日 from 養沢 to ニューデリー


 朝、六時前に起き出す。
 まだ薄暗い戸外は、妙に生暖かい。
 東天に細い月を眺めつつ、養沢の谷を出発。

 通常は成田まで車で直行するのだが、今回は趣向を変えて「成田エクスプレス」。
 電車の旅もいいものだ。
 なにより渋滞の心配がなくていい。
 我がJR五日市線には、一日二本だけ東京駅直行電車がある。
 今日は運良くそのうち一本に乗って、新宿まで一直線。
 新宿で成田エクスプレス11号に乗り換えれば楽チン道中、のはずだった。

 しかし、だ…。
 これが朝の通勤時間帯。
 空身(からみ)なら別に問題ないが、二人あわせて6つの手荷物、計三十キロ近く抱えている。
 混雑した車内で荷物の置き場を確保するのは、なかなかの難事業である。

 そして新宿駅。
 みんな降りるだろうとタカをくくっていたら、そうでもない。
 荷物ともども下車するには、相当の気合が必要である。
 幸い日夜気合術を修練している私ぱるば、「降ろしてくれ〜!」と叫びに叫んで人混みを掻き分け、無事下車とあいなる。
 それからまた、成田エクスプレスの指定席までが、かなり長い道のり。
 「やっぱり車のが良い〜」と早くも弱音を吐く真木千秋であった。

* * *

 そして成田到着。
 空港宅配便のカウンターから別送のスーツケースを受け取る。
 ついでに記念写真をパチリ。(携帯電話フォトなので不明瞭)
 これも入れると八十キロを超す大荷物だ。
 その半分は糸。(インド税関当局にはナイショだが)

 JAL手荷物チェックのお兄さんに、「ご住職ですか?」と聞かれる。
 昨日、きれいサッパリ丸刈りにして、藍染の作務衣を着用。
 「ええ、そのようなもんです」と真木千秋が応える。
 インドだと武道マスターに見られるのだが。

* * *

 飛行機はJALの471便。
 機材は最新のボーイング777。
 こんなに快適でいいのかしら…っていうくらい快適な九時間余のフライトの後、デリー到着。
 午後五時で、気温は28度とのこと。
 う〜ん、やっぱり南国だ。
 (成田空港との服装の違いに注目)
 空港にはニルー姉御が出迎えに。
 髪の毛をバッサリ切って、思い切り若返っている。
 聞けば先日、銀婚式を迎えたところだという。

 というわけで、まずは無事到着のお知らせまで。



11月30日 初出勤


 海外渡航にはつきものだが、インドに来てまず始めに直面するのが、日本との三時間半の時差。
 どうしても早起きしてしまうのだ。
 今朝も辛抱に辛抱を重ねて、六時過ぎまで床で過ごす。
 すべき仕事はいくらでもあるのだが、悪いことに真木千秋はいくらでも寝ていられる。
 そこがホテル暮らしの辛いところで、こちらも付き合うほかない。
 スイートルームだったら…と思うのだが、最近のデリーホテル事情は超キビシいので、そんな贅沢も許されまい。

* * *

 さて、こちらデリーは現在、日本で言うと十月上旬くらいの陽気か。
 空も晴れ渡り、ひたすら気持ちいい。
 迎えに来てくれたドライバー、グルディープ・シンのSuzukiで出勤だ。
 赤いターバンのシン氏をはさんで記念写真。
 荷物をいっぱい抱えているが、朝はいつもこんな感じ。
 ちなみに、デリーでは現地人ドライバーは必須である。
 みんな曲芸のような運転をするから、とてもハンドルをとる気がしない。

 やって来ました、一年ぶりの機場(はたば)。
 職人衆は元気でやっているだろうか。
 と言っても、真木千秋は二ヶ月前にも来ている。
 さっそく現れた経糸職人パシウジャマと挨拶。
 ラマダン明けの祭で、しばらくの間クニに帰り、デリーに戻ってきたばかりだ。
 チアキ(C)パシウジャマ(P)との間では、こんな会話が交わされている。

C:いつ戻ってきたの。
P:ちょっと前にね。
C:子供、大きくなった?
P:ウン、このくらいかな。
K:えー、早く会いたいから、連れてきてよ!
P:ウン、もうちょっと大きくなったらね。

 みなさん御存知かとは思うが、このパシウジャマ、聾唖である。
 その分、勘と表現力に優れ、それゆえ英語のできない職人衆の中で唯一、Makiとコミュニケーションできるのだ。

 さて、いくら職人がいるからといって、インドに来ればすぐに織れるというわけではない。
 何よりもまず、素材としての糸の準備が必要だ。
 (だからこそ当サイトもorioriではなくてitoitoなのだ)

 日本での糸の準備はもちろんだが、インド側での下準備が死命を制する。
 そこで前もって糸サンプルを送り、それに従って糸を調達し、染めを施してもらう。
 そこで今日は、アシスタントと染師を相手に、サンプル表を手にして、染めてもらった糸のチェックだ。

 糸は、ベンガルのマルダシルク(小振りの黄繭)、バンガロールの手引き絹など、インドならではの絹糸。
 シルクはすべて草木染めだ。
 インド藍、ザクロ、メヘンディ、チャップフラワーなど。

 右下の写真は、そうして染めてもらった藍の陰影。
 染め方や糸の状態によって色も様々。
 糸もロットごとに練りや撚りが違うのである。


12月1日 日差しの中で


 インドに来ると、体にある変化が起こる。
 ま、それに気づくのは、日本人だったら五分の一くらいか。
 体臭がマサラになるのである。
 アポクリン腺にマサラの影響が(!)。
 日本ではやたらにデオドラントを施したり、ヒドイ場合は手術までして除去するようだが、そもそもアレは媚薬である。
 カーマスートラもきっと、マサラのにほひの中で繰り広げられたのであろう。

* * *

 今年は例年よりかなり暖かいらしい。
 今日の太陽も12月とは思えないほどだ。
 その日差しの中で、新ストールのサンプルを広げる真木千秋。
 これはある秘密のプロジェクトで、自由な幾何学模様が特長だ。
 タッサーノイル糸などを使い、ジャカードの名手ナイームが織っている。

 ところで、真木千秋の顔が、やけに緩んでいる…。
 その視線の先をたどると、幼児がひとり。
 織師ジャバールの長男ソヘルで、工房のマスコットだ。
 今年三歳になる。
 きっとキャンディが欲しくて寄ってきたのだろう。
 残念ながら今日は持ち合わせがない。
 抱っこだけしてもらって、おしまい。
 さて、チアキにひとつ良い考えが浮かぶ。
 このストールサンプルをもとにして、ベッドカバーを作ってみよう♪
 そこでさっそくラムチャンダンに諮ってみる。(右写真・中央の人物)
 彼は工房長であるとともに、テクニカルアドバイザーである。
 
 一見オジサン体型ではあるが、三十路にさしかかったばかり。
 彼とは父親の代からのつきあいだ。
 聡明さをニルーに買われ、十代の頃から織りに関わるノウハウを仕込まれる。
 Makiのデザインを具体化するには、なくてはならぬ存在である。

 一口にストールをもとにベッドカバーを作ると言っても、そこには複雑なプロセスが介在する。
 機の仕様を変更し、必要な糸の量を計算して調達し、糸の種類や引き揃え方、処理法、必要な人員や時間などを考える…
 そうしたことをすばやく処理するためには、相応の経験と頭の回転が必要だ。
 右端のカリファに向かって、てきぱき指示を与えるラムチャンダン。
 
 カリファは手機(てばた)技術者で、実際に機の変更作業に当たる。
 経糸職人パシウジャマの兄に当たる彼もまた、頭の切れる職人だ。
 そんな彼らの姿に尊敬の眼差しを送る真木千秋であった。
 機場の隣にある畑では、農夫がのんびり大根の収穫。
 インドで大根!?と思うかもしれないが、これが重要な野菜なのだ。
 サブジ(野菜カレー)に使ったり、サラダに入れたり、漬物なんかも沢庵に似ていてすこぶるウマい。
 冬は野菜が一番豊富な季節なのだ。

 さて、絵日記を始めたばかりで恐縮だが、明日から三週間、私ぱるばはよんどころない事情により南インドへ。
 その間はHPの更新もお休みである。
 クリスマス頃、またお目にかかりましょう。


12月2日 朝食

 昨日、「絵日記もしばらくお休み」と書いたが、やっぱり早起きしてしまったので…。

 写真が私の朝食である。
 ルームサービスのイドリ(idli)。
 右側の皿に載っている三つの円盤状物体がそれである。
 南インドの軽食で、米粉を発酵させて蒸してある。
 やや酸味があるのみのサッパリ風味。
 それをココナツ・チャツネ(左)や、サンバル・スープ(右)とともに食べる。
 非常に美味。
 南インド出身だが、インド中で広く食されている。

 最近日本でも首都圏を中心に増殖中の南印飯屋だが、やはり本場はひと味違う。
 というのも、南印料理に欠かせないスパイスである生の「カレーリーフ」や、名脇役野菜である「ドラムスティック」が入手困難だからだ。

 いくらカレー好きな私でも、朝から北インド風のこってり料理はイケナイ。
 その点、イドリはパーフェクト。
 この一皿と、マサラチャイがあれば、一日のスタートにあたって、これ以上のモノもない。
 みなさんもインド旅行の折にはお試しあれ。

 …というわけで、これからホントにしばらくお休み。



そして、三週間後…


12月24日 冬将軍

 日本ではメリークリスマスしてるんだろうか。
 今朝、南インドより戻る。
 ホントは昨夜戻るはずだった。

 夜の十時にチェンナイ空港を飛び立ったボーイング737、十二時過ぎにはデリー空港到着の予定。
 ところがデリー上空にさしかかったところ、濃霧のため着陸不可能。
 すったもんだの末、約400km離れたジャイプール空港に着陸。
 それからバスに乗り込み、寒々とした濃霧の中、延々七時間のドライブ。
 デリー空港到着は朝の9時であった。
 ターミナルの外では、テレビカメラが列を成している。
 「誰が到着するの?」と聞くと、可愛い女性リポーターが、「濃霧のためフライトがみんなキャンセルされるので、その取材」とのことであった。
 すなわち冬将軍の到来である。
 デリーでは一年で一番寒いこの頃、連日濃霧に閉ざされ、空港など交通機関に支障を来すのである。
 また織師達も霧に閉ざされると、寒がって仕事をしたがらない。

* * *

 折悪しく昨夜から腹をこわし、困憊して宿にたどりつく私ぱるば。
 心配して待っていた真木千秋にジンジャーティーなどを入れてもらって、一息つくのである。(たまに病気すると優しくされて良いものだ)
 ふと、目を挙げると、窓際に、とれたてのメンズシャツがひとつ。
 そう、これは私が南印に旅立つ前にリクエストしていったものである。
 生地はタッサーシルクのキルティング。
 真木千秋のキルティングジャケットなどを目にして、私もひとつ欲しいと常々思っていたのだ。
 一休みした後、さっそく試着して記念写真。
 下はその拡大図である。
 モコモコした素材感はキルティング特有のものだ。
 これは当スタジオ唯一のメンズキルティングウエア。
 今後もメンズは作る予定なしとのことで、自分だけ着ちゃって男性諸氏には誠に申し訳なき次第である。
 今作っているベストなどは男女共用とのこと。 

 ついでに、太田綾がおととい撮影した針場(縫製工房)の写真を一枚。
 一年前とは場所が変わり、人事異動もあった模様だ。
 左から、キシャン ― 物静かで手が良い。
 マスタジ(職人頭) ― 木工家・斎藤衛氏を思わせる風貌。
 ビカース ― キャラクター。上のシャツを縫製した人。
 モニ ― 今春から加わる。
 大村恭子 ― その肩にかかる手は誰のだろう!?
 チャンド ― お馴染み、恭子のお気に入り。
 マヤ ― グンディなど手仕事に携わる。
 ラジュー ― 元気なドライバー。


12月25日 フルオライト

 霧も峠を越えた模様。
 昼近くになると、冬の陽光が気持ちいい北インドである。
 今日は総勢四人で機場に赴く。
 ふと見ると、真木千秋が見慣れぬ輝きの織物ロールを携えている。
 私の居ない間に誕生したものであろう。
 「なにそれ?」と聞くと、嬉しそうに巻きをほどく。

 春物の薄手ストール。
 たとえば上方の青系は、先の夏・信州上田で染めた藍生葉糸をベースにしている。
 従来、生葉染め糸を使う場合、淡く繊細な色合いの糸を合わせる。
 しかし今回は趣向を変えてみた。
 キハダで染めた黄色を合わせたのだ。
 あるいは下の赤系。
 こちらでピンクに染めた糸をベースにして、同じく黄色を合わせる。

 糸は竹林座繰り糸や赤城節糸。
 そうした絹糸が冬の太陽のもと、蛍光を発している。
 そこで「フルオライト」と命名したのだが、「そんなの誰もわからない」と真木千秋に一蹴される。
 ともあれ、インド滞在前半の「センセーショナルな一作」なんだそうな。
 すべて名人シャザッドの手になるものである。

 下写真は当社専属モデル大村恭子による着こなし例。
 ところで、機場にひとり美少女発見。
 誰かと聞くと、なんと工房長ラムチャンダンの娘なのだという。
 う〜ん、どう見ても似てない。
 左写真の二人が彼の子供。
 左側が兄のカルテック(六歳)、右が妹のディア(四歳)。
 兄は父親似だが、妹のほうは祖父の隔世遺伝かも。

 その祖父、ヴィジェイ(写真左下)。
 実は当スタジオの古いお客さんにはお馴染みのはず。
 拙著『ぼんぼんパンツ』のグラビアページや、当スタジオDM写真に登場したりしている。
 あれは十年以上も前に私が撮影したもの。
 当時ヴィジェイはずっとスマートで、人柄も優しく穏やかなので、真木千秋のお気に入りであった。

 バラナシ近くの村の出身で、二十年ほど前からニルーの片腕として働く。
 現在は幾つかあるニルー工房の総監督として、職人たちの管理や、地主たちのと交渉など、枢要な仕事を任されている。
 このヴィジェイと息子ラムチャンダンなしには、一日も立ちゆかぬニルー工房である。
 そして今日、ある驚愕の事実が判明。
 私と彼とは同年であった!
 孫までいるんかぁ…。
 (でもやっぱディアは祖父の血を引いていると思う)

 ところで、真木千秋によると、この兄妹は毎週日曜になると工房に現れるのだという。
 兄妹ばかりでなく、その母親も。
 これはどうやらラムチャンダンの策略らしい。
 Makiのインド滞在中、工房長の彼は日曜返上で働くハメになる。
 そこで妻子を連れて出勤するのだ。
 妻子三人は真木千秋のそばに座って、じーっとその作業を眺めている。(まさに上写真のごとく)
 すると真木千秋もつい情にほだされて、「さあ、もう帰っていいよ」と言ってしまうのだ。
 するとラムチャンダン、嬉しそうに妻子を引き連れ、古いスズキに乗って帰っていくのである。




12月26日 大詰めの針場

 12月8日にインド入りした服作り班の大村恭子と太田綾。
 明27日の帰国を前に、最後の詰めだ。
 宿の一室で鳩首協議。
 今回作りためたカタチをかわるがわる試着しつつ、いろいろ検討する。

 右写真で太田綾の着用しているのが、織師タヒールの生地で作ったVネックジャケット。
 三人の会話を再現すると;

 千秋:肩のラインがすこしフラットに見えるよね。
 
あや:肩のラインを少し上げましょうか、それとも袖をカットしますか?
 
恭子:肩を上げたほうがキレイなラインになると思いますよ。
 
三人:じゃ、そうしましょう。

 
その後、二人は針場に向かうのであった。
 左写真はマスタジ(職人頭)に指示を与える太田綾。
 マスタジの役割は、型紙を作ったり、布を裁断する仕事。
 作っているのは、織師ジャバールの生地(Mix Weave)を使った、「ポンチョタイプのベスト」
 これはちょっと変わった衣で、すなわち、長方形の布を二つに折り、首と片腕の部分を開けて脇ラインを縫製し、もう片側はグンディボタンを配して留める。
 上写真で恭子(左側)の着用しているものだ。
 同じく織師ジャバールの「ギッチャ格子」にミシンをあてる名手チャンド。
 作っているのは、くるりと羽織る「くるり衣」だ。
 上写真と同じく、この作も、「ストールの生地で衣が欲しい」というリクエストに応えたもの。
 これもやはりストール生地(マルダ)をもとにしている。
 春に羽織れる上着。

 そのほか、織師タヒールの生地(麻二本取りMix Weave)を使った春用コートやパンツ。
 薄手のタッサーシルク生地を二枚重ねたノースリーブのワンピース。
 襟とカフスだけキルティングを使った、スタンドカラー、隠しボタンの薄手シャツ。
 綿×タッサーギッチャ生地による新トートバックなど。

 青山での最後のMaki展示会が三月に予定されているので、気合が入っている模様である。


12月27日 織師ジャバール

 ここのところ名前が頻出するので、ちょっとご紹介しよう。
 織師ジャバール。
 もともとニルー工房の別の機場で織っていたのだが、一年ほど前からMaki専属になる。

 その特質は頭脳の明晰さ。
 たとえば、記憶力が要求されるリピートの長い織りなど、苦もなくこなす。
 テクニカルなことも好きで、真木千秋と一緒に方法を考えたり、間違いを指摘したりする。
 彼の機(はた)の周りは、杼(ひ)や指示書など整然と配置され、他の織師たちと一線を画している。
 若めの奥さん(再婚らしい)との間に可愛い四人の子供があり、一番下のソヘルは現在工房のマスコット。
 左写真は今ジャバールの機にかかっている作。
 「ギッチャ格子」と呼ばれるもので、もともとストールの織りだ。
 それを昨日ご紹介した「くるり衣」用の生地として、同じ40cm幅で織っている。

 右写真のストール「折り返し織り」も、ジャバールあってこそできたもの。
 写真の上部と下部に大きな四角いパッチのような部分(褐色)が見えるが、ここが「折り返し織り」の部分。
 つづれ織りの技法なのだが、こういう技もジャバールなら何の問題もなく、進んで取り組んでくれる。
 さて、あるとき、奥から織師イスラムディンが登場する。
 その手には、機から下ろしたばかりの白系ストール。
 この男が現れると、どうも写真を撮りたくなる。
 それで布を前に記念撮影。
 ところが、少々しくじったらしい。
 「ココとココが逆じゃない!」と真木千秋。「ちょっと指示書を持ってらっしゃい」
 指示書というのは織りの設計図である。
 もう一度よく指示を与え直し、「しっかりやってね!」と檄を飛ばす千秋マダム。
 そして帰り際、「イスラムディンどうしてるだろう」と見に行く。
 すると、彼の機を机がわりにして、ラクシュミが国語の宿題をやっている。
 一昨年のマスコットも、もうこんなにお姉さんになった。
 これじゃ仕事も進むまい。
 顔に似合わず優しいので、子供になつかれるイスラムディンである。



12月28日 機場の肖像

 昨夕、大村恭子と太田綾は二十日にわたるインド滞在を終え、機上の人となる。
 私も明後日には帰国の途につく。
 機場も今日と明日の二日を残すのみ。

 それでは好評「機場の子供たち」(右写真)。
 左端は昨日イスラムディンと遊んでいたラクシュミ。今日は算数の勉強だ。その隣は従姉のバルティ。
 右端は昨日紹介した織師ジャバールの長女サリマ(十歳)。毛糸で編み物をしている。緑のセーターを作るらしい。ちょっとシャイな娘だ。
 真木千秋はとりわけこの子を可愛がっている。理由は「長女でいろいろガマンしていて可哀想だから」。
 「長女相哀れむ」の図であろうが、そんなにガマンしてるんだろうか!? (真木千秋も長女)
 さて、ジャカード機のベテラン、ワジッドも元気に織っている。

 今回、ワジッドのことで、ひとつ真木千秋がいたく感心したことがある。
 時折、機から降り、タテ糸を丁寧にくしけずっているのだ。(右写真)
 Makiは織りキズに非常にうるさいので、織師達も相当に気を遣っているのだろう。
 クシでタテ糸を整えておけば、糸のからまりも減り、キズも出にくくなる。
 当然といえば当然のことだが、こんな労を取る織師は初めて見たというのだ。

 左写真は今ワジッドの機にかかっている「うねミックス」。
 麻×タッサーシルクの生地だ。
 かぶり衣やギャザースカートなど、3〜4種の服地として使う予定。
 「カリスマ織師」シャザッド。
 今回は二つの機を使って、二種類のストールづくりに携わっている。

 ひとつは先日ご紹介した「フルオライト」(写真右…向こうに糸巻き婦人が写っている)。

 もうひとつは、新しい格子柄。これは例によって「シャザッドしか織れない作」だ。
 一見単純だが、八本の杼を使う複雑な織り(写真右下)。綾も入って、表裏に微妙な違いがある。
 何度か試織を重ね微調整を施し、今日上がったサンプル(写真左)で、やっと得心いくものができた様子。

 このシャザッド、私がカメラを向けると、採光を考えて扉を開けたり、周囲の不細工なものを整頓してくれたりする。
 相手の意図を汲んで、細かな気遣いを見せるのだ。
 真木千秋が信頼を寄せるのもよくわかる。
 そして、あるとき、奥から織師イスラムディン登場。
 その手には、機から下ろしたばかりの白系ストールが…。

 この度はめでたく間違いも直っている。
 今日はなんとなく晴れがましい表情のイスラムディンであった。


12月29日 AA10

 経済成長著しいインドでは、日本と同じく携帯電話が花盛りである。
 もはや携帯なしでは仕事もできない。
 ニルー姉御は当然のことながら、工房長ラムチャンダン、アシスタントのディーパック、運転手グルディプシン…みんな持っている。
 左写真は織師シャザッドに糸を渡しながら、ニルー姉御と糸の調達について携帯で相談している真木千秋。

 ところで、インドの携帯には、日本にはないサービスがある。すなわち「相手に聞こえる呼び出し音」を変えられるのだ。
 たとえば、あなたが私の携帯に電話したとする。日本だったら、私が出るまでの間、ジリジリジリ、ジリジリジリ、という単調な呼び出し音が聞こえるだけだ。インドの場合、そのジリジリを自分の好きな音楽に変えられる。たとえば私がオーソレミヨを設定した場合、あなたは私が出るまでの間、ずっとオーソレミヨを聞かされるという寸法だ。間違い電話の防止にも役立つだろう。(もしかして日本にもあるのかな?)

 織師では長老ムルタザが携帯を持っている。
 次に持つのはこのシャザッドだろうというのがもっぱらの噂である。
 彼が携帯を持ったら、日本から織りの調子など聞いたりして、きっと面白いことだろう。
 久々登場の織師ディルモハマド。
 若手だとばかり思っていたら、もう中堅の域に達し、子供も二人いるという。
 家庭を持つと急にオジサン化してしまう織師が多い中、いつまでも若々しいディル君である。

 今彼の織っているのは、服地の「マルダ・ギッチャ・ストライプ」。三日前にマネキンが着ていたアレである。
 Makiスタッフの間では「服にするとキレイ」と盛り上がっている生地だ。
 6枚の綜絖(そうこう)を使い、平織の中に綾が入る複雑な織り。
 あまり器用でないディル君、パイプオルガンのごとく12本のペダルを踏み分けながら、苦心して織っている。
 さて、今回最大のスペシャルは、「孤高の織師」ナイームのジャカード機にかかる「AA10」ストールであろう。
 なぜスペシャルかというと、ジャカード(紋織り)機に大改造を加えたのだ。

 従来のジャカード機は、タテ糸180本分(十数cm幅)しかデザインの自由がなかった。だからタテ糸が900本の場合、その180本のデザインを五回リピートすることになる。
 今回は機を改造し、900本の画面いっぱい使ってデザインできるようにしたのだ。

 そうしてできたのが、幾何学模様の「AA10」ストール。
 青系(12/1日誌参照)と赤系(写真右下…織り始めたばかりで全容は不明)の二種類がある。

 このストールに使われる糸がまた特別(写真左下)。
 カティア糸と呼ばれる、タッサーシルクの紡ぎ屑から撚られた糸。
 特に右下の糸など一見ナーシ糸だが、水を通しても縮まないという特質がある。(ナーシ糸は縮む)
 左上の糸も同じくカティア糸だが、陽光の中で金糸のごとくキラキラ輝く。
 どちらも今まで見たことのないような糸で、やっぱりインドは奥が深い。 
 というわけで、私の現地報告もこれでおしまい。
 今回は私の現場事務所にもさややかなる改善があった。
 パソコン台ができたのである。
 今まではムダ(編み椅子)を調理テーブルの上に載せてパソコン台代わりにしていたのだが、それだと少々不衛生なので(そもそもここはキッチンである)、ヴィジェイに頼んで作ってもらったのだ。
 マウスのスペースもあって、なかなか快適♪

 私は今夕のJAL便で帰国だが、真木千秋は1月中旬まで残って製作を続ける予定。
 それでは皆さん、ごきげんよう!


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