MAKITEXTILEの日々好日 '97

◆1996年版はこちら


3月26日

 この前帰ってきたばかりだと思ったら、一ヶ月後にはまたインドです。まあインド6月の酷暑はたいへんだから、少しでも早いほうがいいのです。

 それで、新作に向けての試作が始まりました。これから夏に向かうので、薄地のストールです。
 経糸(たていと)に、黄繭糸、絹紡糸、ウールとともに、細いタッサーシルク・ギッチャ糸を使うところが、今回の新味です。それからこの手の薄地ストールは従来、平織りだったのですが、そこに少し組織を使ってみようということになりました。

 

 写真上・養沢のアトリエ、テラスの日溜まりで、真木千秋が糸を選んでいます。べつに寒いからではなく、自然光のもとで色を見るためです。

 写真下・選んだ糸を使って、スタッフの若松ゆりえが経糸を作っています。若松ゆりえは今回始めてインドの機場へ行くことになります。だからといって別に、はしゃいだりすることもなく、いつも通りたんたんと仕事をしています。


4月1日
 養沢の谷にも春の陽光が降り注ぐ、今日4月1日。ついこのあいだまではまだ試し鳴きだったウグイスも、今朝からは「谷渡り」も含め、フルバージョンで鳴き始めました。そのほか、セキレイやシジュウカラ、ヒガラ、ホオジロ、ヒバリ、キジ、そしてカラスやニワトリなど、いろんな鳥たちの鳴き声が聞こえてきます。

 さて今日は、朝から千秋と香がキッチンで何やら鳩首凝議しているあいだ、下のアトリエでは、ゆりえがひとり黙々と機(はた)に経糸を通しています。先日つくった経糸を、一本一本、綜絖(そうこう)と筬(おさ)に通すという根気のいる作業です。機織り娘のゆりえは、こういう仕事が大好きです。今日で三日目ですが、もうじき終わるようです。

 そうしたらみんなでお昼ごはんです。さきほど私が畑から白菜の花芽をたくさん採ってきたので、それを湯がいて、カラシ醤油で食べるのです。これがまたうまいのだなあ。

 


4月7日

 ここんところ毎日、天気がすぐれませんねえ。
 そんな中、今日は近くの小宮小学校で入学式が行われました。校庭の桜も八分咲きくらいで、こんなことは珍しいのだそうです。普通は一分がせいぜいだとのこと。今日の新入生は十人。アットホームな入学式でした。
 私(田中ぱるば)はどういうわけか来賓で招かれ、前の方に座って見物です。来賓紹介のときどんな風に紹介されるのかしらんと思っていたら、校長先生が「高学年リズム指導の田中ぱるばさんです」だって…。立ち上がって、思わず「みなさん一緒に踊りましょうね」と言ってしまった。

 さてアトリエの方では、先日来の経糸を使って試し織りが進んでいます。これは秋物用で、従来の黄繭糸にウールやタッサーシルクを織り込んでいます。薄くてしかも暖かい織物を作ろうという試みです。いろんな緯糸(よこいと)を打ち込んで実験します。写真はほとんど織り上がった状態。これを機からおろし、水洗いをして、最終的な風合いを見ます。


4月10日
 深夜、アトリエを覗いてみると、真木千秋がひとり、Macに向かっています。
 ここには二台、コンピュータ制御の手機(てばた)が置いてあります。コンピュータと手機というのは妙な組み合わせですが、つまり綜絖の上げ下げをコンピュータが指示してくれるのです。
 でも織るのはぜんぶ手でやります。パターンをどんどん変えられるので、試織にはたいへん便利です。

 苧麻を使ったスクリーン(間仕切り)のサンプル織です。

 夜中に階下から伝わってくる、カッタン、コットンという機織りの音を聞いていると、何となくヨヒョウになったような気分です。


5月6日

 現在、当スタジオから三人の女たちがインドへ行っています。一週間ほど前から真木千秋と若松ゆりえが、そして昨日からは真木香がインド入りしました。もうインドはすっかり夏で、日中は35度近くにも気温は上がるようです。それでも朝夕は涼しいので、毎日6時起きで機場(はたば)に通っているそうです。パートナーであるニルーの家から歩いて5分ほどの、ゲストハウス(簡単なホテル)に宿をとっています。
 今回初めてインドを体験する若松ゆりえ(24)から、先日FAXが届きましたので、ちょっとご紹介しましょう。

 

 みなさんお元気ですか。こちらは思ったほど暑くもないし(でも今日は暑い)、カレーも、辛くて食べられなかったらどーしよーと思っていたけど、平気でした。おいしいです。(注1)

 初日、二日目と、機場、洗い場、洋服を作っている所など、見てきました。機場に行くと織機がところせましと置かれています。よくこんな機で織れるなあと思うほど、とても簡単な機です。今日は朝からマルダストールの経糸(たていと)を作りました。経糸を作る耳の聞こえない人(注2)に、糸の結び方が下手だと笑われました。その後はずっと、糸を結ぶたびに「見てろよー」という顔をして、自慢しながら結んでました。象さんみたいな手をしてるんだけど、とっても指が器用な人です。

 道路にはウシやらロバやらがたくさんいるし、車から見てると、いろいろおもしろいです。きのう道を歩いていたら、私がじゃまだったらしく、ロバに体当たりされました。じゃまだったら体当たりする前に一言いってくれって感じです……。(注3)

 

(注1) 若松家はちょっと異常で、カレーを作るときにみんなで唐辛子をドバドバ入れて、劇辛にするらしい。ゆりえは家族中でただひとりそれが食べられず、そのせいで自分はカレーが苦手だと思いこんでいた。しかしインドのカレーは必ずしも辛いものではない。

(注2) 経糸職人のパシウジャマ。生まれつき耳がきこえないのだが、表情や身ぶり手ぶりによる表現力が豊かで、当スタジオ・スタッフとのコミュニケーションに、さしたる問題はない。

(注3) こんなことはめったにない。これは彼女がラッキーガールなのか、あるいはインドのロバになめられているかのどちらか。


5月12日

 真木千秋は今日デリーを発って日本に向かいます。到着は明朝十時です。今回はいつものインド航空を裏切って、みんな全日空で日印往復です。それからスケジュールもちょっと変わっていて、最初に千秋と若松ゆりえが渡航し、一週間後に真木香が後を追い、その一週間後に千秋が帰国し、その一週間後に香とゆりえが帰国です。つまり千秋と香は二週間ずつ、そしてゆりえは三週間です。つまり、海外はハワイくらいしか行ったことのない若松ゆりえが、いきなりこの暑いインドで三週間お仕事&研修をすることになったのです。でもご心配なく。元気でやっています。

 昨日、香から便りがありました。ご紹介しましょう。

 

 気がつくとここにいるという感じで、毎日の生活の中にインドがとても近くなってきている気がします。今回のインド滞在は私にとって十六回目になりますが、何か特別で何か新鮮な感じを受けます。きっとそれはここに来る前休暇をとって心身ともにリフレッシュできた事と、新しいメンバー(ゆりえちゃん)が加わって、いつもとちがう楽しみがあるからでしょう。

 私は千秋さんとゆりえちゃんより一週間遅れてインド入りしたけれど、すでに美しい織物がいくつも織られていました。秋用のストールで、
◆暖かみのあるけれど繊細なストール、これはタッサーシルク・ナーシと黄繭を使った新しい素材の組み合わせで、テクスチャーがとてもおもしろい。
◆黄繭とタッサーシルク・ギッチャを使ったとてもやさしく和服にも洋服にもつかえそうなストール。
◆二重ビーム織をもっと繊細にした新しいストール……。その他、メンズ、レディースのシャツもいくつか新しいものがあり、ソフトジャケットもこの秋には登場する予定です。

 明日千秋さんは日本に帰国予定で、ゆりえちゃんと私がここにもう一週間残るのですが、いつもパルバや千秋さんに守られながらインド生活を送っていたのに、今回は守る側になるので少しドキドキしています。緊張しながらのラストスパートの一週間になりそうですが、秋冬用の布地(反物)、洋服、新しいストールなど、帰る日まで指示したり、経糸をつくり続ける予定です。織師たちにナメられないようマダムらしく……そして楽しく過ごそうと思います。

                                 かおり


5月25日 松本クラフトフェア

 年に一度、信州・松本で開かれるクラフトマンたちの最大の祭、クラフトフェアMatsumoto。毎年5月最後のウィークエンドに開催されます。思えば七年前、ここで初めて露店を出したのが、真木テキスタイルスタジオの始まりでした。そんな思い出深いクラフトフェアに、今年ひさしぶりに出かけてきました。
 中部・関東を中心に広く日本中から集まった様々な分野の手工芸家たちが、松本市東郊・「あがたの森・公園」の広い中庭を中心に、おもいおもいに店を並べます。真木テキスタイルは90年、91年と二回出展したのですが、とにかく楽しくて、当時は指折り数えてこの日を待ちこがれたものでした。
 その頃は申し込みさえすれば出展できたのですが、ここ数年は出店希望者も増え、事前審査制ということ。今年は定員200件に対して応募数が360件あまりだそうで、けっこう狭き門なのです。プロのクラフトマンたちがゴロゴロ落選します。
 クラフトマンばかりでなく、お客さんも全国からやってきます。だから会場をそぞろ歩いていると、いろんな知った顔に出会います。僕たちは昨日の24日(土)にでかけたのですが、これがあいにくの雨模様。十三回目を数えるクラフトフェアでも最悪の天気だったそうです。京都の宇治から出展している染織家の永野美和子さん(写真右)と、その夫で木工家の均さん(写真左)と一緒にスナップです。これは午後の一時くらい。この後、雨がけっこう本気で降り出します。それにずいぶん寒かった――。
 最近はみんな店の上にテントの屋根があるので、雨が降ってもそんなに大慌てもしませんが、やっぱり客足はのびなかったな……。みなさんちょっと気の毒です。ところが今日の日曜日は、うってかわっての上天気。僕たちはぱるばの郷里である信州・上田にいて、会場には行けなくて残念なのですが、でもみんな晴れてよかったね。


6月3日 織り織りで大忙し

 今、階下のスタジオでは、真木千秋、香、若松ゆりえの織女三人がそろって布づくりに余念がありません。12日から始まるAoyama de Yaeyama『暮らしの中のバショウ交布展』開催まで、あとわずか。それぞれに西表産の芭蕉糸や苧麻糸を使いながら、機をあやつっています。
 写真は真木香。経糸に亜麻や絹を使い、緯糸に苧麻を織り込んでいます。センターやランチョンなどに使えます。

 おとといは西表の昭子さんの工房から、見事な織物の数々が送られてきました。藍やヒルギ、フクギやクチナシなど、南洋の染材をふんだんに使った、色鮮やかなストールやインテリア、スディナです。工房じゅうに八重山の風が吹きぬけます。

 いっぽう、五月末から全国縦断公演ツアーをおこなっている、踊りの新城母娘。おととい大阪での公演を終え、次の静岡までちょっとひと休みです。各地の盛況に応え、ますます元気な様子。14日の青山公演をお楽しみに。


7月13日 五日市展開幕

 開幕という言葉はじつは語弊があって、先週の十日に開幕し、あさっての15日をもって閉幕してしまうのです。この五日市展も、今年で四回目。地元のみなさんにも当スタジオの仕事を知ってもらおうと、三年前から始めたものです。
 会場はいつもの通り、街道上の菓子の老舗「うちのや」併設の小さなギャラリー。手作り展示会で、DMも昔の残りをリサイクルで使い、当スタジオの主婦パートの人たちが順に店番をします。地元五日市を始め、旧秋川、日の出、青梅、八王子など、近在の街々から人々がやってきて、楽しい出会いもいろいろ。当スタジオにとっては一番おもしろい展示会のひとつです。それで真木千秋や私ぱるばも、一日一度は会場に出かけ、周囲をウロウロ徘徊しています。
 青山のショップには出ないようなマル得の品もありますから、おヒマな人は、ハイキングもかねて、山紫水明の五日市までお訪ねください。JR武蔵五日市駅から街道を桧原方面へ徒歩八分、西東京バス車庫の隣の隣です。

7月17日 青山の密議

 昨日、真木テキスタイルスタジオ青山店の奥まった一角で、人目をはばかり密議がありました。出席者は編集の坂野さん、グラフィックデザイナーの山口さん、出版社社長の犀川さん、そして真木千秋と私ぱるばです。実は去年あたりからこのホームページで宣伝していた拙著が、この秋、出版されることになったのです。

 題名は『タッサーシルクのぼんぼんパンツ』。これは非常に変わったタイトリングですが、編集の坂野さんの考案によるものです。「ぼんぼんパンツ」というのは、真木千秋が子供の頃、母親の真木雅子にはかされていたゆったり目のパンツのこと。これをはいて近所の悪ガキどもの間に君臨していた真木千秋は、当時、このパンツともども歌にまで謳われてそうです。

 著書を出版するという試みは今回が始めてなのですが、編集の仕事ってたいへんなんだなあと改めて感じます。この坂野さんは前々から当スタジオの顧客だった人なので、仕事内容についての理解も相当なもので助かります。またデザイナーの山口さんには、青山店のDMなどを何回かお願いしたこともあり、真木千秋とはセンスのあう人です。昨日も本の装丁をタッサーシルクにしてみようという提案があったりして、これはきっとお洒落な本になりそうです。

 真木千秋は本の中心的な登場人物になるということで、多少、自意識過剰気味。私に対して、こう書けああ書けといろいろうるさいのです。しかし本書の主眼は、「偉大なるテキスタイルデザイナー真木千秋」を描くことではなく、あくまでも真木テキスタイルをめぐる赤裸々な人間模様を描くことにあるわけですから、そうしたプレッシャーにもめげず、よりよい作品を創りあげるよう努めています。

 本書のできあがる過程については、またときどきお伝えしましょう。


8月26日 夏老いぬ

 みなさん、長らくご無沙汰しておりました。お元気ですか。私たちもお陰さんで、元気にやっております。
 この夏は、真木姉妹、そしてスタッフの岩崎かおりと若松ゆりえが、西表島の紅露工房へ研修へ行ってきました。石垣昭子さん主宰の工房です。みんなとても楽しかったようです。ま、研修といっても半分はお遊びだけどね。石垣金星氏のサバニ(小舟)にのっけてもらって、人知れぬ遠くの浜辺に連れていってもらったり……。
 南国・西表はいま果物のシーズン、工房のまわりにはバナナや、パッションフルーツ、アセロラやシークワーサー(ヒラミレモン)などがたわわに実っています。すっごく濃厚な味です。近所の農民たちからは、パイナップルやマンゴーも届けられます。ほんとに仕事なんかしなくても食べていけそうな島です。

 さて、本日8月26日は、東京・杉並の市民出版社で出版の打ち合わせです。原稿もほとんどできあがり、デザインもあらかた終了して、つめの作業をしているところです。
 写真はみんなでスライドを見ながら掲載写真を検討しているところ。左から編集の坂野さん、デザイナーの山口さん、真木千秋、出版社社長の犀川さんです。真木千秋はだいぶ西表ヤケをしています。
 装幀は生成りのタッサーシルクを使うことに決定。国際野蚕学会会長の赤井博士に問い合わせたところ、そんな装幀の本はまだ日本では見たことがないということ。
 数日前、その装幀見本が届きました。なかなかシックなできあがりです。もちろんまだ、中身の印刷されていない白紙の本です。「中身がないほうがいいなあ」などと、真木千秋は非常に不埒なことを言っています。ともあれ、初版限定の特別装幀となります。
 今そのシルクはインドから送られてくるところです。タイ航空でやってくるので、おそらくはバンコクあたりでウロウロしていることでしょう。それでは『タッサーシルクのぼんぼんパンツ』、10月中旬の発売。お見のがしなく!


9月12日 インドからの手紙
今、真木千秋と香の姉妹がインドへ行っています。さきほどFAXが届きましたのでご紹介します。昨日の夜、ホテルで書いたもののようです。

*   *    *

 日本のみなさんこんにちは。またインドへ行っています。こちらの織師やスタッフ、家族、みんな元気です。インドの暑さもようやくゆるんでくるようです。雨期の終わり頃なので、湿気はものすごいですが。

 今日、到着して三日目にして、経糸(たていと)づくりが始まりました。今朝はどんより曇っていたので、降りそうだね〜と、二人で話していたのですが……。機場に着き、さあ糸をかけようと準備を終え、これからというときに、ポツポツと降り出しました。せっかく第一号の経糸なのに――。私たちの経糸整経機は青空の下じゃないと仕事が進まないのです。でもなんとかせねばと雨のやむのを待つこと一時間、だんだん自分たちの居場所も濡れてきたので、いったん引き返すことにしました。

 パリの旅からニルーが昨夜帰ってきたので、久しぶりに顔を見にニルー家に行き、お昼を食べ、さんざん話をして、一時半ごろ出発。整経機のある広場に監督バサントが仮設のテントをくつってくれたと報告が入り、いざ! 新たな気持ちでムニルカ工房へ行き、夕方までかかって第一の経糸をつくり終えて今戻ってきたところです。

 イスラムディンに織ってもらうためのバーク(木肌という意味)のストール用の経です。今までに黒x紺、黒xからしをつくったので、今回は赤茶xレッドチャンダン(紫がかった赤)のストライプが入ります。昨日は一日かけて新しい種類の緑を染めました。黄繭、タッサースパンの糸をインド藍で前日に染めたものに、ザクロで重ね染めします。けっこう渋い「和」を感じさせるような深緑が生まれてきました。カセをしごいて竹に干しながら、その落ちついた美しさに見とれました。何をつくるか楽しみです。

 今回インドに来て(もう私は30回近くインドに来ていると思うのですが)、新しい発見がたくさんあります。それは特に木や花といった植物なのです。今まで意識していなかったせいですが、あそこにもここにも、見たような植物がたくさんある……。そう西表島で身近にある植物なのです。菩提樹、ガジュマル、パパイヤ、グァバ、ジャスミン、にちにち草、キャッサバ、名前は知らないけど、あの木、この木、この花、あの草……。それがこの大都市デリーにも生き生きと育っているのです。やっぱり共通する気候なんだな〜と思いました。どこかに「ゆうな」の木がないかしら、その灰を草木染の媒染に使えたらいいのに……と、この頃はキョロキョロしています。今まで見えなかった木や草の存在が見えてくる。やっぱり西表に感謝です! 


9月19日 インドからの手紙 Part2

 みなさんこんちには。台風、大丈夫でしたか。こちらのテレビニュースでも放映していました。ニューデリーは毎日が晴天続きで、日中は34度になります。湿気もあって汗だくだくですが、時々涼しい風が吹いて、今までのインド滞在の中では涼しい方です。

 先週末から、ウダイ(ニルーの弟)、真木香、そして私千秋の3人で、インド南部の絹都・バンガーロールへ行ってきました。一泊のつもりだったのですが、デュピオンシルク(玉糸)のマーケットが火曜しか開いていなかったので、二泊して丸々三日間、糸探しやら家蚕研究やらで、いろいろ勉強になりました。青山の店にも置いてあるオーガンジー風織物の機場へも行き、私たちの求める糸や織り方、風合いをいろいろ伝えてきました。今回はかなり面白い経(たて)と緯(よこ)を使って試織してもらいます。私たちも可能性を知ることができて、つくるものが広がりそうです。

 バンガーロールは日本で言えば昔の西陣のような絹の産地で、街中いたるところに織機のパーツ屋や糸屋、機場、撚糸屋、染屋などがあって、胸躍るようでした。町から車で80kmくらい行くと、あるある桑畑がいっぱい。そこに西表島の石垣金星さんみたいな農夫がいたのです。でも金星さんよりもっと原住民という感じで、自分が宇宙人みたいな感じでした。この農夫が、原種の桑の木や、交配した桑の木、その育て方などを教えてくれました。近辺の農家が毎日集まるという繭の市場を訪ね、競りも見ました。迫力でした。原種の繭を探していたのですが、原種はそこから更に60km(車で2時間)ほど行かねばならないということで、帰りの飛行機の時間もあるし、今回はあきらめました。

 政府の試験場へも行きました。そこでは、原種の繭と、中国の高品質の繭(と世界中の絹関係者は思っていますが私はそうは思わない)を交配し、均等で、繊維がスムーズで撚りやすく、無駄の出ない蚕をつくり、その卵をバンガーロール中の農家に配布しています。とても親切に説明してくれました。日本の繭(養蚕技術)は世界一ということ。技術指導に日本人がかなり来たようです。もちろん産業のための人工的な繭を作るためです。(その日本は現在養蚕が不可能になりつつある)。

 さて、なぜ原種の繭かといえば……原種の繭はやっぱりその土地に生き続けてきたものだから強い。(だから交配に使う)。病気にも強い。桑も原種を好む。繭は交配種より小さく、もっと黄色い。糸はかけ合わせより短く、均一ではない。でもどこか生き生きとしていて、新鮮で、ハリがあって輝いている。とても健康な感じ。糸にしたときに違いを感じます。

 バンガーロールでは大半の生産が外国向けの絹布で、その生産のためには効率の良い繭が必要なので、ほとんど交配種の繭を使っています。しかし現地のインド人のためのシルクサリーは不均一でもよい。その方が手織らしくていい。ということで、サリー用にはわずかながら原種も使われているとのこと。サリーを着る文化がなくならない限り、原種はわずかながらも続くようです。安心しました。その元気な糸を少しわけてもらって、気持ちよい布をつくりたいものです。

真木千秋


10月2日 真木おつう

 先日、トップページに「真木千秋と香はインドから無事帰国しました」と書きましたが、今日、そのところを変更しました。
 無事じゃなかったんです。特に真木千秋が。帰ってから今日で6日目なのですが、ずっと床に伏せったままなのです。医者に行ってもあんまりかんばしくありません。もうインドは30回ほど行っているでしょうが、こんな惨状になって戻って来たのはこれが初めてです。

 どうもインドでそうとう無理をしたらしいのです。特に帰国の少し前、気温三十数度の工房の中で、ほとんど気絶寸前になりながら、たて糸かけをがんばってしまったのだそうです。難しいたて糸はインドにいるときしかかけられないので、ちょっと欲張ってしまったのでした。そのつけが回ってきたのです。

 リビングにベッドを据え、昼間から薪ストーブをたいて部屋を暖め、母親の真木雅子に看病してもらっています。ものもほとんど食べられず、だんだん顔もやせてきました。
 それで思い出したのは『鶴の恩返し』です。ヒロインのおつうはやせ細りながらヨヒョウのために織物を織りました。真木千秋もやせ細りながら、織物づくりをしているわけです。はたして真木千秋はおつうなのでしょうか。そしてこの私(田中ぱるば)はヨヒョウなのだろうか。きっと恩返しをされるような善行を真木千秋に施したに違いありません。ともあれ、「おつう」が「おつや」にならぬよう、養生に励まねばなりません。


10月11日 クリストの撮影

 養沢の家に、フランスから、千秋の恩師シーラ・ヒックスと、息子夫婦のクリストとレベッカがやってきました。シーラ・ヒックスというのはファイバー・アーティストの第一人者で、桐生の新井淳一さんなどとも一緒に仕事をしています。年に何回か来日するのですが、今回の目的は、クリストによるビデオ作品づくりです。

 クリストは映像作家。今、『スチール・バナナ』という名前でビデオカメラを回しています。これは日本のテキスタイルづくりを独自の視点から描く作品で、主に母親のつてをたどって何人かのつくり手たちをカメラに収めます。「スチール」というのは最先端の繊維素材、「バナナ」というのは芭蕉のことで伝統的な繊維素材。つまり伝統から最先端までの日本の布づくりを追ってみようというものです。それで桐生の新井淳一さんや西表島の石垣昭子さん、そして真木千秋などが取材の対象になります。

 彼のつくったビデオを一度見たことがありますが、普通のドキュメンタリーとはちょっと違う、彼独自のセンスの加わった詩的な映像作品です。どうやら私ぱるばは、彼らの案内役として今月下旬、西表まで同道することになりそうです。


11月16日 ある漆職人の話

 輪島の塗師、赤木アキト。この人はちょっと変わっている。今日も約束より二時間も遅れて現れたのだが、なんと頭が真っ白。まるで竜宮城からご帰還のようだ。わけを聞くと、髪の毛を脱色したのだという。どうして脱色したのかと聞くと、別に意味はない、僕は軽い漆芸作家だから、と答える。なんでも一昨日、脱色したのだが、脱色剤にかぶれてしまったのだという。そのせいで頭が腫れて、一時はどうなるかと思ったそうだ。二時間遅れたのもその腫れのせいだという。

 今、午後の八時、場所は青山のショップ。明日から彼の展示会なのだ。そのために今日、はるばる石川県の輪島からやってきた赤木夫婦(写真左)。上信越道を通って、八時間かかったという。今、ディスプレーの真っ最中だ。

 通常は真木テキスタイルスタジオのものを展示してある当ショップ。真木テキスタイル以外の作家のものを扱うことは、比較的少ない。その数少ない作家のひとりが、この赤木アキトさんだ。彼の作品はもちろん、真木千秋もふだん愛用している。

 彼の塗り物の最大の特長は、その質感だ。普通、漆器といったら、表面がツルツルピカピカしていて、その上に黄金の蒔絵なんぞで装飾が施されている。ところが赤木作品といったら、ほれ、この通り(写真右)。そのサラサラした手触りは、なんかタッサーシルクを思わせるものがある。真木千秋が好むのもむべなるかな。

 この独特の感触は、漆の中に和紙を塗り込めてあることに由来する。これは赤木アキト独特の技法なのだ。彼は自分のことを「下地塗り職人」と呼ぶ。
 輪島には三千人の職人がいるが、「下地塗り」の先には、「上塗り」、「呂色」、「加飾」といった職人たちがいる。彼によると現在、輪島で作家活動をしている人の九十パーセント以上がこの最後の「加飾職人」たち、つまり蒔絵や沈金作家なのだそうだ。いわば絵描きさんたちだ。
 「塗り」で作家活動をしているのは、有名な角偉三郎さんを含め、十指にも満たないという。そんな中で、「下地塗り職人」として作家活動を展開している彼は、たいへんユニークな存在なのである。

 また、木地にも工夫の跡がある。普通、輪島塗りの木地は、ケヤキ材なのだそうだ。ところが彼はケヤキのみにこだわらず、木地職人たちの協力のもと、栗やイチョウ、桐やアスナロなどを使っている。それぞれの木地の持つ質感が、それぞれの器の用途にあいまって、彼独自の世界を創り出している。

 輪島に移り住んで九年目。彼の工房では、アキト氏が漆を塗り、奥さんの知子さんがそれを研ぎ、またアキト氏が漆を塗るという作業が繰り返される。「漆職人の徒弟はまずチンチンがかぶれる」とかいった下ネタを始め、彼らの話には興味がつきない。明日からの展示会が楽しみだ。

赤木アキト展 11/17-11/29 (日曜定休)11:00-19:00 真木テキスタイルスタジオ青山店


11月28日 あっちゃこっちゃの日々

 この一週間はけっこう目まぐるしい日々であった。20日には養沢で雑誌『クロワッサン』の取材があり、翌21日には雑誌『ハーブ』の取材。
 この『ハーブ』の取材が変わっていて、記事の題が『ハーブでインターネット』。つまりハーブ関係でインターネットをやっている人を特集するんだという。それが真木テキスタイルスタジオと何の関係があるのかというと、「草木染」と「ハーブ」に通じるところがあるのだそうだ。草木染にしてもインターネットにしても私ぱるばの担当であるから、この取材は珍しく私が対象になるのであった(写真左・撮影/石田翠)。真木千秋はその日の朝に沖縄・石垣に向けて出発する。この号の発売は来年一月十六日だそうだから、暇な人は見て下さい(2月号・誠文堂新光社)。クロワッサンの発売は十二月二十五日。

 さて真木千秋はインド行きを一ヶ月後にひかえた忙しい身であったはずなのだが、その二日前に西表の石垣昭子さんから電話をもらって、急遽飛ぶことになったのである。
 石垣さんたち八重山の女性グループが、自分たちの織物を使ったファッションショーを、23日に八重山の中心地・石垣市で開催するという。その手伝いに行ったのだ。22日には真木香も後を追って石垣へ飛ぶ。ショーの当日には姉妹そろってファッションモデルをやったんだそうだ。

 身軽になった私は23日、鹿児島へ飛ぶ。じつは27日から鹿児島市のギャラリー壷中楽で真木テキスタイルスタジオの展示会があるのだ。
 真木姉妹は石垣市でのファッションショー終了後、西表島に渡り、昭子さんの工房に、二、三日滞在。気温28度で夏みたいな陽気だったとう。
 そして27日、壷中楽展示会の初日、千秋は八重山から鹿児島に駆けつける。壷中楽オーナーの牧さんはなかなか一所懸命で、新聞社の取材が二件入ったほか、ラジオもインタビューにやってきた。それがライブでオンエアされるのである。私にもマイクが向けられたので、タッサーシルクについてちょっと講釈をしたのだ…「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」なんて調子で。かくして、この平家物語の文句が鹿児島一帯に響きわたったのである。さて、写真右はその展示会場での一コマ。お客さんのいないとき、八重山からもらってきた芭蕉糸の糸巻きをする。
 そして千秋は29日、福岡経由で帰京するのである。


 

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