養沢物語


 
「養沢物語」なんて偉そうに書いていますが、当スタジオが養沢に移転したのは、つい最近、96年の六月下旬のことです。その前は六年間、6kmほど下流の、留原というところにいました。
 養沢はおもしろいところです。ここは秋川の支流、養沢川によって削られた、細い谷です。

東京の行き止まり
 東京方面から来ると、五日市街道の終点から檜原(ひのはら)街道に入り、途中から右手に養沢街道が分岐します。養沢街道(ホントの名前は知らない)は、養沢川ぞいにくねくねと登っていき、やがて林道となり、それから登山道となって、消えていきます。つまり車で行く限り、ここは行き止まりなのです。

東京の山間赤字路線
 
この養沢にも路線バスが走っています。五日市駅から終点の上養沢まで、一日十往復ほどです。京王系の西東京バスです。きっと大赤字なのでしょう、いつもガラガラでかわいそうです。本数が少ないので車に乗れない真木千秋などは往生しています。みなさんも乗ってあげてください。

奥多摩の龍
 養沢のとっつきに徳雲院という禅寺があります。かつてここに「奥多摩の龍」と言われた偉い禅僧が住んでいました。今もその遺風をしのんで、毎週日曜日、人々が座禅を組みにやってきます。ほんとに気持ちのいい禅院です。

軍道和紙
 次の停留所が「軍道」です。「ぐんどう」と読みます。ここではかつて和紙が漉かれていました。今ではもう誰もやっていないけど、檜原街道ぞいにある「ふるさと工房五日市」で軍道和紙の紙漉き体験ができます。

山の小学校
 ここにはもうひとつ名物があります。小宮小学校です。生徒総数60人くらいの、小さな山あいの小学校です。自主的でおおらかで、いい学校です。じつは私たちはここの生徒たちに、沖縄の太鼓踊り「エイサー」を教えています。(私たちはかつて喜納昌吉のもとでエイサー隊をやっていたことがあります)。96年10月6日の運動会には高学年がエイサーを披露することになっています。またここの騎馬戦がおもしろい。「やあやあ我こそは…」と名乗りをあげて、ホントに落としあうのです。ぜひ見にきてください。

山腹の旧家
 少し先へ行くと、右手の山腹に、見上げるばかりの立派な屋敷があります。きっと付近の山持ちなのでしょう。いつか友達になって中を見せてもらいたいものです。近くの街道ぞいには「紅うさぎ」というかわいらしい博物館があります。またこのへん一帯には、七月になると毎晩ホタルが舞います。
 
尾根筋の宿
 もうすこし奥に入ると、おもしろい宿があります。大峰荘という民宿です。車では行けません。山の上の、尾根筋にあるのです。バスを降りて、30分ばかり、かなりの山道を歩きます。すると山の上に、忽然として古い民家が現れるのです。おばあちゃんがおいしい手料理を食べさせてくれます。山上の檜風呂は最高です。 

養沢の悩み
 都心から二時間くらい、山と清流、おいしい空気……当スタジオにとって理想的とも言える環境ですが、そんな養沢にも悩みがあるのです。過疎です。小学校の生徒数も年々減少し、いずれ統合の憂き目に遭うかもしれません。かつては盛んだった林業も、昨今の木材価格の低迷で、今はさっぱりです。山持ちたちもどうしたらいいか困っています。(だからお隣の日の出町なんかゴミの処分場を誘致してしまったのです)。地域の活性化に何か妙案はないかと、みんなで頭をひねっています。

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今のところはこのくらいです。
随時、新しい話を書き加えますから、
ときどき開けてみてください。
  

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