India 2005
 

2004年12月26日から2005年2月までの間、真木千秋ほか3名のスタッフがインドにて布&服づくり。
1月20日に現地入りした田中ぱるばが、そのうちの11日間をリポート。


1月21日 デリー冬日


 昨20日、私田中ぱるば、インドに到着。
 真木千秋を含め四人の面々は、早くから入竺(にゅうじく)してモノづくりに励んでいる。

 南国インドはきっと暖かかろうと期待を込め、本ページもオレンジ系の暖色を配してみたのだが…。
 現在、昼の12時。気温は十度少々であろうか。
 空はどんよりと曇っている。停電しているから電灯もない。

 そして機場もひっそり静まりかえっている。
 今日はイスラムの祝日「犠牲祭」なのだ。
 これはそもそも、父祖イブラヒム(アブラハム)が最愛の息子イスマイル(イサク)をアラーの犠牲に捧げようとした伝承に遡るらしい。
 重要な祭日なので、イスラム教徒はお休み。
 ウチの職人たちは、織師もテーラーもみんなイスラム教徒なので、今日はあまり仕事にならない。
 ただ、運転手のグルディープ・シンはシーク教徒。そしてアシスタントのディーパックと染師のキシャンはヒンドゥー教徒だから、移動と染色はできる。
 様々な宗教のはざまで生きる真木テキスタイルスタジオである。

 写真はそんな冬日(とうじつ)の機場。
 前景で布を洗うのは太田綾。
 ブラウス用のシルクを、これから「ケス」という花で染めるのだ。
 中景で腰をかがめて火を見ているのが、染師キシャン。
 後景の左側が真木香。
 そして右側でほおかむりしているオジサンみたいのが、真木千秋である。
 うすら寒い今日の陽気を象徴するような光景。

* * *

 仕事を早々に切り上げ、午後は市内のクラフトミュージアムに出かける。
 正式に言うと、National Handifrafts and Handloom Musium (国立手工芸手機博物館)。
 建築家チャールズ・コリア設計になるモダンエスニックな複合コンプレックスの中に、木工、金工、石細工など、インド亜大陸の手工芸品があまた展示されている。

 中でも特筆すべきは、館名にもある手機(てばた)の織物コレクションであろう。
 細密な絞り、Patola(タテヨコ絣)、Kantha(刺し子)など、各地に伝わる驚くべき手仕事には目を奪われる。
 私的に言うと、目も綾なる装飾的な染め作品より、絞りや刺し子など、質感の変化を伴う布が面白い。
 たとえば古いサリーなどを刺したリサイクル布であるKanthaなど、韓国のポジャギに通ずる手の温もりが感じられ、非常に好もしい。

 惜しむらくは、織素材に的を絞った展示がなされていないこと。
 たとえば、インドの綿織物は遠くインダス文明に遡るらしいが、染のほどこされていない伝統的なカディ(手紡ぎ手織り綿)生地など見てみたいものである。
 あるいは様々な野蚕生地とか。
 もっとも、インド人にとってはそんなの当たり前すぎて展示するまでもないのか。

 敷地内には手仕事の実演コーナーや、各地の民家の展示もある。
 併設のミュージアムショップには各地の手工芸品が山をなし、インド土産の物色には好適。
 首都観光のおすすめスポットである。



1月22日 裂き織り


 私ぱるばはここにいてもあまりすることがない。
 だからヒマにまかせて、こんなページを作ったりしている。
 ただ、顔を出しておくことは必要らしい。
 というのもこの国はけっこう男社会だからだ。
 ウチの女衆は実年齢よりかなり若く見られる。
 十歳サバを読んでも十分通用するであろう。
 そんな「若い」女たちが四人、たとえばホテルに長逗留していると、宿のスタッフもだんだん、ダレるというか、緊張感を欠いてくる。
 そこへ私が出かけていくと、みんな見違えるようにピシッと仕事を始めるんだそうだ。
 冬など藍染の作務衣を着用することが多いから、日本の武道家みたいに思われているらしい。
 そう思われてると都合いいから、あえて否定はしないのである。
 そもそも、織物づくりもまた、ひとつの格闘技である。

***

 さて、今日は昨日に増して寒い冬の日だ。
 朝など冷たい雨が降って、休養日にしようかと思ったほど。
 特に機場は、外の仕事だからだ。
 しかし残りもあと一週間。
 寒いのなんのと言ってられない。
 
 今回、新しい試みがひとつある。
 Maki式「裂き織り」だ。
 ナーシシルクの生地や端裂をチョキチョキとハサミで切る(写真上)。
 薄手や厚手のナーシ地を、短く切ったり、長く切ったり、斜交いに切ったり。
 そうして変化を持たせるわけだ。

 それを織師イスラムディンのところに持っていって、緯(ヨコ)に打ち込むのである。
 今、機にかかっているのは反物。
 様子を見ながら、タペストリーとか作品的なものを織っていくらしい。

 このイスラムディン、まだお祭り気分が抜けていないらしく、普段にも増してのんびりムードだ。
 そう言えば昨日、久しぶりに顔を合わせたとき、「おめでとう」と言われる。
 「新年おめでとう」かと思ったら、「犠牲祭おめでとう」であった。
 異教徒もわけへだてしない、おめでたい男である。

 下写真は織り上がったサンプルを機から上げたところ。



1月23日 ラックダイ


 今日は日曜日。
 したがって針場は休み。
 それで全員そろって機場に来る。

 写真上は機場到着当時の模様。
 真新しいスズキの1300ccに六人つめこんでの出勤だ。
 前部に運転手グルディープ・シンと私ぱるば。
 後部向かって左から太田綾、真木千秋、真木香、大村恭子だ。
 運転手が84kgの巨体だから、しめて350kg。
 日本では定めし道交法違反であろうが、ここインドではどうということもない。
 背後でポーズを取るのが、タテ糸職人パシウジャマ。
 手にするのは今朝採ったというキンカンだ。
 あとで私が食したが、けっこう酸っぱかった。

 ここデリーは私が到着して以来、寒い曇天が続く。
 吐く息も白く、あまりインドチックな趣がない。
 そこでさっそくパシウジャマが炭火をおこしてくれる。
 遠赤効果でなかなか暖かい。

火鉢をはさんで大村恭子(K)とパシウジャマ(P)がなにやら話している ―

K:寒いね〜。
P:うん、寒い。
K:私なんか靴下二枚はいてるんだよ。ホラ。
P:ふ〜ん。
K:あなた裸足だけど、平気なの?
P:うん平気。子供の頃からね、陽が照ったりして暑いから、はいたことないんだ。
K:私も子供の頃は一枚だったんだけどね…

何度も御紹介しているが、このパシウジャマ、聾唖である。
しかし工房中でいちばん鋭い勘を持っているので、唯一、私たちとおしゃべりできる職人なのだ。

 しかしおしゃべりばかりではない。
 じつにMakiの織物はこの男のウデにかかっているのである。
 今日は一日、真木香デザインの新作にかかりきり。(写真下)
 薄地ストールのタテ糸づくりだ。

 さてこの色、Maki では珍しい紫系。
 これはラックで染めたものだ。
 今まで「艸ストール」に少々使ったことはあったが、これほど広汎に使うのは今回が初めて。

 Maki の要望に応えて、ニルーが調達してきた貴重な染料だ。
 なんでも、インド西部のビハール州で育てている人がいるのだという。
 赤味の紫を出す。
 そのラックを使い、鉄や銅、木灰で媒染し、様々な陰影を出した。
 さて、出来栄えやいかに。



1月24日 Cooking & Beading


 しかし私は密かに思うのであるが、インド料理というのは世界に冠たるものではあるまいか ― 。
 というのも、植物性の素材のみをつかって、あれほど豊かな食卓を創出できるキュイジーヌも滅多にないからだ。
 これはひとえに長い伝統と、豊富なスパイス類のおかげであろう。
 スパイスにはそれぞれ薬効があるから、ある意味でこれも薬膳と言える。
 たとえば、消化が良く胃にもたれないのも、そうした薬効のひとつだ。

 昨晩はお呼ばれであった。
 ウダイ家でディナーである。
 ウダイというのは、Makiのパートナー「Tal Textile」の共同経営者。
 大姉御ニルーの弟だ。
 奥さんのアニータは料理が得意で、よくこうして我々をもてなしてくれる。
 レストランの本場インド料理も美味であるが、やはり家庭料理は格別だ。
 それでは昨夜、食卓に並んだ料理を御紹介しよう;

1.ピーマンやカラフルなペッパー類を主とした野菜の煮込み。
2.カリフラワーとグリーンピースの料理。
3.インド名物、パラック・パニール。これは厳密に言うと純植物性ではないのだが、カテージチーズ(パニール)の角切りと、ホウレン草(パラック)で作る。
4.いちばん手間のかかったであろう、蓮根のコフタ。コフタというのはコロッケのようなもの(パン粉は無い)。蓮根をすりおろし、その他の素材とともにコロッケ状にして、ソースとともに煮込んだもの。初めて食べたが、繊維質の独特な食感があり、極めて美味。
5.グリーンピース入りご飯。
6.ご飯の器に半分隠れてよく見えないが、コリアンダーのチャツネ。

 もちろん、このほかに主食チャパティ(インド式薄焼きパン)があり、アニータが台所と食卓とを忙しく往復しながら、アツアツの焼きたてを供してくれるのである。
 う〜ん、ウダイは毎日こんなのを食べてるのであろうか!?
 下の写真、背後がウダイ。一杯はいって御機嫌だ。
 左側が娘のマニ。今年十七になる。二、三歳の頃から知っているので、我々にとっても娘のような存在だ。先日学校行事で初めてサリーを着たとのことで、そのときのビデオを我々に披露しているところ。サリーというのは日本でいう着物みたいなもので、こちらインドでも着用には気合が必要なのだ。

* * *

 明けて24日。
 今日は針場に赴く。
 大村恭子と太田綾は通常ここで仕事をする。
 四ヶ月半ぶりの訪問になるが、一歩踏み入れると、いつもと変わらぬ、お馴染みの光景が展開している。
 テーラーの手が変わっても大変なので、お馴染みに越したことはない。
 右の写真は、マスタジ(親方)とMakiの娘たち。
 ビーディング・ブラウスの調整だ。

 ビーディング?
 初めて耳にした方もあろう。
 これはブラウスの袖や裾の縫い目に使われる、ハシゴ状の透かし縫いだ。
 実はこれ、新聞紙を使って、ミシンでこしらえる。
 ビーディングのスペシャリスト、ウスマンに披露してもらったので、御覧に入れよう。
1
新聞紙を折り重ね、ずれないようにミシンでたたく。
重ねる枚数が多いほど、スリットの幅が大きくなる。
今回は24枚。
6
縫い目をひっくり返し、まずスリットのすぐ両脇をミシンでたたく。
2
新聞紙の上に、縫い合わせる布を二枚重ね、ミシンでたたく。
7
いちばん難しいところ。
ヒダを内側に折り曲げながら、折り目の1ミリほどのところをミシンでたたく。
見事な職人芸
3
ミシン目に添って、新聞紙の端をを切り取る。
8
両方のヒダに上記の処理を施してできあがり。
4
残りの新聞紙から糸を外す。
浮き上がった糸が御覧になれるであろう。
テーラーのウスマン。
自身でも何人かのテーラーを雇う親方だ。
5
縫い目を開くと、すでにスリットができている。


1月25日 霧の機場


 朝、一面深い冬霧がたちこめている。
 上写真は今朝11時頃の機場の様子。
 ここデリーは今、電力事情が最悪である。
 近年の需要増に加えて、発電所の不調が続き、送電が頻繁に停止になるのだ。
 停電ではなく、電力不足による意図的な送電停止。
 日本では考えられないことだが、そもそも電気とは贅沢品なのだ。

 今朝も機場に来ると、やはり電気がない。
 昼前にやっと開通すると、すかさず大村恭子がキッチンに飛び込み、湯沸かし器のスイッチを入れる。
 私はどうでもいいんだが、ウチの女衆はお茶で生きているから、これは死活問題であるようだ。
 何事にも目ざといタテ糸職人パシウジャマはそのへんをちゃんと察知していて、電気が通じると、「来たぞ!」とMakiスタッフに合図を送る。

 もっともこれにはウラがあって、Maki のティータイムには自分もお茶にありつけるのだ。
 職人衆の中では彼ひとりの特別待遇。
 Makiのスタッフといえば、いちおうマダムの部類に属する。
 そんなマダムたちにお茶を入れてもらうわけだから、これはかなりのステータスなのだ。
 お茶を供さないとヘソを曲げて仕事をしなくなるから、マダムたちにとってもこれは必要な饗応なのである。

* * *

 職人たちは、Maki が直接雇っているわけではない。
 ニルーたちの会社「TAL Textile」の配下にある。
 その中の幾人かをMaki 専任にしてもらっているのだ。
 雇用関係にないから、気楽につきあえる。
 
 朝、工房に到着すると、真木香のお気に入り織師ワジッドがぶらぶらしている。
 「あれ、なんでここにいるんだろう?」と真木香。
 というのも、機の都合で、ワジッドは今、2kmほど離れた別の機場にいるからだ。
 60cm幅のジャカード機で、新作であるシルク二重織りのタペストリーを織っているはず。
 なんでも、紋紙の番号が違っていて、機にセットできないんだという。
 そこで助手のディーパックを交えて指示を与える真木香。(写真中)
 いちばん上のカーキ色セーターがワジッド。
 その左下、ショールをまとっているのが織師カリファ。この人はパシウジャマの兄なのだが、ジャカード機のスペシャリストなので、一緒になって考えているところ。
 シルク二重織りタペストリーは初めての試みなので、サンプルができあがったらまた御紹介しよう。

* * *

 その傍らでは、真木千秋がルーペを片手に、なにやら作業している。
 なんでも、今回のテーマカラーは「緑」なのだそうだ。

 ご存知かと思うが、緑とは、植物染料では一発では出ない色である。
 黄と青を染め重ねるのだ。
 たとえば、日本では伝統的にカリヤスと藍を使ったりとか。

 今回は、ストールや細幅反物(カンテクロス)などに緑を使おうと、様々な陰影を準備する。
 まず黄色だが、五日市の工房でフクギやキハダで染める。あるいは、インドに来てからザクロやケスで染める。
 フクギの黄色は透明感のあるレモンイエロー。キハダはしっかりした黄色。ザクロは深みのある黄色。ケスはやや緑がかった黄色。
 その上にインド藍を染め重ねて緑を出す。黄の染材によって緑の色合いも様々だ。
 写真下は、フクギの緑を使った新作ストールである。


1月26日 新着情報


 とれたての衣を二点ほどご紹介しよう。

 右の写真。
 なにやら二世代ほど前のグラビアを思わせる爽やか笑顔は、当社専属モデルの大村恭子。
 着用するは、「かぶりロングベスト」(仮名)。
 生地は「ウネ」の変形だ。

 「ウネ」といえば、私も愛用するストールである。
 細かな凸凹がウネウネと続くジャカード織りだ。(拡大写真Aの上部)
 この織りを生かして衣を作るとどうなるだろう…。
 ということで、今回新たに生地をデザインする。
 下の拡大写真では、上部に「ウネ」、下部に二種類の平織が見える。
 この三種の織りを組み合わせて生地を織り上げ、衣に仕立ててみた。

 ノースリーブで、首許に余裕をもたせてある。
 腰ヒモなしで、ストンと着ることもできる。
 写真は腰ヒモを結んでいるが、ヒモを通すループの高さを左右で違えてあるので、ヒモを結ぶと斜めの動きが出る。

 ウネ部分に太目のナーシシルクを使っているので、水通しをすると、もっとふんわりした素材感が出るはず。

 ちなみに大村恭子の背後に干してある布も、今回、衣用に織り上げた新作だ。
 数種類のシルク糸を使ってジャカード機で織った、やや厚手の生地。
 春用のショルダータックジャケットになる予定。

拡大写真

 左の写真。
 キルティングのグンディジャケット。

 キルティングというのは、布を重ねてミシンがけする手法。
 手間のかかる素材だが、インドではよく使われる。
 真木千秋もパンツを仕立てて、愛用していた。
 ただ、一般的に使われる絹の表地は、機械で織ったもの。
 それでやや平板なきらいがある。

 今回、Maki では手織りのタッサーシルクを表地に使ってみた。
 裏に三枚のガーゼ綿生地をあてがい、5ミリ間隔に手でミシンがけする。
 それを水通しすると、下の拡大写真のごとき細かな凹凸が現れる。
 ミシンがけして水を通すと元の生地から1割弱縮むから、それを頭に入れつつ、生地を取らないといけない。

 春は生成、秋は染めを施して作りたいという。
 また秋には、たとえばナーシ絹を使うなど生地も変えてみたい、と大村恭子。

 平生あまり物欲のない私であるが、キルティングのジャケット、欲しいな〜
 と、真木千秋に言うと、このジャケットはちょっと女っぽいとのこと。
 ただ、キルティングの間隔をもっと大きくし、濃色にすれば、男でも似合うかもしれないという。
 ぜひやってほしいものである。

拡大写真


1月27日 Black Venus


 長い歴史を持つ国インドには、過去の遺物がいっぱい。
 首都デリーはかつてのイスラム王朝・ムガール帝国の中心地だったから、そこらじゅうにイスラム風の構造物が残っている。
 針場のある場所も、ラド・サライといういかにもイスラムっぽい地名で、近所にはムガール朝の遺構がある。(写真上)
 今では公園となって市民の憩いの場となっている。
 建物にカメラを向けると、子供たちが「フォト! フォト!」と言いながら走り寄ってきて、画面に乱入するのであった。

 私がインド入りしたのは20日であったが、それ以来しばらく寒々とした曇天が続いていた。
 しかし、昨日あたりからやっと青空が戻る。
 ここデリーは、緯度で言うと奄美大島ほど。
 陽さえ差せば日中の温度は20度くらいまで上がり、まことに快適である。

* * *

 昨日はインドの憲法記念日。国民の祝日であった。
 明けて今日27日、またいつもの営みが始まる。
 写真はラド・サライの針場風景。

 Maki の衣チーム・大村と太田が、親方マスタジ(右端)となにやら協議している。
 そして前面にはダミー。
 新作の「スリット入りサロン」を腰に巻いている。

 従来のMaki サロンと一線を画して、左脚前にスリットが入っている。
 一周の長さも短くなって、足さばきも楽。
 布の分量が少ないから、より気軽にまとえるであろう。
 上部にダーツが五ヶ所入って、立体的な形を作っているので、スカートとしてはきやすい。

 生地は新たにつくったワヒッド織りのツートンカラー。
 麻とギッチャ絹を使った、丈夫な平織だ。
 黒系と白系のツートンで、白い部分がスリットの内側に来る。
 歩くと白がチラッと覗くわけだ。
 写真中で太田綾が腰にあてているのは、同型サロンの生地違い。
 ディルモハマドの織った大きな格子柄だ。

 このダミー人形。
 インド製で、体型がやや洋風。
 こんなふうにサロンを巻くと、両腕もないことだし、ヘレニズムの秀品「ミロのヴィーナス」を想起してしまうのは私だけであろうか。

 左写真は後ろから見たヴィーナスの腰部。
 滑らかな曲線が艶っぽい。
 縦に入ったダーツが見える。



1月28日 とりどり


 今日は機場でフルに働く最後の日だ。
 幸い天候も回復し、上々の機織り日和。
 寒いと織師たちの動きも鈍く、仕事がなかなか進まない。

 「今日ははかどるぞ!」と思っていたら、なんと金曜日。
 イスラム教徒にとっては大事な礼拝デーなのだ。
 善男善女は昼の12時半に沐浴し、こぎれいな服に着替え、モスクへとお出かけなのである…。

 上写真は朝一番の風景。
 インド風のベッドが机がわりだ。
 右側の真木香はラック染めショールの織り出しをチェック、左側の真木千秋は紅露染めショールの作業をを進めている。

* * *

 真木千秋の部分を拡大したのが、右の写真。
 紅露(くーる)というのは、沖縄・八重山でとれる染料で、赤系統の色を出す。
 昨年三月西表島に滞在した折、赤城の節糸を紅露で染めたのだ。
 今まで紅露でショールをつくったことはなかった。
 それで構想を温め続け、今回インドに糸を持参して、形にしたのである。

 紅露が主だが、他の赤系染料も使って陰影を出す。
 写真、右端のギッタ(糸巻き)が紅露で、こっくりした赤だ。
 真ん中が五日市で染めたビワ。左端がこちらで染めたセブリ。
 そのほか黄色を隠し味に使っている。

 またタテ糸にギッチャ絹をかけて風合いを出す。
 ギッチャ糸をタテにかけるのは難しいのだが、今回たまたま撚りのかかった上質のギッチャ糸が手に入ったので実現した。
 手紡の糸だから、いつも同じものがあるとは限らないのだ。

* * *

 背後のタテ糸整経機では、ナイームが黙々と作業している。
 「ホピ」ストール新色のタテ糸づくりだ。
 今まで黒とカーキだけだったホピだが、今回は濃紺とグレーが加わる。
 写真の糸はインド藍で染めたもの。

 ところでもう午後一時だ。
 ナイームは忠良な信徒なのだが、我々の窮状を察し、今日は礼拝をサボってくれたらしい。
 イスラム教徒もいろいろで、たとえばイスラムディンなど名前とは裏腹に不良な信徒で、滅多にモスクに行かない。タテ糸職人パシウジャマは気まぐれ屋で、今日はどうもサボリモードであるらしい。
 というわけで、今日はやはり仕事がはかどりそう。

* * *

 さて、真木香の手許にはラック染めの織り出しサンプル。
 こは五日ほど前にタテ糸を作ったものだ。
 それを機にかけ、織師とともに、五パターンほどのヨコ糸を打つ。
 そして機から外し、水を通して様子を見るのだ。
 今回はそのうち、三パターンを採用するらしい。
ところで、ラックというのはインドでも貴重な染料だ。
なんでも、特定の樹木につく貝殻虫であるらしい。
私も初めて見せてもらった。
赤チンのように真っ赤な粉末である。
酸で媒染すると、この通りの赤に染まる。
今回はグレーの糸と合わせるので、鉄や銅、灰で媒染した紫系の色を使う。


1月29日 グディアたち


 デリー滞在もあとわずか。
 今日は織師に渡す指示書づくりに忙しい。
 朝、機場をちょっと覗きに行く。

 染め場では、子煩悩な染師キシャンが娘を抱いて散歩している。
 一歳半になるが、名前はまだ無い。
 彼の故郷の習慣では、子供は二歳になって初めて名前がつく。
 二歳の誕生日に寺詣りをして、そのときバラモン(僧)に名づけてもらうのだ。
 それまで女の子は、「グディア」と呼ばれる。
 「お人形」を意味するヒンディー語の愛称だ。

 そういえばニルーの娘はもう十七になるが、いまだにグディアと呼ばれている。
 首都デリーでは生まれてすぐに名前をもらうらしいが、それでも女児は広くグディアと呼ばれる。

 下の写真は三日前のもの。右端がそのグディア。
 (ちょっと言いづらい名前なので、私はグッピーと呼んでいる)
 
今、受験期で、母親と同じデザイン方面に進みたいらしい。
 左端はその兄のシッダルタ。
 今年24歳で、今、建築を学んでいる。
 仏陀と同じ有難い名前を持っているが、彼もいまだ幼時の愛称で呼ばれている。
 「小さいの」を意味する「チョットゥー」だ。
 (それではかわいそうなので、私はひっくりかえしてトッチューと呼んでいる)

* * *

 さて機場では、タテ糸職人パシウジャマ(P)と真木香(K)の間で、いつもの会話が交わされている。

P:あと一日だね。
K:うん。
P:帰らないでここにいろよ。オレがチャパティ焼いてやるから。
K:でもここにはヘビや野良犬がいるじゃない。
P:そんなのオレが退治してやるよ。魚だって捕ってやるし。
K:だったらあんたが日本に来たら?
P:うん、いいね。そうしよう!

 今日はタテ糸づくりがないので、彼もヒマなのだ。
 実は彼、機織りもできるらしい。
 ただ、機にしばりつけられるのがイヤで、自らこうした閑職を選んでいるのだとか。

 しかし、いたずらに油を売っているわけではない。
 必要なときにはサッと駆けつける機敏さも。

 右写真、茶色の円盤はナーシシルクである。(牛糞ではない)
 インド中央部で紡がれ、糸繭商のチュニラル氏が、二〜三か月に一度、届けてくれるものだ。
 ひとつひとつの円盤ごとに品質が違う。
 それを織師別に選り分けているのだ。
 「今度はもっと濃色のものを届けてくれるよう、チュニラルさんに言っといて」とアシスタントのディーパックに頼む真木千秋。
 ただし、一度言っただけではだめなのである。うまずたゆまず何度も言い続ける必要がある。

* * *

 針場は今日が最終日。
 まとめの作業に忙しい。

 写真は「むすびベスト」。
 Maki では初めて、ヒモで結ぶベストだ。
 スソに向かってAラインの広がりのある、女性的なデザイン。
 生地もまた服では初めての格子柄だ。
 今回、織師ディルムハマドの機で新しく織ったもの。

 ダミーに着せて、親方マスタジと三人で最後の調整をしている。
 スソの分量が多いからちょっと減らそうとか、ヒモの結ぶ位置をちょっと高くしようとか。

 あとは女主人・アミータに託すのみ。(写真下)
 この人もいまだ、母親から「グディア」と呼ばれている。
 四十路にさしかかっているが、いまだかわいらしい。
 かわいいだけではない。
 料理もすこぶる上手だ。
 今日もご持参のアミータ・ランチにあずかって、満足至極のMaki 一党であった。
 特にライタ(ヨーグルトを使ったインド風サラダ)が超うまかった。

1月30日 三姉妹・離印



 昨夜は指示書づくりでみな夜更けまで仕事をしたらしい。
 明けて30日。今日は真木香以下三名がデリーを離れる日だ。
 朝、例によってスズキの1300ccに全員で乗り込み、機場へと向かう。

 途中、羊の群に行く手を阻まれる。(写真右上)
 牛に阻まれることもある。
 駱駝や象に阻まれたことは、まだない。
 最大の障害物は、いうまでもなくクルマだ。
 経済成長の著しいここインドでは、最近クルマの数が激増している。

 機場に着くと、隣の畑で農夫の一家がホウレン草を収穫している。(写真右下)
 地面に腰掛け、日向ぼっこしながらのんびりやっている。
 冬とはいえ、畑の様相はわが五日市とだいぶ違う。
 花々が咲き、ナスが実り、ジャガイモももうじき収穫できそうだ。

 そういえば宿の屋外プールで泳いでいた人がいた。
 あれは日本人ではないかともっぱらのウワサ。
 (私ではない)

* * *

 さて機場では、みな最後の作業に勤しんでいる。(写真左)
 手前が真木千秋。
 工房長とアシスタントを相手に、細かく指示を与える。
 ただ彼女はまたデリーに帰ってくるので、まだ余裕の表情。
 
 向こう側では、真木香がパシウジャマの手を借りながら糸のサンプルを取っている。
 もちろん、話好きな男だから、タダ手を貸すばかりではない。
 二人の間の会話を採録すると;

パシウジャマ:もう帰るんだね。
カオリ:うん。
P:帰らないでここにいろよ。
K:だからあんたが日本に来ればいいでしょ。
P:ご飯はどうするの?
K:あたしが作ってあげるよ。チャパティ。
 
〈しばしの静寂〉
P:今度、夏に来るだろ? そのときオレいなくていい?
K:だめだよ、いなくちゃ。
P:う〜ん、どうしよっかな〜♪
K:そんなこと言うと、木に縛り付けていくからねっ!
P:ギャハハハ!

 今日もタテ糸づくりがないので、ヒマなP氏である。

* * *

 右は真木香が指示を与えているところ。
 指示書というのは、いうなれば織物の設計図だ。
 これは織師ナイームのストライプ・ショール。

 しかし、こうした指示書は本人の性格がよく出る。
 真木香のものは几帳面でカラフル。
 対する真木千秋のものは、線は曲がりくねり、秩序がない。
 「織物って、織るのは楽だけど、図にするのがタイヘン」とかこつ真木千秋であった。

* * *

 かくして、真木香、大村恭子、太田綾の、三週間に及ぶデリー滞在はつつがなく終了。
 我々二人とホテルスタッフに見送られて、空港へと向かうのであった。
 今日は赤いターバンの運転手グルディープ・シンである。(右端)

 真木千秋と私は明日から一週間、南インドに滞在する予定。


2月6日 その一週間後…


 一週間ほど、南インドに滞在して、昨夜デリーに戻る。
 同じインドとは言え、また別世界であった。
 ある田んぼでは田植えが行われ、その隣では稲が穂を出している。
 常夏の国で、年中、米がとれるらしい。
 女たちはとりどりのサリーを常用し、それを見て真木千秋も初めてサリーを着てみたいと思ったそうな。

 明けて本日、2月6日。
 首都デリーは霧がたちこめ、ここはインド版・北国なのだと再認識する。
 ただ、二週間ほど前のように「火鉢が欲しい」というほどではない。
 
 一週間ぶりに機場に戻ると、いつもと同じ風景が展開する。
 「寺詣りにでも行ってきたのかい?」とタテ糸職人パシウジャマが言う。

 織師ワヒッド用のタテ糸を準備していると、傍の畑で染師キシャンがジャガイモを掘り出している。(写真上。左側の人物は工房長のラムチャンドラ)
 見ると、もうこんなに大きい。
 昼食の材料にするのだという。

* * *

 このジャガイモ収穫の写真をパソコン画面いっぱいに展開していると、例によってパシウジャマが横から覗きこむ。
 それから、当事者をひとりひとり連れてきては、得意げに見せる。
 すると、キシャンもラムチャンドラも大喜び。
 こうなると紙焼きして持参せねばなるまい。

 ついでに、最後だから、私の仕事場をご紹介しよう。
 タテ糸整経機の脇にある、キッチン兼倉庫である。(写真下)
 この写真は一週間前のもの。
 奥で太田綾がお茶を入れている。

 キッチンと言っても、水道や流しがあるわけではなく、ただ電源とポット、食器類があるだけだ。
 その手前、籐椅子の上に、私のパソコンが置いてある。
 その前に立って、パソコンごっこをしているわけだ。

* * *

 私にとって今日は最終日。
 そこで昼にニルー宅を訪ねる。
 言うまでもなく、我らがパートナー TAL TEXTILE の主宰者だ。
 最近彼女は忙しくあちこちを飛び回り、なかなか会うヒマがない。
 先月も下旬にフランスの見本市に出かけ、数日前に戻ってきたばかり。
 写真はニルーの自宅。息子のシッダルタとともに。

 昼食に誘われたので、私はすかさず南インド料理を所望する。
 昨日まで滞在した彼の地の印象があまりにも強かったためだ。
 それについては、またいずれご紹介しよう。

* * *

 さて、今、午後6時。
 デリーのインディラ・ガンディー国際空港で、日本行きの飛行機を待っているところだ。
 聞くところによると、125ルピー払うと、30分間、ワイヤレスでネット接続できるとか。
 ではちょっと試してみるか。

〈完〉





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