Project Henchikurin Project Henchikrin BambooHouse" 竹林日誌2002,, BambooHouse Project Henchikurin Project Henchikurin

東京西多摩、秋川の清流を見下ろす崖上
築二百年の農家を舞台に展開する真木テキスタイルスタジオのお話。



8月25日(日) Project Pao

 なにやらプロジェクトづいているが、まっ、いいか。
 これは11月に予定されている中村好文展の話。

 先日もお伝えした通り、Maki布を使って、蚊帳というか、パオというか、天幕みたいなものを作ろうと 画策中である 。
 そのスケッチが中村氏から届いた。
 なかなかかわいらしいでしょう。

 そういえば子供のころ、ワクワクしながら蚊帳の中で寝たものだ。
 ホタルなんぞを中に放ったりして…。
 あのなんとも言えない安らぎの感覚というのは、いわゆる、子宮回帰の願望なんだろうなあ、きっと。

 このパオひとつつくるのに、布が16メートルほど必要になる。
 そのための織物づくりに、今、真木千秋は余念がない。


 前にも書いたが、透け感を出すために、空羽(あきは)という技法を用いる。
 すなわち、タテ糸の粗密に変化をもたせるのだ。

 ただ、ヨコ糸にスムーズな糸を使うと、水をくぐらせた際、タテ糸が移動し、目がつまってしまう。
 左写真の 下半分がそれだ。
 使った糸は、インド・バンガロール産の生糸。
 手許にあるインド産の絹糸はどれもタテ糸の把持力が弱いようだ。

 そこで、沖縄の手紡ぎ苧麻糸、それも上等な極細糸と、赤城の座繰り糸を使ってみた。
 すると目がしっかりと生きてくる。
 ただ、そうした糸だけでは横張りしてしまうので、柔らかさを出すため、バンガロール絹やベンガルのマルダ絹(小さな黄繭から引いた糸)も併用する。
 写真の上半分がそれだ。

 いろんな糸で試してみたが、どうやらこの組み合わせが一番のようだ。
 これでパオ用の生地がひとつできあがったようである。

 今、千秋はふたつ目の生地に取り組み中。
 二種類のMaki布で、つごう四張りのパオをつくることになっている。



10月8日(火) 奄美の絣糸

 鹿児島の南。奄美と言えば、大島紬。
 (蛇足ながら「大島」とは、伊豆大島じゃないのだぞよ。奄美大島なのだ)
 その奄美から小包が届いた。
 泥染めの絣糸だ。

 当スタジオのニューフェースに、齋藤智美なる娘がいる。
 実は彼女、昨年一年間、奄美大島で大島紬の勉強をしていたのである。
 (当スタジオのスタッフは総じてタダモノではない)
 紬にも様々な工程があるのだが、その中で、絣について習っていたそうだ。
 
 ご存じの通り、「大島」は糸の段階で染めを施し、柄を作る。
 「絣 (カスリ)」と呼ばれるものだ。
 これはそもそもインドが発祥とされるが、織り糸に糸を巻き付け、その部分を染まらないようにして、柄を出す。

 奄美では更に独自の発展を見せ、織締「おりしめ」という技法が生まれた。
 すなわち、糸を巻くかわりに、機で織り込んで締めてしまうというわけ。
 そこにはいろいろ細かな工程があって、齋藤トモミが一所懸命説明してくれるのだが、言葉だけだとどうもよくわからない。
 ともあれ、それによってより複雑な織り柄が出せるようになったらしい。

 さて、そのトモミが、あるとき、タッサーシルクの絣糸を持ってきた。
 奄美の先生に染めてもらったのだという。
 それを見た真木千秋、これはおもしろいということで、さっそく秘蔵の糸々を何カセか先生にお送りして、染めていただいたというわけ。
 赤城の紬糸とかタッサーシルクとか…。中にはウチの藍で染めた糸もある。

 車輪梅(しゃりんばい)という木を用い、泥染めするのだという。
 その手順は、車輪梅を煎じた染液にムシロ(織締した糸)を漬け、さらに石灰で媒染する。それを十六回繰り返す。
 それから田んぼにでかけて泥水をもみ込む。これはすなわち天然の鉄媒染だ。
 以上が一工程。

 今回は二工程のモノだという。写真に見る通り、全体的に赤みがかった色だ。
 もっと黒くするためには、その工程を、四回、六回と繰り返すのだそうだ。
 (左から二番目のカセは黒々しているが、これは藍に重ねたもの)
 白く色抜けしている部分が、締められて染まらなかったところ。
 しかし、やっぱ、写真じゃよく感じが伝わらない。
 実物を見たい人は、来週末(10/18-20)の「竹の家でおかいこぐるみ」にお運びあれ。

 糸カセを並べて、「もうこれだけでキレイ!」と満足している真木千秋。
 さて、この絣糸を使って、何が織上がるのであろうか。


10月11日(金) ある晴れた日…♪

 気持ちよく晴れた秋空のもと、来週末に迫った「竹の家展」にむけて、スタジオ総出で外仕事。
 なにしろ六百坪あるから、容易ではないのだ。
 雑草を片づけたり、落ち葉を始末したり、ガラスを磨いたり、樋の掃除をしたり。

 自分だけ出演して申し訳ないのだが、私が今やっているのは椅子づくり。
 椅子といっても、丸太をチェーンソーでちょんぎるだけだけどね。
 でも野趣があってなかなかいいものだ。

 丸太は近所の工事現場で切り倒された、杉、ヒノキ、ケヤキ…。
 それをトラックで運んでもらった。
 向こうも処理に困っていたので、ちょうどよかったのだ。

 写真中、私が切っているのは、杉。
 年輪を数えたら、四十四あった。
 杉てえのはウドの大木みたいな木で、薪にしても火力はないし、春先は花粉を飛ばすしで、ウチの近辺ではちょっと問題児。
 でも太くて、軽くて、加工しやすいので、丸太椅子にはちょうどいい。

 こうした作業をしていて、いちばん困るのが、じつはヒノキ。
 なにしろ良いニオイがするのだ。ヒノキチオールの。
 あのニオイをかいでいると、ウットリしちゃって、仕事する気がなくなってしまう。
 今回も何本か混じっていて、そのたびに往生している。

 さて、「竹の家」イベントに欠かせぬ影の存在が、大家の小峰さん。(写真下)
 今度こんなことしますよっ、とお知らせすると、おっとり刀ならぬ軽トラに七つ道具を積んで駆けつけてくれる。
 で、伸び放題の庭の雑草をキレイに刈り取り、庭木の手入れをしてくれるのだ。
 みなさん、竹の家を訪れると、庭がとっても気持ちいいでしょう。
 じつはあれ、ほとんど小峰さんの仕業なのです。

 ついでに庭には甘柿が四本あって、肉体労働の合間に食うと、冷たくてとってもウマイのだ。
 ビタミンCも豊富だし。
 (アレはホントは小峰家の所有なんだけど、来竹の際、欲しい人はそっと僕に耳打ちしてください)


10月17日(木) おかいこぐるみ前夜

 今、午後八時。
 ここ竹の家では、明日から始まる「おかいこぐるみ」展に向けて、真木千秋ほかスタッフ四名が飾り付けに余念がない。
 みんなよく働くことである。感心感心。

 かくのごとく忙しく立ち働く女たちをよそに、私ぱるばがなぜ呑気にパソコンなぞに向かってるのか!?
 じつは、私は外回りの肉体労働担当で、強靱な体力と明晰な頭脳のせいか、もうとっくに仕事を終えてしまって、手持ち無沙汰なのである。
 あとはデリバリーの Pizza を待つばかり♪

 でも一人だけ遊んでるのも悪いから、ちょっとデジカメで取材して、実況をお伝えしよう。
 写真は二階。
 五十畳の元・蚕室に、ところ狭しとMaki布が、宙を舞い、地を這っている。
 吊した布を見上げながら、思案中のマキチアキ。
 さて、首尾良く「おかいこぐるみ」のスペースが出現するであろうかっ!?

…〈中座〉…

 今、二階を見てきたんだけど、なかなか良いみたい
 な〜んてオレが言うのも手前味噌だが、今までの当スタジオ展示会にはないようなしつらえである。  
 床にはレイリー(野蚕)ラグが敷設され、クッションを枕に寝転べば、辛き浮世もカヤの外、しばしアナタは繭の中…

 あっ、マキチアキが上から降りてきた。
 周囲をヘイゲイしつつ、何やら独りごちておるぞ…

 「ふむふむ、なかなかおもしろいじゃない。力作だっ!」

 …だと。


10月20(日) おかいこぐるみの顛末
 というわけで、本20日(日曜日)、三日間にわたる竹の家イベント「おかいこぐるみ」は無事終了。

 おもしろいことに、前日の17日まで一週間以上、秋晴れの連続だったのに、会期に入ると、とたんに曇天となり、最終日の今日は雨模様。
 通常だと「いったい誰の行状のせいか」と互いに疑心暗鬼になるところだが…。

 実は今回は屋内展示中心で、しっとり、ゆっくり、布を見てもらおうという企画であった。
 だから、「雨もまた風情があっていいか」って感じで、わりかし余裕がある。

 左の写真は二階の模様
 その一角に、「レイリー・ラグ」(タッサーシルクの敷物)を敷きつめ、くつろぎのスペースを作る。
 (一番くつろいでたのは私かも…。今日もしばし午睡を貪った)
 外では何もやらないつもりだったのだが、当日朝になって、ムクムクとイベント心が湧き起こり、急遽、焼き芋をすることに。
 で、建材店から玉砂利を四袋買ってきて、石焼き芋のセッティング。
 ついでにコンロにも火を起こし、ヤカンのお茶を保温する。
 (右写真の上の方にあるのわかるかな)

 ま、石焼き芋ってのは、労多くして報いは少ないのだが、焚き火って、なんとなく嬉しいじゃん。
 木の燃えるニオイは人間の原始的な快感を呼び覚ますし。
 それに今年は暖かくて蚊もまだ元気だから、煙が蚊遣りになる。
 …と、いろいろ理屈をこねるが、要するに火遊びが好きなわけ。

 用意した栗の渋皮煮(右写真の下の方)もすこぶる好評で、瞬く間になくなる。
 (真木千秋はなぜかこれが発音できず、どうも「しぶのくりかわに」となってしまう)
 ここ「竹の家」は築二百年の農家。
 土間を上がったところに、囲炉裏が切ってある。
 上からは自在鉤も。

 昔はここで柴を燃やしたのであろう。
 天井や周囲の壁が真っ黒に煤けている。
 それによってきっと、建材が長持ちし、虫除けにもなったのだろう。
 しかし現代の我々には、とっても耐えられまい。煙たくて。

 今日は特別に炭火を起こす。
 煙の出ない木炭は、昔も今も貴重品だ。
 この家の床下に敷設した残り ― 新潟産の炭。
 普段は仕事場なので、なかなかこんな優雅なマネもできない。
 年に一度のゼイタクなのだ。

photo by Tamawo


10月27(日) 七年目のリニューアル

 
おかげさまで、青山店も七年目を迎えた。
 (1996年4月20日がオープンだから、正確に言うと、六年半たったところ)
 これもみなさまのお引き立ての賜物

 
「港区南青山5丁目18番地10号 浅野ビル1&2F」
 ここにはかつて、「布土木」という洒落たお店があった。
 真木テキスタイルの展示会が何度か行われ、また、その一角にはMaki布が常設されていた。
 当スタジオにとっては、一番のお客さんだった。
 ところが、七年前の1995年師走、その「布土木」が突如、閉店を決めた。
 で、なんというか、もののはずみで、当スタジオがその跡を襲う次第となった。

 ちょうどその頃、中村好文氏設計の下、ここ五日市・養沢にアトリエを建設中だった。
 そこで中村氏に相談をもちかけ、青山の店舗設計も引き受けてもらうことになった。
 だから、95年の年末からしばらく、当スタジオに関わる二つの仕事が、中村氏の下で同時進行していたのだ。
 そして、翌96年4月に青山店が、さらに六月末にはアトリエが完成する。
 爾来、それぞれMakiのショールームおよび奥の院として、江湖の愛顧を頂戴してきた。
 
 七年というと節目の年だ。
 そして11月8日には、その中村氏による「暮らしによりそう家具たち」展が始まる。
 この展示会は、青山店開店以来の懸案であった。
 七年目にして店舗デザイナー本人の展示会が開かれるというのも、何かの縁。
 それならば、それにあわせてもう一度店をデザインしてもらおう、ということになった。
 ま、諸般の事情もあるので、今回の改装は、主たる展示場となる二階のみ。

 写真は解体後の二階の様子。(数日前の姿)
 右端に見えるのが手すりで、つまり、階段から撮ったもの。
 私の立っている部分あたりまで展示スペースとなるので、かなり広く、そして明るくなるはず。

 例によって真木千秋は中村氏に、「いくらお金がかからなくてもいいので、できるだけシンプルに」という注文を出す。
 そういえば、養沢アトリエ竣工記念ソングの一節に、こんなのがあったなあ;
 「Makiの夢多く、予算は限られ、悩んだ日もある、泣いた夜もある♪」(作詞:Lemmy Nakamura)
 今回もまた中村氏、布団の中で人知れず涙を流したのであろうか。

 改装完了は来週中頃。
 つまり中村好文展が新装青山店のお披露目となる。
 (なお一階部分は平常通り営業中)


10月30(水) かまゆで

 当スタジオ所有の鍋のうち、最大のシンメイ鍋。
 その煮えたぎる湯の中で、今まさに釜ゆでにされようとしている手弱女(たおやめ)…。
 その運命やいかに!?

 実はこれ、来週8日から始まる中村好文展に出品される蚊帳(パオ)の布なのである。
 (この布の製作については、本頁7月18日および8月25日の記事を参照)

 言うまでもないが、これは蚊帳なのであるから、風を通さないといけない。
 だからといって、フワフワ、ナヨナヨ、していても困る。
 間(ま)を空け、しかも、しっかりと、織らないといけない。
 ここが工夫のしどころなのである。
 そこで今回、真木千秋の採った方法とは?
 これは企業秘密なのであるが、ま、この際、そっと教えちゃおう。
 絹の織物に、水溶性の糸を織り込んだのである。
 それによって、杼(ひ)をしっかり打ち込むことができるわけだ。

 そして織上がった布を、沸騰した湯でしばらく煮る。
 するとその秘密の糸はすっかり溶け去り、後にはシルクだけが残る。
 それを干しているのが、下の写真。
 絹の微妙なゆらぎ(クセ)がわかるかな?

 このようなゆらぎは、手引きの生糸特有のものだ。
 ただ、生糸だけで織ると、こうした布の風合いは出せない。
 それで近代テクノロジーを使ったというわけ。
 当スタジオは別に伝統のみにこだわるものではないのである。
 (インドへ行くときは飛行機にも乗るしね)


11月5日(火) Aoyama Again!

 
中村好文家具展まで余すところ三日の今日、懸案の青山店二階リニューアルが完成した。
 設計はその中村好文氏、そして施工は吉祥寺の「クリエートA」。
 七年前にこの店舗を手がけた名コンビである。

 今日その引き渡しがあったので、私ぱるばが出向く。
 それではさっそく写真をご覧に入れよう。
 約30cm上↑にある写真とほぼ同じアングル。
(私ばかり写って恐縮であるが、別に目立ちたくてやっているわけではない。ウチのShopスタッフがみな恥ずかしがり屋なので、しょうがなく私がモデルをしているというだけ) 真木千秋いわく「ぜんぜん恐縮してない」

 画面右側の大きな窓が印象的でしょう。
 この部分が付け加わったので、以前より広く、そして明るくなった。
 そして私の立っている前方左側が試着室。
 小さくてコージーなスペースだ。

 新しい壁は松材の白木を使っているので、だいぶ趣が変わった。
 そして床も、ベージュからグレーに衣替え。
 天井も新しく張っている。

 ここ二三年、ともすると「竹の家」ばかりに気が向かいすぎたかも…
 ここいらでもう一度青山を見直そう! Aoyama Again! というのが最近の合い言葉なのである。
 というわけで、Shopスタッフも募集中だったりして。
 近日中に要項をupするので、我こそはと思う人は注目!
 (青山店にはもう掲示してあるけど)


11月6日(水) 針山の一夜

 
もうじき夜の八時。標高150mのここ「竹の家」には、寒い夜気がじわーっと忍び寄ってくる。
 にもかかわらず、女たちは楽しげに何やら作業をしている。
 (我が夕飯のこともすっかり忘れ…(:_;))
 針山を作っているのだ!

 明後日からの中村好文展に出品する裁縫箱の一部。
 詳しく言うと、針山の中に何かを詰め込んでいる。
 それがなんと、タッサーナーシの繊維なのだ。
 上のリンクをご覧いただくとわかるが、ナーシ(nasi)とは、タッサー繭のヘタの部分から採った褐色のシルクだ。

 針山の中に入れるものには、多少の油分が必要。
 綿(コットン)などでは針が錆びてしまうのだという。
 そういえば、私の祖母の針山には、髪の毛が入っていた。
 あるいは絹の真綿とか、羊毛とか、米ヌカとか、コーヒー豆を入れることもあるという。
 そこで当スタジオは、ナーシシルクを使ってみることにした。

 写真の一番下に写っているのが、そのナーシ糸で織った布。
 それを切って、ほぐし、それから、湯がいたり、アルカリ処理したり…。
 針山に詰め込める状態にするまでには、けっこう苦労したようだ。

 写真右側で真木千秋が操っているのが、一対の木製カーディング器。
 これはそもそも、羊の原毛をときほぐすときに使う。(そうして初めて糸を紡ぐことができる)
 このカーディング器は、かつて千秋がグァテマラに遊んだ際、インディオのおばさんから譲ってもらったものだ。
 これを両手に持って、ダマダマ状のナーシ繊維をときほぐし、綿のような状態にする。

 そのホワホワしたナーシ繊維を、Maki布でできたキューブに詰め込んで、針山のできあがり。
 真ん中へんに三つほどころがっているのが、その完成品だ。
 左側の人物の手許に置いてあるのが、木でできた裁縫箱の一部。
 その中に針山を入れる。


11月16日(土) ギャルリももぐさ「蚕衣無縫展」見聞録

 岐阜・多治見にある、ギャルリももぐさ
 築百年の庄屋屋敷を移築したギャラリーだ。

 ここで今日から「蚕衣無縫展」が始まる。
 これはももぐさ女主人である安藤明子さんとのコラボレーション展で、昨年五月に次いで二度目だ。
 この展示会には、とりわけ真木千秋の力が入ってしまう。

 なぜ力が入ってしまうのか?
 そのひとつは、明子さんのせいである。

 明子さんは衣をつくる人だ。
 明子さんは、布をそのまま活かす。
 洋裁のように、布を切って捨てたりしない。
 それでいて、野暮ったくなることがない。
 着る人の特性を活かすような衣ができる。

 たとえば、左上の写真。
 明子さんを真ん中に、左右の私と千秋が着ているのが、明子さんの手になる「イカコート」。
 布からそのまま切り出すので、平面的に吊すとまるでスルメイカみたい。
 ところが着てみると、写真のごとくお洒落である。
 なお私の肩から下がるのが、ナーシ・シルクでできた袋。(ちょっとハマリ過ぎ!?)
 左中の写真は、サロンである。
 明子さんも常用している腰巻だ。
 今回は私ぱるば用に男性用サロンも作ってくれたので、またの機会にご紹介しよう。

 真木千秋はこの展示会用に様々な意匠を凝らすのだが、今回は、縮絨(しゅくじゅう)と起毛(きもう)。
 縮絨というのは、織上がった後、熱によって糸を縮ませ、風合いを出すこと。
 空羽織などの技法を使って、構造の段階から工夫する。
 右上の写真は、その縮絨布を使ってできた衣。
 起毛というのは、布をくしけずって繊維を浮き立たせ、羽毛のような柔らかい表情を作る技だ
  
 ももぐさ展のもうひとつの特徴は、そのディスプレーにある。
 大学で彫刻を専攻したという男主人・安藤雅信氏の手になる展示は、イマジネーションに満ちている。
 その展示を見て、真木千秋などは新たなインスピレーションを得るようだ。
 (展示作業を終えた千秋いはく、「あの二人ってすごいクレージー。私たちも負ける…」)

 写真左下は、その展示会場でフォトセッション中の千秋と大村恭子。
 真ん中でトグロを巻いているのが、段ボールを切って巻いたオブジェだ。土間を入ってすぐ左手に、異様な存在感を醸している。
 その前にある雑巾のような布は、展示の前夜、真木千秋が夜鍋に織り上げた作品「あめつち」である。
 仏間には等身大のぱるば人形まであって、訪問客を怯えさせていた()。

 なおこのももぐさは、12月初旬発売の『住む』冬号にて、赤木アキト氏取材により紹介されるので、お楽しみに!
 
 12月2日(月)まで。ギャラリー情報はこちら

11月14日(木) 「Makiのおみせに…♪」

「歌う建築家」として有名な中村好文氏。
 氏の得意とする替え歌レパートリーは、その数、百余にのぼるという。
 ただその中には、たとえば、「お肌のお肌の曲がり角♪」(焚き火)とか、「老眼老眼老眼♪」(ローハイド)など、およそ当HP倫理規定から言って掲載を差しひかえざるを得ぬ怪作の数々も…。
 そんな中にあって、当スタジオ関連の数曲は、オーナーの人徳もあってか、いずれも優れてときめきたる秀作になっているのである。(たとえばこれ)

 今回の中村好文家具展に臨んで、また新たに一曲誕生。
 そこで、ちょっと遅いのであるが、ここに御披露いたしたい。
 これは展示会 Opening Party 席上、参加者全員で大合唱に及んだものである。
 本歌はご存じ「もみじ」。替え歌作詞:Lemmy Kobun


 Makiのお店に居並ぶ家具は
 レミング・チームの力作ぞろい
 家具をいろどるシルクや麻は
 マキテキ・チームの織る錦

 手わざ重ねる日々に幸あれ
 布の魅力にひかれて惚れて
 パオやストゥール、裁縫箱は
 暮らしに捧げる贈り物

 



12月14日(土) 松本訪問記

 さわやかに晴れた、でも、とても冷え込んだ今日12月14日。

 中央道を駆って松本にやってくる。ウチから二時間半ほど。
 途中、雪化粧した富士山や、南アルプスや、八ヶ岳、北アルプスの峰々がまことに美しい。
 今回の目的は、木工作家の三谷龍二さん、およびギャルリ灰月(かいげつ)の訪問である。

 三谷さんとのランデブーは、長野自動車道・松本インタを降りて五分ほど走った「軽食堂みたに」。
 
軽食堂!?
 いやいや、これはまったくのご謙遜。
 三谷龍二氏とは赤の他人の兄弟であるシェフ三谷憲雄さん(写真中央の人物)経営の、れっきとしたイタリア料理店である。
 そしてこの店は、当スタジオや青山店とは、レミング姉妹でもあるのだ。
 中村好文氏の設計により、六年ほど前に建てられた。
 
厨房を除いて、建物から設備調度に至るまで、全部中村氏のデザインによるもの。
 (画面右側にある巨大な鉄製の薪ストーブ兼ピザ竈に注目)

 昼のコースを頂いたんだけど、二種類出てきたスパゲティーのひとつは、ゆでた麺にオリーブオイルをまぶしただけであった。
 先日イタリアに旅した憲雄氏の目の前で搾られた、フレッシュなオイルだそうだ。フィレンツェ郊外での話。
 どんな味だったかは言うだけヤボだから、やめとこう。(プリマヴェッラの味!)
 この「軽食堂」、交通至便な場所にあるので、松本や上高地などに行かれる際は、ぜひ立ち寄ってごらんになるといい。
  松本市白坂1-2-11 TEL0263-35-3895

 三谷龍二氏を訪ねたのは、一年後に青山店で予定されている「三谷龍二展」の打ち合わせのためだ。
 そこで松本市の郊外にある工房を訪ねる。
 市街を遙かに見下ろす標高700メートルの高台。
 先日の雪がまだ残るその中に、伝説の「Mitani Hut (三谷庵)」がたたずんでいる。
 (ひさしから下がるつららに注目)
 建坪わずか八坪ばかりのこの庵が、三谷氏「ついのすみか」である。(最近は別宅もあるようだが)
 設計は中村好文氏。
 今を去る八年前、この庵を真木千秋が訪ねて、いたく感心し、そこから当スタジオと中村氏とのつきあいが始まるのである。

 余談であるが、この三谷氏と中村氏との出会いも面白い。
 二十年ほども前のこと、三谷氏は松本に自宅を建てようとしていた。(写真のMitani Hutとは別)
 地元の設計家に基本設計を頼んだのだが、どうもピンと来ない。
 そのころ三谷氏の好きな建築家は吉村順三氏であった。
 そこでツテをたどって、東京の吉村事務所に出向いたのである。
 自宅の設計図を見てもらいたかったのだ。
 事務所を訪れた折、二階からトントントンと降りてきたのが、スタッフの中村という人だった。
 まだ三十代の若き中村氏(今も若いか)に、三谷氏は設計図を見せながら、自分の希望をいろいろ語るのである。 
 すると中村氏は、ちょっとお考えとは違うようですね…とかのたまったみたい。
 有名な吉村事務所に設計を頼もうなどとは三谷氏も当初ぜんぜん考えていなかったそうだが、結局中村氏が改めて設計を引き受けることになる。
 当時中村氏はそうとうヒマだったみたいで、二年間かけて設計施工を行うのである。
 そうしてできた三谷本宅は、中村氏最初期の仕事であった。
 できあがった新居に足を踏み入れた三谷氏、「こんな家ならみんな暮らしたいだろうなあ」としみじみ思ったらしい。
 この家が建築家の新人賞を受賞し、中村氏の住宅設計家としての第一歩が印されるのである。

 さて、今度で五回目になる青山店での「三谷龍二展」。きたる2003年の十二月に予定されている。
 今、三谷氏の興味は漆に向かっているらしい。
 三年ほど前の展示会では黒塗りの漆が披露されたが、このたびは白漆が中心となるようだ。
 クルミやケヤキ材の生地をまず黒塗りし、その上から白漆を塗り、最後に炭で削る。
 するとそこに絵画のような表情が…
 ま、それは見てのお楽しみかな。
 そんなに数のできるものではないので、今から作りためていくとのこと。
 
 三谷氏の漆工房にも案内された。
 Mitani Hut から50mほど雪道をたどった、畑の中にある。
 もとは納屋のような建物だったが、それがアトリエに改装されている。
 中に入って、真木千秋いわく、「三谷さんて、環境づくりの天才!」

 壁や天井には和紙がはられ、気持ちのいいスペースになっている。
 窓からは松林越しに、雪を頂いた高ボッチ山や美ヶ原が望める。
 「私もこんなところでのんびりモノづくりできたらなあ…」と千秋は思う。
 二人の背後にある白い戸棚が、漆の乾燥室である。
 写真左端の棚が、漆作品のショーケース。


12月17日(火) 『冬の布展』前夜

 ただ今、夜の6時38分。
 明日18日から青山店で「冬の布」展が開かれる。
 真木千秋+スタッフ三名はまだその準備に追われている。
 とは言っても、さきほど近所の菓子匠「きくや」から和菓子を買ってきてお茶にしたり、のんびりやってるんだけど…。
 (余談だが、骨董通りにあるこの老舗「きくや」。とっても感じのいい店なので、みなさんも青山みやげに買っていかれるといいかも。あ、当店にみやげで持参していただくのもいいですねー。明日、明後日と、私も在店しますし…)

 二階では真木千秋がチクチクと針仕事。
 スローの耳を縫っている。
 起毛したナーシ布でつくったものだ。
 こういう手仕事が好きなんだよね〜、あの人。
 前もってやっときゃいいのに…
 今晩もまた外食かなぁ…
 「手に針刺しちゃったぁ」とか言いつつ、スタッフの大村恭子が下りてくる。
 ま、気をつけてやっておくれ。

 その背景でスポットライトを浴びているのが、「ぽんぽんマフラー」。
 ほんとうは「ナーシ縮絨マフラー」と言う。
 ナーシを縫いつなげ、ウールの糸を縫い込んで縮絨させたもの。
 表情のあるマフラーだ。
 リング状になっていて、フードにしてもいいし、あるいは、写真のように二重リングにして首に巻いたり ― 。


 この展示会には、多治見のギャルリももぐさ・安藤明子さんとのコラボレーション作品も展示される。
 先日ギャルリももぐさにて蚕衣無縫展が開かれたが、来年の11月ここ青山店にて安藤明子展が催される。
 彼女との関りの中で生まれてきた布の表情、使われ方を皆さんにもぜひご覧いただきたい。

 今日、展示作業の最中、安藤明子さんが来店し、新しい作品をいくつも持ってきてくれた。
 写真はその中のひとつ、「腰巻」。
 (上の濃茶のもの。下はタッサーシルク製フレアパンツ)
 この腰巻、今の寒さにぴったり。
 チクチク作業中の真木千秋も、腰にひとつ巻いている。
  
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