Project Henchikurin Project Henchikrin BambooHouse" 竹林日誌2003,, BambooHouse Project Henchikurin Project Henchikurin

東京西多摩、秋川の清流を見下ろす崖上
築二百年の農家を舞台に展開する真木テキスタイルスタジオのお話。


1月1日(水) 真木千秋より新年のごあいさつ

 

 明けましておめでとうございます。
 この年明けは久しぶりに、ゆっくりと日本で過ごしています。
 と言っても、四日後にはインドに向かいます。

 飛行機がデリーのインディラガンジー空港に着陸するころ、私もスーッとトランジット(乗換)しているようです。
 頭の中にいろいろとあった日本での楽しかったこと、忙しかったことなどが、うっすらと消えていきます。

 そして空港を出てインドの空気の中に入ると、もうあちらのペースになってしまいます。
 めずらしいとか、なつかしいとかいうのではなくて、当たり前のようにインドにいます。
 もう50回以上の滞在です。
 正確な回数も忘れてしまいました。

 冬のインド滞在はとても気持ちが良いです。
 一月の末には冬も終わり。
 二月には、木々からあざやかな朱色や、黄色の大きな花が咲き乱れ、春の訪れ。
 三月にはすっかり暖かくなり、夏の始まりを感じます。

 この旅では、真木テキスタイルスタジオの青山店7周年記念のための、特別な織物をつくります。
 それから、昨年の夏にすくも藍で染めた絹糸もたくさん持っていきます。
 赤城の節糸や、竹の家で座繰りした糸、その他いろいろな糸を染めたものです。
 昨夏の藍の生葉染めも大切にとっておきました。

 シンプルなベッドカバーや、クッションカバーもつくりたいと思っています。
 服のほうも、懸案だったストールの織りを羽織れるようなものや、春にサラリと着られるようなものも考えています。

 冬は気候が温暖なので、糸染めや新しい織りものの試織など、本当にゆっくりとすることができるので楽しみです。
 今回は田中ぱるばも途中から来るので、インドでの織物作りの便りもお届けできると思います。

 それでは皆様行ってまいります


1月9日(木) 明日から「端裂市」

 
元旦は遠くになりにけり…
 年が明けたと思ったらもう一週間の上も経ってしまいましたが、みなさん元気でお過ごしでしょうか。

 さて明日10日から一週間、真木テキスタイル青山・新春の行事「端裂市」が始まります。
 じつは私(田中ぱるば)、「端裂市」を実地に見聞するのはこれが初めて。(いつもこの時期はインドにいるからです)
 さてどんな次第になるのか楽しみ。

 今日は四人のスタッフが朝から展示作業。
 机の上はハギレの花盛りです。
 「ハギレって全部で何点あるの?」と担当の若松ゆりえに聞くと、「えー、そんなのわかんない」という答え。
 要するにわかんないほどたくさんあるわけです。

 それから棚には福袋!
 八千円、一万五千円、二万円の三種類あります。
 (不思議なことに高くなるほど袋が小さいのだ…)
 これもふんだんに用意されているのでご心配なく。
 「今年は豪華ですよ〜」と担当の若松ゆりえ。
 (「だったら去年はどうだったんだ」とか深くは追及なさらぬよう)
 内容はもちろん秘密なのですが、たとえばストールとか、クッションカバーとか…
 おっとと…これは開けてのお楽しみ!


2月15日(土) 命名の顛末

 
インド日誌にも書いたが、当スタジオの場合、新作をつくることよりも、その名前をつけるほうがタイヘンなのである。
 私ぱるばは詩的才能があると思われているので、よく相談されるのだ。

 たとえば、織師ナイームのジャカード機による新作(写真右側のストール)。
 今回インドから、手持ちで何枚か持ち帰ったものだ。
 名前はまだない。
 そのまま放っておくと、「春コーズ」などという訳のわかんない名前をつけられ、巷間に流布してしまう恐れがある。

 それではいかんと思って、詩才あふれる私はいろいろ頭をひねるのである。
 真木千秋いはく、「イメージで言うとねー、たとえば落ち葉。それも秋の落ち葉じゃなくて、早春の … 。落ち葉が積み重なってて、もうじきその間を割って草が生えてくる直前というか…。あるいは、霞がかかって、その向こうに木立があって、そのいろんな色が、うっすらと見えてくるみたいな感じ…。ねえ、なんかいい名前ない?」

 いい名前ないって言われたって、そんな茫漠たるイメージの中から、カチッとキマる名辞をすくいだすのは、いかにミューズのおぼえめでたき私にしたって、まっこと容易ならざる作業なのである。
 そーだなー、「きさらぎ」、「雪割草」、「濡れ落ち葉」…とか言っているうちに、あまりの頭脳的重労働のせいで、腹が減ってくる。

 そこで Maki 御用達のキッチン、「魚冶」に夕食にでかける。
 ここは料理がなかなか出て来ない。
 それでヒマつぶしに、くだんのストールを広げて再び頭脳的重労働に携わる。
 ほかに客もいないからちょうどいい。
 しかしながら真木千秋の気に入るような名前はなかなか出てこない。
 どうも私の発想はイカメシ過ぎるんだという。

 そこに、厨房から女将のナツコさんが出てきて、「まーきれい」とか言いながらストールを手に取る。
 ここは一家四人とも Maki 布の愛用者なのだ。
 「これ草みたい」、とナツコさん。
 いはく、「あたし、息子にクサっていう名前をつけたかったのよね。『艸』という字で、『そう』と読むんだけど…。でも却下されちゃった…」

 この一言で、あっさり決まってしまった。
 「艸 (くさ)」だと。
 「くさ」か〜。
 やっぱオレの詩才からは出てこない言葉だな。

 もうひとつ宿題があって、写真左側のストール。
 これも同じナイームの機だ。
 私はどうも夜空の星座をイメージしてしまう。
 それで、「十二宮」とか「獣帯」とか「しじま」とか言うのだが、どうも真木千秋にはピンとこないらしい。
 こーいうロマンチシズム、わかんねーんだよな。
 しょーがない、また魚冶に食べにいくか。
 ちなみに息子の名前は結局、「七海 (ななみ)」となった。(もう二十年も前の話だが)
 七海にでもするか。


2月17日(月) フォト・セッション

 
今日はプロのフォトグラファーを呼んでの撮影会。
 おなじみの樋口クンだ。
 場所は養沢のアトリエ。
 真木香の忘れ形見であるこの樋口クンには、ここ十年ほど撮影をお願いしている。
 おとなり山梨県の甲府盆地から、バンに機材一式を積み込んでの出張撮影だ。

 宵闇迫るアトリエで今撮影しているのは、先日命名された「艸 (くさ)」。(写真右)
 このような新作ストールを中心に、DM用の写真を撮る。
 当スタジオのDMはわりあい好評で、収集している方もおられるとか。
 こうやって撮影しているのである。
 朝の十時から延々十時間近くの長丁場。
 (でも昔は、夜の十時とか十一時までやっていた)

 一昨日ついに名づけそびれたストールも撮影。(一昨日の写真左側の一枚↑)
 真木千秋に再び命名を迫られる。
 どーしても星空のイメージなので、「シリウス」、「北斗」、「ポラリス」、「銀河」、「みずがめ」、「やぎ」とか言っているうちに、「天(あめ)」なんかいいねって話になったが、さてそれで落ち着くか!?

 ところで、昨晩、文字通り「夜鍋」に、真木千秋がカレーを作っていた。
 樋口クンの昼食用である。
 里芋カレーだ。
 カレーに里芋なんて珍しい取り合わせだが、インドにはちゃんとそういう料理が存在するのである。
 これがなかなかイケル。
 参考までにレシピを記すと、クミンシードを少しの油で炒めてから、にんにく、タマネギをこんがり炒め、それに里芋を入れる。そしてコリアンダパウダー、レッドチリ、ターメリック、ショウガ、塩などの調味料で味付けをして、適量の水と最後にダールを加えてできあがり。香菜を刻んで煮込むと更に風味が増す。
 今日は、昼に立川のインド飯屋で豆カレーを食い、夜は里芋カレーだから、ほんとにオレってインド人だと思う。


4月11日(金) fifteen thousand♪

 
「糸糸糸つうしん」第15号が出た。
 今日あたりから皆さんのお手許に届き始めているらしい。
 そもそもこの「つうしん」、今を去る十年ほど前、私ぱるばがワープロを使って始めたものだ。
 今は当スタジオ専属キューレーター石田紀佳の編集で、立派な活版印刷である。

 さて、この15号の中に、青山七周年記念ストールの記事がある。
 その記事中、真木千秋の手書き文字で、こんな文句が見える;
 『7周年をむかえるにあたって、何かSPECIALなストールをつくってみたかったということもあり、今までと少し違う素材感の絹や柄いきにしてみました。・・価格も7周年記念のスペシャルプライスです。くわしくはDM 又は ホームページで!』

 この文句を見て、拙HPをチェックされた方々が多々あるようである。
 そして「いったいどこに書いてあるの!」というご照会が竹の家に殺到しているらしい…!?
 いや、ちゃんと書いてあるのである。たとえば、こことか。

 あっ、そうか、スペシャルプライスかな。
 みなさんの気になるのは。
 う〜ん、ヒミツなんだけどなあ…。
 言っちゃっていいのかな〜。

 ま、ここだけの話、英語でリークしよう、fifteen thousand 。
 それもご祝儀だから、税込!
 このサイズとクオリティーから言って、当スタジオ通常価格の半分以下だろうから、かなりおトクなはず。
 (5月16日〜20日の記念期間が過ぎると、通常価格に戻る予定)

 ただね〜、難しいのは何枚つくるかなんだよね〜。
 いちおう赤系と青系それぞれ50枚織ることになってるけど、期間中どれほどの皆さんが手にするのだろう??
 欲しい人みんなに行き渡るようにしたいし、さりとて糸や織師の手業には限度があるし…。

 あ、これは一人一枚限定だからね。
 (各色5柄、計10種だけど、買い占めはだめです)


4月23日(水) アライ・ラマ 訪問記

 
今夕、「アライ・ラマ」こと新井淳一さんを、桐生の自宅に訪ねる。
 新井さんと言えば、日本はいわずもがな、世界テキスタイル界の大御所である。
 そしてまた真木千秋の師のひとりでもある。
 その新井さんとの出会いは拙著『タッサーシルクのぼんぼんパンツ』に詳しいが、読んだことのない人のために、今回はそれをこちらに特別収録することにしよう。(必読!)

 読んだかな?
 よろしい。(なお、文中の「T社」というのは「東レ」である)
 その中にもある通り、今から二十年ほど前、真木千秋がアメリカ・ロードアイランド造形大学に在学中、ニューヨークのソーホーに行くと、ミヤケイッセイやコムデギャルソンの服の中に、ひときわ造形的なテキスタイルがあった。
 それが新井さんの手になる織物だったのである。
 今、桐生の新井さんの家には、そうした十五年から二十年前の布がほんのちょっとずつとってある。
 かつて一世を風靡した布たちだ。

 たとえば、二重織りとか、四重織りの筒ストール(写真右)。
 あるいは、綿の強撚糸を使ったジャカードのカスリ模様ストール。これは、本物の絣よりも更に特長があってすごく造形的であり、かつ新しくて、当時はびっくりするような布だった。
 また、綿糸を組みヒモのように編み、それをタテ糸にして、ヨコにウールを織り込み、縮絨したもの…。

 当時は天然繊維を基本として、今までにない糸づかいで、斬新な布をいっぱいつくっていた。
 転写の技術を使ったり。
 それから、ポリエステルと天然繊維の見事な組み合わせも…。天然・合成といった範疇を越えた、新しい素材がどんどんできていた。

 そこで、この師弟の間で、「こんど Maki 青山店で『新井淳一ヴィンテージ展』をやろうか」という話になった。
 ヴィンテージとは、「最盛期の、古き良き」というほどの意味だ。
 もうどこにもない新井さんの過去の名品を、掘り出して展示販売しようという企画。
 真木千秋、今からワクワクしている。
 
5月7日(水) 『夏の午睡』

 
今朝、竹の家に三人の来客あり。
 雑誌『住む』の編集長・山田きみえさん、ライターの竹内典子さん、そして写真家の小泉佳春氏である。
 6月27日発行の『住む』夏号の取材なのだ。
 記事のタイトルは「真夏の午睡に」だそうだ。

 小泉氏といえば、拙HP読者のみなさんならもうご存じであろう。
 今年新春、赤木アキト氏とともにインドに来訪した人である。
 愛車・ブラックのBMW-X5を駆って颯爽と現れた小泉氏。(ウ〜ム、なかなかの迫力)
 同じインドの飯を食った仲であるだけに、もはや他人のような気がしない。
 じつはこの人、『住む』の一押しカメラマンなんだそうだ。
 話題の書『樋口可南子のきものまわり』(集英社刊)の写真なども、みなこの人の仕事である。

 写真は構図を見ている小泉氏。
 その構図の中心にあるのは、真木千秋の枕である。
 さきほど私が我が家の寝室から持ってきたものだ。
 生地は麻で、中味はそば殻。
 我々二人とも毎晩これを使っているのだが、商品名は『ひるね枕』。だからこの取材にはちょうどいい。
 おりしも今日は高温多湿で、昼寝したくなるような陽気だ。
 「ぱるばさんに寝ころんでもらって撮影しようか」と小泉氏から発案があったが、あえなく却下。(やっぱちょっと怪しいよな)

 この小泉氏、実家は八王子の機屋(はたや)ということで、布には特別の縁があるのである。
 私の進呈したタッサーシルク製越中褌を愛用するなど、実に秀逸な感性を具有。(すなわち我がフンケイの友)
 真木千秋も今度はDM用の写真を…なんて考えている。

 撮影中、『住む』編集部から、インド取材記事のラフ・レイアウトがメール添付で送られてくる。
 十頁のオールカラーで、写真がじつに傑作である。
 これはおおいに期待できるから、みなさんぜひ買うように。(1200円 発売・農文協)
 今日の取材記事と同じく、6月27日発行の夏号に収録だ。


 

 5月15日(木) AA7ディスプレー
 
 現在、午後一時半。
 場所は Maki 青山店。
 明日からのAA7(青山店七周年)に向けて、総勢九人で準備の真っ最中である。

 ディスプレーの特別ゲストは、神保祥二氏。
 この人、私ぱるばの元・上司(20年前)で、その後、自転車で世界を放浪し、湾岸戦争当時はイラクに駐在。
 現在は画家であり、大工(古民家再生)でもあるという、まことに変わった経歴の持ち主だ。

 七周年でもあるので、今回はディスプレーもちょっと大がかり。
 店の真ん中にあった三メートルの大テーブル(中村好文作)を、2トン車で竹の家まで一時移動。
 後には広々としたスペースが残る。
 そこに青竹を使って、展示空間を作ろうというもの。
 この日のために私が竹の家で、合計二十本以上の孟宗竹およびマダケを切り出し、トラックで運び込んだのである。
 孟宗は太く逞しく、マダケは色つやが美しい。

 写真上、脚立の上に立っているのが神保氏。
 天井にフィットするように、孟宗竹の高さを調整している。
 アーティスト兼大工であるだけに、節の具合、竹の配置など、いろいろ芸が細かい。
 真木千秋ともよく息が合い、shopはだんだん竹林状態になっていく。
 写真の真木千秋、頭にAA7ストールを巻いている。
 なじませるためだそうだが、巻き心地もなかなか良いとのこと。
 

 中の写真は壁面のディスプレー風景。
 真木香も今朝、山梨・小淵沢から駆けつけて、作業に加わっている。
 下に見えるのが、おそらく本邦初公開であろう、青系のAA7ストールだ。
 マルダ絹を藍で染めて織り込んである。
 私も初めて目にしたが、なかなかシックである。
 よく見るとわかるが、ここに写っているストール、みなデザインが違うのだ。
 赤青それぞれ5パターンある。


 二階では、キュレーターの石田紀佳が、「small wall museum」のクリエートに余念がない。(写真下)
 これはすなわち、歴代Maki ストールのワザモノを展示する場所。
 お客さんやスタッフの愛用品も展示されており、中には十年使ったというものも。
 使い込むほどしなやかになり、生まれたての赤ちゃんを包んでもいいくらい。

 アトリエで真木千秋の織ったサンプルもある。
それをインドに持っていって、職人たちと一緒に布づくりをするわけだ。
 (もちろんすべて非売品)
 出品ストールの一覧は、Web版 small wall museumを参照。

5月21日(水) AA7余話

 
おかげさまで、昨日、AA7すなわち『Maki 青山店七周年記念』が終了。
 見事に五日間ぐずついた空模様だったが、総じて楽しい催しだった。
 
 ひとつ誤算だったのは、AA7ストールがあまりに早く売り切れてしまったこと。
 九十枚ほど用意したのだが、二日目の開店早々になくなってしまった。
 (正確に言うと、赤は初日になくなり、青が三枚だけ翌日まで残った)。
 こんなに早くなくなるとは誰も予想していなかった。
 (ただ、私はヒマにまかせて、「初日開店前に長蛇の列が骨董通りまで達するのではないか!?」と密かに夢想し、整理券発行のシミュレーションまで万端怠りなかったのであるが、そんなこともぜんぜんなかった)

 DMを読み返してみると、『期間中のみ特別価格にてご提供』とだけある。
 それを信じて二日目以降に来店頂いた方々には、たいへん申し訳なき次第であった。
 印刷や発送の都合上、DM原稿はかなり前に用意される。
 ところが、なにせインドを相手にしているもんだから、実物到着はいつもギリギリなわけ。(と、インドのせいにする…)
 それでDMにはあまり詳細に渡って書けないわけだ。
 (それにDMというのはMaki の公式文書だから、「一人一枚限定」みたいな記述はちょっと品がないしね)

 ところがHP掲載の頃には、もう実物も到着し、枚数やクオリティーもわかっているわけだから、「これは早々になくなるだろうなあ」と見当がつく。
 それで、「店頭販売のみ」とか「一人一枚限定」という但し書きがつく。(もともと品もないしね)
 更にはPSとして、「九十数枚しかないから、早目に来店を…」とかいった極秘情報も。
 HPをよくチェックしておくと、トクするのである。

 写真は三日目「お話会」の様子。
 六十人ほどもご来場頂いたろうか。
 店はちょっとした竹林状態だ。
 そこここにストールが枝垂れかかり、その間を逍遥するのもまた一興。
 AA7終了後も、しばらくのあいだは竹林状態が続くので、みなさんお散歩にどうぞ。
 (しかし、くれぐれも、もたれかかったりしないように)


5月27日(火) 藍の国

 
真木千秋が徳島へ行ってきた。
 徳島市内の呉服店「絹や」での展示会だ。

 阿波徳島の名物と言えば、鳴門の渦と阿波踊り、それから阿波藍かな。
 昨夏、当スタジオも藍建てに挑戦したのだが、その発端は、実は前回の「絹や」展示会であった。
 すなわち、「絹や」さんを通じて藍師(スクモを作る人)のN氏を紹介され、そのN氏からスクモを入手し、そして青梅の紺屋・村田氏(この人もかつてN氏の許で修業)の指導により、藍を建てたのであった。

 今回の徳島訪問もまた、藍紀行になったようだ。
 「絹や」ご主人の案内で、徳島市から車で30分ほどの、藍畑に連れて行ってもらう。

 その畑の様子が、上写真
 すごいよねー、この迫力!
 写真だけ見てると、タバコ畑みたいだよねー。
 もう高さ40cmほどに育っているという。
 ウチの藍草なんかまだ小指の先ほどだから、やっぱ本場は違う。

 ついでに真木千秋、藍栽培の農家にまで招かれる。
 もう既に一番刈りを行った藍があって、その葉が庭先に干されている。
 これがやがてスクモになるのだ。(下写真)

 更にはスクモをねかせている藍師の仕事場まで見せてもらって、大感激の真木千秋であった。

 そろそろ当スタジオも、再び藍建てのモードに入るのか!?

(photo by 絹や)


5月28日(水) アライ・ラマ 訪問記〈part2〉

 
一月ぶりに桐生の新井淳一氏を訪ねる。
 今秋にMaki 青山店で開催予定の「新井淳一ヴィンテージ展」打ち合わせのためだ。
 (新井氏との出会いについてはこちらを参照)

 実は新井氏、ロンドンから帰ってきたばかり。
 アート関係のアカデミーに、夫婦そろって招待されたのだという。
 なんでも、長年の功績を顕彰して何かもらったのだそうだ。
 「何をもらったのかよく知らない」と御本人はトボケておられたが、ヴァージン・アトランティック航空のビジネスクラス航空券が二人分支給され、ロンドン市内の由緒あるバンケッティング・ハウスにて、上写真に見るようなガウンと帽子のいでたちで、おごそかに授与されたというから、きっと結構なものだったに違いない。
 ハリポタみたいな授賞式だったとリコ夫人。

 さて、「ヴィンテージ展」であるが、今年九月の彼岸頃に開催しようという段取りに。
 展示会開催中で忙しい新井氏であったが、今日も昔なつかしの作品をいくつか見せてくれる。
 赤城の節糸を使った反物とか、真綿のベストとか、「編んで糸にした綿糸にウールを打ち込んだ」ジャカードの布とか。

 どうせやるなら楽しい展示会を、ということで、布のほかに、たとえば非売品の首飾り(中写真)とか、楽器などを陳列したり…。
 実際、新井邸はさながら博物館のよう。
 古今東西の珍奇な品々が所狭しと並んでいる。
 もちろん布やモノばかりでなく、新井氏自身も青山の店に来て、おもしろい話をいろいろ聞かせてくれるはず。
 (氏は最近、「蒸すユニバース」なる染色装置にご執心なようで…)

 打ち合わせ後、新井氏と我々の三人は、一路、高崎へ。
 桐生から30kmほど離れた高崎市で、今「新井淳一・布展」が開かれているのだ。
 場所は駅近くの、高崎市美術館。

 三階建・一部吹き抜けの建物全体を使って、氏の仕事を大小50点ほど紹介している。(下写真)
 ポリエステルやナイロン、銀やチタンといった化学素材を使った作品が中心だが、「とってもきれい」と真木千秋。
 「やっぱり新井先生のクリエーションは並大抵じゃない」と感心しきりであった。

新井淳一 布展
4月12日 ― 6月1日
高崎市美術館
027-324-6125



6月4日(水) 至福のフリンジ

 
最近、ヒマがあると真木千秋、なにやら一心に励んでいる。
 実は先日、インドから、待ちに待ったストールが到着したのだ。
 その名も、「藍の生葉(なまば)」。

 生葉というのは、その名の通り、藍の生の葉で染めたもの。
 藍建て発酵させていないので、色合いが違うのだ。
 (一昨年の生葉染めの模様はこちらを参照)
 昨年の夏、竹の家で、生葉を使って糸を染色。
 それをインドに持っていって、織り上げたというわけ。

 タテ・ヨコともに生葉染めの糸を入れる。
 今までの「生葉ストール」とはちょっと違って、今年のは格子入りだ。
 「この色は生葉でしか出ないのよね〜」と言いながら、うっとりしている真木千秋。

 この色には、ちょっとしたヒミツがあるのである。
 実は、昨年春・竹の家で引いた、とっておきの春繭・座繰り糸を使っているのだ。
 「真っ白い糸で生葉染めをしてみたかった」と真木千秋。
 自家製の拙い糸ではあるが、そのおかげで、ひときわ透明感が出た。
 そのほか、マルダ絹や、バンガロール生糸、ムガシルク、そして上州の本職による座繰り糸も使っている。

 今回は、フリンジ処理されないまま日本到着。
 それを見て、真木千秋、たまらず全部独占し、夜な夜なフリンジをつくっているというわけ。
 「一本一本、糸を見ているだけで、幸せ」なんだそうだ。
 かくして、雨のそぼ降る養沢の夜もふけていく。


6月7日(土) 月卓農園

 
久しぶりに、信州上田郊外にある私ぱるばの故郷を訪ねる。
 ここには私の両親が住み、また妹の田中惠子が「月のテーブル」なる店をやっている。

 今回、ここにやってきた理由のひとつは、藍草の様子を見ることだ。
 「藍の父」船附クンの栽培した藍の種をこちらに郵送。
 我が父の田中一夫に、それを蒔いてもらったのだ。
 ひと月ほどたって、上写真のような状況。
 父・一夫のほか、妹・惠子、真木千秋の三人で、間引き作業である。

 それにしても、約40cm下↓にある阿波徳島の藍とはだいぶ違うわい。
 ま、こちらは高冷地だし、初めての試みでもあるし、仕方ないか。
 田中一夫も農夫としてのキャリアをだいぶ積んでいるので、きっとうまく育てるであろう。
 実は今夏、この藍を使って、ここ月卓で「藍の生葉染め」ワークショップをやろうと企てているのである。
 藍草の生育具合によるので、日時についてはまたお知らせいたそう。

 この田中一夫、当年とって75歳になるのであるが、いたって元気。
 (祖父・田中信義も93歳まで生きたし、信州は男性長寿No.1県でもあるので、あと20年は生きるであろう。ウ〜ン、誰が面倒見るのであろうか!?)
 今朝も五時前から畑に出て、野良仕事をしている。
 巨峰の畑だ。
 下写真の作業は「房こき」と呼ばれ、房の上下を切って、初期の形をつくるものだ。
 その後、「粒ぬき」という作業が続き、百粒ほどある粒を徐々に減らして50粒ほどにする。
 「手紡ぎ手織りよりタイヘン!」とは、真木千秋の感想であった。
 (巨峰も最初はこんなに小さいのだ!)

 この人、なかなか凝り性で、特に土壌づくりに熱心。
 堆肥はもちろん、木酢液やアミノ酸など有機性の資材を施し、いろいろ実験を行っている。
 Maki Textile が気まぐれにご進物といたす「田中巨峰園」のブドウは、こうしてできるのである。
 大好評のゆえ、遺憾ながらもうほとんど今から売り切れ状態とのこと。

 どうしても食べてみたいという人は、9月10日から10月10日の間に月卓を訪れてみるといい。
 駐車場の周辺に長身の老農夫を見かけたら、言葉巧みにおねだりしてみる。
 もしかしたら規格外のブドウを一房、タダでもらえるかも♪

 信州はチト遠すぎる、という人は…
 当スタジオと仲のいいギャラリーに、上記期間中、訪ねてみるという手もある。
 折良くご進物の届いた直後だったら、おすそ分けにあずかれるかも!?
 (これを見た田中一夫、「5人くらいなら注文を受けてもいいよ」と言っている。興味のある人は0268-31-2114まで)


6月14日(土) ヤマグチさんのいる食卓

 
先日、竹の家にお届け物があった。
 九州の山口和宏さんから、手製のパンが到来したのだ。
 前回はお月様のような丸いパンだったが、今回は山型のパン。
 二つ届いたので、ウチとスタッフとで山分けした。
 中味の充実した、食べでのあるパンである。

 山口和宏さんというのは別にパン屋ではない。
 木工作家だ。
 出会ったのは、四、五年前の玉川高島屋「道具展」。
 人柄そのものの自然で飾り気ない造形に感じるところがあったのであろう、真木千秋はさっそく木の大皿をゲット。
 以来、わが家の朝食テーブルには、常にヤマグチ氏のプレゼンスがあるのである。

 写真のパン皿はナラ材。三年ほど前に仲間入りしたものだ。
 皿の上にはヤマグチ氏のパンがトーストされ、今まさに真木千秋の血肉に化そうとしている。
 添えられた青野菜は、今朝わが家の菜園から採取されたばかりのレタス・サラダ菜・ルッコラ。
 (ちなみに言うと、テーブルは斉藤衛、コーヒーカップは黒田泰蔵、コーヒーは佐惣珈琲、箸は作者不詳、画面外に三谷龍二のバターケース)
 
(さらに言うと、ウチのオーブントースターは無印良品製だが、これはあまりオススメしない。サーモスタットが効き過ぎて焼けないのだ!! どなたか、サーモスタットのついてないトースターをご存じなきや?)

 ともあれ、山口和宏さんの展示会は来春、Maki 青山店で開催予定。
 請うご期待!
 (パン展じゃなくて木工展!)
 (オープニングにはパンも出るかも!?)
 (保証の限りではないが…)
 
(ま、青野菜くらいは出しませう)
 
(虫に食われてなきゃの話だけどね)
 
(無農薬なもんで…)
 (というか、農薬散布がめんどくさいだけなんだけど)


6月16日(月) ふたたび自然素材・みたび「住む」

 
またまた写真家の小泉佳春氏が我々の前に現れる。

 前回は5月7日、雑誌「住む」の『真夏の午睡』という記事の取材。
 前々回は1〜2月、同じく「住む」のインド取材であった。
 上記の記事二本は、十日後の6月27日に発売となる「住む」夏号に収録されている。

 本日もやはり「住む」の取材で、仮題は『ふたたび自然素材』。
 今回の取材対象は、布や仕事ぶりではなく、この「竹の家」そのものだ。
 築二百年の古民家が改装され、今に生きている様子を伝えたいとのこと。
 「竹の家」そのものが取材の対象になるのは、これが初めてであろう。

 前回同様、小泉氏ほか、編集長の山田きみえさん、ライターの竹内典子さん三人の来五である。
 夏号が三日前に無事、入稿完了ということで、山田さんも余裕の表情。
 ライターの竹内さんとも、もう八年越しのつきあいなので、我々としても、とっても気安い取材である。

 右写真は取材の風景。
 ストロボの発光した瞬間を捉えた決定的映像である。
 ご存じのことと思うが、プロの写真家は、我々みたいにストロボをカメラの上にくっつけたりしない。
 雨傘つきの大きなストロボを、あさっての位置に据えて、おとといの方向に発光させるのだ。
 だからこの写真でも、小泉氏の後ろで、光背のごとくまばゆい白光が炸裂しているのである。
 こうするとまるで自然光のごとき、美しいショットが撮れるのだ。
 (ま、それだけじゃないんだけどね。たとえば、レンズが上下に平行移動する「シフトレンズ」とか、素人の知らないような秘密兵器もいろいろ装備しているのである)

 この後、私も撮影されるのだが、まあ〜、どうかなあ。
 私が写った場合、通例、後々の検閲に引っかかって、削除されるのがオチなのである。
 さて今回はいかに!?
 収録は秋号。発売は9月27日とのこと。
 (惜しいかな我が birthday の翌日!)
 (コレを見て真木千秋、「なんで自分の誕生日を宣伝してんの!?」と私をとがめる)


6月18日(水) 繭が来た2003

 
今年もまた、八王子の養蚕農家・長田さんから、できたての春繭が届いた。
 昨年と同じ5キロ。
 今年は当初、天候がすぐれず心配したが、最終的には例年並みの良い繭になったという。
 竹の家から車で15分ほど。
 一家四人で来訪だ。

 奥さんの晶さんは町場から嫁いできたのであるが、蚕糸の研究に熱心。
 今日もさっそく、スタッフ一同に、紬糸の取り方を伝授。(写真上・右端の人物)
 売り物にならないクズ繭を真綿にし、そこから紡ぐのだ。
 クズ繭も大好きな当スタジオ。皆いたく感心していたから、そのうち新顔の手紡ぎ糸が加わるかも。
 手前に写っているのが、届いたばかりの繭である。

 写真中に写っているのが、昨年の繭から取った糸々。
 左端の白い糸カセが無染のもの。
 その隣上にある黄色いカセはフクギ染め。その下の緑はフクギ+藍。その下の水色は藍の生葉。その下は本藍。
 右側に写っているストールには、そうした糸々が使われている。(多様な糸が入っているので、100パーセント長田春繭ではない)

 昨年は三人でやってきた長田一家であったが、今年はひとり増えている。
 長男の想真クン(そうま・二歳六ヶ月)の下に、次男・悠汰クン(ゆうた・四ヶ月)が加わったのだ。

 かつて桑都(そうと)と呼ばれた八王子も、今年春繭を育てた農家はわずか七軒だったという。
 その中でご主人・誠一氏はダントツの若さで32歳と七ヶ月! (附言すると、どう見ても長躯痩身のシティボーイ)
 その次に若い人が五十歳くらいというから、この先、どうなることやら。

 「この子は継ぐのかな」と私が言うと、
 誠一氏、想真クンに向かって、「そーま、おまえ百姓やるか?」と聞く。
 すると想真クン、「やんない!」とキッパリ。
 よくしゃべる男の子なのである。
 しかし父親、少しもひるまず、「おまえオカイコやるか?」と聞く。
 するとおさな子、「やる」と答える。
 ウ〜ム、百姓はやらぬが、オカイコはやるのか。
 後継者問題はどこも複雑なものがある。
 さて、この子のいる限り、桑都八王子・養蚕の灯はともり続けるのであろうかっ!?

 ともあれ、明日からスタジオ総出で糸取りの日々である。
soma

 6月25日(水) 糸取りの日々

 長田家から繭が届いて以来、土日はしっかり休むが、それ以外は糸取りの日々である。
 特別な手順で繭を煮て、座繰(ざぐ)り機を使って枠に巻き上げる。
 昨年に比べ、機材もだいぶ充実してきた。

 現在、当スタジオには二機の座繰り機がある。
 ちょっと見づらいが、写真中、真ん中の人物(大村恭子)の操っている黒い器具が、クラシカルな座繰り機。
 おそらく大正期のものであろうが、昨年から使っている。
 上州群馬のとある家の蔵に眠っていたのを、譲り受けたものだ。
 ただ、実際に使うまでには、長田家で部品を交換してもらうなど、少々の調整が必要であった。
 こうした座繰り機は、ときおり古道具屋などで一万円前後で見かけるようだが、そのままではなかなか使えないようである。

 手前の人物(若松ゆりえ)の操る白い道具が、新しい座繰り機。
 先日、手に入れたものだ。
 機道具一式を扱う上州桐生の斉藤機料店というところが、伝統的な座繰り機をリバイバル。
 脚やテーブルなどがついていて、使いやすい。
 三万なにがしで買えるようだ。

 奥で真木千秋の操るのが、枷上げ機(かせあげき)。
 これは上州伊勢崎、吉澤機料店製だ。
 枷上げとはすなわち、座繰り機で小さな枠に巻き取った糸を、大きな枠に巻き直し、それを外してカセにすることだ。
 カセにして初めて、染色したり、杼(ひ)に入れたりできるのだ。
 この枷上げが、実は昨年、大きな問題だった。

 真木千秋は、できるならば、糸が湿っている状態で枷上げをしたかった。
 そうすると糸に、座繰り独特のウェーブが残るのだ。
 ところが、通常の枷上げ機の場合、それが難しい。
 すなわち、巻き取っているうちにだんだん糸が乾燥して縮み、枠を強烈に締めつけ、外せなくなってしまうのだ。
 そのせいで昨年は枷上げ機を一台、壊してしまったほど。
 ところがこの新しい枷上げ機は、湿った糸でも取り外し易いような構造になっている。
 おかげで作業がだいぶ楽になった。


 午後、長田一家が再び来訪し、真綿の取り方など実際に指導してくれる。
 おさな子が二人いるので、まことにぎやかなことであった。

 奮闘すること数時間、両手にいっぱいの真綿ができる。
 「こんなちょっとだけどうれしい」と真木千秋。
 その後また数時間、飯を食う間も惜しんで、真綿をときほぐしている。
 (おかげでおとなしくていい)

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