2002

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3月31日(日) ご挨拶

 みなさんこんにちは。
 このページはそもそも六年前、「MAKI TEXTILEの日々好日」という名前で始まり、途中「ぱるばのMaki的日記」と名称変更するも、二年少々前から休止状態にあったものです。
 今回、独自ドメイン取得を機に、またぞろ始めようかと…。

 独自ドメインって、知ってますか?
 ほら、今まで、真木テキスタイルのHPアドレスは「http://www.din.or.jp/~maki」だったでしょ。
 それを今回、「http://www.itoito.jp」にしたわけ。
 ね、簡単になったでしょ。
 6字減ったわけです。ということは、アドレス打ち間違えの可能性がおよそ「40の6乗」分の一、すなわち40億分の一になったということである。
 いといとジェイピー。これならどこへ行ってもスッと接続できますね。

 そもそも当スタジオは手仕事仲間のうちではおそらくトップを切ってホームページを持ったのですが、しばし怠惰に流されているうちに、たちまち時流に乗り遅れてしまって…。たとえば当スタジオとゆかりの深い某木工作家すらもドットコムの独自ドメインを持つに至り、すわっ! それではウチもっ! ということで、かかる次第になったわけです。(もっとも真木千秋ごときはそんなこと全然関知しておらず、私ぱるばが勝手に焦慮しておったわけですが)

 アドレスも新しくなったし、これを機会に新しい企画でも始めようかと、算段しているところです。
 またよしなにおつきあいください。


4月2日(火) fighters!

 
しゃく太郎という名の鳥がいる。
 野の鳥だ。
 野の鳥なのに固有名詞を持つのも珍しかろうが、それには理由がある。

 「やつ」はオスのホオジロである。ウチの周囲を縄張りにしている。
 ホオジロの常として、歌が上手い。小枝の上に止まっては、よく歌を歌っている。
 それだけだったらまことに結構なことだし、べつに固有名詞もつかなかったろう。

 やつには困った習癖がある。
 というか、困った習癖があるから、やつの存在に気づいた。
 ウチの窓ガラスをやたらにつつくのである。
 最初は階下にあるアトリエの窓ガラスだった。

 ガラスに映る己が姿を侵入者だと思いこんで、果敢に戦いを挑むのだ。
 チチッ!という甲高い警戒音を発しながら、激しくつつく。
 当然のことながら相手も果敢につつき返すから、この戦いには果てがない。
 おかげでアトリエの窓ガラスは、つつき跡でいっぱいになってしまった。

 よほどエネルギーが有り余っているのだろう。
 そのファイターぶりに驚き呆れ、当家に住まうもうひとりのファイターにちなんで、「しゃく太郎」と命名。
 あまりにウルサイので、こんど捕まえて焼き鳥にしてやろうと思ふ。
 ホオジロはわりあい簡単に捕まるのである。

 思い起こせば三十有余年前、冬の信州。
 雪の降った翌朝、ガキどもは野に出て、雪の上にワラを敷く。その上にネズミ取りを仕掛け、オトリに稲穂をくくりつける。
 すると腹を減らせたホオジロがかかるのである。
 オレもやったものだ。
 ウチには大きな鳥カゴがあったので、生捕りしたホオジロをその中に放す。そしてオトリに使ったと同じような稲穂を餌に与える。
 ところが幽囚の身の上になったショックからか、ホオジロはその米をついばみもしない。そして、二、三日もすると死んでしまう。
 そんなことが二度三度あったので、オレもつまらなくなってやめた。
 思い起こせば、鳥、魚、虫……あまた小動物たちの命が、少年の戯れの犠牲になったものだ。

 といふわけで、やっぱり焼き鳥はやめにしよう。
 しかし、やつのファイティング・スピリットはとどまるところを知らず、戦線は徐々に拡大していくのである。
 階下のアトリエから、上のリビング、私の部屋 ― 。どこの窓ガラスにもくちばしの跡がある。
 そして今朝はトイレでやつと鉢合わせした。
 あんな間近に見るのは初めてだったが、やつはべつに驚きもせず、しばし窓枠にたたずんでオレをながめ、やがて飛び去っていった。
 およそ当家の窓という窓、すべてにやつは敵を見るらしい。
 やつからすると、きっとこの家はオスのホオジロで充満しているのだろう。
 
4月18日(木) ある記念日

 
つい先日のことだが、ある記念すべきできごとがあった。
 ま、別にたいしたことじゃないんだが、当スタジオの愛車が10万kmを突破したのだ。

 マルーンカラーの三菱シャリオ。ミニバンタイプの車だ。
 購入したのは約十年前の92年10月。
 買って最初に乗っけたお客が、初来日のニルー&ウダイの姉弟だった。
 まだ座席のビニールカバーもはずさない状態で成田へ赴き、インド航空で到着した二人をピックアップして、そのまま西武百貨店池袋本店5階スタジオファイブで折から開催中の真木テキスタイルスタジオ展に連れて行ったものだ。

 初来日というより、二人とも、インドを出るのはそのときが初めてだった。
 東関道から首都高に入ると、「すごい! まるでボンベイみたい」とニルーは喜んでいた。ボンベイというのはインドでも最も先進的な都市なのだ。
 そんな二人も今は、年に何回もヨーロッパに出かける。布の売り込みのためだ

 「ぱるばの車って、おうちみたい」、来日を終えてインドに帰り、ニルーは語ったものだ。
 当時ニルー家は、夫のアジェイが赤いマルーチ800に乗っていた。スズキのアルトをプロトタイプにした800ccの車だ。
 インドで一世を風靡したこのミニカーに比べると、当家の2000ccはかなり巨大に見えたらしい。

 その後、夫アジェイは何台も車を替える。赤いマルーチ800から、白いマルーチ800。それからマルーチ1000。そしてマルーチ1300。
 ニルーは車が運転できないので、私たちの勧めもあって、アジェイのお古をもらい、運転手を雇って、その後部座席に収まるようになった。
 事業が忙しくなって、工房主として飛び回る必要が出てきたからだ。
 それゆえ、最初のクルマが赤いマルーチ800。次いで白いマルーチ800。次いでマルーチ1000となる。
 そして今回ついに、新車を買うことになった。このたびはフィアットだ。デザインがいいんだそうだ。
 「日本車のほうがいいって言ったんだが…」、アジェイはつぶやいていた。

 ウチのシャリオは乗り方が丁寧なせいか、とても10万km走ったようには見えない。
 最初はよく成田や原木まで出かけて、インドから着いた荷物を通関し、運んできたものだ。
 よくクルマは10万kmが寿命だみたいな言われ方がするが…
 実際、去年ニルー一家が来日した際、まだ同じクルマに乗っている僕らを見て、アジェイが「次はどのクルマにする?」と聞いたりしたものだ。
 しかし、どうも買い換えるという感じがしない。
 こうなれば20万kmに挑戦しようかとも思う。

 もともとこのクルマ、同居人Cとの凄絶なる闘いの末に購入したものだ。
 「クルマなんか中古車で十分!」と主張して止まないCをなんとかなだめすかし騙しおどかし、やっと購入にこぎつけた。
 ただもはやオートロックのオプションまでつける余力はなく、ために現在、私もCもクルマの出入りに四苦八苦している。
  
 というわけで、老婆心ながら、これを読んでる各家の財務担当者に忠告申し上げよう。クルマの選択は運転者に任せたほうがいい。
 多少高くついても、最終的にはそのほうがトクである。
 あのとき中古にしていたら、今ごろきっとオレは、オートロック・フルオートエアコン付きの赤いボルボ・エステートに乗っていたに違いないのである。
 
5月11日(土) ジャパンせんべい

 
 本州最北端、青森県は八戸市。
 青森県では県都・青森市に次いで二番目に大きい。JR東北本線が岩手から青森に入って最初に出会う大きな街だ。

 今、展示会でここ八戸にいる。
 正確に言うと、八戸郊外・福地村にある田中家という旧家である。(詳しくはこちら)
 台所に切られた掘り炬燵に収まって、パソコンごっこだ。
 といっても、もはや炭じゃなくて、電気だけどね。今日は雨が降って肌寒いので、まことに居心地いい。
 足許は暖かいし、背筋は伸びるし、パソコンと掘り炬燵がこれほど相性いいとは新発見。
 ぜひ当家のリビングにもひとつ切りたいものである。
 (ただし、心地よすぎて眠くなるという欠点もあるが)

 雨というあいにくの天候にもかかわらず、たくさんのお客さんが訪れ、にぎわっている。
 真木千秋のお話会があったからだ。(写真右…梁の厚さに注目!)
 しかし広大な屋敷ゆえ、ぜんぜん窮屈でない。
 お客さんたちも、お茶など飲みつつ、のんびりしている。

 ところで、当地で美味いモノを発見!
 近所にある村営温泉保養施設「バーデハウスふくち」の売店に置いてあった。
 「こびりっこ」というのだが、田植えなどのときに食べる軽食なのだそうだ。
 みなさん、南部せんべいというのをご存じだろう。それを柔らかめに焼いて、二枚あわせ、その間に赤飯をはさんでいる。
 これが手軽で、すこぶるイケルのだ。
 地元のおばさんたちが作って出している。ただ、「こびりっこ」じゃなくて、「ジャパンせんべい」というネーミングになっていた。(ちょっとね〜…)
 もうじき開催の「竹の家オープンハウス」で出せないか、これから研究してみよう。

 〈附記〉
 ついでに言うと、この「バーデハウスふくち」に併設された宿泊施設「アヴァンテふくち」はなかなかいい。
 新しくて、静かで、清潔だ。値段もリーズナブル。温泉入浴は24時間ではないが、早寝早起きすれば問題ない。
 館内でスリッパを使わず、裸足で過ごせるのがいい。
 ここに宿泊する際は、朝食は頼まず、十時前後にバーデハウスの売店に行くのがいい。前述の「ジャパンせんべい」のほか、小豆入り蒸しパンとか、その他珍しい地元のスナック類ができたてで並ぶのだ。いずれも地元のおばさんたちがつくって持ち寄るもので、安くてうまい。 


7月1日(月) テキもさるもの

 今年はビワがよく成るらしい。
 そこここに、黄色い大振りの実をつけた木を見かける。
 養沢の谷あいにある我が家にも、ビワの木が二本ある。
 そのうち大きい方が、いつになく立派な実をつけていたので、その実の熟するのを私も心待ちにしていたわけ。
 ところが、黄色く熟す前に、すべて消え失せてしまった。
 谷の動物たちに食い尽くされてしまったのだ。

 最初はヒヨドリの仕業かと思ったが、そうでもないらしい。
 小枝が二本ほどへし折られている。
 いくら騒々しきヒヨドリとて、そこまでの体力はない。

 ある日、地面にひとつ、糞が落ちていた。
 犬の糞くらいの大きさだが、その内容物が尋常ではない。
 ほとんどがビワの種で占められているのだ。
 どうもビワをまるごと食っているらしい。

 猿だ。
 どうりで最近、よく出没すると思っていた。
 昨日の朝など、早朝から我が家の屋根の上でドタバタやられて、じつに安眠妨害であった。
 眠い目をこすりながら真木千秋が外に出てみると、屋根の上には二匹の猿。
 追い払おうとしたらしいが、すっかりナメられていて、いっかな動こうとしない。
 今回はビワではなく、ジャガイモらしきものを食べていたそうだ。
 おおかた近所の畑で盗掘してきたものだろう。
 スーパーの袋を手に下げ、ダイコンを盗掘して持っていった(!)、 という目撃談もある。

 農家のみなさんにはまことに気の毒な次第ではあるが、彼らとて生活がかかっているわけだ。
 できるだけ仲良くやっていければと思う。
 オレもサル年だしな。
 関係ないが、当スタジオの女たちの間で、今般のW杯プレーヤー中一番人気だったのは、たれあろうオリバー・カーンであった。
 (もっと関係ないが、今を去る二十六年前、オリバー君という知能の高い類人猿が話題になったことあるけど、覚えてるひといる?)

 ともあれ、せめてビワの種だけでも、近辺にしっかり蒔きつけてほしいものだ。
 ビワは染色に欠くことのできない重宝な木だからだ。
 (杉林のかわりにビワ林にでもなれば、彼らも幸せなことだろうが)
 
7月3日(水) カオリの消息
 

 かつて真木千秋には、香という名のふたつ違いの妹がいた。
 職掌は当スタジオ・テキスタイルデザイナー。
 ところが一年半ほど前、我々の前からスッと姿を消してしまったのである。
 そういえば最近めっきりその姿が…とお思いの向きも多かろう。
 爾来、風の便りでは、インドにいるとか、名古屋方面にいるとか…。
 しかし、その実態は杳として知られざるままであった。


 本日、我々itoito取材班は、ついにその所在を突き止めたのである!
 場所は山梨県北巨摩郡長坂町。
 八ヶ岳の麓・標高おそよ800m。
 その人跡稀なる森の中で、カオリはひっそり…
 というか、かなり精力的に家を建てていたのである。

 フィンランド製のログハウス・キットを購入し、パートナーと二人でセルフビルド(自己組立)だ。
 けっこう本格的!
 作り始めて約一ヶ月で、写真の通りである。(二人の人物の右側がカオリ)


 しばらくぶりに会うカオリは、髪もショートにし、逞しく日焼けして、ワイルドな風情。
 今年中には完成させたいとのことである。
 家の一室をアトリエにして、染織の教室もやってみたいというのが将来の希望だ。

 家作りの合間に当スタジオの仕事も手伝う模様であるから、また展示会などでお目にかかることもあるだろう。
 真木千秋もすっかりここが気に入ってしまって、大喜びで掃除など手伝っている。
 ここしばらくは長坂通いが続きそうだ。
 (しょーがない、オレはハンモックでも持参しようか…)



7月25日(木) ブルーベリー

 みなさん、パソコンやってて、目に疲れを感じることない?
 私もかつては強靱な眼力を誇っていたのだが、寄る年波には勝てず、なんか疲れるときあるんだなあ…ディスプレーを見ているときなんか。
 そこで思い出したのが、ブルーベリー。
 目に良いって、どっかに書いてあった。
 それで近所のスーパーで生のを1パック買ってきて、ポリポリかじり始めたわけ。
 なかなかうまい。

 ついでにインターネットで調べてみると、あの紫色の色素・アントシアニンが目にいいんだと。
 即効性があるのだが、24時間しか効き目が持続しないから、毎日摂取するのがいいそうだ。
 熱など加工にも強いから、ジャムなどにして食べるといいみたい。

 それで思い出したのが、おともだちギャラリーのまじょえんで買ったブルーベリージャム。
 これが低糖で、つぶがプリプリしていて、とっても上等であった。
 それでさっそく注文しようと電話したら、あいにく品切れとのこと。
 う〜ん、残念。

 まてよ、あれは確か青森産だったな…
 ってわけで、今度は八戸のおともだちギャラリーハッシャゲニアに電話する。
 「あのー、鎌倉のまじょえんで買った、あのおいしいブルーベリージャム、知らない?」
 …と、突然きかれたって、ま、わかるわけないよな。
 しかしさすが姉御肌のみつこさん、「いいわよ、私が南郷村へ行って買ってきたげる」と。
 これがおとといの話。なんでも近在の南郷村がブルーベリーの里なんだそうだ。

 それが今朝、宅配便でドサッと届く。
 ジャムなど加工品のほかに、生果も。「チアキさんにジャムにしてもらいなさい」ってわけ。
 それで、近所の農協から地元産の蜂蜜を買ってきて、スタジオの台所でぐつぐつ煮つめたのである。
 けっこう簡単にできるもんなんだな、これ。
 できたてを試しに昼食に食してみたところ、ウーム、なかなかいける。
 つい、トーストに塗りたくって三枚ほど平らげてしまった。
 (オレってけっこう甘党)

 …ってわけで、今日は生果も含めて浴びるようにこの漿果を喰らったもんだから、夜中になっても目がぱっちり、たまらず雑記帳にまで記してしまったというわけ。
 あっ、ごめん、こんな無駄話でアナタの目を疲れさせてしまって。
 (でも、ブルーベリー、効くぜ!)


7月27日(土) カディ甚平

 どんなシゴトにも役得てえもんがあるようである。
 まあ私の場合たいしたこたないんだが、しいて言えば、いつのまにかいろんな実験的衣装が増えてるってことだろうか。
 今日着用している甚平もそのひとつ。

 甚平といえば、昔、母親に買ってもらったのがひとつあって、夏になるとそれを引っ張り出して着ていた。
 どこにでも売ってそうな、そのいわゆる、オジンベイである。
 あれは南国に行ったときなども、すごく重宝なもので、今年の冬もインドで毎日着ていたものだ。
 自分ではすこぶる気に入っていたのだが、そのオジンベイぶりに真木千秋が哀れを催し、「あたしがいいの作ったげる」ってことになったわけ。

 まあオレも断る義理はないから、じゃよろしくって言っといたのだが、それきりすっかり忘れていた。
 今朝、お出かけに際して、なんか涼しい格好ないかなあと言ったら、「あっ、甚平あるよ」ってことになり、どっかから引っ張り出してきたのだ。
 実際、この人のテキスタイルに関する記憶力はたいしたものである。(サイフなど日に何度忘れるかわかんないのに)

 今春の渡印に際して作ったものだ。
 うすねずの綿カディ製である。
 右がその写真なんだけど、どうです?
 なかなかよいでしょう。(ま、モデルもよいんだけどね)
 手織生地だから着心地も上々。
 ま、非売品だからね、「見るだけ」なんだけど。

 チアキ自身はすごく気に入ってる様子。
 実はここは小金井にあるチアキの実家。この写真は母親の真木雅子が写したもの。
 父親の真木貞治から、「オレにも一着!」と早速オーダーが入っていた。

8月1日(木) 真夏のしつらえ for Men

 昨日今日と、「超」がつくくらいの真夏日。みなさんいかがお過ごしのことであろうか?
 冷房のない私の部屋など気温は35度になんなんとし(午後2時)、盛夏ここに極まれりの感がある。
 こんな日、男性諸氏においては、綿のブリーフにビジネスパンツなんぞ穿いておられたら、陰金田虫に格好の繁殖環境を与えることにもなろう。
 かかる高温多湿の時節には、南洋の人々に倣って、素裸ないしは褌一丁で暮らすのが一番。
 しかしそこまで文明化していない我が国においては、ちょっと工夫が必要であろう。

 そこで今日は、わがインド、織師たちのモードをご紹介しよう。
 ご存じの通り、工房のあるデリーは、三月から気温は30度を超える。
 六月ともなると40度以上の気温とともに、モンスーンの湿気が加わり、今の日本なんてもんじゃないのである。
 そんな環境下、もちろん冷房なんて縁のない彼らは、こんな格好で過ごしているのである。

 上は綿カディのランニング、そして下はルンギだ。
 ルンギというのはいわば腰巻き。一枚の布である。
 その下はおそらく下着無しであろう。(確かめたことはないが)
 だから陰金田虫という話もあまり聞かない。(ま、ヒンディー語で言われてもわかんないが)

 私の着用しているこの「ルンギ」、じつはウチにあったモンゴルギリのストールである。
 ルンギ用ではないので、ちょっと短い。
 モンゴルギリというのはインドの手織・極薄綿 である 。現在青山店で開催中の「夏の布」展でも使われている生地だ。
 先日ご紹介した甚平のパンツより、開放的で涼しい。(これで下着無しなら更に開放的)
 歩くごとに風が入って甚だ心地いい。
 私はインドやバリ島で、よくこのいでたちで過ごしたものだ。

 「やっぱりインドってすごいなあ。見てるだけでホレボレする…」とはチアキの弁。
 いや、私のことではなくて、この先染めモンゴルギリの生地のことである。


8月9日(金) せみしぐれ

 昨夜は驚いた。
 夜中の0時を回っても、まだセミが鳴いているのである。
 アブラゼミだ。
 それも一匹や二匹ではない。いっぱい。
 あまりの暑さにトチ狂ったのであろうか。
 みなさんの街や村ではいかがだったろう。

 今、養沢の谷では、五種類のセミの鳴き声が聞こえる。
 アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシ、この三つは今現在(11:24AM)、ライブで鳴いている。
 あとニイニイゼミとヒグラシだ。

 一番最初に鳴き始めるのがヒグラシで、今年は7月6日だった。
 毎年そのくらいに鳴き始め、そして一番早く鳴き収める。
 私の一番好きなセミだ。
 夕方涼しくなった頃、なんとなく物悲しい声で鳴く、その風情がいい。
 少年時代の昔から、山や高原で耳にすることが多かったので、なおさら清涼感をそそる。
 ただ、真木千秋はちょっと苦手かな。
 というのも、夜明けの四時頃、朝の合唱セッションがあるからだ。
 それがチアキの浅い眠りを妨げる。

 反対に私の一番嫌いなセミは、ツクツクボウシ。
 なぜ嫌いかというと、これもまた幼年期のトラウマに遡る。
 すなわち、このセミは、故郷の信州にいなかった。
 そして、東京では八月に入って鳴き始める。

 小学生だった三十有余年前のこと。
 両親と東京に住んでいた私は、夏休みになると、祖父母の守る信州上田の田舎家に戻ったものだ。
 そしてイトコたちと楽しい合宿生活を送るのである。
 しかし楽しい時ほど早く過ぎ去るのは世の定め。
 やがて、お盆も終わり、信州に早々秋風の立ち始める八月末になると、両親の許に戻らねばならぬ。
 場所は東京の某区。狭くて暑い某社の社宅。
 机に向かって、やり残した宿題をシコシコ片づける少年A。
 ああもうじきまた学校か、やだなあ…
 その背後で鳴きさんざめいていたのが、聞き慣れぬこのツクツクボウシであった。
 ね、嫌いになったって、ムリゃないでしょう。


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