いといと雑記帳 2005

2004後半/2004前半/2003後半/2003前半/2002後半/2002前半/1999/1998/1997/1996


2月10日(木) インドこぼれ話 「リメンバー・シャクティ」

 私ぱるばは今週初めに帰国。
 真木千秋は来週初めの帰国予定だ。
 今回も様々な出来事があったインド滞在であった。

 今日は織物にまったく関係ない話。
 インドの楽しみはカレーばかりじゃないぞ、の巻。

 あれは1月中頃であったか。
 まだ日本にいた私に、真木千秋からメールが届いた。
 「昨晩のザキール・フセイン、超々々良かった」云々。
 ザキール・フセインというのは、ご存知の方もあろうが、タブラの奏者だ。
 タブラというのは、一対の小鼓。
 左右で形の違う太鼓で、どちらかというと伴奏楽器だ。
 主楽器は、ボーカルとか、シタール、バンスリ(横笛)、サーランギ(胡弓)などのメロディー楽器。
 主楽器ひとつとタブラひとつで、立派なインド音楽のコンサートになる。

 インドに数いるタブラ奏者の中でも、ザキールは別格だ。
 その超絶技巧と強烈なカリスマ、アイドル系ルックスと愛くるしい笑顔で、当スタジオ女性陣には田中惠子の昔から絶大なる人気を誇る。
 ある日、真木千秋はデリーの新聞紙上で、ザキール出演のコンサート情報を目にする。
 津波のチャリティーコンサートだそうだ。
 Maki の娘たちもがんばって仕事してるし、みんなで一息入れるのも良いだろう。
 そこでさっそく、ビジネスパートナーのアジェイ(ニルーの夫)に切符の手配を頼む。
 アジェイもタブラ好きだから、自分の分と、義弟夫婦(ラレットとアミータ)の分も合わせ、都合七名分のチケットを入手する。
 そのコンサートが「超々々良かった」というのだ。
 サロードという楽器とタブラのコンサートだったという。
 「次に行くコンサートもぜったいザキール・フセイン!」と興奮冷めやらぬ真木千秋であった。

 そういえばザキール・フセイン、もうじき日本に来るなあ…と私は思った。
 昨年末インド大使館にビザを取りに行ったとき、ポスターが貼ってあった。
 ネットで検索してみると、1月31日に東京新宿のオペラシティでコンサートとある。
 タイトルも「リメンバー・シャクティ」。
 1月31日は私も千秋もインドだから行かれないんだが、とにかくその情報をメールで送る。
 すると娘たちの反応は素早かった。
 それぞれ日本にいる連れ合いにメールを送り、真木香は自分のチケット、大村恭子は自分と太田綾の二人分を取ってくれるよう依頼したのだ。
 恭子の連れ合いはそれに成功。香の連れ合いは満席により失敗。
 恭子の熱意のほうが上回っていた模様である。

 ほどなく私も入竺し、皆と合流する。
 布づくり日誌にあるような日々が始まる。
 そんなある日、ホテルのボーイが、「ザキール・フセインがこのホテルに泊まる」と言う。
 なんでも、デリーでコンサートがあるので二泊ほどするのだという。
 色めき立つMaki の一族。
 翌日に予定されているコンサート、行ってみたいかと聞くと、みんな行きたいと言う。
 それでフロントのマネージャーに相談してみる。
 マネージャーいはく、もう満席だが、ともかくトライしてみましょうとのこと。

 一時間ほどしてマネージャーから電話があり、フロントに来てくれという。
 いそいそと出かけると、「これは特別招待券です」と言ってチケットを五枚渡される。
 そのチケットを見て驚いた。
 Remember Shakti!
 ジョン・マクラフリン(ギタリスト)とザキール・フセインを中心にした五人のメンバーで、今、ツアーをしているらしい。
 その一環で、ここデリーでコンサートを持ち、それから後に、東京へも行くのだ。
 我々のホテルがデリー公演の宿泊スポンサーになっていて、その関係で特別招待券が出たらしい。
 かくして「次もぜったいザキール・フセイン!」という真木千秋の予言も成就されるのである。
 
 翌日、珍しくしっかり開場前にコンサートホールに赴く私たち五人。
 共和国記念日をひかえ、警備が厳しくて入場に時間がかかる。
 3000人は入るであろう大会場。
 ただ、その「特別招待席」がどこだかよくわからない。
 会場係の人々に聞くのだが、誰も知らない。
 ともかく、一番前の方に行く。
 インド音楽に関しては、奏者に近い方が良いのだ。
 最前列の真ん中へんに、インド人の男女二人が座っていて、その横がズーッと空いている。
 それで私たちはその横にズラッと五人で座を占めるのであった。(インドでは座るが勝ち)
 隣のインド人男性はかなり高齢に見えたが、通る人々が挨拶をしていく。
 ステージに上がったミュージシャンも、その人に向かって挨拶をしている。
 いったい誰だろうと思っていたら、マイクを手にしたザキール・フセインが冒頭、「今日はここに…先生をお迎えし」とか言っている。
 ラヴィ・シャンカールであった。
 どうりで隣がずっと空いていたわけだ。(おそらくインド人なら遠慮するのだろう)
 しかしそれもほどなく埋まり、立ち見が出るくらいの盛況。
 みんな700ルピー、1000ルピーというインドではかなり高額なチケットを購入してきているのに、私たちは前日に思い立って、しかもタダでラヴィ・シャンカールの隣なんかに座っちゃって、やや申し訳なき次第であった。

 公演がはねた後、ホテルに帰ってロビーでお茶をする娘たち三人。
 やがてエントランスがざわつき、ミュージシャンたちが戻ってくる。
 ザキールと目が合った真木香、すかさず、「すばらしい音楽をありがとう」と声をかける。
 「コンニチハ」と日本語で返すザキール。
 「私たち、東京でもコンサート行くんですよ」と大村恭子。
 「ほう、いつ帰るの?」
 「30日です」
 「そう、じゃ間に合うね」

 インドでの仕事を終え、娘たちが成田に到着したのは、東京公演の当日、31日の朝であった。
 いったん帰宅して仮眠をとった上、オペラ座におでましとなったらしい。
 かくして大村と太田は同じプログラムを印日両国で聴くという壮挙をなしとげる。
 日本で観るザキール・フセインも、また一興だったようだ。

 ただ、まあ、私の趣味から言うと、もう少々古典的なプロがよかったかな。
 今回のはマクラフリンというジャズ・ミュージシャンとの「フュージョン」であった。
 それに演者が五人いたから、ザキールの出番も通常コンサートの半分以下だったと思う。

 その三日後、私は別のコンサートに足を運ぶ。
 これも新聞で見つけたんだが、サロードのアムジャッド・アリ・カーン。
 サロードというのは、日本の琵琶に似たような楽器で、実に美しい音色をかなでる。
 そしてアムジャッドはインド第一の名手で、これまた強烈なカリスマだ。
 昨年来日して福岡で演奏したらしいが、ぜひまた来てもらいたいひとりである。
3月1日(火) 青い鳥と黒いシシ

 幸福をもたらす青い鳥。
 日本では、青い鳥の名前には「ルリ」がつく。
 オオルリ、コルリ、ルリカケス…
 瑠璃というのはもともとサンスクリット語で「青い宝石」のことだという。
 どうやら、ラピスラズリを指すしい。

 当家の庭には、昨年の冬、初めて、瑠璃の鳥が一羽、訪れた。
 一年だけの気の迷いかな…。
 と思っていたら、今年も戻ってきた。
 ルリビタキの雄。
 おそらく同じ個体であろう。

 平生はもっと北方、あるいは標高の高いところにいるらしい。
 越冬のために下ってくるのだ。
 繁殖期ではないから、ガールフレンドも連れずにひとりで遊んでいる。

 写真は三日前の土曜日。
 テラスのフチで休んでいるところ。
 カメラに気づいて、こちらを向いている。
 丸っこく見えるのは、寒いから羽毛を立てているせい。
 それでは一句

   見るだけでそこそこ幸せ青い鳥  (春°場)

* * *

 今朝のこと、客間から真木千秋が私の名を呼ぶ。
 妙に抑えたような声調なので、卒倒でもしたのかと思って駆けつけると…
 「見て、イノシシ!」、と指をさす。
 その方角に目を遣ると、いたいた。
 距離にして150m、山裾の畑に、ふたつ黒い影が動いている。

 大きさから見て、若いシシであろう。
 これも九年目にして初めて目にする獣だ。
 今まで、夜間に気配を感じことはあったし、畑を掘り返されたこともあった。
 しかし白昼堂々と姿を現すというのは、なかなかの度胸。
 この辺はけっこう猟師が徘徊している。
 猪鍋にならぬようよくよく注意が肝腎。
 (と言いつつそぞろに食欲を催してしまう私であった)


3月10日(木) 養沢・ワイルドグルメ

 杉花粉の降り注ぐ春・弥生。
 パソコンを操りながら、ふと山裾に目を遣ると、なにやら怪しい影。
 またまた猪の出現だ。
 
 今日は記念写真をと思い、NikonのD70を持って外に出る。
 ただ、新調したばかりのカメラに猪突猛進されても困るので、70mくらい離れてパチリ。
 左右に二頭見えるでしょう。

 近くで農作業をしていたおじさんに、猪がいますよと言うと、おじさんも最近見かけたという。
 72歳になるこのおじさん、「じゃ、捕ろうか」とのたまふ。
 どうやって捕るのかというと、1mくらいの穴を掘って、残飯を入れておくんだそうだ。
 そして近くで待ちかまえ、猪が中に入ったところを、仕留めるんだという。
 おじさんも昔、何度か捕ったことがあるそうだ。
 醤油仕立てのシシ鍋にして食うんだそうだが、うまかったという。

 山裾の猪を見て、「あれは豚が入っているかもなあ」と言う。
 なんでも山向こうにかつてイノブタ(猪豚)を飼育していた人がいて、事業をたたむときにそれを放したんだそうだ。
 それが野生の猪と交雑しているらしい。
 「豚が入ったほうが、もっと美味しい」とおじさん。

 こうした山中では、かつて山の鳥獣が貴重なタンパク源だったのだ。
 おじさんの子供の頃、隣に猟師が住んでいた。
 罠専門の猟師で、よくおじさんの家に獲物を持ってきたそうだ。
 それでおじさんは、この辺の山の幸をひととおり味わったことがある。

 で、やはり味には上下があるらしい。
 星をつけるとすると、猪は★★★。野ウサギも同ランクだという。
 ちょっと下がって、★★がキツネや赤犬。キツネを食うなんて話、初めてだが、赤犬と並んでけっこう旨かったらしい。赤犬というのは、かつてよくいた野犬だそうだ。
 星ひとつ減って、★がタヌキ。シシ鍋に比べると、タヌキ汁はだいぶ落ちるようだ。
 それよりも美味しくないのがマミという獣で、星無し。タヌキに似た動物だというが、実体は不明。そういえばロシア大使館の所在地が狸穴(まみあな)という地名であった。
 さらに不味いのが我々に馴染みの動物で、これは食う気がしなかったという。

 さて上級食材の部。
 ★★★★がキジ。
 これはときどき当家の庭にも子連れで散歩に来る。
 チキンと同種の鳥だから、さだめし美味なことであろう。

 そして養沢最高の★★★★★。
 それはキジの親類である、ヤマドリなんだと。
 尾羽が長いから「長い」の枕詞にもなっているこの鳥、かつては当家の向いの山(写真の奥)によくいたそうだ。
 残念ながら私は見かけたことがない。
 おじさんは少年の頃、よくこの山に罠を仕掛けたそうだ。
 ヤマドリが捕れたときなど、とても嬉しかったという。

 まーねー、今みたいな飽食の時代じゃないからね。
 きっと家族も喜ぶだろうし、私だってその頃だったら、罠仕掛けに精を出したことだろう。
 今でこそ、庭を散歩してる親子のキジを見ると、とても捕まえようなんて気にならないが。
 そう言えば十年ほど前、当家の窓ガラスに雌の若いキジが激突死した。
 それを通りがかりの近所のおじさんにあげたら、とても嬉しそうだった。
 おじさん曰く、「家宝は寝て待てだなあ♪」


3月18日(金) 青山かいわい散歩「アンデルセン」

 今回はパン屋&レストランの話。
 べつにご紹介するまでもないか…。
 青山通りと表参道の交差点にある、アンデルセン。
 私たちも青山泊まりの際には、よく朝食に利用する。

 この店、最近、ビルごと全面改装された。
 一階がパン屋。
 二階と三階がレストラン。
 地階がサンドイッチバーだ。

 今日は試しに二階で昼食をする。
 通りに面した見晴らしの良いスペース。
 内装の色も白や生成が基調になり、明るくて気持ちいい。
 「オープンサンド・ランチ(¥1200)」を注文する。
 出てきたのは、「本日のオープンサンド」+シチュー+ヨーグルト+飲み物+パン。
 今日のオープンサンドは「ローストビーフ」だった。
 これは一種類しかなく、選べない。

 ここの特長は、何といっても、パンが食べ放題ということ。
 フランスパンからカンパーニュ、くるみパンやらマカダミアパンやら、いろいろ選べる。
 とにかく「パンが食べたいっ!」というときには、ここに限る。
 最近ウチは米飯ばかりなので、私もつい、このビルに吸い寄せられてしまった。

 今日は人目もはばからず、三度もパンのおかわりする。
 これで当分パンなしで生きられるだろう。
 (人はパンのみに生くるにあらず)
 あ、それからもうひとつ。
 この店、全店禁煙になった。
 いと目出たきなり。


3月21日(月) 青山かいわい散歩「デュヌラルテ」

 やっぱり「デュヌラルテ」をご紹介しよう。
 その名も、「類い稀なる」パン屋さんだ。
 Maki青山店から徒歩二分ほど。
 当店とセットで巡るお客さんも多い。
 真木千秋もMakiスタッフも、みんな大好きの様子。
 どこが良いの?と聞くと、香ばしくておいしいのだそうな。

 それで私も昨日行ってみた。
 当店の裏手に当たる、静かな住宅街の二階。
 ちょっと見るとギャラリーだ。
 ぜんぜんパン屋らしくない、お洒落で無機質な感じ。
 パンの種類もそれほど多くない。
 それにけっこうすぐ売り切れてしまうのだろう、私の出かけた午後四時ころには、十種類もなかった。
 その中から、今朝の朝食用に数点選ぶ。
 値段は普通のパン屋よりちょっと高めかな。

 他に進物用の食パンがある。
 「アーブル」という円筒形のパン。
 一個850円+送料1000円という、食パンの値段としては破格であるにもかかわらず、二ヶ月先まで予約がいっぱいなのだそうだ。
 そんな人気あるなら、さだめし美味に違いない!
 …というわけで、つい、衝動予約をしてしまった。
 最短のお届け日は6月8日だと! (二ヶ月ぽっちじゃないじゃん)
 ウチだけで食べては申し訳ないから、スタッフ用のもあわせて二つ、「竹の家」に届けてもらうことする。(送料は同じだし)

 今朝、食べてみる。
 ルヴェ・デュ・ブレと、バガブリュと、ジェルムと、アルル。
 ま、名前は何でもいいんだけど、なかなかイケる。
 きめ細かくて、クリーミーな感じ。
 ちょっとクセになるかも。
 これは6月8日も楽しみだ。
 スタッフもみな「その日だけは休まない」と今から虎視眈々。
 ホームページはこちら
 地図は上記サイト内にあるが、Maki 青山店にもショップカードが置いてあるので、お尋ねいただきたい。


  3月25日(金) Promenade Aoyama

 しかし、当スタジオ青山店って、青山と言えば聞こえはいいが、実態はすごい裏通り。
 まず青山通りから、骨董通りへ入る。
 骨董通りって外苑西や東に比べるとややマイナーだが、そのぶんのんびりした感じでよろしい。
 で、そこから、わけもわからぬ路地に入って100メートル。
 ここが関門なのだ。

 私が最初に出かけたときのことを思い出す。
 今から十数年前のことだ。
 当時は「布土木」という店だった。
 たしか Bin House の更紗展示会があって、真木千秋と出かけた。
 ところが場所がわからなくて、苦労したものだ。
 みなさんよく来てくれると思う。

 せっかく青山まで来てくださるなら、他のスポットもお楽しみいただきたい…
 ってんで、新趣向。
 「青山かいわい散歩」!

 ん、どっかで聞いたことある!?
 左様、この上↑5センチのところにもある。
 折に触れて書きためたものを、このたび再編集したのだ。
 地図なるものをパソコンで初めて書いてみたが、う〜ん、なかなか良いかも。
 地図上、店名の上をクリックすると、説明文に飛ぶようになっている。

 ほんとはもっとご紹介したいんだが、有為転変は世のならい。
 かつて掲載したお気に入り店が消滅したりしている。
 たとえば、根津美術館向こうの「カフェ8」とか。
 ウチも消滅せぬようぐゎんばらねば。


4月4日(月) インド仄聞

 当スタジオからは今、真木千秋&香、そして大村恭子、太田綾の四人がインドへ行っている。
 相変わらず仲良く喧嘩しながら仕事をしているらしい。

 当地は四月を迎えると、もはや本格的な夏だ。
 気象情報を見ると、連日三十度代の後半。
 日によると四十度を越える予報も出ている。
 春の歩みののろいこちらからすると、ちとうらやましい。
 十度くらいわけてくれれば、どちらも都合良いと思うのだが。

 今回の入竺、じつは彼女らにとって、ひとつの救いであった。
 というのも、そろいにそろって、花粉症。
 真木千秋は去年まで大丈夫だったが、今年の猛粉(!)に遭って、ついに発症。
 他のスタッフも例年よりヒドイ状態だった。
 それがインドへ行くと杉花粉がまったくなくて、すごく気持ちが良いらしい。
 暑い太陽もなんのその状態であるようだ。
 十日後に迫ったVegetable Color (青山店)用の新作も手持ちして帰るそうだから、請うご期待!

4月23日(土) ある歴史

 当HPを開設当初から見てくだすっている方なら、あるいは右上の写真を覚えておられるかもしれない。
 1996年10月6日の記事に掲載した写真だ。
 もう9年近くも昔の話。
 その頃は当スタジオも、沖縄の太鼓踊り「エイサー」に入れあげていたものだ。
 私ぱるばや真木千秋・香の姉妹、そして番頭の田中惠子(現在・月のテーブル)までもが、仕事もそっちのけに、各地のステージに上がって大フィーバーしていたものである。
 また近所にある小宮小学校に依頼され、運動会の出し物としてエイサーを教えたこともある。
 その運動会の様子が右上の写真。
 一番前で踊っているのが、当時四年生の内村貴恵ちゃんだ。
 この演目、けっこう好評であった。

* * *

 さて、今日4月23日は、アースデー。
 「地球のことをもっと考えましょう」という日で、東京は代々木公園でイベントがある。
 友人たちがけっこう参加するので、私もちょっと見物に出かける。
 天気にも恵まれ、気持ち良い散歩日和だ。

 メイン会場からやや離れた場所に、和太鼓が据え付けてある。
 太鼓好きな私が近寄っていくと、団員の女性が声をかけてくる;
 「ぱるばさんですか?」
 「んん!?」
 「覚えてません? キエです」
 「おー、キエ!」
 なんとあのときのチビっ子が、いつのまにか立派な娘になっているではないか。
 西多摩の羽村を拠点にする和太鼓集団「鼓響」のメンバーなのだという。
 しばらくして演奏が始まったので、携帯で写真をパチリ。
 左端がその内村貴恵さんである。
 東京都の認可を受けて、毎週末、ここ代々木公園で演奏しているのだという。
 活動予定はこちら。青山からもすぐなので、お暇な方は聴いてあげてください。
 なかなか良かった。


5月6日(金) 藍の芽

 ゴールデンウィークも終りなのか終わってないのか微妙な今日5月6日金曜日。
 私ぱるばは、信州上田「月のテーブル」に出張中。(ま、親孝行もかねて)
 現在、当スタジオの展示会が開かれているのである。

 今年のGWは天候にも恵まれ、気持ち良いこと限り無しであった。
 青葉若葉の信州もひたすら爽やかであろうと期待していたのだが、朝からどんよりした曇り空。
 今晩あたり寒冷前線が通過するようで、ちょっと肌寒い。

 ここは私の実家でもあり、このところ数年、父親に藍の栽培を頼んでいる。
 本年、喜寿を迎える人であるが、超元気で毎日野良仕事に勤しんでいる。
 今日もトラクターを駆って田起こしに励んでいた。
 (おかげでウチは米を買わなくてすむ)

 ただ、藍の栽培経験は浅く、まだ勝手がよくつかめない。
 昨年は蒔くのが少々遅く、染めに支障をきたしそうになった。
 そこで今年は4月15日と早めに蒔いてもらう。
 三週間ほどたった今日の様子が右写真。
 まだ小指の先くらいで、やっと本葉が一枚出たところ。
 まだ苗床である。
 これが十cmくらいに伸びたら定植だ。
 そして8月、インド出張の前に、生葉で絹糸を染めるという手順。

 本場徳島ではとっくに定植も終わっているであろう。
 こっちはまだ、刺身のツマに出てくるタデの芽みたいなものだ。
 やはり気候の冷涼なことと、日本屈指の乾燥地帯だという関係もあるのだろう。
 今日なども国中雨模様なのに、ここだけ降り残されているという感じ。
 ブドウなどはそれが幸いして糖度が高くなる。
 はたして藍度も高くなるのであろうか!?

5月16日(月) パートタイム・ベジタリアン

外国人に日本を案内して、いちばん困ることのひとつが、食事だろう。
今、ウダイ・ファミリーを京都に連れてきている。
チェックインを済ませて、夕食に外出。
お好み焼きを食べたいというから、先斗町の小さな店に入る。

ところが彼ら、今日はベジタリアンの日だと言うのだ。
なんでも、毎週月曜と火曜はベジタリアンなのだという。
卵もダメらしい。
しょうがないから店のおばちゃんに、小麦粉と野菜だけでやってくれないかと頼む。
するとおばちゃん、それじゃ固まらないからダメだ、よそに行ってくれないか、と言う。
それでウダイが妥協して、彼だけはベジタリアンを止め、私とともに普通のお好み焼きを頼むことにする。
アニータとマニの母娘は、野菜入り焼きそばだ。

しかし、月曜と火曜だけベジっていうのも奇妙な話である。
よく聞くと、月曜はシヴァの日、火曜はハヌマンの日なんだそうだ。
どの神を信じるかによって、ベジの日が決まってくるみたい。
また今日みたいに、そのときの都合でベジを止めてもいいらしい。
その辺の「宗教性」と柔軟さが、またインド的なところであろう。

5月17日(火) あおによし

実はインド人を京都に案内するのは、これが三度目。
その中で、一番ヒットだったのが、今日の奈良公園であった。
(京都じゃないけどね)
東大寺と鹿と広大な庭園のコンビネーションが尋常ならざる効果を与える。

大仏殿って、やはりどの国の人にも圧倒的な印象を与える。
さすが1300年前の国家プロジェクトだ。
その大伽藍を前にして、図らずも私はタージマハールのたたずまいを思い出す。
インド人の彼らも同じ印象を受けたようだ。
こっちの方がずっと古いんだけどね。

ともあれ、外国人を案内するなら、この奈良公園に勝る場所もなかなかあるまい。
法隆寺もいいが、その価値を理解するには、聖徳太子の役割など日本史の予備知識が必要だ。
その点、奈良公園は、こっちが何も言わなくても、勝手にびっくりしてくれるからラクでいい。
ここひとつで半日はイケル。
(天気が良かったせいもあるけどね)

そういえば今日、白鹿を目にした。
今年生まれたバンビの一匹だ。
白鹿って瑞祥じゃなかったっけ。
6月5日(日) 藍の定植

 今、信州上田のぱるば実家。
 両親に呼ばれたのである。
 「藍草が育ったので、定植しにおいで」と。

 五月初旬の写真がこちら
 ほとんどモヤシのような状態。
 それが一月で15cmほどに育った。
 まず、父親がトラクターで畑を耕す。(写真上)
 そこにウネを作って、藍の苗を植え付ける。(写真左)
 そしてたっぷり水をやる。

 東京では昨日も今日も激しい夕立があったようだ。
 うらやましい限りである。
 こっちは日本有数の乾燥地だから、カンカンの日照り。
 明日は早朝から起きて、また水をやり、日よけの覆いを作るんだそうだ。

翌日(6月6日) 藍草は双葉より蒼し

 
今日も空は晴れ渡り、大地は乾ききっている。
 まるでスペインのアンダルシア地方だ。
 (行ったことないから分からぬが)

 乾燥から苗を守るため、遮光シートで覆う。
 これで陽光の80パーセントをカットできるという。
 梅雨空になるまでは、しばらくこの状態だ。
 (ちなみに昨年の入梅は奇しくも今日6月6日であった)

 隣の畑では、おじさんたちがブドウの房摘み(間引き)をしている。
 ところで左写真、葉っぱがところどころ藍変している。
 これは昨日の定植の際、傷んだ部分だ。

 まだ小さな葉っぱだが、ちゃんと藍の色素を含有している。

「栴檀は双葉より…」という言葉があるが、藍草もまた同様である。

6月26日(日) 藍の危機

今朝、父親から電話がある。
藍の生育が悪いというのだ。
前にもお伝えした通り、ちょうど20日前の6月6日に苗を定植。
ところが、その後、「日本のアンダルシア」信州上田は雨がさっぱり降らないそうだ。

そこで田中一夫氏は灌水に挺身。
一晩中スプリンクラーを回したり。
ところが悪いことに、今年は定植の際に土を細かくし過ぎた。
そこに灌水したものだから、土が板状に固まり、根まで水が届かないんだと。
(自然降雨ならかかる仕儀には立ち至らない)
それで苗が弱ったところに、今度はアブラムシが発生…。
ということで、調子が悪いんだそうだ。
なにせ天気が相手の農作業。
思った通りにはいかないものだ。

ただ、ブドウ園に生えた藍草だけは元気に育っているという。
敷きワラの中に混じり込んだ種から、自然発芽したものだ。
ブドウ園の中は葉っぱで日陰になり、灌水によって適度の水分がある。
そこで一夫氏は起死回生の策として、ブドウ園内に今から種を蒔いてみるという。
今年の藍染は9月に入ってからを予定しているので、なんとか間に合うかも。
さて、ここにきて発生した藍の危機、いかなる展開を辿るであろうかっ!


7月4日(月) 藍の回復

また実家から電話がある。
藍の生育状態についてだ。
一週間ぶりのこと。

乾燥地・信州上田も、先週あたりからやっと雨が降り出したようだ。
それ以前はかなりの旱魃で、藍に限らず、作物みなは難儀していた模様。
隣家の畑など、ジャガイモは小石のごとく硬く小さく、タマネギもピンポン玉くらいしか成長しなかったそうだ。
藍草も、先日の日記にも書いたごとく、父親が朝に夕なに灌水するも、息も絶え絶えという危機的な状態に陥っていた。
ひとつには、土を細かくしすぎて水が浸透しないということもあった。

ところが、雨が二度三度と降ると、状況は好転。
萎れた葉っぱの間から、新芽が現れたという。
やはり、天から頂戴する水には、特別な効能があるらしい。


2004後半/2004前半/2003後半/2003前半/2002後半/2002前半/1999/1998/1997/1996

 ホームページへ戻る