いといと雑記帳  2007前半

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1月23日(火) スワンレイク

 
国境の長いトンネルを抜けると、そこはいちおう雪国であった ― 。

 一昨日、初めて上越国境を通過する。
 新潟市郊外のギャラリーで開催中の弊スタジオ展示会に出かけたのだ。
 「いちおう雪国」というのは、期待していたほど白一色の銀世界ではなかったから。
 新潟平野まで降りていくと、雪がまったくない。
 空はうららかに晴れ、こんな冬は珍しいと地元の人々もちょっと心配顔であった。

 ギャラリーは白鳥飛来で有名な瓢湖のすぐ近くにあった。
 ただ昼間の湖面はカモ類であふれかえり、白鳥の姿はあまりない。
 白鳥は近隣の田んぼで餌をついばんでいるのだ。
 米どころの新潟平野には広大な田んぼが広がる。
 ギャラリー周辺の田園地帯を車で走ると、そこここに白鳥が群をなしている。
 近寄っても、それほど人を恐れるふうもない。
 まことに珍しい風景だ。
 
 こうした鳥の群を目にすると、どうしても焼き鳥のことを考えてしまう。
 いや別に白鳥を見て食欲を催したというわけではなく、純粋に民俗学的な興味だ。
 はたして越後国民は白鳥を食したのか。
 カモに関して言えば、鴨鍋、鴨ネギという言葉を引くまでもなく、日本国民にとっては昔からご馳走であった。
 果たして白鳥はいかに!?
 その点をギャラリーオーナーに確かめてみたところ、白鳥を食した話はあるらしい。
 ただ、カモほどは美味ではなかったという。
 湖畔の説明板によると、瓢湖に白鳥が飛来し始めたのは昭和初期ということだから、そんなに昔の話でもない。
 海に近く動物性タンパクには不自由しなかったろうから、わざわざ白鳥を獲って食う必要もあるまい。

 新潟では友人宅に泊めてもらったが、そこの旦那はネパール人。
 インドの隣国で、クジャクがたくさんいる。
 このクジャクについてもかねがね気になっていた。
 チキンやキジや七面鳥と同類なので、きっと美味であるに相違ない。
 インドと同様、ネパールでも保護されているようだが、村人は獲って食べることもあるらしい。
 やはり美味だとのこと。
 (あ、断っておくが、我々はインドではベジタリアンをしていて、クジャクはおろかタンドーリチキンすら食わない)

 ほかにも、前々から気になっていた鳥がひとつある。
 我々のすぐ近くにいて、群をなしている鳥だ。
 しかしながら、焼き鳥にしようなどとは誰も思わないだろう存在。
 カラス。
 あれはいったいどうなのだろう。

 そして今日、カラス田楽という言葉を耳にする。
 場所は信州上田。
 じつは新潟の帰り、信州上田の実家に寄ったのである。
 ここ上田ではかつてカラスを田楽にして食したらしい。
 こんな身近でチトびっくり!!
 さすが山国。
 イナゴから蜂の子、川虫まで食べるくらいだから、カラスを獲っても不思議はない。
 まあ、あまり自慢するような話でもないが。

 京都のとある神社にもカラス田楽なるものがあるらしい。
 田楽は田楽でも、料理ではなくて、古来の民俗芸能。
 カラスも登場する奉納舞楽で、無形文化財に指定されている。
 やはりアチラは雅(みやび)なようで。

2月4日(日) プリヤナーシの謎 (やや長い)

 今、徳島。
 市心にあるギャラリーで弊スタジオの展示会が始まったのだ。
 それで昨日、飛行機にのってやってきた。
 ただ、飛行機にのるまでが、ちと大変であった。

 昨日の昼前、旅の支度を整え、養沢の自宅を出る。
 ナーシ布のパンツと、タヒールタビーのシャツ、ナーシジャケット、ナーシ×ウールの黒ストールといういでたち。
 やたらにナーシが多いのだが、私はどうもこの柔らかな風合いの天然ブラウンが好きなようである。
 そしてコート代わりにパシミナの大ショールをバッグに忍ばせる。
 そのまま武蔵五日市の駅まで行けばよかったが、ちと用事があって竹林スタジオに寄る。
 スタジオで用事を済ませ、駅に向かおうとすると、真木千秋、私のいでたちを見て、ポツリと一言。
 「プリヤナーシのコート、着れば格好良かったのに…。ま、もう遅いけど」
 
 コレがいけなかった。
 プリヤナーシのコートというのは、ナーシ×ウールの生地を使い、afa真砂三千代のデザインしたロングコートだ。
 十年ほど前の作。
 Maki布を使った衣のうち最も豪勢なひとつで、当家にも一着あり、真木千秋と共用している。
 たっぷりした冬用コートで、今まさにシーズン。
 確かにコレを着て、ナーシ×ウールの黒ストールを首から垂らすと、我ながらじつにカッコイイ。
 しかも私はこれから、遠方にあるギャラリーを三軒も訪ねようというのだ。
 やっぱ真木千秋の言うとおりプリヤナーシのコートだよなあと、駅へ向かう道すがら、ひとり激しく納得する。

 しかし、やはり真木千秋の言うとおり、もう遅いのだ。
 私の所持していた徳島行きのJAL航空券は変更の利かないタイプ。
 そしてこの時間、JR五日市線は本数が少なく、この電車を逃すと、航空券をフイにしてしまう可能性も大いにある。
 しかし、いったん火がついたプリヤナーシ欲はいかんとも消しがたい。
 たとえ航空券がフイになろうとも、断然、着用すべしである。
 そこで決然、クルマを返して山中の自宅へ戻り、パシミナの替わりにプリヤナーシを羽織り、再び返して駅に滑り込む。
 この間およそ18分。もちろん、乗るべき電車はとうに出発している。
 次の電車に乗って、パソコンを開いて乗換案内でチェックすると、状況はかなり厳しい。

 徳島行きJAL便は14時05分発。そして私の羽田着は13時49分。
 チケットの説明書きには、遅くとも15分前までにチェックインを済ませてくださいとある。
 私の場合、空港駅に着いてから出発まで16分しかないわけだ。
 更に説明書きを読んでいると、ウェブチェックインというシステムがあるらしい。
 IC付きのJALカードか携帯電話を持っていれば、携帯電話からチェックインできるのだという。
 幸い私はIC付きJALカードを所持していた。
 そこであっちこっちボタンを押しまくり、なんとか携帯チェックインを試みる。
 ところが、搭乗者の名前が違うとかなんとか難クセをつけられ、断られる。
 自分の名前を間違えるわけはないのだが…。
 しかしそれでもと、もう一度トライしてみると、今度はあっさりOK。
 座席指定までできる。
 これは感動的であった。

 教訓1:相手がコンピュータであろうと、決してあきらめるべからず。
 
 チェックインは無事終了したが、まだ油断は禁物。
 なにしろ16分しかないのだ。
 そこで乗換駅の神田や浜松町でダッシュするなど奮励努力の結果、どうやら一本前のモノレールをゲット!
 羽田着は4分早い13時45分であった。

 教訓2:乗換案内は多少余裕を見ている。乗換駅での努力次第では数%の時間短縮は可能。

 ウェブチェックインを済ませておけば、預け入れ荷物がない限り、直接、手荷物検査場に向かうことができる。
 荷物検査用ベルトコンベアの脇にある小さなボックスにIC付きカードや携帯電話をかざすと、瞬時に自分の名前の入った搭乗券が出てくる。
 この敏速さも感動的。
 徳島行きの搭乗口にたどりつくと、まだ搭乗5分前であった。

 徳島というのは今回が初めて。
 聞くところによると、かなり芸能の盛んな県であるらしい。
 そう言えば、阿波踊りがこの徳島だ。
 そのほか、県南の各地には今でも村人たちによる浄瑠璃が残り、それを操る人形座が二十近くも存続しているという。
 今日の日曜日、たまたまNHK衛星第二、午前11時からの「お〜い、ニッポン」という長時間番組が、徳島県特集。
 その中に「徳島の芸能大集合」というコーナーがあった。
 ライブ放送で、その会場が徳島中央公園。ギャラリーから歩いて十分ほどのところだった。
 私の芸能好きを察し、ギャラリー主の山田氏は、私とMakiスタッフ大村恭子を会場に案内してくれる。
 少々風が寒かったので、しっかりコートを羽織って出かける。
 会場には浄瑠璃の小屋が掛けられ、また、阿波踊りの有名連である阿呆連が待機している。
 一番前の座席を占める私たち。案内役のアナウンサーと女性ゲストがリハをしている。
 もうじき生中継が始まるということで、番組のディレクターが私たち観客に向かって、いつ映るかわからないのでニコニコしていてくださいね、それから拍手や歓声もよろしくお願いしますっ! と言う。
 そこで私は真木千秋に知らせてやろうと思う。もしかしたら映るかもしれないし。
 あいにく携帯を所持していなかったので、大村恭子に連絡してもらう。

 やがてディレクターの号令一下、ライブ中継が始まる。
 ただこれは予告編にあたる短いもので、芸能大集合の本編は午後たっぷり放映される予定であった。
 それでも生で見る阿波踊りはホントに楽しい。感動的。
 ぜひ八月のお盆に来てみたいと思う。
 人形浄瑠璃はわずか三十秒ほどで、様子を知るにはあまりに短かった。なんでも今度、東京八王子で名手が公演するということなので、これもぜひ行ってみたい。
 このときの中継は五分ほどであったか。ディレクターの要望通り、こっちは忠実にニコニコ拍手喝采していたが、カメラが向けられた様子もない。
 展示会も始まっていたので、ほどなく私たちはギャラリーに戻ったのであった。

 そして夕方、携帯に真木千秋からメールが入る、いはく;
 「テレビみたよ。後ろ姿、大きく写ってたよ。ところで、プリヤナーシ、どこから出てきたの??」
 世に三点しか存在しない十年前のプリヤナーシ・ロングコート、今なぜ阿波徳島で田中ぱるばが着用しているのか??
 真木千秋、自分のポツリ一言がどのような事態を引き起こしたか、まだ知らないのである。

 教訓3:公開中継ではどこからカメラを向けられるかわからない。常に背筋を伸ばすべし。

2月17日(土) タッサー・マスク

 二月も半ばを迎え、花粉症の人々にとっては辛い季節の到来だ。
 本日の花粉情報によると、東京地方は「やや多い」。
 当スタジオでもとりわけ花粉に弱い松田安貴子、今日はこんないでたちで出勤だ。(写真右)
 タッサーシルク製のマスク。

 当スタジオに売るほどあるハギレをいろいろ試した結果、コレがいちばん具合良いとのこと。
 生地はタッサーのロウシルクで、インド中央部の伝統的産地で手織されたものだ。
 ロウシルクというのは生糸で織った絹布で、セリシン(膠質)が残っているのでサラサラした感じ。
 三重にして、中にガーゼを入れている。
 通常の白ガーゼのマスクに比べ、肌触りなど、使用感は上々とのこと。
 鼻孔まわりの肌荒れも和らぐようだ。

 タッサーシルクなど野蚕布は、多孔質であるゆえに、吸湿・保湿、保温性に優れ、また消臭力や抗菌力もあるという。
 手織り独特のナチュラルな不均一(ファジー)感や、ロウシルクのサラサラ感もあいまって、おそらくは最強のマスク素材と言えるかもしれぬ。
 私(ぱるば)の長年にわたる褌経験に鑑みても、これは気持ちいいはず。
 色に関してはチョイスがなかったので今回は鉄媒染の草木染めグレーだが、もう少し明るめの方が良いかも。
 飛行機の機内で乾燥に悩む真木千秋もひとつ欲しいとのこと。
 製品化の予定はあるのかと聞くと、とりあえずみなさんハギレで自作してください(松田)とのこと。
 この生地のハギレは藍染のものが店頭に少々あり。
 店まで来られない人は、042-595-1534松田までご相談のこと。


3月3日(土) 梅にウグイス あるいは 融通無碍

 桃の節句の今日、ここ竹林では春衣展の二日目。
 晴れて気温も上がり、春のような陽気であった。
 梅の花も満開で、樹下には芳香がただよう。

 そして昨日、ここ養沢では、早くもウグイスが鳴く。
 この九年間の平均が3月18日(うち三年は記録欠如)だから、半月も早い。
 どうなってしまうのであろう、日本列島。

 ところで、そんな暖かな昼下がり、ヘルパーのミワ子とインド人のラケッシュ君がなにやら盛り上がっている。
 ミワ子いはく、ラケッシュは「ありがとう」と言われると怒るのだそうな。
 たとえば、誰かに高い所からモノを取ってもらったら、あなたは「ありがとう」と言って受け取るであろう。
 ところがラケッシュいはく、そんなのは友人として当然なんだから、ありがとうなんて言われる筋合いはない、とのこと。
 ヒンディー語にもありがとうに相当するシュクリアという言葉はあるのだが、よほどのときにしか使わない。
 インド人だったら、ただ無言で受け取るそうだ。

 そう言われて、心当たりはある。
 たとえば、インドでタクシーに乗る。
 ××ホテルへ行きたいのだが、あいにく運転手はその場所を知らない。
 そこで運ちゃん、あちこちで道を聞きまわる。
 日本だったら、ちょっとすいません、××ホテルってどこでしょうか、となるだろうが、インドは違う。
 何の前置きもなく、道行く人にやおら、××ホテルってどこ? と聞く。
 あるいは、「ってどこ?」すらもなく、ただ「××ホテル」だけだったり。
 で、教えてもらった後には、「どうもありがとうございます」と礼をするのが日本だが、インドでは無言で走り出す。
 知ってたら教えるのはあたりまえ、という姿勢だ。

 あるいは、あなたがインド国内線の飛行機にのる。
 隣にはインド人の紳士が座っている。
 あなたの前の座席ポケットには、新聞がはさまっている。
 隣の紳士、あなたが新聞を読まないのを見てとると、無言でその新聞を取り上げ、読み始める。
 挨拶すら交わしてないのにだ。
 それは別に無礼な行為とは見なされない。
 日本だったら、あのう、ちょっとすみませんが、その新聞…と始まるであろう。
 あるいは、あなたがシャイな人間なら、よっぽど興味を惹かれるようなことがない限り、隣のシートポケットには手を出すまい。
 その辺が、彼我の大きな違い。
 融通無碍(ゆうづうむげ)とでも言おうか。

 というわけで、インドに通い始めてかれこれ二十年近くになるが、まだまだ新しい発見はありそうだ。

3月12日(月) ホコリ高き職場

 先日、ネット上でこんな記事を見つけた

 【ワシントン=増満浩志】繊維工場で綿ぼこりを多量に吸い込んでいる人ほど、肺がんになりにくいという調査結果を、米中の研究チームがまとめ、米国立がん研究所報に発表した。
 研究者らは、綿ぼこりに含まれる細菌の毒素エンドトキシンが免疫系に何らかの影響を与えているのではないかと推測しており、仕組みを調べれば、肺がんの予防や治療に役立つ可能性がある。   (2007年3月10日14時42分 読売新聞)


 エンドトキシンとは細菌の細胞膜に含まれる物質。水道水や蒸留水にも混入しているという。
 通常は人間にとって問題ないが、人工透析などで体内に多量に入ると発熱などの症状を引き起こす。
 抗腫瘍性も有するようなので、それが抗ガン作用として発現するのだろうか。

 ともあれ、綿ぼこりはどんどん吸引していただきたい…
 とは言わぬが、ホコリ高き当スタジオとしてはちょっと面白い話。
 ウチのスタッフは誰も喫煙しないし、肺ガンの危険率はけっこう低いかも。

3月24日(土) モンキー大作戦

 私の住んでいる「あきる野市」の「寺岡自治会」。
 戸数わずか22戸、東京都最小の自治会と言われている。
 東京都といっても名ばかりの、すごい山村だ。
 この山村で、先週からちょっとしたイベントがあった。
 猿除けの電気柵設置である。
 猿による畑の被害が深刻なので、市から予算が出て、希望者の畑を電柵で囲うことになった。
 私もちょっと畑を借りてやっているので、いちおう希望者の中に入った。
 予算は200万弱。けっこう本気。
 しかしそれは資材代のみで、人足代は出ない。
 設置は自分たちでやりなさいというわけ。
 それで招集がかかり、先週の火曜から、作業が始まる。
 今日で八日目。あらかた目鼻がつく。
 
 ウィークデーの日中からそんな仕事に出られる人は限られている。
 だいたいが退職後の人々だ。
 オレなんか一番若いくらい。
 そんな中に、私が「おじさん」と呼ぶ、お気に入りの年長者が二人ほどいる。
 Mおじさんと、Kおじさんだ。
 そもそも私自身がおじさんなんだから、そのおじさんと言えば、一般的には「おじいさん」だろう。
 Mおじさんは84歳、Kおじさんは79歳。
 しかしその働きぶりを見ていると、まだまだおじさんだ。
 自治会の仕事だから、やたらにお茶の時間が多い。ちょっと仕事をすると、おばさんたちが野良に茶と菓子を運んでくる。
 そんな茶飲みのつれづれに、おじさんたちの話を聴くのが楽しい。

 Mおじさんは、女たちのいはゆる「かわいいおじいさん」だ。
 冬になると、ときどきウチの勝手口に大根が置いてあったりするが、これはたいていMおじさんのプレゼント。
 「あの家にはもう大根はなかんべえ」と、そっと一本置いていくのだ。
 このおじさん、先の大戦では兵隊に出たんだそうだ。
 そしてインドまで遠征する。
 あの帝国陸軍史上最悪のインパール作戦。
 おじさんはインパールを望見する地点まで送られたが、そこで退却となり、途中マラリアに罹患しつつも帰還を果たした。
 退却中に多くの兵士が戦病死する中で命拾いできたのも、この山村で鍛えた体力のおかげだという。
 じつはこの自治会にはもうひとりNおじさんという九十を超える最長老がいるが、彼もまたインパールからの生還組だ。
 二年前に耕耘機で脚に大ケガをしたが、奇跡的に回復し、今もリハビリしつつ畑を耕している。
 こんな小さな山村にインパールまで行った人が二人もいて、しかも共に帰還を果たし、今も畑を耕しているなんて、ちょっと感動的。

 Kおじさんは私の父親と同年。Mおじさんとともに、山仕事のプロだった。
 若い頃はノコギリの手挽きで木を伐ったというが、昭和三十年代にドイツ・スチール社のチェーンソーを導入。
 当時で15万だったというから、ベンツでも買うようなものだったろう。今でも使っているらしい。
 おじさんいはく、昔は畑の近辺に現れる動物といえば野ウサギくらいだった。麦の葉っぱの端っこをちょっとかじるくらいで、たいした害はなかった。
 それが、おそらくキツネにでも食われたのか姿を消し、今は猿と猪が出没する。
 猿が姿を現し始めたのは昭和五十年代。
 そもそもはずっと山奥にいたのだが、杉の植林などのため食物が減り、里に出てきて畑作物に手を出すようになり、その安逸に慣れて山に帰れなくなる。
 そして数も増え、さらに畑を荒らすようになった。
 ま、半分は人間が悪いんだが。
 猪も同様だ。
 今年など猪が暴れまくり、私が年末年始インドに一月半行って留守の間に、畑ばかりか当家の庭までボコボコに掘り返されてしまった。なんでもミミズを捜してのことらしい。
 そんなこんなで今回のモンキー大作戦となったわけ。
 緑と黄色のツートンカラーの電柵を巡らせながら、こんな檻の中で畑耕すなんて夢にも思わなかった、と、かこつKおじさんであった。

3月28日(水) 桃李もの言わざれど…

 竹林Shopの脇に、大きなバラ科の木がある。
 バラ科というと、リンゴ、梨、桜、梅、桃、杏…。
 この木を見てお客さんはよく「桜ですか」と聞く。
 違います。
 「じゃ、梨?」
 違います。

 まず当たることはあるまい。
 正解は、李。
 読めるかな。「スモモ」。

 「桃李(とうり)もの言わざれど下おのずから蹊(けい)を成す」という言葉がある。
 桃やスモモは何も言わないが花や実を求めて樹下に自然に道ができる、という意味だ。
 成蹊大学の語源だとも言われている。

 今、花盛り。
 こんな花が咲くとは今の今まで知らなかった。
 この八年間、庭の奥でひっそりと咲いていたのだ。
 それが、Shopができたために、一気に脚光を浴びる。
 小振りの花が奥ゆかしい。
 春風にチラホラと舞う花弁。
 さて、竹林Shopも李にあやかって下おのずから蹊を成すであろうか!?


4月26日(木) ジャグリ

 これは今月初め、南インドでのこと。
 滞在先のホテルである男に紹介される。
 農民だという。
 名前はアショカ。
 自然農法でジャグリを作っているという。
 インドの農民にしては、かなりインテリっぽい風貌。
 聞けば、地元の大学を卒業後、就職せず、自由な生活を求めて農業の世界に入る。
 自分の農園に来てみないかと誘われたので、行くことにする。
 街の中心から車で三十分ほど。
 なだらかな丘陵、畑や木立 、野を渡る爽風― 絵に描いたような美しい南インドの田園風景だ。

 ジャグリというのは、精製していない糖。
 サトウキビの搾り汁を煮詰め、固めたものだ。
 そもそもサトウキビはインドが原産だという。
 製法としては黒砂糖と同じであろうが、黒砂糖ほどクセはない。
 アショカはこのジャグリを、農薬や化成肥料など化学物質を一切使わずに作っている。インドにもそういう人たちがいるのだ。福島正信氏のことなども知っていて、同地の先進的な農場主たちとともに自然農法の実践に励んでいる。

 小さな製糖場には三つの大釜が並び、搾り汁が順次、濃縮されていく。
 機械で搾られた汁は、そのまま最初の釜に流入する。これがアショカ製糖場の特長なのだという。搾汁後、直ちに煮沸されることにより、ジャグリは鮮黄色を保つ。搾ったまま時間を置くと、黒味を帯びてくるのだという。
 煮沸に使う燃料は、サトウキビの搾りガラのみ。まさに南インドの太陽の賜物だ。
 口にいれると、蜂蜜のごとき爽やかな甘味が口中に広がる。

 お土産にアショカは、小さなジャグリの塊を二つくれる。あわせて2kgだ。
 このジャグリ塊はその後、二週間にわたって私と旅を共にし、先週末、はるばる日本までやってくるのであった。(旅先での2kgってけっこう重いのだ)
アショカ(右から二番目)とその農場スタッフ。
三番目の大釜で作業のマネをする私。
奥に5kgのジャグリ塊が積み重なる。
 成田から竹林に直行し、待っていたラケッシュに「お土産だよ」と言って塊を手渡す。(ほかにめぼしい土産がなかった)
 すると、ことのほか喜ぶラケッシュ君。
 なんでもその日の朝、「しまった! ジャグリを頼むのを忘れた!」と思っていたのだそうだ。

 インドではこのジャグリがいろんな場面で用いられる。
 お茶菓子としてそのまま食べたり、神々への捧げ物にしたり、料理や菓子に使ったり。アユールベーダ(インド漢方)では喉や肺の薬とされる。
 日本でもかつて砂糖は貴重なものだったが、特にサトウキビの故郷インドではジャグリに対する思いも格別である様子。

 ラケッシュ君、このジャグリでチャツネを作るのだという。チャツネというのはカレーの付け合わせに出る薬味だ。
 それから今日は菓子もひとつ。「ラッドゥ」という丸い甘味だ。ひよこ豆パウダーとジャグリをベースに、ピスタチオ、アーモンド、カシューナッツ、白胡麻、カルダモン、ギー(精製バター)を加えて作る。
 インド古来のおめでたい菓子で、結婚、出産、新築などの慶事に振る舞われる。
 日本向けに、甘さとギーは控え目。
 ダージリンティーを片手に、このラッドゥをお召しあそばせば、かなり御機嫌ではあるまいか。(このスペシャルジャグリの長い旅路を思えば、紅茶+ラッドゥで¥400はすこぶるリーズナブル!!)
 明日金曜から竹林カフェに登場!
はるばる竹林までやってきたジャグリ塊二つ。
ラケッシュ作のラッドゥ。

5月4日(金) タケノコ de サブジ
 ときあたかもタケノコのシーズン。
 竹林をざっと見回しただけでも、にょきにょきと四〜五十本は生えている。
 そこでかねてからの計画通り、タケノコ入りのサブジ(野菜料理)を作ってみる。(写真右上)

 ホウレン草サブジの中に、シイタケとともにタケノコを入れる。
 食べてみると、なかなかの珍味。
 春の味覚・孟宗タケノコのシャキシャキ感が良い。

 タケノコ入りのサブジは初体験だ。
 インドではお目にかかったことがない。
 そもそもラケッシュ君ですら、インドでタケノコを見たことがないという。
 私の知っているインドの竹は、まさに鬼のように手強い植物で、そのタケノコはとても食えそうなシロモノではない。
 この竹林スペシャル・タケノコ入りサブジ、明日もまたメニューに登場するようだ。
 タケノコはまだまだ生えてくるから、ここしばらくは楽しめそう。

 それからもうひとつ、春もたけなわ、ドリンクの新メニュー。
 マンゴー・シェイク。(写真右下)
 インドでは人気の飲み物だ。
 マンゴーとミルクと砂糖、その上にナッツを散りばめる。
 これは言うまでもなく、美味&クール。
 (ただしマンゴーが手に入ったときのみ)

5月9日(水) 竹林ツアー

 今日はちょっと珍しい日であった。
 遠く神戸から18人の来客がある 。
 三ノ宮にあるトアロード・リビングスギャラリーのオーナー高井さんが、お客さんたちと一緒に来竹されたのである。

 こうなると、ちょっとしたイベントだ。
 朝、畑に行ってサラダ用の野菜を摘み、竹林ではいつもより入念に掃除をし、ディスプレーにも手を入れたり、みんなイソイソと立ち働く。

 午後一時頃に到着。
 夏のような陽気の中、店内で布を広げたり、木陰でくつろいだり。
 右上はランチの様子。
 水曜は通常カフェの営業は無いのだが、このくらいの人数が集まれば特別にオープン。真木千秋もせっせと料理を運ぶ。(上写真・右方、中腰の黒い人物)
 下写真はラケッシュ手書き、絵入りの「本日のターリー」メニュー。上からご紹介すると;

  5しゅるいまめのカレー
  じゃがいものマサラあじ
  ほうれんそうと竹の子
  のらぼのサブじ

 「のらぼ」とは五日市名産ののらぼう菜のこと。来日一年でよくここまで書けるようになったというものだ。(足の出演は松田安貴子)
 
 昼食後は、私ぱるばによる「竹の家ツアー」および「インドの布づくり」スライド上映ショー、真木千秋による「ストール巻き巻きミニセッション」などなど。
 お客さんにも楽しんでいただけた模様。
 ウチのスタッフも元来お祭り好きなのだろう。こうして大勢の来訪があると、一層力も増すようである。なにより竹林がきれいになって良い。
 まあ、私のショーに関して言えば、十人集まれば随時開演ってとこかな。

5月11日(金) タンドーリ豆腐
 6月1日から三日間、ここ竹林にて、「インドのごはん♪オープンハウス」という催しがある。
 そのときタンドーリチキンをやろうかという話もあったのだが、やっぱりここでは菜食で行きたいと思う。

 タンドール釜を使った料理に、パニール・ティッカというものがある。
 パニールとは牛乳を固めたコテージチーズで、それをタンドーリチキンのように特製ソースに漬け込んでタンドール釜で焼く。
 ただ日本ではパニールの入手が難しいので、豆腐でできないかと思っていた。
 普通の豆腐では柔らか過ぎて、タンドール用の串に刺せない。
 今日、有楽町の沖縄Shopで硬めの島豆腐を買ってきたので、ちょっと試してみる。

 まずは特製ソースづくり。ヨーグルトをベースにして、生姜、ニンニク、ターメリック、コリアンダー、レッドチリなどスパイス類を調合する。
 豆腐をよく水切りしてカットし、それにソースをからめ、串に刺してタンドールの中に入れる。(写真左上)
 さすが島豆腐だけあって、崩れ落ちたりしない。
 数分するとこんがり焼き上がる。(写真右)
 それを盛りつけたのが、左下の写真。
 みんなで試食する。香ばしくてなかなか美味。
 コリアンダーチャツネ(白い容器に入った緑色物体)をつけると味に深みが出る。

 ただパニールに比べると、島豆腐はやや滑らか過ぎるかも。
 もう少しボソボソしたテクスチャが欲しい。
 それで今度は富山の五箇山豆腐で試してみようかと思う。
 来週の金曜あたりかな。
 ちょうど来合わせたら、試食にご招待!

6月9日(土) マンゴー!

 五月下旬のインドは、メチャ暑だったけど、またマンゴーの季節でもあった。
 二日ほど滞在したカルナタカ州のダルワード周辺は、アルフォンゾ種やラスプリ種などマンゴーの産地。街のマーケットにはズラッとマンゴー屋が並び、すこぶる壮観であった。もちろん浴びるほど食してくる。

 宿で手にした英字紙の一面に、マンゴーの写真とともに「インドのマンゴー、今、日本へ」という活字が踊る。
 なんでも昨年六月、日本でインド・マンゴーの輸入が解禁となり、今年からまとまって日本向けに輸出されるようになったとのこと。二十年ぶりの解禁だそうだ。なんでも残留農薬などの問題で、日米で輸入禁止になっていたらしい。
 世界のマンゴー生産の半分を占めるインドだが、世界貿易に占める割合はわずか5パーセントほどだった。
 このたび解禁になったのは六品種。その中にはアルフォンゾ種も含まれている。

 インド・マンゴーの最高峰、アルフォンゾ。その中でも一番は、ムンバイの南、ラトナギリ産だと言われる。
 歴史の長いインドで最も愛されている果物だけあって、マンゴーの品種は数限りない。アルフォンゾだけで200品種あるという。
 サイズもいろいろだが、大振りのアルフォンゾが、私の訪れたダルワードのマーケットでひとつ50円くらい。ムンバイでたぶん80円。北部のデリーで200円ほどかな。日本に輸入されて、さていったいどんな値段になるか。

 先日、伊豆在住の友人K氏がご当地のマンゴーを送ってくれた。伊豆でマンゴーができるとは知らなかった。長径8cmほどの小さなもので、「チビリッチ・マンゴー」という名前であった。
 日本のマンゴーは、沖縄本島と西表島のものを食べたことがある。アルフォンゾとは違った、フルーティで爽やかな食感であった。
 さて、伊豆のチビリッチ。たいして期待していなかったのだが、食べてびっくり。濃厚な味わい。アルフォンゾに肉薄!
 ただ値段から言って、浴びるほど食するわけにもいかない。生産量も少ないみたいだし。浴びたい人は、酷暑のインドへ赴くしかないか。


6月16日(土) 芋掘り

 梅雨明けとも見まごう烈日の下、芋掘りを行う。
 ジャガ芋だ。今年初めて作ってみた。
 栽培技術の稚拙さゆえか、芋は小さい。
 種芋の倍くらいしか獲れず、かなり効率が悪い。
 言うまでもなく、買った方が早い。
 だがしかし、味は凝縮されてウマいはず。

 竹林カフェの料理には、私の野菜もそこそこ使われているのである。
 たとえば、ミニサラダのレタスやルッコラ。
 ウマかったでしょ、みなさん。
 気づいたかな?
 なんせ「ミニ」だから、食べながらおしゃべりなんぞしていると、味わう前に終わってしまうのだ。
 だから私はキッチンスタッフに、配膳の際には「この部分はぱるばの作った野菜です」とご案内するよう指導いたしている。
 ところが、謙虚なスタッフはなかなかご案内申し上げない様子。

 そこで、当HP上でご案内いたす次第だが、来週水曜日(6/20)、カディー展初日の料理にはぱるば作ジャガ芋を使用
 当日のランチセット中にジャガ芋を見つけたら、しばし沈黙し、しっかと味わっていただきたい。
 ラケッシュの作るヒマラヤ風サブジには、小さなジャガ芋のほうが良いんだそうだ。

 「私が毎朝カフェ用にレタスやグリーンピースを収穫しています!!」←真木千秋加筆


6月19日(火) 黄色い鳥

 今日竹林で、二度ばかり黄色い鳥に驚かされる。

 始めはキビタキ。
 これは珍しい鳥だ。
 さえずりはよく耳にする。
 毎年、今ごろになると、自宅(養沢)近くの森の方から聞こえてくる。
 しかし、なかなか姿は見せない。
 一昨年、伊豆の山中でさえずりを耳にし、一時間ねばって初めてその姿を目にする。春陽に輝く鮮やかな黄色に感動。
 声色兼備の逸物だ。

 今日の昼ごろ、竹林でその声を耳にする。
 独特の、軽快なさえずり。
 竹林では初めてのことだ。
 ふと見ると、ケヤキの大枝に黄色い影が!
 ちょうどカメラを手にしていたので、パチリ。
 メスと鳴き交わしながら、竹林をあちこち飛び回っている。
 まるで自家の庭のよう。
 写真に何枚も収まるほどの親密度!!
 もしかして営巣するんだろうか。
 夕方になっても声が聞こえていたので、明日のカディ展初日にもお目にかかれるかも♪

*  *  *

 次いで、キセキレイ。
 セキレイはあきる野市の「市鳥」にもなってるくらいだから、そんなに珍しい存在ではない。
 キセキレイやハクセキレイは竹林の常連だ。
 だから目にしても別に驚きはしない。

 夕方近く、母屋の事務所でパソコンに向かっていると、玄関の戸口に飛来する「鳥影」。
 ツバメでも巣を作っているのかと、玄関を出て上を見ると…。
 キセキレイが営巣している。
 それも戸口のすぐ上だ。
 一日に何人出入りするかわからない、当スタジオでも一番繁華な場所。
 ウチのスタッフによると、昨年も母屋の戸袋にヒナが落っこちたりしたそうだ。
 ま、確かにここなら猫や蛇も寄りつかないし、一番安全かもしれない。
 喉が白いからメスのようだ。抱卵しているのだろうか。
 静かに見守ってやることにしよう。


6月24日(日) 日印交流年

 いやあ、私もウカツであった。
 今年2007年は日印交流年。
 それは知っていたのだが、てっきり、インドで日本文化が紹介されるものとばかり思っていた。
 そうじゃないのだ。日本でもインド文化が紹介されていたのだ。
 本年も半分終了せんとするとき、それに気づいた。
 郵政公社から記念切手まで発行されている。

 けっこう錚々たる面々が来ていたのだ。
 サントゥールのシヴ・クマール・シャルマとか。
 この人はインド古典音楽の巨匠。
 3月下旬に本邦4都市でコンサートを開いていたという。
 う〜ん、聴き逃した!!
 
 遅まきながらではあるが、昨日ひとつ、日印交流してきた。
 マニプリ舞踊だ。
 インド東部マニプール州に伝わる民俗舞踊。
 東京・多摩市の小さな地区ホールでの催しだった。
 なかなか目にする機会のない芸能だ。
 たまたまウチのお客さんにマニプリ舞踊を習っている人がいて、それで知ったのであった。
 プログラムの構成上、踊り自体は残念ながら10分ほど。
 それでもバラタナティアムなど著名な四大舞踊とはまた趣の異なる、東方的な柔らかさがうかがえた。
 終了後、マニプールの人々とも交流が持てたし、そぞろ意義深い催しであった。
 今度はもっとじっくり観てみたいものである。
 なんでも詩聖タゴールがこの踊りを目にして感動し、それを機縁として今日に見るようなインド各地の舞踏が復活したのだそうな。

 6月末からは、また別の仮面舞踏団が全国ツアーをするようだ。
 これもまた珍しいものだから、観てみたいものだ。
 イベント情報は新潟のミティラー美術館の提供している日印交流年サイトを参照。
 イチオシ品があったら、またこちらでご紹介しよう。

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