絲絲雑記帳 2011

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いといと雑記帳 10後/10前/09後/09前/08後/08前/07後/07前/06後/06前/05後/05前/04後/04前/03後/03前/02後/02前/99/98/97/96

竹林日誌 10前/09後/09前/08後/08前/07秋/07夏/07春/06秋/06夏/06春/05秋/05夏/05春/04秋/ 04夏/04春/03秋/03夏/03春/02後/02前/01/99-00/「建設篇」


1月1日(土) 迎春 2011
 
謹賀新年。
今年もよろしく!!

私ぱるばは今、信州上田の実家に滞在中。
雪が降るものと期待していたのだが、関東甲信地方はサッパリ。
近来稀に見る穏やかな元旦だ…と愚父が申していた。

特に用事もないので、新作紹介のページをいじってみた。
こんな感じ。いかがかな

スタジオの入口にも松飾り。(写真左)
ただ、shopのオープンは1月9日(日曜)のハギレ市からなので、お間違えなく。


1月2日(日) 信州名物

ときどき、「信州名産の食べ物って何ですか」と聞かれる。
まあ、山国だし、たいしたものないんだよ。
ソバとか、野沢菜とか、おやきとか…

現在、信州上田の実家に滞在中。
今日は愚父の知人宅を訪問する。
実家から100kmほど離れた、南信州の伊那。
定年退職後、農業を営んでいるY氏宅だ。
突然の訪問に、奥さんがいろんなものを出して、もてなしてくれる。
その中にあったのだ、信州名物。(写真右上)
左下から時計回りに、蜂の子、イナゴ、そして、ザザムシ。

海の無い長野県。
伝統的にこういうモノをタンパク源としてきた。
いずれも佃煮。
蜂の子はジバチの幼虫で、なかなか美味。生でも食うという。
イナゴは海老みたいな食感。栄養豊富だ。
以上は私も食べたことあったが、ザザムシは初めて。
これは川虫だ。釣エサによく使う。
かなり高価なものだが、ちとクセがある。
これは天竜川流域(伊那谷)の伝統食らしい。千曲川流域(上田)にはない。
ともあれ、こんなに昆虫を食うのも信州人くらいだろう。

しかし、肝腎な某昆虫の姿がない。
Y氏に尋ねてみると、JR伊那駅裏手のバスターミナル売店に置いてあるとのこと。
この虫はかつて広くタンパク源として利用され、中国等では今も食膳に供されている。
そこで敢然、バスターミナルに赴くと…
「信州の珍味」がズラリ揃っているではないか。(写真右下)
さて、その昆虫とは…。

 






1月3日(月) 穂高の天蚕

天蚕の里、長野県「穂高」。
かつては穂高町だったが、今は安曇野市だ。
日本の野蚕飼育の中心地として、1994年に第二回国際野蚕学会も開催されている。
江戸時代の天明年間(18世紀)から天蚕飼育が始まって、明治の中頃が最盛期。その後、病害虫や天災、戦災で生産が途絶えたが、戦後、行政が中心になって復活させる。
現在、従来からの地元生産者4軒と移入してきた4軒、あわせて8軒が天蚕の飼育に携わる。

有明山の麓、安曇野市の有明に、「安曇野市天蚕センター」がある。
正月三日、穏やかな晴天に誘われて、信州上田の実家から車を走らせ、訪ねてみる。
事務局長の古田さんは、もともとは千葉の人。
天蚕糸の輝きに魅せられ、旦那さんと一緒に穂高に転入。自宅で天蚕を育てながら、センターの運営に携わっている。
今日も午前中はクヌギの剪定をしていたとのこと。
午後から特別に開館してもらって、映像や展示品を見学しながら、いろいろお話しをうかがう。

近縁種だけあって、天蚕はタッサーシルクや柞蚕と共通する部分が多い。
天蚕の養蚕も、立木に放って育てる「半養蚕」で、これはタッサーシルクの主要品種(ダバ種)と同じだ。
穂高ではクヌギの立木に放つ。
立木をネットで蔽うのだが、それでも歩留まりは50%。(つまり卵100個から最終的に繭になるのが50個)。
天敵は、蟻、カエル、カメムシ等。
タッサーシルクはネットで蔽わなくても歩留まり50%だから、天蚕より飼育しやすい。
穂高では中国柞蚕も試験的に飼育するそうだが、天蚕は柞蚕より弱い生物だそうだ。
だから営繭の時など、農家がつききりで世話をするという。

ちなみに、中国柞蚕もクヌギで育つ。そして天蚕との間にF1品種ができるが、そのF1には繁殖能力がないという。
現在、穂高の天蚕はウィルス病に悩まされているらしい。その点は私たちが昨夏訪ねたヒマラヤ山麓の温帯タッサーも同じだ。

右写真はクヌギの圃場。クヌギは大木になるので、毎年、根元近くまで枝を剪定し、作業しやすい高さに揃える。
天蚕の営繭は6月10日前後ということで、その頃センターを訪れれば幼虫や繭が見られるとのこと。

安曇野市天蚕センター 長野県安曇野市穂高有明 3618-24 TEL0263-83-3835 入場無料

 

 


1月4日(火) パソコンバッグ

これ、真木千秋のパソコンバッグ。
先日パソコンを新調したので、それにあわせて自作する。

表地は刺し子。素材は様々なハギレ。糸はタテ糸の残糸。西表島で雨に降り込められた時にチクチクやっていたものだという。
裏地と持ち手はエリ蚕布のザクロ染め。ふくらみを持たせるためエリ蚕布は重ねている。
ちょっと目にはパソコンバッグに見えない。MacBook Air11インチとのコンビネーションがなかなかクール。
パソコンのインナーバッグとしても使え、そのまま大きなバッグにスポッと入れてもいい。

慣れない手で縫製するのは難しかったが、これに入れるとバッグもパソコンも大事な宝物みたいに感じられるとのこと。
みなさんも挑戦してみたらいかが。
自分でできない人は、今回インドで似たようなものを作製予定なので請うご期待。

ともあれ、これを提げて明後日、天竺へと旅立つ真木千秋である。

 

 


1月5日(水) 蚕の非繊維利用

平たく言うと、蚕の食品利用。
今年になってそういうシーンによく出くわす。
たとえば、先日届いた国際野蚕学会の会報にタイの野蚕料理研究が掲載されていたり、インド・アッサム州の研究者からエリ蚕の食品化について問い合わせがあったり。
そもそも、蚕の類は食品としてもよく利用されてきたのだ。
場所によっては、繊維より食品としての利用が主だったりする。
たとえば一昨年、中国・寧波の料理屋で、魚介類に交じって活きた蛹を見かけた。大きさから見て柞蚕であろう。活きているということは、繰糸の副産物ではなく、食べるために繭を裂いたと思われる。

三日前(1月2日)の記事にも書いたが、信州伊那で、蚕の佃煮を見つけた。
「さなぎ」と「まゆこ」だ。
試しに購入し、本日、竹林の昼食時に、スタッフともども食べてみる。
まず、「さなぎ」。
みんな蚕の繰糸は経験し、さなぎはお馴染みなので、「え〜、こんなの食べるの!?」と及び腰。
醤油で濃く味付けしてあるが、繰糸の時に匂う、蚕独特のクセがある。
「蚕三つで卵ひとつ」と言われるくらい栄養豊富だという。
しかし、虚心坦懐に味わっても、特別ウマいというものではない。
他に何も食物がなかったら有難く頂くだろうが…。

そして「まゆこ」。
これは蛾なのだ。
繭から羽化したもので、羽は除去してある。
こんなものまで食うとは知らなかった。
伊那の売店のオバサンも食べたことないと言っていた。
ただ、一昨日訪ねた穂高・天蚕センターの古田さんいはく、地元の古老によると蛾のほうがウマいとのこと。
それで箸をつけてみると、確かに、蛹やザザムシよりクセがない。
黙って出せば、誰も蚕蛾だとは思うまい。
というわけで、食品としての家蚕、初体験。
柞蚕やエリ蚕はどんなだろうか。
もしかしてインドにはタッサーシルクのカレーなどあるんだろうか。
(見たことない)
(みなさん食べたい?)

1月12日(水) 渡天の季節

年も改まって早12日。
毎年いまごろはインドで織物作りに精を出す時期でもある。
彼の地に赴くことをいにしえの人々は渡天と言った。天竺に渡るのである。
先週真木千秋は一足先に渡天、来週には私とスタッフ二人も相次いで国を離れる。
真木千秋は先日ゲットしたRicho GXRで写真を撮っては送ってくる。(実は私があてがった)
ブログにupしているので、見てやってほしい。

ここ竹林ではハギレ市の真っ最中
「まだまだ掘り出し物がいろいろ。福袋も残っているのでぜひどうぞ!!」とは、留守を預かる店長・大村恭子の弁。

1月17日(月) インド到着

昨夜インドのデリーに到着。
成田から十時間以上の旅だった。
この時期、偏西風の影響で時間がかかる。
対地速度は時速六百km台から七百km台。
逆方向は風に乗って時速千kmを超えるから、行きは帰りの1.5倍くらいかかる。
昨年オープンしたばかりの新ターミナルで真木千秋の出迎えを受ける。
こちらも真冬ではあるが、日本から来るとかなり温かく感じる。

時差が三時間半あるから、今朝は2時半に目覚め、やや時間を持てあます。
日本だと午前6時だ。
今日は朝の便で南インドへと向かう。
茶綿の里の訪問だ。

1月28日(木) デラドンの春

今日、5人でデリーからデラドンへ飛ぶ。
5人というのは、真木千秋、石田紀佳(当スタジオ・キュレーター)、つぶつぶの郷田和夫・ゆみこさん、そして私ぱるば。
なんでつぶつぶ(雑穀)の御両人が一緒なのかというと、私たちと浅からぬ因縁があるからだ。

デラドン郊外のganga工房には、ラケッシュを始めたくさんの人々が待っている。
ヒマラヤの麓、北インドのこの土地も、一番寒い時期は終わり、日本で言えば四月頃の気候だ。
夏の間は水田だったところに、今は青々と麦が育っている。
田んぼの畦(あぜ)には、日本では大豆が蒔かれるが、こちらではエンドウ豆が育ち、白い花を咲かせている。
もしかしたら居るかもしれないコブラも、今は穴の中でお休みだ。
そこでしばしお散歩を楽しむ。

写真は、麦畑から振り返って工房を見たところ。
中央の白い建物部分がganga工房。

明日からみんなでヒマラヤ地方の山中深く、ラケッシュの両親の里へ赴く。
帰ってきたらまたお伝えしよう。


1月29日(金) 沐浴

朝早く、デラドンの工房を出発。
車二台に分乗し、リシケシの街からガンガー(ガンジス川)を遡る。
目的地はガオン。ラケッシュの両親の実家がある。
リシケシから狭隘な谷を遡ること約二時間。
聖地デヴプラヤグに到着。

ここは二つの川が合流して、ガンガーの誕生するところ。
合流点にはヒンドゥー教の寺院があって、敬虔な信徒はそこでガンガーの水に触れ、お祈りをする。
ここでガンガーの水に触れると、積みし無量の罪障が滅ぶのである。
昨年8月、野蚕糸を求めてガンガー上流を旅した折、ここデヴプラヤグで頭まで水に浸かり、当スタジオ積年の罪障消滅を図ったのであった。
今回は冬でもあるし、さすがに全身沐浴はあるまいと思っていたのだが…。
現地に来ると、どうしても水遊びの衝動にかられてしまう私である。

こういう時、褌は便利である。
西洋下着だとどう見ても下着だが、褌だと、かかる場合、なんとなく沐浴ウェアに見えるのだ。
それにしても、やっぱ水は冷たかった。(私の顔がそれを物語っている)
おかげでひとまず、当スタジオの罪滅ぼしも叶った次第である。(またすぐ積もるのであるが)
そして私たちは谷間の隘路を一路ラケッシュ両親の里へと向かうのであった。(続く)


2月1日(火) 茶綿を紡ぐ

昨夜、ヒマラヤの山里から帰還。
話には聞いていたが、じつにめくるめく体験であった。
それについてはまたお伝えする機会もあるだろう。

さて、山麓のganga工房。
朝から様々な興味深い試みが行われている。
そのひとつが茶綿。
これは先日、南インド・カルナタカ州から持ち帰ったものだ。

当地でひとつ手土産をもらった。
茶綿の原綿だ。
それをganga工房で手紡ぎしてみる。

まずは梳綿(そめん)。
当スタジオ・キュレータの石田紀佳が、日本から持参した梳毛器でくしけずって均す。(写真上)
写真中央に写っているのが、手土産にもらった原綿だ。
従来の茶綿よりソフトな感じなので、きっとアメリカ綿なのであろう。
左側の新聞紙上に載っているのが、梳綿後の篠綿(スライバ)だ。

この篠綿を織師マンガルに紡いでもらう。
糸車(チャルカ)と紡毛機のどちらが良いか?
ganga工房には両方とも用意してある。
マンガルが選んだのは紡毛機。
これは足踏み式で、マンガルの村では皆この紡毛機で羊毛を紡ぐ。
羊毛とは性質も異なるだろうが、わりあいスムーズに茶綿糸を紡いでいる。
さすがに手慣れたものだ。(写真中)
「ちょっと繊維が短いな」とつぶやくマンガル。

紡がれた糸は、現行のインド茶綿よりかなり濃色だ。
手で紡ぐから不均一で、いかにもMaki好みの糸になっている。
ナーシ絹糸を彷彿とさせる。(写真下の真ん中にある糸玉)
「良い糸!! これなら使えそう」と真木千秋も嬉しそう。

もうひとつ、南インドでもらった手土産がある。
現行茶綿の篠綿だ。
機械式チャルカにかける篠綿で、きれいに整形されて紡がれるばかりになっている。
これを機械式チャルカにかけると、非常に均一な糸が紡がれ、Makiとしてはあまり面白くない。
これもマンガルに渡して紡いでもらう。
「繊維が短い」とやりづらそう。
毛足が短く野性味のあるアジア綿だ。
それでもしばらく経つと順調に紡げるようになる。
写真下の左側が紡いだばかりの現行の茶綿糸。真ん中が濃色のアメリカ綿糸。右側が篠綿。
この篠綿も、紡毛機で紡ぐと不均一な太目の綿糸となる。
これもMaki好みの糸だ。

原料の入手や紡ぐ手間の問題もあるが、これから活かしていきたい糸々である。


 




 



 

2月2日(水) 完ベジ・バッグ

4月中旬に予定されている竹林shop「gangaの春」展に向けて、今ganga工房はフル回転だ。
今日ご紹介するのは、バッグ。
これもなかなか興味深い一作だ。

裂き織りの技法を使う。
詳しくはヒミツなんだけど、通常の裂き織りとはひと味違った表情を持っている。

タテ糸に綿。
染めはザクロ、メヘンディ(ヘナ)、藍。
ヨコ糸には裂いた綿布。
これは南インドの綿産地から持ち帰った(ほとんど)オーガニックの白綿および茶綿の布だ。

写真左上が白綿布を使った裂き織り。
右下が茶綿布を使った裂き織りだ。

更に、ものによっては、樹皮製のヒモが側面に織り込まれている。(写真左上および右上)
これはビーマルと呼ばれる木の枝から採った繊維からできている。
ビーマル繊維はヒマラヤ地方の山里でよく用いられる。
このバッグに織り込まれたビーマル繊維は、ラケッシュの祖母が採ったものだ。
枝を伐採し、それを一ヶ月ばかり川に浸け込み、柔らかくなったところで樹皮を剥いで、川石に叩きつけながら繊維を採る。

写真右下はビーマルの枝とラケッシュ祖母。この枝は樹皮を剥いだ後のもので、燃料として煮炊きに使われる。
ビーマルの木は後からいくらでも新枝を出すので、持続的に採取できる。

その繊維からヒモをなう。
そのヒモをザクロの皮で濃灰色に染め、今回、バッグのヒモとして織り込んでいる。

というわけで、完全ベジタリアンの袋なのだ。

ところで、明後日2月4日は、ganga工房で織りが始まった一周年記念日。
それで今日は、仕事の終わった後、みんなでお祝いパーティをすることになっている。
一年前のこの日、織師ママジが唯一の機(はた)にウールの糸を通した。
その機場では、今、五台の機が稼働している。
これも、ganga工房を応援してくれるみなさんのおかげだ。

多謝!! ナマステ!!

 



 

2月3日(木) 山の草木で染める

今日は節分でもあるので、豆に多少関係ある話。

ganga工房では染めも行われている。
染師はラケッシュの義兄・ディアネシュだ。(写真右上)

先日、ラケッシュ両親の実家、ヒマラヤの山村に出かけた。
その折にゲットした染料二種。(写真左上)
左がサグワンの樹皮、右がキングラの根。

キングラの根については、去年試し染めをしたことがあった。
一年経っても褪色していない。
そもそも胃腸薬としてアユールヴェーダでも用いられるという。
今回、染材が手に入ったので(道路工事現場で拾ったりして)、製作用に染めてみる。
すると鮮やかなレモンイエローに。(写真左中)
日本で言えば沖縄のフクギにも相当する色合いだ。
これはいろいろ使えそうと、真木千秋も喜んでいる。

写真左上の左側、サグワン。
この木はそもそも、鎌など農具の柄に使われる堅い木だ。
樹皮は捨てられるのだが、樹液が赤色だったので、試してみようと思い、もらってきた。
その結果が、コレ。(写真右中)
なかなかキレイな赤味のある色を染める。
写真は赤城の節糸(絹)を染めたものだが、ストールなどに使えそうだ。

それからもうひとつ。
テス。(写真左下)
これは木の花であるらしい。デリーで入手したものだ。
十数年前のこと、デリーの織師が「昔はこれで木綿を染めたものだ」と語っていた。
それを思い出して今回、綿糸を染めてみた。(写真右下)
煮出しの回数や媒染剤によって様々な色に染まるのが驚き。
これはいろいろ研究が必要だ。

ところで、なぜ豆に関係するのかというと、木綿の染めだ。
木綿は染まりづらいので、豆を使って下処理を施したりする。
日本では豆汁(ごじる)といって、大豆の絞り汁を使う。
そうして木綿繊維に蛋白質を付着させる。その蛋白質に植物色素が結びついて定着する。
ganga工房では大豆の代わりにロビア豆を使ってみた。ダールカレーにもよく使われる豆だ。
大豆に比べると蛋白含有量は少ないと思われるが、それでも無処理のものとは明らかに色の濃度が違う。

ロビア豆の搾り滓(おから)は、生姜とウコンとヒングと塩を混ぜ、天ぷら(パコリ)にして食べる。
これがganga工房の節分であった。

 



 

2月4日(金) 世界新機録

真木千秋が膝の上で糸遊びをしている。(写真左上)
茶色が茶綿糸、白色がエリ蚕糸だ。
茶綿糸は先日南インドから運んで来た原綿から紡いだもの。(2月1日の日記参照)
エリ蚕とは野蚕の一種で、その糸は昨夏訪ねたヒマラヤ山中の村から送られてきたものだ。
どちらもMakiでは今まで使ったことのない素材だ。
さていったいどんな織物ができるだろう。
いろいろいじくりまわしながら、織りの構想を練っている。

写真右上は工房の軒下。
昼間は日本の初夏を思わせる陽気なので、戸外の作業が気持ち良い。
天気は毎日晴れ。天気予報の必要はない。
左端は構想をノートに書き留める真木千秋。
その右に、茶綿糸を紡ぐ織師マンガル。
右端はエリ蚕糸を巻き取る工房長サンジュ(ラケッシュの姉婿)。

結局真木千秋はウールも交えて織ることにする。
料理で言うと、醤油と出汁に酒を加えるようなものだ。
この辺の感覚はなかなか言葉では言い表し難い。
ふくらみを持たせるためもある。

写真左中は試織用のタテ糸を作っているところ。
上の白い糸がウール。左下のベージュがエリ蚕糸。右下が茶綿糸だ。

写真右中がタテ糸を機(はた)にかけて織り始めたところ。
ヨコ糸にもエリ蚕糸、茶綿糸、ウール糸の三種を使う。いずれも天然色だ。
「折り返し織り」で、真ん中に穴を織り出す。
その穴から首を出して、ベスト風かぜに羽織ることもできる。
もちろん、ショールとして使うことも。(写真左下)

軽くてふんわりした手触りが独特だ。(写真右下)
これはエリ蚕糸の特徴でもある。
そして、太目に紡いだアジア茶綿の色合いと、サッパリした質感が良くマッチしている。
春に好適。
四月の「gangaの春」展でデビュー予定。

ただ問題なのは、原材料の入手だ。
エリ蚕も茶綿も僻遠の小村で生産されている。
継続的に製作するには、しっかり原料供給ルートをつけないといけない。
今日もラケッシュが苦労して両産地に電話連絡をしていた。(インドの物流は予測不能である)

おそらく、エリ蚕糸と茶綿糸を機(はた)にかけたのは初の試みではあるまいか。
そういうわけで、世界新機録。

 

 

2月5日(金) 工房の新メンバー

今日はganga工房を後にして、デリーに向かう日。
工房出発を二時間半後に控えて、新情報が!!
織師マンガルによると、羊の群が近所にいるというのだ。
工房から車と徒歩で30分も行けば、群がいるはずだと。
マンガルはかつて牧童をしていたのだ。
もっと早く言ってくれればいいのに…。

ともあれ、羊がいると聞いたら放ってはおけない。
すぐ車をチャーターして、マンガルの案内でラケッシュと現地に向かう。
15分ほど車を飛ばし、それからジャングルに分け入る。
象が出没するというジャングルだ。
道々、象が倒した樹木(写真左上)や、象の糞が散見される。
象に遭遇した時の逃げ方も教わる。車なみのスピードで追いかけてくるので、真っ直ぐ逃げてはいけないそうだ。
糸素材の探究も命懸けである。

10分ほど歩くと、遠くの斜面に白い動物の群れが。
羊か…!?
近寄ってみると、残念ながら山羊だった。
人なつっこい牧童に話を聞くと、主に食用に飼っているという。また、毛を敷物などの材料にも使う。(写真右上)
もう十日ほどこの近所でキャンプしているそうだ。
羊たちの群は遠くに出かけているという。

せっかくだから彼らのキャンプ地に案内してもらった。
そこには生まれたばかりの仔羊たちが十数頭と、妊娠した雌羊が二頭いた。
そのうちの一頭が今まさに出産する。(写真左上から二番目)
仔羊はすぐに立ち上がって母羊の乳を探る。
ラケッシュはマンガルに仔羊を抱かせてもらって嬉しそう。(写真右上から二)

ちょっと離れたところにもうひとつキャンプがあるというので訪れてみる。(写真左上から三)
そこにはマンガルの村であるドンダの人々が暮らしていた。
昨夏私たちが訪ねた村だ。ganga工房の毛糸も現在すべてこの村から仕入れている。
かつてはマンガルもこの辺でキャンプ生活をしていた。
冬の間、四ヶ月ほど、羊を飼いながらここで過ごすという。
簡素な小屋の外でチベット系ボティア人の婦人が茶色の毛糸を紡いでいる。(写真右上から三)
みんなマンガルの知り合いだ。

ラケッシュにはひとつ目論見があった。
ボティア犬のゲットだ。
父親からも言われていたらしい。ボティア犬の子犬がいたら手に入れたらいいと。
ボティア犬とはチベット系の牧羊犬で、勇敢なことで知られている。工房の番犬としては最適だ。そしてなかなか美しい。

ボティア犬は羊飼いたちが帯同しているから、この辺の人々は、こうしたキャンプに子犬を買いに来る。羊たちと同様、今が子供の産まれるシーズンなのだ。
最初に訪れたキャンプでは、子犬はもう売り切れていた。
このマンガルの村のキャンプには、子犬が何匹かいた。写真左下の囲いの中に、生後一ヶ月のが4頭ばかりいただろうか。

ラケッシュは黒いのを二つ抱っこして、その両方を買うという。
なに、二頭も!?
だったら一頭は茶の入ったのにしなよ、と私が言う。
ボティア犬の一般的イメージは、黒と茶のツートンだからだ。
囲いの中に一匹ツートンのがいたから、黒いのとあわせ、二頭購入する。(写真右下)
ムクムクでめっちゃ可愛い。最終日なのが残念!!
せめてもと、帰りのジャングルと車の中で、かわりばんこに抱いて可愛がる。しっかり憶えておいてもらわないと。泥棒と間違えられても困るし。(象に出会わなくて良かった)

そのままデラドン空港に滑り込み、犬のニオイにまみれてセキュリティーを通過したのであった。
かくして工房のメンバーがまた増えたのである。

 

2月6日(日) WELCOME !

昨日からデリー。
今日は真木千秋ほか三名で機場(はたば)に赴く。
デラドンのganga工房は職住接近なのだが、デリーの場合は通勤に時間がかかる。
お抱え運転手グルディープの車で片道一時間前後だ。

仕事の合間に、図師潤子をモデルにして写真を撮る。
日本で案内状に使うのだ。
これも一仕事なのである。モデルにしてもフォトグラファーにしても。
今まで弊スタジオ専属モデルは大村恭子であったが、現在育児中につきインドに来られない。
それで急遽、図師を代役に立てたというわけ。

撮影には背景も大事だ。
機場近くの民家の壁などを使う。
今日は日射などの関係で、適当なのが見当たらない。
ひとつ、塗り立ての壁があったので、それを使うことにした。
なんとなくスタジオっぽい雰囲気。(写真上)
しかし、良く見ると、図師の口許に「WELCOME」の文字が。(拡大するとよくわかる)
撮影中には気づかなかったが、これはちょっと使えないかな。
というわけで、拙ページに掲載することにした。

その最中、近所の子供たちが何人か寄ってきた。
可愛かったのでカメラを向ける。
恥ずかしかったのか子供たちはサッと離れていったが、ひとりだけ、少女が立ち止まって、じっとカメラを見つめながら微笑んでいる。
何枚撮っても、ものおじせず、じっと立ち止まって微笑んでいるのだ。(写真下)
まだ十歳にもなるまいが、お洒落にストールをまとい、大人びた雰囲気。
天性のモデルかも。
後で写真をチェックしながら、あんな子にウチのストールを羽織らせて写真を撮りたいねと図師と話したが、少女はそれきり現れなかった。

ともあれ、こんなふうに、とれたてのストールや服をいち早く使って、インドで案内状の写真撮影をすることもある。
図師のまとっているストールは、「マルダ」の新色。
(案内状郵送希望の方はpar877@itoito.jpまで)

 





2月7日(月) はないかだ

新しい織物ができあがると、ひとつ困難な仕事が待っている。
命名だ。
番号で呼ぶのも味気ないから、それらしい名前を考える。

たとえば、写真上の一枚。
シャザッドの織った新作ストールだ。
目に浮かぶのは、春の野原一面に花々の咲き競う様…。
そこで「春爛漫」とか言っても、真木千秋は肯んじない。
自分の書けないような漢字はいけないのだ。(たぶん読めないかも)
そこで丸山佳代といろいろ知恵を絞った結果、「春彩」ということになる。
これで「はるいろ」と読ませる。
「こんなストールの似合う女子になりたい!」というのがウチのスタッフたちの叶わぬ願いである。

写真中は、その「春彩」について織師シャザッドと打ち合わせる真木千秋。
ご存知の通り、デリー工房随一の織師で、真木千秋もそのウデを高く買っている。
まだ若いganga工房から戻ってくると、とりわけその鮮やかな手際が印象的だ。

写真下もシャザッドの手による新作。
アカネやラックダイ、スオウ、紅花など様々な赤系の植物染料を使ったピンクの一作だ。
これもまた、春の花々を思い起こさせる。
しかしながら、毎年春には新作ができてくるから、「春」にしても「花」にしても、めぼしい単語は出尽くしている。(「花春」というのもあるくらいで)
しかも、花筏とか、花の宴、春暁みたいなのは、真木千秋の収録語彙に無いから却下なのだ。
数時間頭をひねっているが、出てこない。
今、丸山佳代がやってきて、「花」と「爛漫」を一緒にして「花爛」はどうかと言ってきたが、まあダメだろう。
こういうのに限って、結局、「ピンキー」みたいな可哀想な名前で秘かに呼ばれたりするのだ。

賢明なる読者諸嬢諸氏よ、いと麗しきネーミングによりこの可憐なる一枚に救いの手を!!
(採用分には本作を一枚進呈!…というわけにはいかないが)

 




1.裁断
2.頭頂部分をつける

3.だんだんグチャグチャになる
4.ひっくり返して穴を塞ぐ

 

2月8日(火) ガンディー帽

最近マイブームの帽子がある。
ガンディー帽だ。
その名の通り、マハトマ・ガンディーのかぶっていたやつ。
基本的に白い綿カディでできている。(右写真・ニルーとともに)

インド独立運動の象徴ともなり、二世代くらい前までは流行っていたようだ。
しかし、もはやデリーのような大都市ではほとんど見かけなくなっている。

私がそれをかぶっていると、けっこうインド人にウケる。
我々のパートナーのニルーは「ウチの織師たちみたい」と言うし、その旦那のアジェイは「ガンディージみたい(ジは敬称)」と言うし、縫製工房主のアミタは「ネール(元首相)みたい」と言う。

白いカディ地もいいが、ここはひとつ、Makiの布で作ってみることにしよう。
選んだ生地はベージュの「シルク・タビー」。

まず、マスター・テーラーが型紙を作り、それに従って布を裁断する。(写真1)
バンドの部分が二重になるので、けっこう布を使う。

それをテーラーのひとりに手渡す。
縫製工房では、マスター・テーラー始め、5人のテーラーたちがMakiの衣を縫製している。
テーラーは、まず芯地をあてがう。
そしてバンド部分を円筒状に縫い、頭頂部分を縫い付ける。
テーラーの名はキサン。愛想は無いがウデは良い。(写真2)

更に、布を二重にして縫い進める。(写真3)
だんだん全体がグチャグチャの塊になっていく。一見すると何だかわからない。
相当に幾何学的なセンスが必要と思われるが、インド人だったらきっと得意なのだろう。

グチャグチャの塊を裏表ひっくり返すと、見事、帽子になっている。
穴の部分を縫い付けて、キサンの仕事は終わり。(写真4)

マスター・テーラーがそれをチェックし、アイロンをかけて完成だ。(写真5)

どう、なかなか良いでしょう。
欲しい人、いるかなあ。
いたら幾つか作っていくけど。

 












5.仕上げ


2月9日(水) ガムチャ!?

日本は立春を迎えて寒暖の差が大きくなっているようだが、こちらも同じ。
一昨日まで初夏のような日々が続いていたが、同夜、雷雨があり、それからすっかり空気が入れ替わる。
昨日からは、日本で言うと四月下旬頃の陽気になり、日陰はやや肌寒い。
それでも空は青く晴れ渡り、空気はカラッと乾燥し、まことに心地よい。
「こんな良い気候は二週間と続かないのよ〜」と、縫製工房主のアミタが昨日言っていた。それから先は、ただ暑くなるばかりだ。

ここデリー工房は、首都デリー郊外の農村のただ中にある。
周囲ではのどかな田園風景が展開している。
農家のおばさんが水牛に水をぶっかけていたり。(写真上)
別に暑いわけではない。水牛はその名の通り、水が好きなのだ。
ミルクの質が優れているため、インドでは広く飼育されている。

写真下はさきほど織り上がった試織。
シャザッドの機にかかったストールだ。
Makiにしてはちょっと激しい色合いだが、透明感もあるし、こういうのもたまには良いかと。
赤系はアカネ、スオウ、ログウッド。
両ヘリに金色の光を放つのはムガ絹糸。もうじき産地のアッサム州に出かけるので、今回はちょっと贅沢に使ってみた。
もう名前は決まっていて、「ガムチャ」となるらしい。
ガムチャというのは、インド東部で伝統的に織られているタオル。
「雰囲気が似ている」と、アシスタントのジャグデッシュ君。

ところで、二日前に名前の決まらなかった桃の花弁のごとき一作。
みなさんのお知恵拝借と書いたところ、多数の方々からメールを頂く。
厳正審査の結果、八王子K嬢の「花衣(はなごろも)」に決定!
じつはそれ、私も当日、提案したんだが…。


 





写真1
写真2
写真3
写真4
 

2月10日(金) 諸行無常

ここデリー工房と並行して、ヒマラヤ山麓のganga工房でも仕事が行われている。
工房長のラケッシュから試織の写真が送られてきた。
真木千秋に解説してもらおう;

山の村でもらってきた「サグワン」という硬い木の樹皮。(写真1)
その枝で鎌の柄などを作るそうです。
皮は要らないということで近所の家からもらってきました。
写真の中で皮を剥いでいるのは、ラケッシュのお祖母ちゃんです。
それを日本の絹に染めて、手紡ぎウールで織師ママジが織ったサンプル。
昨日、ganga工房から送られてきました。(写真2)
遠隔で指示し続けてやっとここまできた〜〜〜。
仕上げは日本でやるけど、サンプルを作ってもらいました。
手紡ぎウールが切れたりして、何回もおさに通し直したり、ママジたちも苦労してここまできました。
このあと、ウールとウールの間隔などを調整して織り始める予定です。
gangaもがんばります〜。

ちあき

ヒマラヤ山中の山里に滞在中、ある農家の庭先に「サグワン」の枝が何本か伐られて置いてあった。
見ると、樹皮から赤い樹液が滲み出していて、これは赤く染まるかもしれないと、もらってきたのだ。
果たして赤色系の色を染め出した。
ただ、堅牢度(色褪せの度合)は未知数なので、サンプルを東京に持ち帰って試験場で検査してもらう予定。

写真3は、今日のデリー工房。
こちらもシルクを赤色系に染めている。
染材は蘇芳(スオウ)。
五日市スタジオでも最近使い始めたスオウだが、もともとこちらインドなどが原産だ。
とは言え、我々が伐採してきたわけではなく、地元の薬種店から入手している。

ところで、糸の右側にある幕みたいなもの。
これはカディであった。
手紡手織の綿布だ。
たまたま、パートナーのニルー工房が、カディを洗って干していたのだ。
カディというと、昨年の「最後のカディ展」を思い起こす人もいるかもしれない。
なんで「最後の」になったのかというと、ニルー大姉が「カディはもうやめる」と言ったからだ。
カディを織っているのは隣州の片田舎なのだが、ニルーはけっこう多量に注文をかけていた。
その中から日本に合いそうなのを分けてもらって、私たちもカディを使ってきた。
そもそもMakiの使用量は微々たるものなので、自分たちだけでは注文できないのだ。
そのニルーが何らかの理由により「もうやめる」と言うので、私たちもこれが最後だと思ったわけ。

ところが、今年もちゃんとあるではないか。
それも私たちの好むような色合いだ。
どうやらニルーの気が変わったらしい。
写真4はカディを荷台に積んで颯爽と出かけるアシスタントのジャグデシュ君。
インドでは何がどうなるかわからない。
諸行無常、有為転変。
いっそのこと今年は「帰ってきたカディ展」でもやるか。




2月11日(金) 印度人も吃驚

金曜日の昼下がり。
静かな工房で、タテ糸職人バウカが真木千秋とともに、粛々とタテ糸を作っている。(写真上)
藍生葉染め糸を多用した、織師シャザッド用のタテ糸だ。

なぜ工房が静かなのかというと、金曜がイスラム教の祭日だからだ。
みんなモスクへ礼拝に出かけている。
織師を始め、インドの職人にはイスラム教徒が多いのだ。

バウカもイスラム教徒ではあるが、そんなに敬虔ではないらしい。
金曜朝になると、いつも真木千秋に尋ねる;
「モスクへ行っていいか?」
すると真木千秋は、「ダメ」と答える。
するとバウカは、「行かないとバチがあたる」と言う。
真木千秋、「大丈夫、バチは私が受けるから」
これが毎週金曜朝の儀式なのだ。

ところで、五日後の2月16日から東京五日市で「2月セール+インドのお土産ちょっと」が始まる。
セールは良いとして、この「インドのお土産ちょっと」というのが気になるところだ。さて、どんなお土産か!?
たとえば;

ガンディー帽。
これは先日(2月8日)シルク地で作ったのだが、綿のカディ地でも作ってみた。(写真中)
先日、南インドの茶綿の里で織り上がったばかりの生地。(白綿)
元来ガンディー帽は綿カディで作られるものだから、カタチもしっかりキマるんである。
コレを、ヨコやナナメに被ったり、バンドを半分下げたり、使い方もいろいろ。女子にもいける。
ただ、図師&丸山の帰国日が明日だから、それまでに幾つ縫製できるか…。

それから、これは昨秋gangaの始め展でも紹介したんだけれども、ヒマラヤ山中の有機ハチミツ。
けっこう好評だったし、自分たちも食べたいから、今回も注文。
デラドンから飛行機を乗り継いで成田まで、かなりタイヘンな思いをして手持ちしたのである。 (デラドン空港では手荷物チェックに引っかかって、次回からはダメと宣告される)
千円で売るのは惜しい気もするが、ま、お土産だからいっか。
このハチミツの詳しいことについてはこちらを参照

さて、タイトルの「インド人もビックリ」だが、カレーの話である。
昨日、今日と、あることを発見したのだ。
インド料理と日本の海藻が合う!!
昨夜、私はパニール・マカニ(カテージチーズのカレー)を食していたのだが、食卓にたまたま美味そうな海苔(真木千秋持参)が載っていた。
出来心で手巻き寿司よろしく、海苔の上にライス、パニール、マンゴーピクルスを載っけて食べたところ、これがイケる!!
そして先ほどの昼食。食卓にダール(豆カレー)があったのだが、それとともに細切り昆布のサラダ(丸山調理)が載っている。また出来心で、その二つを混ぜてライスと一緒に食べたところ、これもイケる!!
インドには海藻を食べるという習慣がないようで、そのため、食卓塩にヨードが添加されていたりする。
カレー+海藻!!
まあ、日本のカレーに醤油をかけて食べる人もいるくらいだから、驚くほどのこともないか。

 




2月12日(土) 服地

日本では雪の三連休みたいだが、ここデリー工房は休みなく稼働。
ま、気候も最高だし、今くらい働いとかないとな。
現在(12:23)、気温19℃。

真木千秋はこの滞在中、ストールばかりでなく、服地の製作にも携わる。
写真上は「艸(くさ)のパープル」。
新色の試織だ。
もともとはストールだったのが、昨年あたりから服地としてもデビュー。
臙脂と、紺と、グレー系で、なかなか好評であった。
二重織りの一種で、しぼしぼの表情が特徴。
裏側にナーシ絹やウールなどを使うことにより、この特徴が現れる。

織っているのは、往年の美男織師ワジッド。
(写真中・真木香のお気に入りであった)
もう二十年近く、ジャカード機でMakiのために織り続けている。
ベテランだけあって、すごくキレイに織ってくれると真木千秋は言う。

もうひとり、二十年選手がいる。
容貌魁偉の織師イスラムディンだ。(写真下・真木千秋の隣)
今は白い空羽(あきは)ストールを織っている。
この冬からその息子イプタカールが機場に加わる。(その隣)
ご覧の通り、ぜんぜん魁偉ではないのだ。(魁偉とは顔がイカツイという意味)
そして、コンパスの違いが、Maki女衆の注目の的。
親子とはチト信じがたい。母親が美形なのだろうか。
右端のタテ糸職人バウカが嬉しそう。

今夜、丸山佳代と図師潤子が三週間余のインド出張を終え、インド航空便にて帰国の途に就く。
最近はさしものインド航空もネットで座席指定ができるようなので、昨晩試しにやってみたが、さてどうなるか。

私と真木千秋とラケッシュの三人は、明日から四日間、インド東北部のアッサム州へ糸探しの旅だ。

 





2月19日(土) アッサム土産

五日間にわたるインド北東部、アッサムの滞在を終え、昨夜デリーへ。
(真木千秋とラケッシュは一足先に帰って、それぞれの営みに戻っている)
これは私たち二十余年のインド体験の中でも実にめくるめくものであった。
その様子はこちらに連載中!!

糸と布のお土産、たくさん。
(それとアッサムティーも少々)
かなり重量オーバーであったが、空港カウンターのお姉さんが見逃してくれる。

まだ二月だが、首都デリーは毎日五月晴れ。
その中で持ち帰った布を水で洗う。
ムガ蚕の布(左)と、エリ蚕の布(右)。

春風にへんぽんと翻るアッサムシルク。
空気がカラッとしているから、たちまちのうちに乾く。
この布をどうしようかいろいろ思案の真木千秋であった。

なお、いまだ冬の真っ最中であるらしい竹林では、こういう催しが行われているのでお見逃しなく。

 


2月23日(水) 犬の名は

デリー工房をいったん切り上げて、ganga工房に来た真木千秋と私。
私の場合、今回のお目当ては、実は犬であった。
2月5日の記事にもあるとおり、工房に新メンバーが増えた。
犬だ。
ボティア犬というチベット種の牧羊犬。
かなり大きくなって、番犬には最適だという。
で、次回以降、不審者と思われないように、子犬のうちにしっかり私の存在を刷り込んでおこうと思ったのだ。

二週間の間にかなり大きくなったと思う。
それでも、長い毛足のムクムクしたところは変わらない。
こんな子犬もなかなかいないと真木千秋。
ラケッシュは、予防注射をしたり虫除けシロップを毎日飲ませたり、かいがいしく世話をしている。

ボティア犬の性格は、昼間ゴロゴロ、夜にはシャキッ!なんだそうだ。そのあたりが牧羊犬たるゆえんであり、番犬にも最適とされるのだろう。
この子犬たちも、番犬としての適性は未知数だが、昼間ゴロゴロに関しては確かにボティア犬の血筋だ。

で、その名前なんだが、ラケッシュは日本の名前を、と言う。
それで自ら、二つ合わせてコロリンと呼んだりしている。ツートンがコロで、黒がリンだそうだ。
私は黒い方を熊五郎と呼んでいる。熊みたいだからだ。ツートンの方はつきあいで松五郎。

写真下は、夕暮れの光の中、サビータ(ラケッシュの妹)の足許でゴロゴロする子犬たち。
サビータが巻いているのは、先日、アッサムから運んで来たエリ蚕糸だ。さっそくganga工房で使ってみようというわけ。
サビータの横には幼い息子が眠っている。

しかし、我ながら、人間の子供より犬の子供のほうが可愛く感じるというのは異な事だ。
さだめし、これが犬族の生存戦略なのであろう。

 




  2月23日(水−夜) エリシルク・ヴェスト

アッサムから戻って一週間余。
そのとき見つけて持ち帰った糸から、もう試作品ができた。
エリ蚕糸のヴェストだ。
ほかに手紡ぎヒマラヤウールを10%ほど。

エリ蚕糸は生成。
ウールはタテにグレーを入れて細いストライプ。
それから白ウールをキングラで染めてアクセントにしている。
キングラというのは先日山村から持ち帰った木の根だ。

今までこの種のヴェストはウールだった。
それをシルクにしたことで、ぐっと高級感が増す。
試着した真木千秋の顔にもそこはかとない満足感が…。

どっちにしろ、アッサム行きをけしかけた私としては、その成果が生かせるというのは欣快の至りである。(ハズレも多いので)
他に茶綿を合わせた作も企画中。
 

2月24日(木) アッサム・チェック

2月7日の日記にも書いたが、新作のストールを織り上げても、名前をつけるのが一苦労。
ところがここにひとつ、織り上がるずっと前に名前のついた作がある。
「アッサム・チェック」だ。

アッサム滞在の三日目(2月15日)。
ムガ蚕とエリ蚕の糸を手にした真木千秋が、「もうデザインができた」とつぶやく。
どんなデザインかと聞くと、ムガ蚕とエリ蚕によるシンプルなチェック、というから、その場で名前もシンプルに決まったというわけ。

上写真は昨日、この新作のタテ糸を作る工房長サンジュ。
言うまでもなく、白(生成)がエリ蚕、金色がムガ蚕だ。
こんなにふんだんにムガ糸を使うのも当スタジオ初のこと。
しかも、どちらも手作り糸だ。

下写真は今日、サンプル織りをルーペでチェックする真木千秋。
サンプル織りだから、タテ糸は同じだが、ヨコ糸に様々な工夫を凝らす。
そうして最適な配合を見つけるわけだ。

この「アッサム・チェック」は、昨日の「エリシルク・ヴェスト」とともに、四月に竹林で開催予定の「gangaの春」展にてお目見え予定。

 






3月7日(月) 雪見ティー

昨日から雨の予報。
朝、起きだして外をチェックすると、一面の銀世界!!!!
雪国の人にはどうということもあるまいが、インド帰りの身としては嬉しいものだ。
特に昨日帰国の真木千秋やラケッシュにとってみれば、ちょっとしたプレゼント。

たまたま店に遠来の客があったので、カフェでティータイム。
「どのお茶にしますか」とスタッフが聞くので、アッサムティーを所望する。
先月、本場アッサムで購入し、はるばる運んできたものだ。
まだ一度も淹れたことがないので、さてどんな味だろう。
そんなに期待していなかったのだが…
ウ〜ム、なかなかイケる!!
シンプルなミルクティー。
竹林の雪を眺めながら、まことに甘露であった。

午後のティータイムには、ラケッシュが淹れてくれた。
彼はひとひねりして、ミルクのほかに生姜とカルダモンを入れる。
マサラチャイだ。
インドから持参のスウィーツがお茶菓子。

4月の「gangaの春」展でみなさんにふるまおうか…
と思ったけど、1kgしかないからなあ。
その前に飲み尽くしてしまうかも。

 

3月8日(木) ケガの新作

昨日、帰国した真木千秋とラケッシュ。
今日は二ヶ月ぶりの竹林スタジオ出勤だ。
勢揃いしたスタッフに、さっそくインドから携えてきた様々な布を披露。

今回、ひとつ特別な布がある。
「ミュージアムピース」の裂き織りだ。(写真上)
ミュージアムピースというのは、ここ十数年間、南インドのカルナタカ州で手織りしてもらっている家蚕生糸の織物だ。
独特の張りのある薄手の服地として長年、重宝してきた。
ところが、この冬、織元から届いた布は、少々違っていた。
衣を仕立てるには薄すぎるのだ。
さりとて、突き返すわけにはいかない。突き返したら、もう二度と織ってはくれまい。
そこで一計を案じた真木千秋。
そうだ、裂き織りにしてみよう!
ミュージアムピースを草木で染め、限界まで細く裂いて、少し撚りをかけ、ヨコ糸にして織り込む。
タテ糸は赤城の節糸
ぜいたくな素材を使った絹100%の織物だ。
ちょっと「苧屑ざっくり」を思わせる風合い。
服地にならないミュージアムピースがあったからこそできた一作だ。
この先、織られることもあるまい。
写真上はその使い道をいろいろ考えているMakiの面々。

写真下は、ケープヴェストを羽織る面々。
柔らかいエリ蚕糸をベースに、ウールや茶綿糸を入れてふくらみを出している。
エリ蚕を使うのは事実上、今回が初めて。
今までMakiにはなかった肌触りだ。
サイズやパターンもいろいろ。
おいおいブログで紹介されることであろう。

 




3月9日(金) 松屋展示会

本日より銀座松屋百貨店での展示会。
タイトルは「春の光を織る」。
銀座見物がてら、五日市から真木千秋始めスタッフ7人が「上京」。
昔からのお客さんたちとともに、かなりにぎやかな初日だった。

松屋で初めて展示会をしたのは、18年前の1993年であったかと思う。
場所は7階「遊びのギャラリー」。
広さ四畳半くらいの小さなスペースだった。
その後、基本的に毎年春と秋、二回ずつ展示会を開催。
会場は、ほどなく、お隣の「シーズンスタジオ」に移る。こちらは6畳ほど。

そして19年目の今年、店内が大幅に改装される。
かつての「遊びのギャラリー」&「シーズンスタジオ」は無くなり、ひと続きのコーナーとなる。そこにヨーガンレールの常設店舗「ババグーリ」が店開き。

その北隣、小さなギャラリースペースだったところが一新され、改めて「遊びのギャラリー」としてオープン。
こちらが今回からの展示会場となる。
広さは今までの二倍。
真新しくてキレイ、ゆったりとショッピングが楽しめる。

「今回からの展示会場」と書いたが、それはいささか希望的観測なのである。
というのも、今まで二つの会場で展開していた各作家の展示会が、ここひとつに集約されるからだ。
今回はたまたまMakiもやらせてもらったが、この先も今まで通り年に二回できるという保証はない。
松屋で展示会を催したい工芸作家はいっぱいいるのだ。
ま、そういうことは神のみぞ知るで、我々はただ淡々とやるのみである。(と言いつつもかなりぐゎんばっているが)
展示会は22日(火)まで。

 




3月15日(火) モバラコ!!

モバラコとは「おめでとう」という意のヒンディー語。
めでたいことのあまりない今日このごろ、Maki Textile にひとつ、めでたいことがあったのである。
糸が着いたのだ。

着いたと言っても五日市スタジオではなく、遠くインドのganga工房。
そして糸とは、アッサムのエリ蚕糸だ。

先月、インド東北部、アッサム州にでかけたことはここに記した通り
そのとき、ディパリという婦人に出会い、当スタジオ専属の紡ぎ手(スピナー)になってもらう。2月15日のことだ。
日本ではおそらくここで「めでたし」なんだが、インドではなかなかそういうワケに行かない。
なにしろ悠久の亜大陸に住むのんびりした人々だ。
はたして、千数百Km離れた僻遠の地から、本当に糸が届くのか!?

それが、届いたのである。
ディパリと会ったちょうど一ヶ月後の今日、3月15日。
重さにして10Kg近く。
わずか一ヶ月だ。これはインドとしては異例の速さではないだろうか。
gangaの工房長サンジュが、すぐメールと写真で知らせてきた。(写真右)
アッサムから発送して、到着まで一週間ほどかかっている。
写真を見た真木千秋「なかなか良さそうな糸!!」と満足げ。
この裏にはもちろん、蚕糸指導員レヘマンの努力があったのは言うまでもない。
やはりちゃんと仕事をしてくれる男だったのだ。

そういうわけで、めでたい!! モバラコ!!
アッサム・ティーで乾杯するMakiの面々であった。

 




3月16日(水) ともしび

夕方の六時半過ぎ、突然、電灯が消える。
予告されていたこととは言え、じつに、あっさりと消える。
用意していたロウソクに火を灯す。
中サイズのロウソクだが、けっこう明るいものだ。
外に出ると、あたり一面、ほの白い月明かりが敷きつめられている。

一本のロウソクのもと、真木千秋+ラケッシュと三人で夕食を摂る。
なんとなくクリスマス。
そういえば、ラケッシュの母方祖父母の家には電気が来ていない。
ヒマラヤ山中の僻村。
毎夜、ランプの灯の中で夕食だ。
ちょっと前の日本でも、これがごく普通の生活だったのだ。

食後、お茶をしていると、突如、電灯が点る。
あまりに明るく、そして、フラット。
その光の三割は、原子力に由来するという。
たまらず消灯し、ロウソクに戻る。
外を見ると、しかしながら、街灯によって月明はかき消されている。

ロウソクの灯というのは、なんだか手紡ぎ糸のようだ。
布にしても電気にしても、湯水のごとくに消費するものではあるまい。

 



3月25日(金) 「ganga & maki の春」は5月!!

1月末に当スタジオから案内状をもらった人、ご記憶だろうか。
「4月16日 — 4月24日・ganga & maki の春」という展示会予告が掲載されていた。
その催しに向け、インドで製作に励んできたのである。
しかるに、このたびの災害。
計画停電によってJR五日市線の運行もままならない。

そこでご案内。
「ganga & maki の春」は5月1日(日)から開催!!
5月になれば計画停電も解除になるらしい。
織物作品のほか、ヒマラヤ料理や講座などいろいろ企画しているのでお楽しみに!!
4月5日(火) 茶綿糸!!

昨日、インドから茶綿糸が届く。
いやぁ、長かった〜

南インドに茶綿の里を訪ねた
のが、今年の1月中旬。
そのとき、糸と布を注文してきたのだ。
糸は二種類。縮れた強撚糸と、普通撚の糸。
糸については、二週間もしたら送るよ、と茶綿組合事務局長のアブドル氏。

ところが、一月経っても届かない。
何度も催促の電話をかけるが、その度に、明日送るとか、今週中に送るとか…。
あるときなど、「先週送ったのに戻ってきてしまった」とか。
ホントかよ!? それも一月以上前の話だ。

ラケッシュいはく、前払いしなかったのがまずかった、とのこと。
お金をもらえば、いくらのんびりインド人でも、やはり気になって仕事するんだそうだ。
事実、前払いしてきたアッサムのエリ蚕糸は一ヶ月以内に第一便が届く。
あと、ウチの注文があまりに少量だから、きっと後回しにされるのだろう。
「でもそのうち届くよ」とラケッシュ。

その言葉通り、二ヶ月半の後に第一便が届いたのであった。
縮れた強撚糸。
オーガニックの茶綿糸だ。
まずは目出度い。
さ、これをどう使っていくか、今後が楽しみだ。
 


 


4月18日(月) 長安の土布

今、唐の長安にいる。
陝西省(せんせいしょう)西安市だ。
新井淳一氏の弟子である鄭暁紅さん(北京人民大学副教授)の依頼で、当地に講義に来たのだ。

中国の染織事情には疎いのだが、調べてみると、生糸や綿花の生産高は世界一。意外なことにカシミヤ原毛の生産高も世界一だそうだ。
言うまでもなく中国は絹の故地であり、シルクロードの出発点もここ西安。

私ぱるばは昔から、中国の「土布」を愛用している。手紡ぎ手織りの木綿布だ。
やや厚手の生地で、盛夏以外はまことに心地良い。
上下あわせて十点以上所持している。
実はインドでも探してみたのだ。こういう布を。
インドは木綿の母国だから、同様の生地が存在するに違いない。
二十年間にわたって探したが、ついに見つからなかった。
理由は簡単。インドには暑すぎるのだ。

当地西安に来て、つれづれに鄭さんに尋ねてみた。どっかで土布を織ってないだろうか、と。
すると鄭さん、さっそく西安美術学院教授で土布研究者の趙農さんにコンタクト。昨日、趙農さんの案内で行ってきたのである。

場所は西安から東方へ車で一時間半ほどの許家荘村。
名前からしていかにも中国の農村だ。西安に比べ、空気も良いし、のんびりしている。
土壌の痩せた寒村であったところから、村人達が織物協同組合を作り、木綿の手織りに勤しんでいる。
組合に行ってさっそく織物を見せてもらったところ、化学染料で染めた機械綿糸を使った織物で、あまり面白くない。
手紡ぎ糸を使った織物はないのかと言ったところ、奥から一枚サンプルを持ってくる。ヨコ糸は手紡ぎ、タテ糸は機械紡糸の、生成布だ。悪くはない。
更に、タテヨコ手紡ぎの布はないのかと言ったら、しばらくして奥から持って来た。

まごうことなき生成の土布だ。(写真右上)
綿花も同村で栽培し、糸車で紡いでいるという。
織りの便宜のため、バリバリに糊付けされている。
二十年来の捜し物についに出会ったという感じ。
すぐに持って来なかったところを見ると、村人達はその織物の価値をそれほど感じていないのであろう。
サンプルにと、一反十数メートル買い求める。織幅は60cmほどだ。
同村では茶綿も栽培しているという。

各家庭には小さな機が置いてあって、農婦たちが機織りに励んでいる。
その杼がなかなか面白い。(写真右下)
丸っこい形で、ナツメの木でできているという。
ナツメ材は堅くて滑らか、使っているうちにツヤが出て良いのだそうだ。
それも譲ってくれと言ったのだが、使用中だからダメと言われる。
ともあれ、はるばる西安まで来た甲斐があった。

 




 

4月23日(土) 信州上田・アグリカフェ

長野県上田市の「月のテーブル」。
これは私ぱるばの実家なのであるが、愚妹・田中惠子がカフェギャラリーを運営し、当スタジオの作品も扱ってきた。

このたび惠子長女の明緒(あきお・すなわち私の姪)が加わり、名前も「月のテーブル」から「アグリカフェ・あまてる」に改め、再スタートを切ることに。
惠子が今まで通りギャラリーを運営し、明緒がカフェを担当する。
自家の田んぼで米を作り、畑で無農薬野菜を育て、ランチなどを提供したいということで、アグリカフェ。
アグリカルチャー(農業)+カフェという意味。

4月29日オープン。
カフェスペースではMakiの小物も含め、手工芸品も並ぶ。
蔵を改造したギャラリースペース「さ蔵」ではMakiの展示会も企画。
詳しくはこちら

 



 

4月28日(木) 映像トーク!

5月1日(すなわち三日後)から始まる maki+gangaの5月 展の特別企画「田中ぱるばによる映像トーク」。
これは一日二回あって、午後1時と午後3時から、それぞれだいたい一時間。
今回は前と後とで出し物が違う。
午後1時からは「野蚕の大地・アッサム」。
午後3時からは「gangaの原点、ヒマラヤの山村」。
どちらも今年の新春に訪ねた場所で、世界初公開の映像だ。
現在、その編集作業に勤しんでいるところである。

最近は海外からもお呼びがかかり、先週は中国の古都・西安で映像トークをしてきた。
もちろん中国語はできないから、通訳付の日本語講演。
おかげさんで、彼の地のご婦人たちにも楽しんでいただけたようで、多少なりとも日中友好に貢献できたかな。

5月1日から8日まで毎日上演(!)。
入場無料。
ただし、初日だけは諸般の事情から、午後12時と1時から。
場所は竹林母屋の二階。(晴れてると暑いかも)

 





5月2日(月) 雨天結構!!

ゴールデンウィークはタケノコのシーズン。
ここ竹林でも、孟宗のタケノコが顔を出した。
今しがた掘って、即、茹でたところ。
ウマそう!
しかし、おあずけである。
パーティ用なのだ。

明日夕刻ここ竹林で「maki+gangaの5月」パーティがある。
パーティったって、焚き火の周りで太鼓叩いて踊るだけの話だ。
たまにゃそういうのも良いだろう。
それから、日頃のご愛顧に感謝して、夕方以降、飲み食いタダ。
日頃ご愛顧してない人も、まあこの際まとめて面倒見よう。

天気予報を見ると、明日夕刻、空模様が怪しい。
しかし、シェフ・ラケッシュは既にタンドーリチキンを仕込んでいる。
ラケッシュがシェフに戻るのは久しぶりのことだ。
こうなったら雨天決行だ。
東北の詩人も言うではないか、「雨ニモ負ケズ」!
(写真・大村風生)

 



5月5日(木) 藍+香菜+米

藍の種を蒔く。
微妙に難しいのだ、この作物。
去年は3月と4月に蒔いたが失敗。5月中旬に蒔いたのが成長した。
一昨年もやはり5月中旬のが成長。
さて、5月初旬のはどうなるか!?

ついでにコリアンダー(香菜)も収穫して、ラケッシュにプレゼントする。
maki+gangaの5月 展のランチに使うのだ。
昨年秋に蒔いて、冬を越したコリアンダーだ。
ラケッシュは「美味しい」と言っていた。
あの強烈な香味野菜にも味の違いはあるんだろうか?
今回のランチ、まだ食べていないので、明日あたり試してみよう。

そうそう、昨日、主食のインド稗(ヒエ)が底をついた。
このゴールデンウィーク、けっこうカフェが盛況だったのだ。
それで急遽、愚父に米を頼む。
早速、精米された米30kgが届く。
手前味噌(米)じゃないが、けっこうイケるのだ。
よって、明日からインドランチの飯は信州上田のコシヒカリ!

5月6日(金) ランチの出来栄え

今回のイベントで初めて、ヒマラヤ・ランチを食べた。
弊社会長としてはきちんとチェックを入れないとな。
映像レクチャーの終わった2時過ぎに、カフェに入る。
厨房に立っていたスタッフに、まだランチある?と聞くと、まだあるとのこと。
今日のランチは美味しいですよ、とそのスタッフ。
まあ、不味いとは言わないだろうな。
一見すると、いつものランチとそう大差ない。
巷のインド料理に比べると視覚的にかなり地味。
何の期待もなく淡々と食べ始めると、しかしながら、確かに美味しい。
ひよこ豆のカレーだ。
青菜とタケノコ料理が添えられている。
こんなの毎日出してたらお客さんもきっと喜ぶだろう。
すこぶる満足してカフェを出ると、チャイハウスにシェフ・ラケッシュの姿が見える。
ラケッシュ、美味しかったよ、と声をかけると、私も美味しいと思いました、との答え。
自分でも出来栄えに満足していたようだ。
しかしながら、逆を言えば、美味しいと思わない時もあるということだ。
まあ確かに人間、何につけ出来不出来はあるものだ。
会長としては、また明日もチェックを入れる必要があるな、と思うのであった。

5月7日(土) 竹林のピクニック

「maki+gangaの5月」展も余すところ二日。
今日は信州松本から木工作家の三谷龍二さんが来竹。

三谷さんと言えば、青山店時代にはよく作品展をしてもらった。
そういえば、青山店最後の作家展も2006年2月「三谷龍二・雑木の器」展であった。
以来五年たって、今秋、竹林で初めての三谷展開催!!
その打合せもあっての来訪だ。
今秋と言っても、まだ夏の余韻も残る9月10日初日。
タイトルも決まった。
「竹林のピクニック」。

三谷氏の作品展示のほか、ラケッシュのピクニックランチを氏の器に盛って提供。
右下写真は、その食器のアイデアを三谷氏がスケッチしているところ。
これから料理に合わせて製作するのだという。
これは見逃せまい!
真木千秋の布もそれにからむらしい。
詳細はまた追ってお知らせ致そう。

ところで、三谷氏といえば、毎年五月末にある「松本クラフトフェア」の仕掛人として有名。
同フェアは今すっかりメジャーになり、出展希望者も増え、競争率はなんと6倍だという。
腕利きのプロ作家もゴロゴロ落選している。
しかしながら、当落は三谷氏の責任ではないらしい。氏は現在、フェアには関係していないのだそうだ。(当落は選考委員の市民六人が決める)
真木千秋が出展した1990、91年当時は、希望すれば誰でも出られた。
古き良き時代である。

 





5月11日(水) パシミナ

先日の8日、「maki+gangaの5月」展が、無事終了。
ホッとする暇もなく、明日から真木千秋+ラケッシュ+私ぱるばはインドだ。
今回、私の渡印目的は、ズバリ、パシミナ!!

真木千秋は二十数年前インドに渡った時から、手紡ぎのパシミナ糸に関心があった。
インドのパートナー、ニルーからサンプル糸をもらったが、入手先はわからなかった。
右写真がそのときニルーからもらった手紡ぎパシミナのサンプル。
淡青色に染色してある。

一昨年、ganga工房でヒマラヤウールを使うようになった。
makiにとっては初めての手紡ぎウールだった。
手紡ぎウールで思い出したのが、パシミナ。
ganga工房のあるウッタラカンド州の北、ヒマーチャルプラデシュ州やジャンムー&カシミール州まで行けばあるという。
カシミールというのはカシミアの語源だ。
それで今回はカシミールの東部、ラダックまでパシミナ糸を探しに行くことになった。
さて、その首尾やいかに!?

 


 

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