絲絲雑記帳

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竹林日誌 10前/09後/09前/08後/08前/07秋/07夏/07春/06秋/06夏/06春/05秋/05夏/05春/04秋/ 04夏/04春/03秋/03夏/03春/02後/02前/01/99-0
0/「建設篇」


1月3日(火) 迎春2012

謹賀新年!!

様々な情報によると、今年は地球全般において変容の年になるらしい。
Maki Textile においてもその例にもれず、きっと変容の年になることであろう。
更に精進を重ね、もって、微力ながら、世の安寧に資せんと欲するものである。

で、今、いろいろ準備に勤しんでいるところ。
それについてはまた当HPでおいおいお伝え致したい。

というわけで、今年もよろしく!!

(写真はヒマラヤ・冬の朝)

 


1月4日(水) 餅の手紡ぎ手織り

明日真木千秋がインドに向かうので、壮行会で餅を焼く。
ま、壮行会じゃなくても焼くのだが、ともあれインドでは食べられない日本の味だ。
特筆すべきは、これは普通の餅ではないということ。
私ぱるばが先日、実家で手搗きしたのだ。
久しぶりに臼と杵で搗いた。
それを、写真のごとく火鉢で焼く。こんがり焦げ目が香ばしい。
やはり手搗きの餅は味が違う。ふくよかで、コシがあって、不均一。
かなりゼイタクな食べ物のような気がするが、考えてみると、数十年前まではみんなコレだったのだ。
なんだか手紡ぎ手織りの布を思い出す。

 


 

1月6日(金) 明日からハギレ市

真木千秋は昨夜無事インドに到着。
今日からデリー工房で布作りを開始だ。
始めのうちは「暖か〜い」とか申していたが、やはり3時間も外で仕事すると冷えてくるようだ。湿気のある寒気である模様。

一方ここ竹林は、冬晴れの中でハギレ市の準備。
寒いけれどもカラッとしていて気持ち良い。
Makiの初売りであるからして、力も入る。

今年のハギレは点数約850。価格は500円〜24,000円。最多価格帯は千〜二千円台で、数枚のハギレのセットになっている。その他、10枚300円というミニハギレも。
福袋は百点。ストール袋が1万円〜1万5千円。服袋が5千円〜1万5千円。袋の口から中がチラッと見えるようになっている。

母屋一階では反物市。(写真下)
80点ほどの反物が通常の約3割引。

その他、沼田みよりさんの靴下や、久々お目見え・飯田さんの椎茸、そして初登場・八重岳ベーカリーのクッキー(写真左)など楽しいものいろいろ。
このクッキーは、ルヴァンで修業した我が友人たちが沖縄で焼いているもので、素材の味がよく生かされている。ご賞味あれ!

 





1月8日(日) 蛍石の差し糸

ここ竹林はハギレ市たけなわだが、インドでは真木千秋が布作りに励んでいる。
以下は昨日届いた便りから。

「フルオライト」というストールがある。蛍石という意味だ。
輝くばかりの春繭糸をふんだんに使うので、出来上がった布が蛍石のごとき光沢を示す。それでフルオライト。
そのタテ糸に使う糸々だ。
ヨコ糸なら織りながらいかようにも調整できるが、タテ糸は一発勝負なので相応の気合が必要なのである。

地はグレー。ザクロやメヘンディ(ヘナ)で染めたものだ。(写真右上)
その地色に様々な色を差す。すべてインドまたは日本の草木で染める。(写真右下)
左上から、青紫はログウッド、ピンクはスオウ、赤紫はラックダイ、黄色はフクギ(沖縄)、青はインド藍、緑はフクギ+藍生葉、水色は藍生葉。(この藍生葉は私ぱるばの育てたもの)
糸は、竹林で座繰りした春繭糸、上州赤城の座繰り糸、南インドの家蚕糸、東インドの家蚕黄繭糸。
「ヨコ糸を入れるのが楽しみ♪」と真木千秋。


竹林では囲炉裏が大活躍だが、インドの機場では暖房の主役は火鉢。真っ赤に燃える炭火を入れ、手を暖めながら作業する。
インドにはインドの寒さがあるのだ。
温かいチャイが有難い。

 






1月10日(火) ganga便り「アーモンド」
by 真木千秋

 ナマステ、みなさんこんにちは。
 1月5日に渡印し、一昨日gangaに移動しました。
 ラケッシュはじめganga工房のメンバーもみな元気です。
 さすが、ヒマラヤの麓、首都デリーに比べて空気が良いです。そして寒い!
 …と思って温度計を見てみると、午後3時頃で18度もあるのです。
 ラケッシュいわく、ヒマラヤからの冷たい風が吹いてくるので寒い、ということ。
 それでも工房のまわりの麦畑はまぶしいくらいきれいな緑色です。

 さて、今日二本、タテ糸をつくりました。
 ひとつは、パシミナのショールのタテ糸です。今から織るともう冬が終わりなのですが、もっと大きいサイズが欲しいという声があるし、実は私も一枚大きいのが欲しいのです。今日のところは4枚分にしました。
 今回パシミナの糸は、ラダックでお願いして、小さなスピンドルで手紡ぎしてもらったものです。それを二本引き揃えて使う事にしました。
 ラダックからやっと届いた糸を管に巻き取っていくと、中にはアーモンドが...。(写真左上)。気づくとそれを巻き取っていた織師のマンガルが、「甘い甘い」と言いながら食べていました。パシミナの糸の芯のアーモンド、ラダックでは貴重品ではないかと思います。タテ糸60~65cmくらいの幅になる予定です。(写真左下)

 もうひとつは、ラックダイで染めたエリシルクと、茜で染めた手紡ぎウール(写真右上)で、幅の狭いマフラーを。
 30cm幅で180cmくらいに織る予定です。これも4枚ほど。
 春に向かって、ウールの割合を減らし、エリシルクをぐっと増やしてみます。(写真右下)

それではまた、お便りします!
真木千秋より




1月11日(水) ganga便り「メティのチャパティ」
by 真木千秋

冬のインドは緑野菜がとても豊富です。
ganga工房の畑は、また以前より大きくなっていて、毎日穫りたての野菜をいただいています。

今日は、メティ。冬しか食べられない野菜です。(写真右上)
クローバーのような葉っぱに、たくさんの鉄分が含まれているそうです。
少し苦みがあっておいしいのです。
それを小さく切って、全粒粉にアジワインという香辛料を少し混ぜこんで、
メティ・チャパティを焼いもらいました。(写真右下)

朝食はメティチャパティとゴビマタール(カリフラワーとグリーンピースのサブジ)。
お昼にはジョンゴールという雑穀に豆のカレー。
帰国までに太らないようにしたいのですが、むずかしそうです....。

まきちあきより

 





1月12日(木) 社名変更

朝、スタジオの電話が鳴る。
発信先表示を見ると0120から始まっている。
「もしもしぃ」
若い男の声だ。周囲の雑音からすると、営業の電話らしい。
「マキ・テキスト・スタジオ様ですか?」
テキスト・スタジオ!?
初めて聞く名前だ。

それで私は応えた;
「テキストじゃなくてテキスタイルです」
勝手に電話をかけてきて相手の社名を間違えるなど言語道断。
カタカナなんだからキミでも読めるだろう。
これでミッションも失敗と心得るべきである。

ま、しかしながら、社名も問題かもな。
テキスタイルなんて英語、使う方が悪い。
織物という立派な日本語があるではないか。
ついでにスタジオもだ。工房で良いじゃないか。
しかるがゆえに、社名変更。
真木織物工房!!

う〜ん…
どっかの山中で、つうが着尺を織っているような雰囲気だな。
ちょっと考えよう。

1月13日(金) ganga便り「鬱金」
by 真木千秋

久しぶりにヒマラヤ山中の村からラケッシュ母方の祖父母が里に降りてきました。
一年ぶりの再会でした。

ずっと村で暮らしている祖母は、素足にサンダル履き。
孫たちが心配していました。
ですが、祖母はへっちゃらで、「この足があるからごはんが食べられるのよ。畑に裸足ではいるからおいしいウコン(鬱金)やら豆、野菜がたくさんできるよ」と言って笑っていました。

昨日も山から降りてきたばかりなのに、早速gangaの畑で育ったウコンを収穫。(写真上)
これも祖母が去年植えたものです。

収穫後には、仕分けをします。
また植えるものと、ターメリックパウダーをつくるものと。
仕分け作業の後に、また今年のうこんを畑に植えていました。

今日は朝から、染め場の隣でウコンを茹でました。
茹でて、湯が少しさめたら取り出し、鉄の器に重たい鉄の棒で、ひたすら半殺しにしました。(写真下)
明日筋肉痛になりそう。
うこんのいいかおりがただよって…。
それを広げて干しました。

それが完全に乾いたら、粉にして、ターメリックパウダーのできあがり。
インドで最も基本的なマサラ(調味料)です。
毎日のごはんがさらに美味しくなりそう。

まきちあきより

 









 
1月20日(金) ganga便り「ラナさんの羊」
by 真木千秋

数日前、gangaにラナさんの羊の毛が届きました。

なんともほわっと柔らかい毛の玉が…。
カーディング後、紡ぐ前の状態が左写真の上と下。

左上写真のグレー色は、羊の毛そのままの色です。
白と黒を混ぜて作ったグレーではありません。

細めに紡がれたこげ茶色。(右下写真)
柔らかくてそして濃い色がうつくしい。

註)
ラナさんとは、チベット系インド人のビシャン・ラナ氏。
工房の織師マンガルと同じく、牧羊の村・ハーシル出身。羊群を所有している。
昨年9月にぱるば一行がハーシルを訪れた際、知り合いになる。
詳しくはこちら


1月23日(月) ganga針場の夕べ

インド北部、ganga工房。現地時間18:44。
私ぱるばは先ほど、バンコク経由で到着したところ。

日々変化を遂げる工房。
一番最近の展開は、一画に針場ができたこと。
針場というのは縫製所で、専門のテーラーも二人加入した。
そこにみんな集まり、何やら相談している。

竹林が引っ越したような風景だ。
左から、大村恭子、真木千秋、図師潤子、サリタ(ラケッシュ長姉)、秋田由紀子、ラケッシュ。
カディ(手紡ぎ手織り木綿)のハンカチを作製しているのだ。
薄手のカディを二枚重ねて正方形に縫製する。
そのステッチの検討だ。

ラケッシュの頭上にあるのが温度計。
ただいま20℃。
だから、暖房もないし、扉も開けっ放し。
でもやっぱり冬だから、寒く感じる。(温度計が壊れているというウワサも)
それでみんな、ウールのセーターやパシミナマフラーを使ったりしている。

 


1月24日(火) 羊エリ混紡

ganga工房では日々、いろいろ面白い試みが。
たとえば混紡。
異素材の繊維を混ぜて糸を作る。
今日ご紹介するのは、ウールとエリ蚕の混紡だ。
ウールはヒマラヤ地方で遊牧されたもの。
エリ蚕はアッサム州から真綿の状態で送ってもらった。

混紡のためには、まず梳毛器(そもう=カーディング)で梳(くしけず)る。
しかしエリ蚕は長繊維だから、そのままでは梳毛器にかからない。
まず、真綿をハサミでちょきちょき切って、手でほぐす。
その後、両素材を混ぜて、梳毛機で梳る。

上写真は昔ながらの梳毛機を使う糸紡ぎスペシャリストのバギラティ。
前のボウルに入っている綿が、できあがり。
触ってみるとフワフワして誠に心地良い。
これは、グレーの羊毛にエリ蚕を混ぜたものだ。
配合比率は五分五分。
真木千秋いはく「こんな楽しい作業はない。ずっとこれだけやっていたい」。

少量の梳毛なら手でやる方が早い。
量が多くなると、機械で梳毛する。
今回そのために、わざわざ日本から電動梳毛機を運んで来たのだ。

そうしてできた綿から、バギラティが紡いでいく。 (下写真)
エリ蚕は繊維が長いから、ウールだけで紡ぐよりも、だいぶ細い糸が紡げる。
またエリ蚕はそもそも、シルクの中でも最も柔らかい素材だ。
紡ぎ上ががった羊毛エリ蚕混紡糸は、えもいわれぬ柔らかさを湛えている。
「早く織ってみたい!」と真木千秋。
配合比率を変えるなどして、研究中である。

 



1月25日(水) ヨガ・ケープ

今日できあがった新しいケープ。
名づけて「ヨガ・ケープ」。
エリ蚕糸とヒマラヤウールで織り上げた。
折り返し織り。

昨春、やはりエリ蚕とウールでケープを作製し、お陰様で好評を頂く。
今回は、エリ蚕の配合比率を変えて作ってみた。
ちなみに、昨日の記事はエリ蚕と羊毛の混紡糸の話で、糸の段階で混ぜている。
このケープはエリ蚕糸と羊毛糸で織ったもので、これは交織と呼ばれる。

サイズは前回より少々長く、ゆったりしている。
色は前回は生成の白だったが、今回はエリ蚕をグレーに染め、秋にも着られるようにした。
エリ蚕糸の効果で、写真のような優雅なドレープが現れる。
なにより、軽くて温かい。
両脇にヒモがついている。(写真下)

名前の由来である「ヨガ」。
これは、真木千秋が毎朝ヨガを実践しているからだ。
まだ寒いのでショールを羽織ってヨガをするのだが、ポーズによってはショールがズリ落ちてしまう。
その点、ケープだと気楽なわけだ。

ま、わざわざケープをしてヨガをする必要もないのだが。
ヨガをしない人も、もちろん大丈夫。
ちなみに、ganga工房に一番近い街であるリシケシは、ヨガの聖地として日本人も多く訪れる場所でもある。

 

1月26日(木) 旗日

今日1月26日はインドの祭日。共和国記念日だ。
1950年にインドの憲法が制定された、その記念日。
国民の休日である。
首都デリーの工房では「働いたら逮捕される」とか言って誰も働かない。
しかしながら、ここganga工房では、真木千秋が滞在していることもあって、休日出勤だ。
始業に先立って国旗掲揚および国歌斉唱。

インドの法律により、国旗は綿カディ(手紡ぎ手織り)布で作ると決まっている。
さすがガンディーの建てた国だ。
工房の国旗は、一昨日、ラケッシュが街で購入してきた新品。
ガンディー帽をかぶった私ぱるばが代表して掲揚する。(上写真)
マリーゴールドの花びらが包み込まれており、旗が開くとハラハラ舞い散る仕掛けになっている。
ついでに国歌の作詞はラビンドラナート・タゴールだ。

中写真は午後五時。
夕方の光の中で、真木千秋とバギラティがストールを触っている。
パシミナと柞蚕(さくさん)の交織だ。
柞蚕とは中国の野蚕で、タッサーシルクの近縁種。
日本で良い柞蚕糸が手に入ったので、パシミナとともに織ってみる。
今回は六枚作るが、その第一作が今日マンガルの手で織り上がり、バギラティが仕上げをしたところ。
真木千秋と二人でフリンジを整えている。
柞蚕糸を入れることで、パシミナの柔らかさに野蚕特有の光沢が加わる。

下写真が織師マンガル。
パシミナ柞蚕ショールを織っているところ。
左右でタテ糸の位置が違っている。
これが折り返し織りで、昨日ご紹介したウール&エリ蚕糸の折り返し織りに比べて手間がかかる。
パシミナ糸が柔らかくて切れやすく、柞蚕糸は細くて折り返しが難しいのだ。
ウール織りのスペシャリスト、マンガルの労作だ。
この「折り返しパシミナ柞蚕」は、2月15日からの「2月の竹林」にてデビュー。

 



1月28日(土) 春のパシミナ

今日は祭日。
Vasant Panchamiすなわち「春の五日目」という目出度い日だ。
インドの旧暦では、今日から春が始まる。
学校や官公庁は休み。
そういえば一昨日も「共和国記念日」で祭日であった。
インドには祭が多いのである。
今日は吉日なので、結婚式も多い。
向かいの家も息子が嫁を迎えるということで、朝から楽隊が繰り出し、にぎにぎしくやっている。(写真上)
インドには騒音という概念がないから、夜間の騒々しさは限りない。

そんな喧噪をよそに、今日も布作りに勤しむganga工房である。
中写真、朝日を浴びるのは昨日までに織り上がったパシミナショール。
素材となるパシミナは、昨年5月に訪れたインド北端ラダックの産。
チャンタン高原という標高4500mを超える高地で遊牧される山羊の毛だ。

このラダック産パシミナを使ったショールは、昨秋「竹林shop5周年」で初めて登場
今回、もう少し大きいのが作りたいと、数枚織り上げたところ。
折り返し織りで、パシミナの色は天然色。
縁の薄紫はログウッドで染める。
68×192cmくらい。

違いはサイズだけではない。
糸も違うのだ。
昨年のショールのパシミナ糸は、ここganga工房で紡いだ。
今回のパシミナ糸は、原毛の産地ラダックで紡がれたものだ。
ganga工房では足踏み式の紡ぎ機を使うが、ラダックでは原始的な紡錘を使って紡ぐ
これは一長一短だ。
ラダック糸のほうが撚りが甘いので、ショールに織り上げた際、手触りがいっそうソフトで、重量も軽くなる。
ただ、撚りの甘い分だけ切れやすいので、製織に時間がかかる。
また、パシミナの使用量も少なくて済む。(非常に高価な素材なのだ)
ただ、原毛使用量の少ない分だけ、防寒性はganga工房糸に譲ることになるだろう。

それからもうひとつ。
工房で紡ぐと、品質と納期が管理できるのである。
ヒマラヤの彼方、ラダックで紡がれた糸は、納期が数ヶ月も遅れたのであった。
ま、インドでは普通のことだけどね。
というか、ちゃんと納品されただけでもラッキーと言わねばなるまい。
2月15日からの「2月の竹林」に登場予定。


 





 

1月29日(日) 遊牧民のキャンプを訪ねる

 私ぱるばの毎朝の日課は、犬の散歩。
 ここganga工房には二頭のボティア犬がいる。
 ちょうど一年ほど前、チベット系の遊牧民であるボティア人のキャンプで譲ってもらったものだ。(詳しくはこちら)。
 チベット系の牧羊犬で、もうすっかり大きくなった。
 散歩に連れて行っても、グイグイと綱を引っぱり、かなりの迫力。道行くインド人も一目置く存在感だ。
 左上写真は黒茶ツートンの松五郎。もう一頭は黒一色の熊五郎。二頭一緒にはとても散歩に連れていけないので、今朝は松。一年前はこんなだったとはとても考えられない。

 このチベット犬、最近はインド国内でも人気が出てきたようで、首都デリー在住の知人が一頭欲しいという。
 そこで今日の夕方、工房の男スタッフが連れ立って、近所の遊牧民キャンプに出かける。
 11月から2月までの四ヶ月ほど、ボティア人たちは、工房近くのジャングルに野営する。羊の群と一緒に冬を越すのだ。私たちの使うヒマラヤン・ウールも、このボティア人から買っている。gangaとは非常に縁の深い人々なのである。

 野営地は工房から十数キロ。車がジャングルにさしかかると、「野生象に注意!」の看板が目につく。実際、この辺では象に襲われ落命した人もいる。車を降りてジャングルに分け入る我々の話題は、もっぱら象のこと。付近には象の糞や、倒木が頻々に見られる。
 実は先月、工房スタッフ三名が、ウールの紡ぎ手を探しにこのキャンプを訪れ、至近距離で象に遭遇!! そのときは命からがら疾駆して事無きを得ている。写真右上は「あの辺に象が居たのだ」と指さす工房スタッフ。象の疾走速度は時速40〜60kmだそうだ。(ボルトより速い!)

 ボティア人の野営地はかなりの傾斜面に設けられていた。おそらくは象対策だろう(写真右中・左下)。私たちにウールを供給してくれる羊たちに会いたかったのだが、あいにく遠方で草を食んでいるという。
 今回の目的はボティア犬の子犬なので、さっそく見せてもらう。12月〜1月が出産期なのだ。
 何頭か見せてもらったが、いずれも黒。デリーの知人の希望は松五郎と同じ黒茶ツートンであった。
 それに、ボティア人の希望小売価格が昨年よりかなり高騰していた。インドのインフレはここまで波及!!
 というわけで、今回は購入見送りとなる。
 あのムクムクの子犬としばし遊べると思っていたのに、残念!!

 

1月30日(月) 細繊度の双糸を求めて (ちょっと専門的)

 今日も休み。
 というのも、ここウッタラカンド州の州議会選挙の投票日で、投票を促すため、州内の事業所はだいたい休みなのだ。
 昨日も日曜で休みだろ、それから、一昨日は祭日、その前々日も祭日…。最近ほとんど働かないインド人である。
 私は勤勉な日本人であるから、無為に日を過ごしたりはしない。
 この州が休みならば、隣州へ行って働けば良いのだ。
 ganga工房があるのはウッタラカンド州。その南にはウッタルプラデシュ州がある。
 今日の話はちょっと専門的になるのだが、記録も兼ねて書き留めておきたい。

 実は、真木千秋の欲しがっている糸があるのである。
 細繊度の双糸。平たく言うと、細い繊維の絹糸を二本撚り合わせた糸だ。
 この糸はマルダ糸という名前で、もう二十年近くデリー工房で使っている。
 原料はマルダと呼ばれる小さな黄繭で、繊維(繊度)が細い。
 その繊維を合わせて一本の糸(単糸)にし、その単糸を二本撚り合わせて一本の糸(双糸)にする。それゆえ細繊度の双糸と呼ぶのだ。上写真の黄色い糸がそのマルダ糸。
 普通の絹糸よりも細く、強度にも優れるので、織物のタテ糸に重宝する。
 この近辺で産する繭(上写真の白繭)からは、やはり繊度の細い繊維が採れる。その白繭から引かれた糸が上写真の白糸だ。ただこれは単糸なので細過ぎ、強度も足りないので、ganga工房では使えない。
 単糸を双糸にしてくれるのが撚糸場だ。そういう場所がないだろうか?

 というわけで、工房の男スタッフ4名とともに車に乗り込み、70kmほど離れた隣州ウッタルプラデシュのチュトマルプールという街までやってくる。
 この街にあるのが、インド繊維省の蚕糸普及所。じつは一昨年の8月にも訪ねたことがある。いかにもインドの古い公的機関というたたずまいだ(写真中)。かなりヒマだったみたいで、私たち五人が訪ねると、所員がみんな出てきて前庭の日溜まりに腰かける。今回は幸い、クマール氏という養蚕普及員がいたので、いろいろ尋ねることができた。(下写真のメガネの人物)。概要は以下の通り;
 デラドンも含め、この辺一帯は養蚕に好適な土地柄だ。主に飼育されているのは二化性の白繭で、中国種である。(二化性というのは年に二度繭を結ぶということ。デラドンにある蚕糸局のカトーリ博士によると中国♂と日本♀のハイブリッドという話だったが…)。繊度は2デニールで、繊維長は1000m。(日本の繭糸は3デニールだからかなり細い)
 私たちがマルダと呼ぶ黄繭は、ニスタリ(nistari)と呼ばれる多化性のインド在来種で、繊度は1.7デニール(細い!)、繊維長は400-500m。ウッタルプラデシュ州内では東部のゴラクプールなどに産する。この近辺には無い。
 更に、上記二種のハイブリッドとして、二化性の黄繭が生産される。繊度は1.7〜2.5デニール。繊維長は800m。
 そして肝腎な点だが、ここチュトマルプール周辺に撚糸場はない。それについてはデラドン市内の製糸業者に聞けとのこと。

 それで私たちはデラドンに戻り、やはり一昨年訪ねたことのある製糸業者を訪ねる。白繭から糸を引いているバティヤ氏だ。
 バティヤ氏いはく、ここで作っているのはやはり単糸のみで、双糸にするのはバラナシの撚糸場だということ。バラナシとはここから800kmほどガンガ(ガンジス川)を下ったところにある聖地だ。沐浴で有名。織物業も盛んである。
 デラドンの近所に撚糸場はないという。バティヤ氏は取引先であるバラナシの撚糸場を教えてくれた。その撚糸場では、マルダ黄繭糸など好みの太さで撚糸してくれるという。

 これにて一件落着。
 細繊度の双糸を得るには、Ganga河畔の聖地まで行くしかないらしい。

 



1月31日(火) フン系の友

 私ぱるばは十数年来の褌愛好家である。
 褌とは、言うまでも無く、布素材と最も親密に関わることのできる優れた衣料アイテムだ。
 最近は徐々に同志も増えてきた。そうした同志は「フン系の友」と呼ばれる。
 これは私の造語で、解説するまでもあるまいが、「刎頸の友」のもじりである。

 しかしながら驚いたことに、インドには同様の言葉があるのである。
 それは、「ランゴティヤ・ヤール」。
 ランゴットは「褌」、イヤは「の」、ヤールは「友」。すなわち「褌の友」だ。
 その意味は「幼馴染み」。「竹馬の友」みたいなもんだ。
 インドの赤子は褌をつける。それゆえ、赤子の頃からの友人が、ランゴティヤ・ヤール、褌友達だというわけ。

 日本もそうだったが、インドでも、もともと下着は褌だった。
 上写真は五年前、南インドで撮ったもの。田んぼで働く農夫だ。
 見るからに気持ちよさそうではないか。
 日本の夏もほとんど熱帯だから、みんな斯様な姿で働けば原発など必要もあるまい。

 竹林shopにもときどき褌が在籍するが、それは言わば、私用に作った男物のお裾分けだ。
 このたび、ganga工房に針場もできたことだし、女物も作ろうということになる。デザイナーは不肖、この私。
 私ぱるばが製品のデザインをするなど真木テキスタイル開闢以来だが、それが女性用下着だというのも何かの因縁であろう。

 おそらく私ほど様々な下着素材の人体実験をしてきた人間もあるまい。
 経験上、褌の素材には、薄手の手紡ぎ手織り生地が最適である。インドはそうした生地の宝庫だ。
 ただし、男と女では身体構造が違う。褌の好みも男とは異なるであろう。
 今回、幸いにも、gangaで真木千秋の助手をしている秋田由紀子が褌企画に参加。
 現在、文字通り身を挺して素材やサイズの研究に携わっている。
 思えば幸運な娘である。私が長年に渉って開発してきた選り抜きの手織素材から、毎日一枚ずつ誂えてもらえるのだから。その数、現在、シルクと木綿で六点。
 
 中写真はシルク地を裁断するマスターテーラーのビレンドラ。
 下写真は女物褌の試作。左から極薄綿カディ、タッサーシルク格子、中薄綿カディ、中厚綿カディ。

 




2月1日(水) 山村朝食

 月が改まって2月。
 日本は寒波襲来のようであるが、ここ北インドはすっかり春めいてきた。毎日青空。日中の気温は20℃にも達しようか。

 私ぱるばのganga工房滞在も十日目だ。
 一日三食、ラケッシュ母と妹の手料理を頂戴している。
 元シェフであったラケッシュの母と妹だから、料理の腕も推して知るべしである。とにかく、ウマい!! レストランで食うインド料理とは全然違う家庭料理だ。これはインド人の家庭に侵入しないと食えない。
 朝昼晩と違う料理を作るからさぞかしタイヘンだろうと思うが、最近、朝食で気に入っているのが、コレ。(上写真)
 ヒマラヤ山村の朝食だ。
 丸いのはチャパティだが、色がやや黒い。
 これは、シコクビエという雑穀を使っている。
 ラケッシュ両親の出身地であるヒマラヤ山村では、麦や米はとれない。ヒエやシコクビエが主食となる。ヒエは粒食、シコクビエは粉食だ。(ただ、チャパティにするにはシコクビエだけでは少々難しいので、小麦粉を混ぜている)。
 これが、コクがあり、香ばしくてウマい。
 山村では、このシコクビエのチャパティと、ギー、チャツネが朝食の基本だ。ギーというのは精製バター(上写真右端)で、これは水牛の乳からラケッシュ家で作ったもの。チャツネ(上写真上端)は、コリアンダー、ショウガ、ニンニクの葉、青トウガラシで作ってある。私なぞこれだけで十分満足だ。ラケッシュ祖母によると、これを食していれば病気にならないという。

 かくして今日も元気な工房の面々。それぞれの営みに励んでいる。
 下写真は、染師ディネッシュと秋田由紀子。エリ蚕の手紡ぎ糸をメヘンディで染めている。メヘンディというのはヘナの原料となる木の葉で、Makiでは以前からグレーを出すのに使っている。ウールと一緒に織られて、ケープになる予定。
 左手前はパパイヤの樹。実が幾つか成ってるのがわかるかな。

 

2月3日(金) ganga工房への道

 ここganga工房は、「デラドン」という場所にあることになっている。
 デラドンとはウッタラカンド州の州都で、インド人ならいちおう皆知っている。
 しかしながら、ホントは「ドイワラ」という場所にある。でもドイワラなんて誰も知らないので、デラドンということにしている。

 デリーから北に約250km。飛行機で飛ぶのがいちばん手っ取り早い。
 デリー空港から1日に4〜5往復、運行している。
 だいたいが、アエロスパシアル社のアレニア72という66人乗りのプロペラ機だ。
 所用時間も短いから、ほとんど遊覧飛行だ。

 そして、デラドン空港は、工房から直線距離で2kmほど。
 居ながらにして離着陸が良く見える。
 工房に客がある時には、着陸を見届けてから出迎えに向かえば良い。

 たとえば、今日、真木千秋&客人ひとりが、デリーから飛来。
 ジェットエアウェイ2645便だ。
 定刻より20分遅れて、15時40分に着陸。
 右写真、↓の下にあるのが、その飛行機だ。
 見えるかな? 画面クリックで拡大するとよくわかる。
 その中に真木千秋と客人が搭乗しているわけだ。
 数日間、デリー工房へ「出張」していた真木千秋。年々ひどくなる首都デリーの渋滞と空気汚染から解放され、ホッと一息ついていた。

 




2月4日(土) パシミナ、ヤク&エリ蚕

 昨日「来gan」した客人。谷口隆さん。染織家。
 織りや染めについて非常に博識なので、今回ご招待申し上げた。
 ご指導頂きたきことは多々あるのだが、まずはウールとシルクを混ぜて糸を作ること。
 ウール&シルクの混紡に関しては、先月来から、ウール&エリ蚕、そしてウール&ムガ蚕で試験的に混紡糸を作っている。
 今日は電動のカーディング(梳毛)機を使っての試作。

 羽子板形の伝統的カーディング器だったら、工房スタッフも慣れている。
 しかし舶来の電動機となると指導が必要だ。
 まずは、パシミナ&エリ蚕の混紡。(上写真)
 パシミナはインド最北端ラダック産、エリ蚕はインド東北部のアッサム産。
 パシミナウールとエリ蚕真綿を、日本から持参した電動のカーディング機にかけ、繊維を混ぜ合わす。

 やはり手動器に比べると電動はラク。
 そうしてできあがった毛絹混合のフリース(綿)を、工房スタッフのバギラティ(上写真の手前人物)がさっそく糸に紡ぐ。
 三十年以上も使っている足踏み式の手紡機なので、その鮮やかな手並みに谷口氏も感心。ちなみにこの手紡機は、織師マンガルが結婚の際にバギラティにプレゼントしてものだそうだ。
 配合比率は半々。長繊維のエリ蚕が入るので、パシミナだけよりも細い糸が紡げる。
 これで来期のパシミナ織りはひと味違ったものになるだろう。

 写真中はヤクウール&エリ蚕のカーディング。
 ヤクというのは、パシミナ山羊と同じく高冷地に棲むウシ科の大型動物だ。濃い茶色の体毛が特長。パシミナと同じくらい非常に柔らかいが、やや張りのある感じ。
 下写真が紡ぎ上げたヤク&エリ蚕混紡糸だ。茶色と白の混じり合いがマーブルケーキのよう。
 ヤクウールはパシミナより繊維長が短いのだが、シルクが入ることによってより細く紡げる。
 その色合いと手触りには真木千秋も至極満足。
 この原毛は日本から持参したものだが、パシミナと同じくインドのラダックで産出する。そこで、さっそくラダックのウール商ナワン君に問い合わせをする。標高3500mのレーはさぞかし寒いことだろう。
 ちなみに谷口氏は既に、ヤクと天蚕の混紡でショールを織っている
 次いで、ウールと家蚕糸の混紡も。
 こんなふうに自分で好みの糸が作れるというのは大きな進歩だ。

 そのほか今日は、パシミナ糸の撚り止め、インド藍の化学建て、野蚕糸の精練などについて教えてもらう。
 これでまたganga工房の織物の幅も広がることであろう。

 

2月5日(日) ムガ・ギッチャ

 私ぱるば愛用のシャツがある。
 ギッチャ・シャツという名前だ。
 タッサーシルクのギッチャ糸100%生地で作ったシャツだ。
 二着所持しているが、ひとつはもう二十年も使っている。
 竹林shopでも、よくそのシャツを着用し、店頭に立つ。
 メンズのシャツで、十年前までMakiで作っていた。
 フワッと柔らかく、じつに心地良い。そして木目のような濃淡が美しい。
 なぜ今は作っていないかというと、ギッチャ生地が手に入らないからだ。もう織られていないかもしれない。

 ギッチャ糸というのは、屑繭から手紡ぎされる糸だ。
 かつてはタッサーシルク織物の産地で、ギッチャ糸のみを使った布が織られていた。
 それがここ十年ほど、とんと見かけられなくなった。
 インドも変化しているのである。

 先日、真木千秋が某所からムガ・ギッチャ100%の布を手に入れてきた。
 ムガというのは、アッサム州特産の「黄金繭」だ。
 そのムガ蚕屑繭からムガ・ギッチャ糸が紡がれる。ムガ・ギッチャ100%の布を目にしたのは今回が初めてだ。
 精練していない糸で織られているので、硬質の手触りだ。
 精練というのは絹の保護層である蛋白質セリシンを落とす作業だ。

 そこで客人の染織家・谷口隆さんが、セリシンを落としてくれる。
 苛性ソーダ1%の温湯に生地を漬け、よく撹拌し、二時間ほど放置する。(写真上)。
 セリシンによって溶液が褐色に濁る。

 その後、よく水洗いし、日に干す。
 乾いてから、持参の砧(きぬた)でよく敲く。(写真中)
 手が青く染まっているが、これは藍染の痕跡。
 そして仕上がったのが下写真。
 すっかりソフトになって体に馴染む。タッサー・ギッチャのシャツを5年くらい着込んだ後の風合いだ。

 Makiで使っていたタッサー・ギッチャ布に比べると、色が黄色く明るい。これはムガ蚕の色だ。そして糸も太目。
 インド「本体」では見られなくなったギッチャ布が、遥か遠い東の果てアッサム州では、原料繭こそ違え、まだ織られているのだ。
 写真の布はストールだが、ほかに生地もあって、同じく精練をしてもらった。
 久しぶりにギッチャ・シャツが甦るか!?

 

2月6日(月) ワークショップのいろいろ 
 
 一足お先に春たけなわの北インド。
 畑には菜の花が咲き乱れ、木々には鳥たちがさえずる。
 ついでに、gangaの狭いキャンパスには、いろいろなミニ・ワークショップ(工房)が花盛り。

 上写真は染色ワークショップ。
 沖縄・紅露工房出身の新メンバー秋田由紀子が黙々と作業に勤しんでいる。
 谷口氏の助言を受けながら、今日はウールのスオウ染めだ。(写真上)
 面白いのは媒染剤。スオウはアルミを使って赤系を出すのだが、インドでは「シェービング・アルム」というのを使う。これは何かというと、ミョウバンなのだ。どこでも手に入り、髭剃り後などに広く使われる。インドでは純度の高い天然ミョウバンが産するらしい。このミョウバンがアルミ化合物なのだ。アルムとは英語でミョウバンのこと。
 その髭剃りミョウバンを補助剤として使い、何度も染め重ねて、深い赤が染まった。

 写真2は縫製ワークショップ。
 帰国を明日に控えた図師潤子が最後の追い込みだ。
 今日はカディ(手紡ぎ手織り木綿)布を使ったエプロンを製作している。
 Makiでエプロンを作るのも初めてだろう。
 シンプルなデザインで、台所などの作業に気軽に使えるように企画する。
 ポケットが二つつくらしい。向かって右側のポケットはgangaウール布のハギレだ。
 4月竹林shop開催の「チクチクの春」展にて登場予定。

 そして今日、前庭に突如出現したのが、皮革ワークショプだ。(写真3)
 その主は、造形作家・増満兼太郎氏。
 昨日成田を発ち、今日の昼、工房に到着。さっそく庭に店開きと相成った。

 氏の前に広がるのは、水牛の皮。
 じつはコレ、三日前、真木千秋が首都デリーのマーケットで見つけたものだ。
 増満氏は通常、牛革を使うが、あいにくインドに牛革は流通していない。聖なる動物だから畏れ多いのだ。(ついでに言うとインドのマクドナルドにビーフのバーガーはない)
 同じ牛でも水牛ならOKらしい。
 日本では珍しい素材で、氏も今まであまり扱ったことはないという。
 Makiでは布製のバッグ類も企画しているが、今まで、その取っ手に苦労してきた。氏いはく、この革ならなんとかモノになりそうだとのこと。

 写真下はオマケのワークショップ。
 真木千秋が子供たちに折紙を教えているのだ。
 何を作っているかというと、手裏剣。
 インドの少年たちの間でも「ニンジャ」は有名だ。
 ついでに手裏剣も広く知られている。
 ただし、「シュリケン」とは言えず、もっぱら「シリコン」と発しているみたいだ。

 ところで、今日の登場人物たち、眉間に赤いものがあるのにお気づきだろうか。これはティカと呼ばれる縁起物だ。
 今夜は工房でお祭があって、ヒマラヤの山村から特別に楽士たちを招いているのだ。
 それで全員、ティカで祭化粧をしているというわけ。
 キッチンでは特別料理が準備されている。
 いつか皆さんもご招待…できるかな!?

 

 

2月7日(火) ラダックからの来訪者

 三日前の日誌(2月4日)に、ヤク・ウールの事を書いた。「ヤクの原毛が欲しいので、産地ラダックのウール商ナワン君にメールをした」という話だ。
 そしたら翌日そのナワン君から電話があって、「今、デラドンに来ました」という。
 これはまったくの偶然で、たまたま夫婦で旅行中だったのである。
 そして二日後の今日、可愛い細君と工房に来訪する。

 ナワン君の住むラダックの中心地レー(Leh)は標高3500m。冬場の最高気温はマイナス6℃だというから並大抵ではない。それで、しばし商売を休んで、避寒も兼ねてハネムーンというわけだ。二人は昨夏結婚したのだが、薬剤師である新妻チョルーの勤務地が遠方なので、月に二度ほどしか会えないのだという。(ま、それも新鮮でいいか)
 このナワン君、母語はチベット系のラダック語だが、アメリカ人みたいな英語を喋る。もちろんインド国民だから、ヒンディー語も堪能(に見える)。少数民族ラダック人がビジネスをするには、この三言語が最低でも必要なのだ。

 昨年10月の「竹林shop5周年」を皮切りに、Maki布の素材にパシミナが加わった。
 このパシミナはラダック産で、すべてこのナワン君を通じて入手している。
 ラダックというのは、インド北端カシミール州の東部を占める高原地帯だ。
 そこで採れる繊維素材は、パシミナだけではない。
 ヤクや羊毛、モヘヤ(アンゴラ山羊)まである。

 本人が来てくれたので、話は早い。
 パシミナの在庫が切れてきたので、さっそく注文する。
 それから今回注目のヤク・ウールだ。
 ついでに羊毛も。ラダックには在来の羊のほか、オーストラリアのメリノを導入した毛質の柔らかい羊もいるという。これは興味のあるところだ。

 良い機会だから、ナワン君にganga工房のパシミナ織を見てもらう。織師マンガルの機には、今ちょうどパシミナ糸がかかっている。
 彼の持参したパシミナショールと比べながら、互いにいろいろ検討する。
 糸素材を購入するにしても、Makiは注文量の少ないのがひとつのネックだ。そのせいでいろいろ苦労もある。
 幸い、ナワン君はそうした少量の注文でも応えてくれるようで、有難い存在だ。

 

2月8日(水) 羊毛&エリ蚕・混紡ショール 

 二週間ほど前の1月27日にお伝えしたウールとエリ蚕の混紡糸。
 織師ジテンドラの機にかけて、昨日、最初の試作品ができる。(写真右上)
 色は天然色。デザインは「折り返し織り」だ。

 それをバギラティが洗剤と水を使って、洗濯棒でたたく。(写真右中)

 乾いたところで、谷口隆さんが砧でたたく。(写真右下)

 そうしてできあがり。(写真下)
 ウールだけのショールより、ずっと柔らかで、ふんわりとした触感だ。
 これなら肌の敏感な人でも大丈夫だろう。
 糸が細いので、薄手のショールとなった。重量もわずか95グラムと軽い。

 このふんわり感や軽やかさはエリ蚕の効果であろう。
 またエリ蚕は「冬暖かく、夏涼しい」という特長を持つというから(レヘマン博士)、冬場だけでなく、春や秋など長期にわたって楽しめそう。

 ちなみに、エリ蚕とは、インド・アッサム州周辺を原産地とする野蚕の一種。
 蓖麻(ヒマ)やキャッサバなどの葉を食べる。野蚕の中では繊維が一番細い。
 今回の混紡に使ったエリ蚕は、先日、アッサム州から真綿の状態で送ってもらったものだ。
 ただ、アッサム州は遥かインド東北部の彼方にあり、言語も異なるため、流通&コミュニケーションが難しい。この優れた繊維素材であるエリ蚕をどのように安定的に入手するか、それが大きな課題なのである。

 

2月9日(木) シヴァ・リンガ

 日本は再び厳寒のようだが、ここ北インドも今日は寒い。
 今朝など霜まで降った。
 日差しは春だが、風が冷たい。インドの三寒四温だ。

 そして、今日は静かなganga工房。
 客人を含め、主要メンバーが五人ほど出払っている。
 ラケッシュ両親の実家のあるヒマラヤ山村に出かけたのだ。

 さてその客人のひとり、増満兼太郎氏。
 造形作家という、私ぱるばにはやや縁遠いジャンルの御仁なのだが、真木千秋も注目の若手である。それで私も注目していると、或る日、街へ出かけて、丸太を買ってきた。
 800ルピーというインドではトンデモのプライス。そんなもん竹林工房にはいくらでも転がっているではないかと怪しんでいると、ノミを使って縁を削り始める。(写真上)。これら工具も氏の持参品である。
 これは良い材だと増満氏。彫刻に適しているという。どうやらただの丸太ではないらしい。ラケッシュに聞くと、これはサンダンと呼ばれ、農具や工具に使われる木だという。そういえば我々も昨年、この木の皮で染色をしたものだ。
 増満氏、作業用の木型を作っていたのだ。
 ちなみに氏の足下にあるのが、自身の作品であるサンダル。実はMakiスタッフ大村恭子がこのサンダルを愛用していて、それが氏とMakiとの最初の出会いであった。

 次いで増満氏、木型を抱きかかえ、ウールのMaki布でチクチク作業。(写真中)

 直立させて作業。(写真下)
 これが何となくインドのシヴァ・リンガを連想させる。シヴァ神の象徴だ。
 増満氏、実は、gangaのために袋物の原型を考えてくれている。
 こうした立体感は、今までのMaki周辺にはなかったものだ。

 革ばかりでなく、金属や映像など守備範囲の広い増満氏。
 初めてのインド世界もきっと多様に体験しているはず。
 今日の山村訪問はいかがであったか。
 12月に予定されている竹林shopでの増満展にどう結実するか、楽しみなことである。

 

 

2月10日(金) 或る春の日

 工房を出て散歩すると、そこは麦畑。
 既に穂が出ている。
 麦に混じって、エンドウも花を咲かせている。(写真右上)
 そういえば近所には桃の花も咲いている。
 東京・五日市より二月あまり季節の早い北インドだ。

 日溜まりに小さな機を移動させて、織師ジテンドラが機織りをしている。
 袋物に使うヒモだ。(写真右中)
 素材はヤク・ウールと絹の混紡糸。
 じつはコレ、羊毛と間違えて機にかけてしまったのだ。
 というわけで、ganga初の記念すべきヤク入り織物が、このヒモ。

 陽気に浮かれて踊り出す!? 
 ラケッシュの次姉サンギータ。

 出来上がったばかりのサロン・スカートを試着してもらう。
 生地は木綿カディ。
 ただ、彼女にはサイズが小さいと見えて、あまりサロンぽくない。(インドの既婚婦人は福々しいのが好まれる)
 このような形のボトムを着用することがあまりないので、嬉しかったらしく、ついついステップを踏む。
 サンギータ(梵語で音楽)の名の如く、ダンスが大好き。


 夕方の増満工房。(写真右下)
 gangaウール布を使って、既に四つほど試作品ができている。
 「この立体感が良い。布の感じがよく出ている」と真木千秋。「服も良いんだけど、やっぱりねぇ…」と問題発言も。
 二人でしばしの間、カタチや縮絨のことなど密議を凝らしている。

 かくして、インドの春日も暮れるのであった。
 (増満氏、今19:20も工房の中で一心に針を使っている。ホントに好きみたい)


 

2月11日(土) ヒマラヤン・ホスピタル

 ここドイワラ(ganga工房所在地)のランドマークは、ヒマラヤン・ホスピタルという病院だ。
 著名な施設で、土地に不案内な人はここを待ち合わせ場所にしたりする。
 この病院、じつは私ぱるばと縁があったのだ。
 今から三年ほど前、ここのアーユルヴェーダの先生、マムゲイン医師が武蔵五日市に来て、数日間、アーユルヴェーダのセミナーを開催したのだ。
 近所に住む知り合いのヨガ教師が招いたもので、私がその通訳として駆り出された。
 こちらも多忙の身(!?)なのだが、他に人がいないと頼まれ、引き受けたというわけ。
 ついでにマムゲイン夫妻、竹林を訪れ、ラケッシュのインド料理でランチをしたり、真木千秋もセミナーに一日参加したりした。
 まだganga工房のできる前の話だ。
 アーユルヴェーダというのは、インドの漢方みたいなもの。

 その後、何かの縁で、病院のすぐ近所に工房ができる。
 しかし、なかなかドクターを訪ねる機会がなかった。
 十日ほど前、たまたまラケッシュと病院に寄る。ATMがあるので、お金を下ろしに行ったのだ。
 そのときドクターのことを思い出し、病院に問い合わせたところ、その日は既に帰宅したとのこと。
 日を改めて出直すことにする。
 そのことを真木千秋に話すと、今忙しいんだからラケッシュをそんなことで引き回さないで!と叱られる。

 で、沙汰やみになっていたところ、昨日、真木千秋が腰をやってしまった。
 今朝は更に症状が悪化し、ベッドから起き上がれないほどになる。
 そこで思い出したのが、マムゲイン医師。
 ラケッシュが電話すると、ほどなく飛んできた。
 こちらのことを良く覚えてくれていて、この奇遇に驚いていた。
 なんでもドクター・マムゲイン、聖地デヴァプラヤグの出身だそうだ。ガンジスの上流にあって、私が二度ほど沐浴したところだ。

 その後、ドクターに連れられ真木千秋とラケッシュが病院に行く。
 まずは通常の整形外科でレントゲンを撮るなどして診察を受け、たいしたことはないと判明。
 その後、アーユルヴェーダ棟に案内される。
 これが素晴らしい施設だったそうだ。
 パンチャカルマなどアーユルヴェーダのセラピーが泊まり込みで受けられる。
 ヨガのホールや、日帰りトリートメントもある。
 雰囲気も瞑想的で、宿泊や食事もかなりの水準で、値段は手頃。
 真木千秋も腰痛が治まったらトリートメントに出かけるそうだ。
 コレを見るために腰をやっちゃったのかも…と真木千秋。


2月18日(土) インドのクラフトフェア

 首都デリー郊外で開かれていたクラフトフェア「スラジクンド・クラフト・メラ」に行ってきた。
 年に一度、半月にわたって開かれる大がかりな催しだ。
 日本でクラフトフェアと言えば松本だが、こちらはその数倍の規模だろう。
 インド全土から手工芸品や作り手が集まる。
 また、毎年、州をひとつ選び、その特集コーナーも設けられる。ことしはアッサム州だった。

 アッサムと言えば野蚕の宝庫。私たちも一昨年から縁ができる。
 現地で私たちが世話になっている州養蚕局の指導員レヘマン博士も、半月にわたってデリーに滞在し、フェアで野蚕糸の紹介にあたっている。

 私の訪れた日はたまたま休日であった。
 50ルピーというそこそこの入場料にもかかわらず、広大なフェア会場にはデリー市民が殺到。
 どこもかしこもアメ横か新宿駅みたいな状態だ。みんな手工芸に関心があるのか、それともよっぽど他に行く所がないのか。
 インドは養蚕も盛んなのだが、やはり都市住民にとっては珍しいのだろう、ブースの前はいつも人だかりだ。特にアッサム特産のムガ蚕やエリ蚕は注目度が高いようだ。レヘマン博士も昼食を摂る暇もないほど。(写真上に腕だけ登場)

 写真中はエリ蚕の幼虫。
 あまりにカラフルなのでゴム製のレプリカかと思ったが、ホンモノだ。
 エリ蚕の幼虫は、白色ばかりでなく、黄色や緑色もいる。

 写真下はムガ蚕。
 これは初めて見たが、葉っぱを巻き込んで繭を作っている。

 私がわざわざフェアを訪れたのは、別に野蚕を見学するためではない。
 レヘマン博士に会いに行ったのだ。
 私たちにエリ蚕やムガ蚕の糸素材を供給してくれているのが、このレヘマンなのだ。
 糸を作るのは田舎の主婦たちだが、そういう人々とコンタクトをとって直接糸を買うのは不可能に近い。それで蚕糸指導員のレヘマン博士がボランティアで仲介の労を執ってくれているのだ。

 特にエリ蚕糸は、ウールと交織したり、混紡したりで、最近Makiの中でも注目度が高まっている。
 真木千秋も継続的にエリ蚕糸を使いたいというので、この日、レヘマンにしっかり頼んできたというわけ。(金銭の介在しないボランティアだから、かえって難しいところもある)

 今回は、エリ蚕糸と、エリ蚕真綿を注文する。
 特にエリ蚕糸は、品質を統一したいので、紡ぎ手はひとりに限って欲しいと頼む。
 レヘマン博士は例によって快諾するのだが、だからと言って注文通りに行くかは保証の限りではない。
 もうアッサムに帰った頃だろうから、メールでもしてみよう。

 

 

2月23日(木) 雑穀にまつわる雑談

 ganga工房の食事で、いちばん楽しいのは、ワタシ的に言うと昼食だ。
 ターリーという大皿の上に穀物を載っけて、カレーや惣菜とともに食する。

 中でも、主食となる穀類が特筆モノである。
 右写真には穀物が三種写っている。
 私の手許にあるのがヒエ。その下のソバガキみたいのがシコクビエ。右下の白いのが米。
 そもそもヒマラヤ山村では米がとれず、もっぱらヒエやシコクビエが常食とされてきた。

 ヒエは小粒で、ちょうど北アフリカ料理のクスクスを思わせる食感だ。そもそもクスクスはヒエだったという話もある。
 粒が細かいからカレーにもよく混じり合い、目下私の一番のお気に入りだ。

 それからシコクビエ。かつて日本でも広く栽培されたようだが、粒食ではなく粉に引いて食べる。2月1日の日誌にもある通り、小麦粉を混ぜてチャパティにして食べるのが一般的だ。
 しかしよりオリジナルなのが、湯がく方法。日本の蕎麦と同じだ。これだとシコクビエ100%なので、より滋養に富む。

 そして米。これはパラパラしたインディカ米だ。やはりカレーによく合う。日本と同じく様々な品種があり、バスマティと呼ばれる長粒の米が最上とされる。
 山村では米は御馳走であり、来客時や特別な機会に食卓に上る。
 客が来たのに米を出さなかったら、それは礼を欠く扱いになる。
 特に外国人にヒエやシコクビエを出すなど、インド人としてはちょっと考えられない仕打ちなのである。

 


 ところが、我々みたいに雑穀を食べつけない人間にとっては、かえって雑穀の方が御馳走なのだ。
 だから本当を言うと、ヒエとシコクビエだけにして欲しい。
 この両雑穀を前にすると、かのバスマティすら光彩を失う。
 しかしながら、たとえばラケッシュなど、どうしても御馳走の米が食いたいらしく、母親としてはやっぱり米を出さざるを得ない。
 この三種の穀類はそれぞれ調理の仕方が異なり、主婦としてもご苦労なので、我々もあまり欲張ることはできない。
 それで通常は、雑穀ひとつ+米という案配になる。

 いずれにせよ、ganga工房の客となる人はこれを供されることになる。
 ついでにインド式に手で食うと、味わいは更に深まる。


2月26日(日) インドの足当て

 春のデリー工房。
 数日前には突如最高気温が30℃まで上昇したが、今日は20℃前後で快適。
 ただ、乾いた春風が砂塵を巻き上げ、荒野の用心棒的な風情だ。

 二週間前にギックリした真木千秋の腰は、いまだ本調子ではない。
 ただ、三日ほど前から不思議な治療を受けている。
 逆子(さかご)療法だ。
 ここ北インドでは、逆子に腰痛の鎮痛能力があるとされている。
 腰に痛みのある時、逆子として生まれた人に、足で触れてもらう。
 すると痛みが消えるというのだ。

 工房の織師アフメドは逆子として生まれた。
 それで、今まで、頼まれると、腰痛の鎮痛にあたってきた。
 そこで真木千秋も試してみることにする。
 右写真のような体勢で、アフメドが三度ほどサッと足で触れる。(写真をよく見てみると足先が写っていない。物質がエネルギー化しているのか!?)
 一分ほどで終わる。今日で三日目だ。

 アシスタントのジャグデッシュも、逆子療法で痛みの治まった経験があるという。
 織師や機場スタッフは絶対の確信を持っているようだが、真木千秋は半信半疑。
 初めの二日は効いたような気がするが、今日はイマイチかな、と言う。
 工房主のニルーも「あれは信じ込みよ」と言う。
 さてこの手当てならぬ足当て、その効果のほどやいかに。

 

2月27日(月) チークの木陰で

 首都デリーから飛行機で半時間。
 ここ北インドは、リシケシ郊外。
 小高い丘の中腹、チークの木陰で、物思いに耽る男。

 チークというのは英語でteakと書く。(だから「チーク」と言っても通じない。ほっぺたと間違われる)
 よく知られた材だ。
 ganga工房では客間の扉とか内装に使われている。
 キッチンのまな板もチーク材だ。(使い心地は日本のイチョウの方が上だと思うが)
 日本では高級材だが、インドにはふんだんにある。

 このあたりにも、あちこちに自生している。
 葉っぱが大きいので一目瞭然だ。日本で言うと朴(ほお)の木のよう。
 男の足許に散らばっているのが、その枯葉だ。

 なぜ物思いに耽っているのかというと、ganga工房の行く末だ。
 スタッフも増え、日本からも人の往来が繁くなり、だんだん手狭になってきた。
 工房周辺も宅地開発の波が迫り、いずれ住宅街になってしまうだろう。
 私たちと言えば、畑もやりたいし、牛も飼いたいし、藍も育てたいし、桑も、羊も、綿花も、ヨガハウスも、アーユルヴェーダも…
 というわけで、想う物がいろいろあるのである。

 

2月28日(火) アーユルヴェーダ

 2月11日の日誌にも書いたヒマラヤン・ホスピタルのアーユルヴェーダ・センター。その後、真木千秋、秋田由紀子&増満兼太郎の三人が施術を受け、良かったというから、私も試しに受けてみることに。

 アーユルヴェーダについては、かつて診察と投薬を受けたことはあるが、施術は初めて。
 ホントは一週間とか泊まり込みで受けると良いんだが、今回はそんな時間もないので、外来の一回コース。
 まずマムゲイン医師(写真右端)の診察を受ける。体調や病歴など問診の後、脈診や血圧測定などがあり、メニューが決められる。

 続いて、院内着に着替え、男の施術師二人によるアーユルヴェーダ施術だ。
 まずは全身のオイルマッサージ。ごま油をベースに各種ハーブを調合した特別なオイルをたっぷりと使い、上下左右から二人に攻められる。四本の手でオイルマッサージってのは、かなり強烈なものだ。
 油まみれのまま、今度は、蒸し風呂。木製の箱の中に座り、頭だけ出す。かなり熱く、施術師はどこかへ行ってしまうし、これで器械が暴走でもしたらオレは死ぬんじゃないかと思った頃に、施術師が戻って来て外に出してくれる。
 次は私のスペシャル。昨日から春の花粉症で鼻がおかしかったので、マムゲイン医師が処方してくれたのだ。すなわち、施術台で鼻孔にオイルをたらされ、また蒸し風呂に入る。しかし今回は頭の上からタオルを掛けられ、熱い空気をしこたま吸わされる。これも死ぬんじゃないかと思った頃、外に出してもらえる。
 最後が名高いシロダーラ。施術台に横たわり、額にオイルをたら〜りと垂らされるやつ。このオイルも特別調整されたものだ。その感触が何とも心地良い。

 施術はこれでおしまい。シャワーを浴びて油を落とし、私服に着替えて、昼食の時間となる。昼食はシンプルな菜食だが、施術後は格別な味わいだ。

 


 最後に再びマムゲイン医師との面談があり、生活上の助言や、必要とあれば薬の処方を受ける。

 上写真は施術後にスッキリした私(左端)。昼食も含め3時間ほどで料金は4000円弱。これは安い。(しかしながら4月ごろから値上げになるという)
 写真真ん中の人物はマムゲイン氏の奥さん。彼女もアーユルヴェーダ医師だ。女性のお客には同性の医師と施術師がつく。
 この医師カップルは毎年のように東京・五日市を訪れ、ヨガ教師・飯田氏宅でアーユルヴェーダの講義を行っている。

 施術はけっこうハードだったりもするが、終わってみるとかなり元気になる感じ。花粉症の鼻もおかげで快調だ。
 本気でやるなら滞在コースのパンチャカルマ。体内洗浄なども加わり、かなり濃厚な内容だ。健康な人で一週間、重症者は一ヶ月以上と、自己の体調によって自由にプログラムを組める。
 これはちょっとおもしろいかも。


2月29日(水) 小悪魔

 首都圏では雪が降ったようで、竹林からは雪だるまの写真が送られてきた。
 こちら北インドは春まっさかり。おかげでラケッシュも私もクシャミが出て困る。何かの花粉に反応しているらしい。やはりアーユルヴェーダ一日コースで花粉症が治るわけじゃないようだ。

 ganga工房では四月の「チクチク展」に向けて縫製が進んでいる。
 上写真はタンクトップの検分だ。
 布は綿カディ。(手紡ぎ手織り木綿)
 春らしい明るい色合いだ。
 真木千秋の隣に居るのが、縫製工房の責任者サリタだ。ラケッシュの長姉。
 gangaのテーラーたちもだいぶ慣れてきたが、まだまだ不足である。ミリ単位の正確さを問われる日本のスタンダードを、鬼のように伝える真木千秋であった。
 サリタの隣は糸紡ぎ主任のバギラティ。

 写真中が縫製工房。
 二人のテーラーがミシンに向かっている。
 手前がマニンドラ、奥がマスターテーラーのビレンドラ。ともに山村の生まれ。純朴で物静かなところが良い。
 ところで、gangaにこの縫製工房ができて、チト困った問題も起きている。
 インドは停電が頻発するのだが、縫製にはJUKIミシンのほかアイロンという電気を食う機器が必須である。それで停電になると、自家用の発電器を回さないといけない。コレがウルサい上に、排気ガスが臭いのだ。
 発電器が要らないように、ミシンのモーターを交換し、アイロンもインド伝統の炭火式に換えようかと思ったりしている。

 このマスターテーラーの奥さんが今日から工房に加わった。
 糸紡ぎ主任バギラティの姪っ子にあたるカンタだ。(下写真右端)
 やはり牧羊の村ドンダ出身で、子供の頃から糸紡ぎには親しんでいる。見ていると確かに手慣れたものだ。
 ただし、このカンタにもひとつ問題がある。3歳になる子供のビベックだ。
 これが「デビル」なんだそうだ。4月からは保育園に入るというが、それまでは職場に帯同するという。
 このビベック、かわいい顔をしているし、両親は温和な感じだから、どんなデビルなんだろうと思っていると…。
 ホントにそうなのだ。片時も目を離すことができない。今も私のところに来たかと思うと、パソコンのアップルマークをつついて行く。先ほどは突如キーボードに手を出し始めて、父親にぶたれていた。あるいは、手紡ぎ機の回転部に指を突っ込んで泣き出したり(二回も)。下写真ではサリタのバッグを覗き込んでいる。いったいどういう大人になるのか先が楽しみだ。

 母親カンタは叔母のバギラティと並んで、今日は、羊毛とエリ蚕を混紡している。(子供がいなければ)
 紡ぎ手が二人になったから、gangaの糸作りもより安定的になるだろう。
 (バギラティは祭礼や冠婚葬祭でよく村に帰ってしまう)

 

3月1日(木) 細繊度の双糸を作る

 ちょうど一ヶ月前の1月30日、「細繊度の双糸を求めて」隣州まで行った話を書いた。
 要約すれば、ベンガルの黄繭糸のように、タテ糸に使える細くて強い絹糸が欲しい。
 ベンガルの黄繭糸というのは、Makiがここ二十年ほどデリー工房で使い続けて来た糸だ。
 そして結論は、この辺には双糸を作ってくれる撚糸場がないので、800kmほど離れた聖地バラナシまで行かねばならない、ということだった。
 そこで私ぱるばがバラナシまで糸を探しに行く段取りになっていたのだが、諸般の事情で今回は無理。細繊度双糸はしばらくおあずけとなったのであった。

 ところが、昨日、真木千秋はひらめいたのである。
 ウチのチャルカ(糸車)で撚糸して、作ってみたらどうか♪
 そこで今日さっそく試してみることにする。

 ラケッシュが先日、近所の糸繭商から乾繭を買ってきた。
 地元でとれた二化性の白繭だ。
 ここデラドン周辺は、インド西部のベンガル地方に次いで養蚕の歴史の古い所だ。
 ただ、養蚕技術が未成熟なのか、はたまた大らかなのか、繭が画一的ではない。
 写真1はそのローカル繭。左の繭がLサイズで、だいたい日本の繭と同じくらい。上がSサイズで黄繭級。右側が昔っぽい俵型。下は玉繭だ。
 平均すると日本の繭よりかなり小さい。その分、繊度も細いはずで、黄繭糸に近い糸が作れるはずだ。

 Maki秘伝の手法で繭を煮て、糸を引く。(写真2)
 道具は日本から持参の糸繰り機だ。
 タカキビの穂で作った「もろこしぼうき」で糸口を探りながら作業する。
 ganga工房ではもう二〜三度糸繰りをしているので、スタッフもある程度わかっている。
 今回は双糸を作ることもあって、25粒から30粒を目安に、細目に引くことにする。

 こうして引かれた糸は、座繰りの生糸と呼ばれる。
 生糸の単糸だ。
 まずは、この単糸に撚りをかける。
 次に、撚った単糸を二つ並べて、更に撚り合わせ、双糸にする。(写真3)
 作業に当たるのは、糸紡ぎ主任のバギラティ。
 当初チャルカ(糸車)でやろうと思っていたが、足踏み式の手紡機で撚りをかけることにする。この方が早い。
 通常ウールを紡いでいるバギラティだが、絹を撚らせても手際良い。

 そうして見事にできあがった細繊度の双糸。
 写真4の白糸だ。
 ターゲットの黄繭双糸と比べると、ちょっと太目。
 やはり粒数が多すぎたようだ。繊度も太いのかもしれない。
 粒数を半減させて作れば、十分タテ糸に使えそうだ。
 ただ、かなり手間はかかる。黄繭双糸はおそらく機械で撚糸しているだろうから、買った方が安いかも。
 でもやっぱり、手作り双糸はやはりひと味違う。

 というわけで、細繊度の双糸が自家製造できることがわかった。
 タテ糸用の双糸ばかりでなく、もっと粒数を多くして太くしたり、あるいは単糸に撚りをかけて使ったり、いろいろ可能性が広がるのであった。

 



3月10日(土) アライラマ傘寿記念会

 アライラマこと新井淳一氏の傘寿を記念する会が、東京・学士会館で催される。
 傘寿って読めるかな?
 「さんじゅ」と言って、数え年八十のお祝いのことだ。
 今回は傘寿のみならず、英国王立芸術大学名誉博士号授与、評伝『新井淳一/布・万華鏡』出版記念を兼ねての祝いだった。
 会場には三宅一生氏ら日本テキスタイル界の錚々たる人々が多数お祝いに駆けつけ、まことに盛会であった。これも新井氏の業績と人徳の成せる業であろう。

 私ぱるばはこの会のためにインドから駆けつけたのだが、新井氏の弟子である真木千秋はちょっと腰を痛めて帰国できず、涙を呑んで欠席。
 事前にアライラマから「ぱるば、会場で挨拶をお願い」と言われたんで、恥ずかしながらひとこと言上する。要点は以下の通り;

 一昨年、二度ほど、アライラマのカバン持ちで、中国を訪問した。新井氏の展示会が開かれたのだ。一度は北京の清華大学、もうひとつは南通のインテリアテキスタイル工業会であった。アライラマは当地で何度か講演したが、その中に氏の仕事の根底を成すであろう印象的な言葉があった。氏のたまはく、「テキスタイルの仕事とは世に平和をもたらす仕事である。美しい布、暖かい布、優れた布は、人々に安らぎを与え、世界に平安をもたらし、地球環境を守っていくものである」。こうした洞察はアライラマならではであり、よく余人のなすところではない。中国の人々にも大きな感銘を与えたのであった。私たちもそうした氏のこころを受け継ぎつつ、織物の仕事に勤しみたいものだ。傘寿というけれども、私は蚕寿という字に置き換えたい。天然繊維で最長である蚕糸のごとくアライラマには長く齢を紡いでもらい、至らぬ弟子たちを末永く叱咤激励、指導鞭撻いただきたいものである。云々。

 写真は一生氏から贈られた名誉博士の衣をつけたアライラマ。
 評伝については一読の上、またご紹介しよう。

 

 

3月13日(火) gangaシルク空羽

 昨日朝、所用があって十日ぶりにインドに舞い戻った私ぱるば。
 ganga工房のある北インドは、いっそう春が深まり、緑も色濃くなっている。

 工房では腰痛の真木千秋が、不自由な体を引きずりつつ仕事に励んでいる。
 ギックリ腰にはホントは安静が一番なのだが、帰国を三日後に控え、安穏とはしていられないようだ。(本人の選択だからどうしようもない)

 本日の仕事のひとつは、シルク空羽(あきは)ストールのタテ糸づくり。
 空羽織りというのは、タテ糸の間に隙間のある織りだ。
 シルク空羽といえばデリーの織師サジャッドの得意技だが、彼ばかりに任せてはいられない。ここganga工房でも挑戦だ。

 上写真、金色の糸はアッサムのムガシルク。これは両ボーダーを飾るほか、内側にもふんだんに使われる。
 その他は家蚕糸。上州赤城の座繰り糸や、ベンガルの黄繭糸、そして先日から始まったgangaの座繰り糸だ(3月1日の日誌参照)。それをインド藍で青く染めたり、ザクロやメヘンディ(ヘナ)で茶色に染めたり。
 とにかく、素材はとびきり上等なのだ。上州座繰り糸の使用量が多い分、お馴染みサジャッドのシルク空羽よりやや量感がある。

 下写真は一足先に織り上がった、同じシルク空羽の赤系。
 やはりムガシルクをボーダーと内側に使い、家蚕糸をインド茜で染める。
  同じ茜でも、上州とベンガル黄繭とganga座繰りとでは染まりが違うので、赤に陰影ができる。
 更にザクロ染の茶色糸を入れ込むことで、深みを出している。
 この赤系シルク空羽は真木千秋が数点持ち帰り、4月6日から竹林shopで始まる「ちくちくの春」展に並ぶ予定。値段もおそらく手頃になることであろう。

 今、タテ糸を作っている青系シルク空羽は、さすがに4月には間に合わない。
 ただ、明日から始まる銀座松屋の真木テキスタイル展には、本家サジャッドの青系ムガボーダー藍空羽ストールが出品されるので、興味のある人は7階遊びのギャラリーへ! (〜3月27日)

 



3月16日(金) 真木千秋離印

 本日、真木千秋がganga工房を離れる。
 日本を1月5日に出て以来、二月と十日余りのインド滞在であった。
 途中、三度ほど首都デリーの工房で仕事をしたが、大半はここganga工房で過ごすことになる。

 間際まで大騒ぎの出立だった。
 もう少し静かに、さりげなく、発てないものかと思うのだが、まあこれが本人の質なので仕方あるまい。(こういう人は世を去る時も大騒ぎするのであろう)

 飛行機の左窓側に座って、離陸時によく注意して外を見ていると、ganga工房が小さく見えるのである。
 視力が良ければ(1.0以上)、工房の上の人影もわかる。
 というわけで、今日はみんなで屋上に上がり、手を振って真木千秋をお見送り。(写真をクリック拡大すると飛行機がよくわかる)
 一月ほど前、私が飛んだ時には、みんなの見送りがよく見えた。

 しかし、今日、真木千秋にはそれが見えなかった。
 なぜなら、右窓側に座っていたからだ。
 私ぱるばは一昨日、インド航空のサイト上で確かに左窓側を指定してやったのだ。
 しかるに実際はそうならないのが、インドの神秘である。
 ま、見えなくとも、みんなの気持ちは伝わっていたであろう。

 今回の滞在中に二度までもギックリ腰をしてしまった真木千秋。
 この後、デリー工房で二時間ほど仕事をして、今夜のインド航空機で日本に向かう。
 はたして無事に東京五日市まで辿り着くであろうか!?

 

3月18日(日) 慰安サファリ

 今日は日曜日。
 久方ぶりの休日だ。
 というのも、真木千秋滞在中はほとんど休日返上で仕事の日々だったからだ。
 そこで今日は、みんなでプチ慰安旅行。
 ラジャジ国立公園でサファリだ。
 実はこの公園、ganga工房のすぐ近くにある。歩いて行けるくらい。
 ただ、サファリの起点となるビジターセンターは、工房から車で一時間弱の距離だ。
 ホントは偵察のため男だけ3〜4人で行こうと思っていたのだが、私も私もということになり、結局、男女子供あわせて14人の大部隊となる。
 工房からは朝6時の出発だ。こういう時だけはインド人も集合が早い。

 ここラジャジ国立公園には、ゾウ、トラ、ヒョウなどが棲息しているという。
 ビジターセンターで入場料を払い、二台の専用車に分乗して出発。
 外国人はパスポートの登録が必要で、入場料もインド人の4倍だ(!!)。
 ちなみに車はスズキのGYPSY、これはJimnyのインド型。(写真1)

 獣ではイノシシとシカが多い。
 写真2はインド特産の「アクシスジカ」。背中に白い斑点がある。
 これがあちこちにいる。
 ただ、ニホンジカに近いので、あまり珍しいという感じはしない。
 それから一度、大型のサンバー(水鹿)も見かける。

 サファリの行程は36km。それを二時間半かけて走行する。
 周囲は、手つかずのジャングル、草原、河床だ。(写真3)
 しっかり保護されている印象で、人工物は道路しかない。インドの街にあふれているゴミも、ここにはひとつも落ちていない。ついでに花粉もなく、用意してきてチリ紙も一度も使わずに済む。(春の花粉症に悩まされていた私)
 ちなみに、ジャングルという言葉はインド(サンスクリット語)起源だ。つまり、ホンマモノのジャングルを体験できるというわけ。

 鳥類も豊富。インドクジャク(写真4)とか、セキショクヤケイ(赤色野鶏)とか。このヤケイというのはニワトリの原種だ。
 しかしながら、猪と鹿と鳥ばかりじゃ、花札なら良いが、サファリとしてはチト物足りない。肝腎のゾウはどうした? トラは?
 ゾウの糞だけはあちこちにある。ラケッシュ妹のサビタはゾウの神様にお祈りしていた。が…、結局今回は出会えずじまい。

 この国立公園には、ゾウが数百頭、トラが45頭、ヒョウが14〜5頭いるという。ドライバーによると、ゾウとの遭遇確率80%、トラは半々だそうだ。ということは、どちらとも遭遇しなかった我々はかなり不運だったということになる。「百点満点で何点?」と聞くと、「50〜60点」とのこと。その理由は「シカがいっぱいいた」から。しかしなぁ、シカだったら奈良公園の方が勝ってるしなぁ。でもインドの子供たちはシカを見るのが初めてというから、まあ良しとするか。
 なにより36km、風景が美しかった。
 近いことだし、またいつか、リベンジつかまつることと致そう。

 



3月19日(月) 麦秋

 ほとんど夏のような陽気の北インド。
 ganga工房前の麦畑は、だいぶ黄金色に色づいてきた。
 ほどなく収穫を迎えるこの時期、農民たちの最大の仕事は、鳥追いだ。
 早朝から夕方まで、麦畑に出かけては、「ホーッ、ホーッ」と鳥を追っている。
 この「ホーッ」というのは日本語表現で、実際にはもっと複雑な叫び声だ。
 日本だったら案山子(かかし)を立てるだろうが、インドの鳥たちはそんなものにゃ驚かない。あるいは爆音機を設置するだろうが、インドでは専ら人力だ。

 この地方の、主なる害鳥は、インコだ。
 一見すると緑色でキレイなんだが、農民にとってはこれほど憎き鳥もいないだろう。それに比べればスズメなど可愛いものだ。
 大きさは数倍あるだろう。そいつが群でやってくる。スズメみたいに一粒一粒つまみ食いするのではない。足とクチバシを使って穂をまるごと引きちぎり、木の枝に止まってゆっくり食うのだ。中写真を拡大すると、穂をひとつくわえている様子がわかるだろう。
 ほとんど成熟した小麦だ。さぞかしウマいことだろう。ついでに焼き鳥にしたらウマいかも。

 工房の庭では、小麦を干していた。(写真下)
 パートで働いている主婦の家で昨年穫れた小麦だ。
 これから粉屋で引いて粉にする。全粒粉だ。
 その粉でチャパティを作り、我々の食卓に上るのだ。
 こうした粉で作ったチャパティの方が、サクサクして美味しいという。
 市販の小麦粉は、何か混ぜ物がしてあるようで、イマイチなんだそうだ。
 シェフが言うんだから間違いあるまい。
 首都デリーでもかつてはこのように各家庭で小麦を買い、粉屋に引いてもらったそうだ。しかし、都市化に伴い、だんだん小麦の入手が難しくなった。
 ここganga工房はまわりじゅうが麦畑なので、その点、便利なわけ。

 ただ、我々Makiの面々は、その違いがもうひとつ分からない。
 というのも、雑穀食いだからだ。
 常食するチャパティも、シコクビエ半分、小麦半分だ。
 シコクビエの方がパワフルだから、小麦の影が薄くなる。
 雑穀入りの方が香ばしくてウマい。小麦だけだとチト物足りない。
 だから私だけ、専ら雑穀入りチャパティだ。

 シコクビエは身体を暖めるから、冬に向いているとのこと。
 そういえば、工房の中でいちばん薄着なのも私だ。
 このまま雑穀チャパティを食べ続けたら、長〜い酷暑の夏を乗り切れないかも!?

 



3月21日(水) 絹の村・マンジュリ

 突如、真夏になってしまった北インド。
 昼間の温度は30℃を超える。
 あちこちに生えている桑の木も緑の葉を茂らせ、実も赤く熟し始めた。

 ここデラドン地区はインドでも古い養蚕地帯だ。
 もう春蚕(はるご)の飼育が始まったというので、見学に出かける。
 場所はレシャム・マンジュリという村。
 ganga工房からわずか4kmほど。すぐ隣の村だ。
 「レシャム」というのはヒンディー語で「絹」という意味。
 その名の通り、昔から養蚕で知られた村だ。

 村中、桑の木だらけ。
 写真1はganga工房に馴染みの建具屋さんの家。
 数年前まで養蚕をしていたというこの家の前にも、大きな桑の木がある。
 驚くべきことに、この木の樹齢は一年半だという。
 陽光の強いインドでは木の生長も早い。
 ちなみに、工房の織機はこの人に作ってもらっている。(左側の人物)
 この村の人口は約2千人。八割の家で養蚕が行われている。
 
 建具屋さんの案内で、とある農家に案内される。
 この家の主人(写真2の左端)は六十歳。
 八歳の頃から、養蚕の手伝いを始めたという。
 奥の二階屋が住居。手前の平屋が昔の住居で、今は蚕室になっている。
 昔の家だから、土の床と、厚い土壁。床はきれいに掃除されている。
 室温の変動が少ないから、養蚕には適しているという。
 家の背後には大きな桑の木が繁っている。

 中に入ると、奥の間に蚕棚がしつらえてあった。(写真3)
 赤いトレーには、孵化後一週間ばかりの蚕がびっしり。
 蚕種はデラドン市内の州営蚕種センターで孵化し、2〜3日後に村の蚕種場に運ばれ、農民に頒布される。
 養蚕農家には州政府から14年縛りで5万ルピーの補助金が出る。ここウッタラカンド州の養蚕は、インドでも西ベンガル州に次いで伝統がある。州政府としても大事に保護育成して行きたいのだろう。

 この地方で飼育されているのは二化性四眠蚕(年に二回孵化し、営繭までに四度脱皮する)。おそらく中国♂と日本♀のハイブリッドだろう。
 今年は4月の8日に営繭(繭をつくること)を始めるとのこと。例年は3月末には営繭するのだが、今年は寒かったため遅れている。
 この家の主人によると、子供の頃はもっと小さな俵型の黄繭を飼っていたという。中にはレンガ色のもいた。それが二十年ほど前から現在の白繭になった。小さな黄繭の方が病気に強かったという。現在はもはやそうした黄繭の種は手に入らない。Makiのよく使うベンガルの黄繭に似たものだったろう。どこかで蚕種を入手してこのおじさんに育ててもらいたいものだ。
 家の背後にある桑の葉は、養蚕の最中には手を付けず、営巣の直前に与えるという。営巣の直前には古い葉が良いのだそうだ。おそらく古い葉のほうが蛋白質に富んでいるのであろう。蚕糸の主成分は蛋白質だからだ。
 おじさんは今もただひとり、この古い家で、蚕とともに寝起きしている。

 この村でいつごろ養蚕が始まったのか聞くと、みな口を揃えて、「ずっとずっと昔から」と答える。
 村の桑畑では、おそらく兄弟であろう少年たちが黙々と桑摘みをしていた。八歳の頃のおじさんも、きっとこのようであっただろう。いつか奇妙な外国人が現れて、「この村ではいつの頃から養蚕が…」と聞かれたら、「ずっとずっと昔から」と答えるのであろう。

 



3月22日(木) 最強のシーツ!?

 最近、Maki周辺で注目度の高い素材、エリ蚕。
 インド東北部のアッサム州周辺が原産地とされ、現在は東南アジア各国でも養蚕が行われている。
 日本ではヒマ蚕とも呼ばれる。ヒマとは蓖麻子油の蓖麻で、ヒンディー語ではエランディ(erandi)。それがエリ(eri)の語源とも言われている。
 エリ蚕の養蚕は本家アッサム州を中心にインド東北部で盛んだ。

 昨日の朝、そのアッサム州からエリ蚕の手紡ぎ糸が届く(写真上)。2月18日にレヘマン博士に注文したものだ(同日の日誌参照)。
 二週間前にアッサムからEMSで発送される。住所にやや不備があったにせよ、同じ国内で二週間もかかるとは。ここganga工房から日本に発送しても一週間くらいで着くのに。外国よりも遠いアッサムである。
 ま、到着しただけでも良しとするか。

 下写真は、今の私のお気に入り布。
 エリ蚕のチャダルである。
 チャダルというのはヒンディー語で「掛け布」という意味。
 120×250cmのサイズで、男物のショールにするケースが多い。
 しかし私はこれをシーツとして使用している。しかも、敷きと掛けの二枚!
 前々からMaki関係者の間でエリ蚕シーツの魔力は囁かれていたのだが、実際使ってみると、めっちゃ気持ち良い。サラッとしていて、その中にほのかなヌメリがある。これはエリ蚕特有の触感だ。「冬暖かくて夏涼しい」と言われるエリ蚕布だが、シーツとしても季節を問わず快適。これはおそらく、野蚕特有の多孔性構造と、繊維の細さにも関係するのだろう。ベッドに入るのが楽しみになる。アッサムないしナガランド州にて手紡ぎ手織り。
 このエリ蚕チャダルは4月6日からの「チクチクの春展(竹林shop)」に出品予定なので、お見逃しなく!

 



3月23日(金) 驚きのパンジャブ州

 今日は男たち四人で、パンジャブ州のルディアナという街に来ている。
 工房から約290km、車で7時間の旅だ。
 何しに来たのかというと、ウールの糸探しだ。
 このルディアナはインドでも有数の製糸業の中心地。
 特にウール糸の生産量はインド随一だ。
 ここで作られるウール糸は、ganga工房の服地などに欠かすことができない。

 パンジャブ州にはシーク教の総本山がある。
 シーク教徒の特徴は、頭に巻いたターバンと、長い髭だ。街はそんな人々であふれている。(写真上)
 また、道行く女たちは、みなパンジャビドレス姿。サリーよりも活動的なこの格好は、今やインドの国民的レディスウェアだ。

 実はラケッシュは二年ほど前、この街に糸を探しに来た。
 ウール100%の糸だ。
 あまたある糸屋や製糸業者を訪ねるのだが、どこへ行っても「そんなもんありゃしないよ」と言われる。
 現在、インドのウール糸はアクリル配合が主流だ。その方が使い勝手が良く、価格も安い。
 数十軒渡り歩いた末に、とある製糸業者のオフィスにたどりつく。幅広く糸を作るこの業者のもとには、100%の純ウール糸もあるにはあった。しかし、5kgというあまりにささやかな注文量と、それを手織すると聞いて、そこの社長は「おまえたち馬鹿か!」とバッサリ。そんなことするより、ウチで織ってるアクリル入りのウール織物をデリーで売った方がよほど商売になるぞ、と。
 それでもラケッシュたちを哀れんだ同社の事務員が、残り物の純ウール糸の中から良さそうなものをわけてくれたのであった。

 そして今日、新たなツテがあったので、別の製糸業者を訪ねてみる。純ウール糸はあったのだが、やや硬い印象。それに各色、最小ロットが30kgだという。それではチト多すぎる。
 そこで、二年前に訪ねた業者を再訪することにする。ラケッシュを馬鹿呼ばわりした社長は彼のことを覚えていたようだ。
 日本人の私が同道したから、前回とはやや対応が違う。それでも相変わらず、「手織なんかするより、電気製品を作ったほうが良いんじゃないか」と減らず口をたたく。そこで、「そんなの時代遅れ。手紡ぎ手織りこそ最先端」と言ってやったら、「ふ〜ん、日本へ行ってみたいなあ」とのたまう。
 とにかくganga工房の注文は小ロットで、色の指定も小難しい。各色5kg単位で5色というのだから、120人の従業員を抱える社長にとっては面倒以外の何物でもない。それでもスカイプで東京の真木千秋を呼び出し、サンプルを見ながら色合いの検討などをしているうち、向こうも諦めたのだろう。じゃ、いいよ、一色5千ルピーで染めてあげるよ、ということになる。(写真中、左端パソコン画面上に真木千秋)
 これでひとまず目出度しである。
 後でわかったのだが、この社長、デリーのニルー工房にもウールを供給していたのである。やはり彼女もウール100%を要求し、色の指定も厳しいのだそうだ。ニルーのことをdidi(姉御)と呼ぶ間柄だという。その偶然にびっくり。つまり我々は二十年以上も前からこの紡績工場のウールを使っていたのだ。

 しかし、最大の驚きはその夜であった。
 近所のホテルに宿を取り、外へ夕飯を食いに行く。
 パンジャブは料理で有名だ。北インド料理、すなわち日本でお馴染みの「いわゆるインド料理」は、パンジャブ料理がその源流となっている。なんでパンジャブ料理なんだろう?と常々疑問に思っていたのだが…。
 インド料理のシェフでもあるラケッシュによると、たとえば、タンドール(炭火竈)の発祥地がパンジャブなんだそうだ。(写真下・街のタンドール屋)
 宿の近くにあった、とある飯屋に入る。この界隈ではチト名の知られる店らしいが、一見すると、何の変哲もない簡素なインド食堂だ。特に期待もせず席に着き、ラケッシュに注文を任せて、淡々と食い始めたのだが…
 これが、とてつもなくウマい!! 特にチキンカレー(butter chicken)など、我が四半世紀にも及ばんとするインド体験の中でも、こんなの初めて。っていうくらいの味。そのほか、チャツネも、タンドーリチキンも、パラック(ホウレン草カレー)も、ナンも、チャパティも、あらゆるものがウマい。コレだけでもガタガタ道を往復14時間かけて来る価値はある。
 パンジャブ料理の威力、ひいてはインド文明の底力を思い知るようなひとときであった。

 



3月26日(月) Tokyo, not Toronto

 
 本日、昼間の最高気温は34℃。
 みんな涼しげな夏の装いだ。
 上写真・右端のテーラー、マニンドラが、なにやら白い物体を縫製している。
 これは日本向けの速達便だ。
 来週金曜に迫ったちくちくの春展に向けての、最後の荷出しである。
 ホントはこんなに間際までやるもんじゃないけどね。できるだけフレッシュな作をお目に掛けたいという、往生際の悪いganga工房である。

 インドには「速達便は白布で外側を蔽うべし」という規則があるらしい。
 それで30分くらいかけてテーラーが小包を作製しているわけだ。
 その中には、出来上がったばかりの空羽ストールや、タンクトップ、布バッグ、男女ふんどし、エリ蚕チャダル(掛け布)が入っている。

 縫製終了後が面白い。
 封印をするのだ。(写真中)
 この封印に使われる赤いワックスが、ラックと呼ばれる。
 赤を染めるラックダイのラック樹脂だ。
 棒状のラックを蝋燭の炎であぶって溶かし、布に押しつけ、印章を刻印する。
 印章は5ルピー硬貨を使っていた。インドの硬貨の裏には、国章「アショカ王の四頭獅子像」が刻み込まれているのだ。
 こうして封印をすれば、途中で抜き取られる心配はない。
 (白布で蔽うのも抜き取り防止のためかも)
 
 しかし、安心するのはまだ早い。
 これを郵便局からEMS便で発送するのだが、昨秋ひとつ、東京じゃなくてカナダのトロントへ送られてしまったのだ。日本の郵便局でも扱っている国際スピード郵便である。
 取り扱い郵便局は、工房から三十数キロ離れた州都デラドンにある。
 大事な荷物であるから、今日は私も同道する。(写真下)
 格好がやや珍妙かも。日本から持参した甚平と、南インド布のルンギ(腰巻)だ。なぜこんな姿かというと、第一に暑いからであるが、これだったらどう見てもカナダ人には見えないであろう。(日本人にも見えないか!?)
 担当の局員に荷物を託し、「東京だよ、トロントじゃないんだよ」と念を押す。
 すると、「大丈夫です」と言いながら、「あの荷物、まだトロントから戻りませんねえ」と局員君。
 おいおい、もう五ヶ月も経ってんだぜ。
 ま、覚えているだけでもマシということか。
 というわけで、さて、この小包、来週金曜までに竹林に届くか!?

 



3月28日(水) ジテンドラの米
 
 コレ、本日の昼食。
 ここラケッシュ家の主食は、朝と夜がチャパティ、昼がご飯だ。ただ私は雑穀を好むので、ご飯といっても米飯ではなく、ヒエ飯を食べる。
 しかし今日は特別に米飯にしてもらった。というのも、特別の米があったからだ。
 それは織工ジテンドラの米。

 先日ちょっと食べる機会があって、美味しかったので、ラケッシュ母に茹でてもらったのだ。ちなみにインドでは米は炊かない。パスタのように茹でる。
 この米はジテンドラが昨年、里から背負ってきたものだ。
 香り米なのだ。品種の名前はソナム。

 インドも日本と同じで、米の品種はたくさんある。
 基本的にインディカ米、すなわちパラパラした長粒種だ。もちろん、カレーによくあう。
 インド最高と言われるのは、バスマティという米。やはり香り米として知られている。じつはここデラドン地区のバスマティは、かつてインド随一とされ、英国ヴィクトリア女王の食膳にも上ったという。言うなればインドの魚沼か。ラケッシュ家の昼食も最近はバスマティだ。(ここのではなくパンジャブ州産)。
 ところが、このジテンドラ米、生米を手の平に載せて嗅ぐと、その香りが半端ではない。ラケッシュ家バスマティより三倍は匂う。手を洗ってもまだ香りが残っているくらいだ。
 この強い香りは、人によって好みの分かれるところでもあろう。

 中写真が今日のジテンドラ。小さな機で細いヒモを織っている。
 彼の実家はウッタルプラデシュ州の東端にある。ここから汽車で二日ほどの道程だ。農村地帯で、父親は4ヘクタールほど水田をやっている。
 その父親は一年ほど前、この工房に訪ねて来た。(写真下の右側)。ちょっと洒落っ気のあるジテンドラからはなかなか想像のつかない、朴訥なインドの農民であった。

 もうじき半年ぶりに里帰りするジテンドラ。
 ちょうどいいから米を送ってよ、と頼む。
 すると、ハイ、背負ってきますと言う。
 そんなの重いし、自分の分もあるだろうから、郵便で送ればいいよ、だいたいキミは米はどうしてるの?と聞くと、買っているという。里の米とこっちの米でどっちが好き?と聞くと、里の米だという。
 なんでもジテンドラの里は田舎すぎて、誰も郵便で物を送ったりしないのだそうだ。もちろん、宅急便なんてものもない。途中で無くなるんじゃないかと心配なのだ。
 それでも彼には、親の作ったこんなに香高い米を食わせてやりたいから、今回は郵便で送れと厳命する。
 これなら私も、ヒエと交互に食べてもいいし。
 さて、どうなるか。

 



3月31日(土) ふんどし生活

 ちくちくの春展、注目の新製品。ふんどし。
 ま、前々からあったのだが、女性用は初めてだ。
 ふんどし愛好女子を略して「ふん女子」というのだが、Maki周辺でも確実に増殖し、現在では三名を数えるに至っている。
 ふんどしの魅力は、何といっても布素材を身近に感じられる点だろう。
 着脱においても、用足しにおいても、布と改めて対話し、大事な部分を託するという次第である。
 外に干しても下着に見えないのも、ふん女子にとっては有難いところだ。
 私なぞ頭巾代わりにするくらいだ。

 それでは来週発表する新作ふんどしをご紹介。

 写真上が女子用。
 一番右が、今、注目の素材、エリ蚕。サラッとしながらヌメリのあるエリ蚕独特の触感が肌に心地良い。どっしり重厚な存在感。ヒモを結ぶ時の感触もすばらしい。色はオフホワイト。税込4200円
 真ん中はタッサーシルク。生糸を使用し、木綿糸で格子を織り出している。サラッと爽やかな薄地。淡褐色の光沢が美しい。軽量コンパクトで超絶的な速乾性を誇る。日向で数分、ホテル室内でも一時間で乾くので、旅行に便利。3570円。
 左は綿カディ。厚手で暖かく、優しい肌触り。吸水性や丈夫さでは随一。色は天然のアイボリー。2730円。

 写真下は男子用。
 右端は極薄綿カディ。モモヒキの下につけても気にならない薄さと柔らかさが特長。最もコンパクトで速乾性にも優れ、出張に便利。2940円。
 右から二番目。タッサーシルク。上記女子用を参照。3750円。
 左から二番目。エリ蚕。上記女子用を参照。4200円
 左端。モトカ絹×カティヤ絹。手紡ぎ絹糸によるシルク100%。天然色。ワイルドな外見と触感が魅力。別名ターザン褌。木目模様が美しく、暖簾などインテリアにも使える。速乾性にも優れるので、水着にも好適。私はコレで明日ガンジス川に漬かる予定。3990円。

 真木テキスタイルスタジオ唯一の田中ぱるばデザインのアイテムなので、みなさんよろしく!!

 



4月3日(火) ラクダの口にクミンシード

 今年になってから、ganga工房で混紡が始まった。
 現在のところ、シルクとウールを混ぜて糸を作っている。

 これが、なかなかタイヘンな作業なのだ。
 混紡のためには、まず繊維同士を混ぜ合わさないといけない。ところが、シルクにしてもウールにしても、繊維の細さはミクロン(千分の一ミリ)単位だ。それを混ぜ合わせるのは、並大抵なことではない。
 混ぜ合わせるには、カーディング(梳毛)機を使う。
 年初、日本から小さな電動カーディング機を持参したのだが、シルクがうまく処理できない。短繊維のウールに比べ、シルクはそもそも千メートル以上の長さがあるからだ。繊維の性質も違う。
 そこで、もっと大きな機械でやってもらおうということになる。
 
 機械が大きくなれば、それなりの量は必要だ。そこで女手数人で、何日かかけて、3kgのシルク&ウールを用意する。
 まず、家蚕の繭を煮て真綿にし、それをザクロでグレーに染め、それをハサミで細かく切る。そこに天然濃褐色のヒマラヤウールを合わせ、手でざっと掻き混ぜる。混合比は半々だ。(写真1)

 問題はそれをどこでカーディングしてもらうかだ。
 実は近所のリシケシに、とある会社があって、カーディング機を具えている。しかしこちらの量があまりに少ないため、てんで相手にしてくれないのだ。
 そこでヒマラヤ山中、標高1600メートルほどの町に行くことにする。そこに小規模な作業所が二つほどあって、やはりカーディング機を具えている。のんびりした山中だから、どちらか一箇所くらいは引き受けてくれるだろう…。
 車で約二時間半。酷暑(35℃超)の下界をよそに、高原を吹き抜ける風はすこぶる爽やかで気持ち良い。3kgのウール&絹を抱えてルンルン気分で作業所を訪れる私たち(写真2)。ところが、山中の人々はみんなのんびり過ぎて、どちらの機械も動かない。仕方なく絶景レストランでランチだけして、酷暑の下界に戻ってくるのであった。(最初から電話で確認しろって!? いやこれがインドの流儀なのだ)

 そのままおめおめ引き下がるわけにもいかないから、例のリシケシの某会社に再びアタックする。ここは実はNGO法人で、政府の援助を受けながら紡織業に携わり、地域住民の福利厚生に努めている(はずだ)。
 親分はチャンドラ氏。やはり最初は面倒くさがってなかなか相手にしてくれない。カーディング機械に入れる最小ロットは100kgで、それに比べたら3kgなんて「ラクダの口にクミンシードを入れるようなもんだ」とのたまう。実にインド的な表現だ。経済発展中のインドでは、まず「量」が第一なのである。
 それで頭にきたラケッシュ君、あなたはNGOなのに私たちみたいな地元の小さな存在の助けにぜんぜんならないじゃありませんか、などと敢然と抗議する。カーディング機も最近政府の援助で設置したものだ。チャンドラ氏もその勢いに負けて、わかった、じゃ、割増料金でやってやろう、ということになる。(写真3・チャンドラ氏とカーティング機)。その後ラケッシュ君、私ぱるばのことを日本の大きな会社の社長みたいに紹介した模様で(そんなふうには見えないが)、チャンドラ氏の態度もガラリと好転し、これからも是非よろしくという具合になる。氏の工場では地元のビーマル麻を織り込んだ「ヨガマット」も手織しており、なかなか面白かったのでひとつ購入する。日本で是非売ってくださいというのだが、さてどうだろう。
 肝腎のカーディングであるが、機械が大きいので、1回につき500グラムのロスが出るという。3kgやって500グラムじゃロスが大きすぎるので、今回は見合わせとなる。

 結局、その3kgは、ganga工房・紡ぎ主任のバギラティが手でカーディングすることに。写真4の奥にいるのが作業中のバギラティ。羽子板のような伝統的カーディング器だ。かなり根気の必要な作業となる。

 ところで、同写真、手前に見える白い煎餅状のモノ。これは昨日届いたエリ蚕真綿だ。二月半ばアッサム州のレヘマン博士に注文したものが、一月半後やっと届く。
 これもまたウールと混紡するのだ。
 家蚕はここganga工房の隣村でも養蚕されているが、エリ蚕は遥か東方アッサムからわざわざ取り寄せないといけない。でもそれだけの価値はあるのだ。家蚕とはまた違うしっとり感がある。エリ蚕&ウール混紡のストールは今回の「ちくちくの春」展でデビューするので、ぜひご覧のほどを!
 

 



4月8日(日) 憂国のクールビズ

 日本では原発の再稼働が取り沙汰されているようだが、拙速に走るより、まだほかにやることがあるのではないか。
 夏の電力不足が懸念されるとのことだが、だったらもっと薄着をしたらいいのだ。
 というわけで、国の将来を憂うる私としては、今夏の男どもの服装のことも心配せねばならない。なんせこっちは連日最高気温が35℃を上回り、エアコンも無いから、クールビズを考えるには格好の環境なのだ。

 クールビズと言えば、昨夏、ネット上でちょっと見たことがある。アロハとか、かりゆしとか。ただ、あのカラフルな花柄はどうも馴染めない。
 そこで不肖私が、かわいそうな日本の男どものために人体実験だ。
 まずは生地のチェック。

 男の仕事着であるから、やっぱり木綿であろう。
 木綿の故郷インドでは、古来から手紡ぎ手織りの木綿地が織られてきた。現在それはカディと呼ばれている。真夏は四十度を軽々と超える土地柄ゆえ、薄手のカディで作った衣は、すなわちクールビズなわけだ。
 カディ専門店に行って生地を広げてみると、そこに花柄なんぞ描かれていない。ひたすら無地だ。そもそも、生地に魅力があれば柄など無用。男は黙って無地で行く。
 というわけで、州都デラドンのカディ専門店で薄手カディ生地を二点ほど購入。工房のテーラーに半袖シャツを試作してもらった。
 一週間ほど試着しているが、酷暑の中、なかなか快適である。やはりカディは美しい。染色も問題ないようだ。
 これからデザインの検討だが、うまく行けば、6月に竹林で予定している「カディ展」に間に合うかもしれない。

 ホント言えば、男児たるもの、夏なぞ、裸に褌一丁で仕事をすればいいのだ。
 さすれば夏場の電力問題などたちどころに消え去るであろう。
 そういう甲斐性がないから、私がこんなことまで考えなきゃいけないというわけだ。

 



4月10日(火) 上簇(じょうぞく)

 昨日の9日、隣村のマンジュリを再訪する。3月21日に訪ねた絹の村だ
 前回の訪問時は、孵化して一週間ほどの頃で、蚕はまだ1cmくらいのサイズだった。
 そのときの話では、上簇は4月8日ということだった。
 上簇とは、成熟した蚕を蔟(まぶし)に移し替える作業だ。

 蔟というのは、蚕が繭を作る場所だ。
 私ぱるばの実家(信州上田)でもかつて養蚕をしていたが、当時の蔟はワラでできていたような覚えがある。今から思えば、何やらゆかしいワラ細工だ。もう五十年も昔のこと。
 毎年繭を分けてもらっている八王子の養蚕家・長田家で使っていたのは、ボール紙の蔟だった

 昨日、同じお宅を再訪すると、ちょうど上簇の真っ最中。
 家の主婦がすっかり成長した蚕を蔟に移していた。(写真上)。主婦の奥にある黒色の網がその蔟。
 昨日9日から始まったというから、一日ほど遅れたといわけか。(ま、それでもインドでは蚕の方が人間よりも時間に正確!?)
 蚕が黄色味を帯びたら、繭を作る準備完了ということ。そうしたら手で拾い上げ、蔟に移す。
 こちらの蔟はプラスチック製だった。トレーも青いプラスチックだし、イマイチ風情がない。
 上簇して四〜五日で繭になるという。

 別の農家に行くと、もう繭ができ始めていた。(下写真)
 上簇して二日目だということで、まだ完成はしていない。だから繭を振ってみても、中でコロコロという音はしない。

 今年はこのマンジュリ村からできたての春繭をわけてもらって、糸引きをやってみたいと考えている。
 

 



4月11日(水) 工房のかまど

 かまどというのは大事なところだ。
 古代の竪穴式住居を訪ねれば、いちばん目立つのが、真ん中に据えられたかまど。
 そこには神がおわしまして、家の守護神にもなっていた。

 ここganga工房でも、かまどは大事だ。
 この田舎には、もちろん都市ガスなんてないし、プロパンガスの供給も極めて限られている。
 それで染織に関する加熱煮沸の一切は、かまどに頼ることになる。
 燃料は薪だ。

 工房のかまどは土でできている。
 庭の土を使って、スタッフが手作りした。
 昔の日本と同じく、インドでも、かまどを土で作るのはごく普通のことだ。
 現在は焚き口が三つある。
 陽光と雨を避けるため、簡単な屋根がついている。

 一昨日、その上塗りをした。
 材料は、山の赤土と、牛糞と、水。
 それを混ぜ合わせて作る。
 土製の構造物にはよく合う「塗料」だ。
 伝統的な民家でもよく使われる。
 ヒマラヤ山中にあるラケッシュ母・実家の土壁も、この塗料で上塗りしている。

 写真上、塗っているのは、手紡ぎ主任のバギラティだ。
 なんだか小さな神殿のような趣。
 赤土は知り合いからもらってきた。
 牛糞は隣家から。
 工房の両側の家は牛を飼っている。
 牛糞というと我々日本人は !?!? という感じなのだが、インドでは大事な資源だ。
 植物繊維が豊富に含まれるから、塗料として使うにも都合が良いのだ。
 写真中の手前にある容器に入っているのが、その塗料。

 こうした上塗りをするのは、表面を滑らかにして、強化するためだ。
 そして赤錆色は見栄えが良い。
 日を置いて、二度、三度、塗り重ねる。
 写真中は、その間に湯を沸かす大炊頭ディネッシュ。
 これから繭を煮るのだ。これは昨日のこと。

 かまどの壁の向こうは隣家の麦畑が広がる。
 昨日はみんなで麦刈りをしていた。
 こうして刈られた小麦から、香ばしいチャパティが作られる。そう思うとなんだか感慨深い。
 麦わらは牛の餌になる。
 つまり、この麦も、かまどの原料のひとつというわけだ。
 

 



4月12日(木) 行くmaki・来るmaki・ありmaki

 これは本日、午後6時30分(日本時間午後10時)。
 場所はデリー空港。
 日本から真木千秋、図師潤子、秋田由紀子の三名がインド航空にて飛来。
 一方、私ぱるばはganga工房のある北部デラドンから飛来。
 ここデリー空港で一月ぶりに出会うのであった。

 これより、真木千秋以下三名はインドで仕事。私ぱるばは帰国の途に就くのである。
 別に仕組んだわけではなく、たまたまそうなった。
 デリーで数時間一緒に過ごし、ひと月分の情報を交換し、しかる後、それぞれの道を往く。

 それで思い出したのは、ganga工房の寝室だ。
 よくアリが入り込んでくる。
 行くアリ、来るアリ。
 よく見ると、行くアリと来るアリが、しばし停止して触覚で情報交換し、しかる後、それぞれの道を往く。
 それとよく似ているわけだ。今日の私たち。
 ちょっと道は長いんだけれども。
 途中でミサイルと出会うかもしれないし。

 ところで、インドにしばらく行っていない人。
 デリー空港はこんなに広くキレイになったのである。
 

 



4月17日(火) 昭和の織姫

 福島県・会津地方の山中にある昭和村。
 ここは苧麻(からむし)の産地として有名だ。
 越後上布や小千谷縮といった最高品質の苧麻布は、その原料の多くをこの昭和村に負っていた。
 近年、この村では「織姫制度」という苧麻織り後継者育成事業が始まった。苧麻織りに関心のある娘たちが全国から集まり、共同生活を送りながら、苧麻栽培から糸作り、からむし織りまでの工程を実地に学ぶのである。体験生は一年、その後は研修生となり、技能を深めていく。

 昨日、縁あってここ昭和村を訪ねた。
 標高600mを超えるここ昭和村には、まだたくさんの雪が残り、インド帰りの身にはまことに新鮮で嬉しかった。(地元住民はウンザリという感じだったが)
 村のはずれに「からむし織りの里」という、たいへん立派な施設がある。
 その中の、織姫交流感という大きな建物の中に入ると、奥の方で、織姫が三人ほど、一心に糸を績(う)んでいる。苧麻糸をつくることを「績む」と言うのだ。
 我が名を名乗ると、そのうちのお二人ほどが、「先日お訪ねしました」とのこと。左様、織姫たちはときどき弊スタジオまでおでましになるのである。
 
 この地は苧麻の供給地として著名であったが、それとともに機織りも行われてきた。どこの農村でも同じだが、自分たちの必要物は自分で織るのだ。江戸時代後期に木綿が導入されるまで、苧麻や大麻は庶民の重要な繊維素材だった。
 村内でも苧麻栽培の盛んな地区、大芦(おおあし)。
 その部落で今でも機に向かっている五十嵐フミエさんのお宅を訪ねた。
 当年とって八十四歳。昭和初期の生まれだ。十五の頃から機織りを始めたというから、まさに昭和の織姫だ。
 畳の上に地機(いざり機)を置いて織っている。腰でタテ糸を引っぱるので、一度織り始めるととなかなか中座も叶わない。フミエさんは朝の八時から昼まで織るという。
 タテ糸は自分でからむしを育てて績んだ糸、ヨコ糸は別の手になるもので、帯を織っている。「ボケ防止だ」と笑う。

 仄聞するところによると、織姫制度は、農村青年の婚活の意味もあったという。
 今までに12組もの成婚があったそうだ。もともと織りの好きな娘たちだから、この村に残りたいという気持ちも強かったのだろう。
 現在、村の学童たちの2〜3割はそうした織姫たちの子供だそうだ。過疎や嫁不足や悩む山村にとって、この制度はその意味でも大きな成果をもたらしたと言えるだろう。
 研修生のひとりに「あなたはどうなの?」と水を向けると、「5〜60代の独身の方ならいらっしゃるのですが…」とのこと。う〜ん、今は嫁不足ならぬ婿不足!?

 このあたりの苧麻は丈が2mもあるとのこと。今は雪の中に埋まっているが、夏になったら再訪してみたいものだ。

 
からむし糸を績む織姫研修生

地機(じばた)でからむし織りをするフミ姉(ねえ)


4月26日(木) いにしへの小学校ファッション

 Makiアトリエの近所にある小宮小学校。
 山間の小さな小学校であったが、この3月、138年の歴史に幕を閉じた。
 私ぱるばはインド滞在中ゆえ、その閉幕式に立ち会えなかったが、まこと淋しいことである。かつてこの学校に沖縄のエイサーを教えたこともあった。16年前のその様子はこちら
 閉校の原因は、ズバリ、過疎と少子化だ。終戦直後の昭和二十年には疎開者もいて全校生徒は467人を数えたが、最後には18人にまで減ってしまった。
 豊かな自然に囲まれ、地域に愛された小学校だったのだが、世の流れには逆らえない。新学期からは町場の五日市小学校に統合され、生徒たちは毎日バスで通うことになる。

 閉校記念の本が届いた。
 その中に興味深い写真を見つける。
 「昭和8年6月10日、5年生」とある。
 昭和8年というと1933年。今から80年ほど前だ。
 6月10日というから、おそらく特別の日ではなく、平時だったと思われる。
 注目すべきは、その服装。
 男子は20名ほど写っている。2人を除いてみな和服だ。多くは袴をつけているが、着流しの子たちもいる。
 女子は25名ほど。そのうちの10人くらいが洋服だ。(写真を拡大するとよくわかる)
 ちょっと不思議に思ったのは、現代だと、女の和服姿はよく見かけるが、男の和服は珍しい。なぜ80年前の田舎の小学生は、男子の和装率が高かったのか?
 これはおそらく、女のほうがお洒落だからだろう。洋服というものを着てみたかったのだ。男はと言えば、みんな和服だからオレも和服。みんなが洋服ならオレも洋服。というほどのことだろう。

 この頃の木造校舎に、ちょっとタイムスリップしてみたいものだ。

 



4月29日(日) タケノコ

 ここ武蔵五日市のスタジオは、「竹林」の名のごとく、竹に囲まれている。
 そのほとんどが孟宗竹だ。
 あまり利用価値のない竹だが、タケノコだけは別。
 毎年、今ごろになると、そこここからニョキニョキ頭を出す。

 昨日、大家さんがタケノコ掘りにやってきて、ウチにも十本ほど置いていった。
 写真のごとく、ずっしり立派なタケノコだ。
 そこで今日はまとめてアク抜きをする。

 アク抜きの仕方は諸説紛々だが、今日はネットで調べた方法でやってみる。
 参考のために書き記すと、まず下から4〜5枚、皮を剥く。(写真右)。
 次いで、上方を斜めに切り落とす。そして真上から少し包丁を入れる。

 沖縄の大鍋に入れ、米ぬかをふりかけて、沸騰後、三十分ほど煮る。(写真左)
 その後、一晩放置する。

 というわけで、現在放置の最中というわけ。
 明日は月曜だけど、竹林shopは特別開店。来店した人はもらえるかも。

 

 

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