絲絲奮戦記

studio top
過去帳 20前/19後/19前/18後/18前/17後/17前/16後/16前/15後/15前/14後/14前/13秋/13夏/13春/12秋/12夏/12春/11秋/11夏/11春/10後/10前
/ 09後/09前/08後/08前/07後/07前/06後/06前/05後/05前/04後/04前/03後/03前/02後/02前/99/98/97/96
竹林日誌 10前/09後/09前/08後/08前/07秋/07夏/07春/06秋/06夏/06春/05秋/05夏/05春/04秋/ 04夏/04春/03秋/03夏/03春/02後/02前
/01/99-00/「建設篇」




 

7月5日(日) あいうえおわり

 カディ展も終わった静かな日曜日。
 雨の合間に畑に出て藍を植える真木千秋。
 珍しい風景だ。
 通常、この時期は日本に居ない。
 そもそも、畑仕事はあまりやらない。
 ただ、染織関係になると話は別で、自ら進んで野良に出る。

 5月8日に芽生えた蓼藍(たであい)。
 二ヶ月で20cmほどに成長した。
 畑には藍草用に畝(ウネ)を三つ用意する。
 三十分ほどで植え付け終了。
 苗が少し余ったので、欲しい人に進呈しようかな。
 (竹林shopで)


7月6日(月) 夏の綿服とBGM

 ナマステー
 今回の「カディ・マンガルギリ・オルガンザ」展でも、紙芝居を挙行。
 それをインスタライブで同時放映するとともに、YouTube にもアップ。
 まずは「夏の綿服」と題し、カディ&マンガルギリの下りを編集する。
 アドレスはこちら;
  https://youtu.be/s0JiIt5Ex-E

 編集中にひとつ、面白いことに気がついた。
 始まって12分くらいのところ。
 隣州のカディ産地に車でドライブする場面。
 静止画なので音声は無いはずなのに、車のエンジン音が入っている。

 それで思い出したのが、当日ご来訪のN夫妻。
 旦那が無類のクルマ好きで、かなりマニアックな愛車で出現する。
 前回は「コブラ」で、2月の雑記帳にも書いた通り7000ccのオープンカーだ
 今回は梅雨時でもあるから、オープンカーはやめて、別の大きな7000cc!
 なんでも、プリムス・ダスターと言うんだそうだ。
 そういえば、当日、紙芝居をやりながら、ずいぶん派手な音だなぁ、ダンプでも来たのかなぁ⋯とか思っていたのだ。

 ところが、紙芝居動画を編集していて、その出現のタイミングに感心。
 車窓から撮影した写真に寄り添っている。
 しかも、ドライブが終わり、織の村に到着した瞬間、ピタッとエンジン音が止まるあたり、チト出来すぎ。
 さすがウチのお客さん、タダ者ではない!?
 なお、YouTube 掲載のものは短めに編集してあるが、オリジナルノーカット版はインスタグラムのIGTVで見られる。




 

7月12日(日) 糸芭蕉の世話

 真木千秋は一週間ほど前から沖縄西表島の紅露(くうる)工房。
 あちらはもう梅雨も明け、暑い日々が続いている。染めの作業には好適だ。
 石垣金星&昭子さんの許、ヒルギやヤエヤマアオキでストールや布を染めている。
 左写真、真木千秋が担いでいるのは、糸芭蕉の芯。

 八重山の芭蕉は、インドganga maki 工房でも良く育っている。
 昨日はネットを通じて石垣昭子さんが、工房用務員のモヒット(右写真)にスラウチの指導をする。スラウチというのは、要するに剪定。幹の成長を促すため、葉を落とすのだ。
 モヒット君、日本の鎌を手にしている。新しくてキレ味が良いから、スラウチの作業もさだめし快感であろう。落とした葉っぱは牛の餌になるから、何にしても無駄がない。

 真木千秋は更に一週間ほど紅露工房で世話になる。
 いろいろ手土産があるようだが、それは8月1日から始まる「竹林の8月」のお楽しみ。

 

7月23日(木) 祝日のインド大使館

 久しぶりに都心に赴く。
 行き先は、千鳥ヶ淵のインド大使館。
 目的は、インド行きビザの取得。
 今日は日本国民の祝日であるが、インド大使館は営業しているのである。
 
 四ヶ月ぶりの千鳥ヶ淵。
 前回の目的もインド渡航のビザ申請であったが、すげなく断られた。
 電車に乗って都心に行くのも久しぶりだ。というか、都心に行くこと自体が4月初旬以来だ。さてどんなだろう!?
 武蔵五日市駅からJR五日市線で拝島、そこから西武線で高田馬場、そこから地下鉄東西線で九段下。
 休日もあってか、ずっと座って行ける。新聞を読んでいるうちに九段下駅に到着。

 雨の中、インド大使館の領事部に駆け込むと、普段と打って変わってひっそり、ゆったり。
 真木千秋がインド渡航を希望しているのだ。そのためのビザ取得である。
 何もこんなとき感染者数世界第三位のインドに行かなくても⋯という声もあるが、とにかく布づくりをしたいという一心なのだ。
 そもそもインドは人口が多いので、感染者数もそれに比例して多くなる。感染率を見ると、今のところまだ欧米主要国よりもかなり低い
 それにganga maki 工房のあるウッタラカンド州は、インドでも感染率の低い地域だ。州人口が1千万ほどで、現在感染者数は5千3百。
 また工房の立地は、里山の麓、国立公園の近所にある。言うなればここ武蔵五日市と良く似ている。そんな環境の中で布づくりに励む限り、危険度は当地とそれほど変わるまい。
 ま、しかし、究極的には本人の選択だ。

 最近、東京の感染者数も増えている。毎日二百人前後。
 電車に乗って、あたりをうかがいつつ、つらつら計算してみるに、東京の人口を1400万人とすると、日々、7万人にひとり感染確認されている勘定になる。
 今、東京人はほとんど病原菌扱いである。ただしかし、注意深く生活を送りながら、7万人のうちのひとりに当たるっていうのは、なかなか難しいことではあるまいか。(東京の感染確認者数は昨日で1万を超えたが、残りの1399万人はどうなる!?)

 帰りの電車は、九段下から東西線で三鷹、そこから中央線で立川、青梅線で拝島、そして五日市線で武蔵五日市。
 1時間半の旅路であったが、やっぱり空いていたから、新聞を読んでいるうちに着いてしまった。祝日に営業してくれると有難い。
 (竹林shopも営業しているが、ほとんど来訪者も無い模様)


 

7月29日(水) 真木千秋・インド到着

 本日12時のインド航空307便にて、真木千秋、成田を発つ。

 そもそもこの便は臨時便で、インド人の里帰り用である。そこを何とか頼み込んで乗せてもらう。真木千秋のほか日本人はインドに赴任する外交官ひとりのみであったようだ。
 ビザを取るのがなかなか難しく、インド航空(AI)の助力もあって先週木曜に申請し、一昨日の月曜に発給される。
 そして今朝、私ぱるばが成田まで車で送る。

 普段とは様変わりの閑散とした空港第2ターミナル。ただ、Jカウンターのみ、出発3時間前であるにもかかわらずインド人が長蛇の列を作っている。待ちわびた帰国なのであろう。コロナ前は週4便運行のAI便であるが、現在は月に2〜3便の里帰り用臨時便が出る程度だ。次の便はまだ未定。定期便の復活はいつになることやら。ちなみにJALのインド定期便再開は10月以降らしい。
 上写真はAIチェックインカウンターでの真木千秋。4ヶ月振りのインド「帰国」であるから、40kg以上の荷物を携行する。
 機内サービスはいっさいなく、食料および飲料は搭乗口で渡される。チーズサンドイッチ、バナナ、ジュースなど、かなりシンプル。また、機内のTVモニターも使えないという。

 そんな中で8時間半、何をしていたのか知らないが、つい先ほど、無事デリー到着の連絡が入る。わりあい元気そう。
 到着すると、まずPCR検査だ。
 それに1〜2時間かかるそうだ。今、空港ロビーでその順番を待っているところ。
 下写真が真木千秋から送られて来たその様子。いつものデリー空港ロビーだが、長旅の後にご苦労なことだ。千秋にすれば、今朝家を出てもう16時間ということになる。
 その後、空港近くのホテルで一週間の隔離生活が待っている。
 いろんな経験をさせられるものだ。




 

7月31日(金) 用務員の8月

 毎年、今ごろになると、「竹林8月のお楽しみ」というのをやる。
 これは、ちょっと肩の力を抜いた催しで、特価品とか、訳あり品とか、発掘品とか、派生品とか、いろいろ出てくる。日によってランチもあるし、カフェもある。ケヤキの木陰で、都心よりやや涼しい。
 「この僻遠の地にわざわざ来てくれる人のためのお楽しみ」、という趣旨だ。

 で、今年はどうしようか??
 と、迷った。
 疫禍という事情もあるし、遠すぎて来られない人もいるし、ま、今回は特別にネットでもやろう、ということになった。
 ただ、訳ありや発掘品は、基本的に竹林shopのみとなる。ネット掲載は手間暇かかるのだ。訳ありの「訳」をネットで見せるのも難しいし。

 疫病感染再拡大の中、どれほどのお客さんが竹林に来てくれるか定かではない。
 しかし、外回りを担当する用務員は手を緩めない。
 梅雨明けが遅れて雨ばかりの日々、濡れ落ち葉の始末はなかなか厄介だ。
 それでも、お客さんが来てくれると思えば、モチベーションも高まる。
 草刈り、枝払い、ゴミ拾い、アクセス整備⋯
 おかげで、竹林の環境も少しは改善。日頃の運動不足も緩和!?
 写真は竹垣の根本に見つけたキヌガサダケ。




 

8月5日(水) 真木千秋、ganga maki 工房到着

 今しがた、真木千秋からビデオ連絡が来る。
 無事、インドganga maki 工房到着。
 「無事」とは言え、ちょっとした騒ぎであった。
 無理もない。ほどんど誰もやっていないことをやっているのだから。
 そもそも、この時期、日本からインドへ行く人間なんかいない。
 それも、民間で、零細企業で、女ひとりで⋯となると、絶無であろう。
 行く先も、デリーとかムンバイみたいな国際都市ではなく、ボグプールなどという誰も聞いたことのない田舎だ。
 よくぞ辿り着いたものだ。

 一週間前の7月29日にデリー着。
 それから七日間、デリー空港近くのホテルで隔離。
 なかなか良い宿で、快適なステイだったようだ。
 問題はその後。つまり今朝。宿を出てデリー空港に赴き、国内線でデラドン空港まで飛ぶ。
 デラドンはウッタラカンド州の州都だ。インドは州ごとにコロナ対応が違う。州の許可がないと入れないのだ。
 その許可申請もネット経由で事前にやっておいたのだが、デリー空港カウンタの対応が、どうも要領を得ない。このあたりがインドだ。
 しかし、世界のどの国にしても、初めての経験だから、完璧な対応も難しかろう。
 なんとか国内線に搭乗し、デラドン空港に到着。
 空港でPCRテストを受け、陰性。晴れて入境を許される。
 そしてタクシーで、四ヶ月ぶりの工房へ。
 工房に着いたら涙が出たそうだ。
 写真は大きく育った藍の畑と真木千秋。

 教訓
 インドに不可能の文字はない。(可能の文字もない)


8月11日(火) 代替田舎

 昨日で「竹林8月のお楽しみ2020」終了。
 予想以上のご来展を頂き、感謝。
 こういう状況下だから、どのように振る舞えば良いのか、我々もいろいろ考えた。
 たとえば、三密の回避。
 特に先週に入ってから酷暑日の連続だから、密閉回避との兼ね合いが難しい。
 外気導入を図ると、外気とともに熱気も侵入するので、快適性が損なわれる。
 それで、店内の密集度合を見計らいつつ、換気をこまめに調整するのであった。

 しかし驚いたのは、おととい昨日の連休、周辺の人出だ。
 竹林にスタジオを移して22年目になるが、ここ武蔵五日市にこんなに車が殺到したのも初めてではないか。
 拙宅からスタジオまで移動するにも一苦労。
 幸か不幸か、竹林展示会はそこまでの殺到ではなかったのだが、お客さん曰く「今年は帰省するなと言われて、田舎に戻れなかった」との由。
 なるほど、武蔵五日市は田舎の代わりだったのか。
 確かに当地も東京都内であるから、田舎ではあるものの、東京ナンバーの車が迫害されることはない。八王子ナンバーなんて地元だからな、当然のことながら安心して動き回れる。
 
 明後日からお盆であるが、竹林shopは毎年、この時期も営業している。(そもそも武蔵五日市のお盆は7月だから原住民は関係ない)
 田舎の代わりにせいぜいご活用いただきたい。


 

8月21日(金) 葉山にafa真砂三千代スタジオを訪ねる

 三浦半島の西側にある、御用邸の街、葉山。
 真砂三千代さんのスタジオであるafaは、その一画に静かに佇んでいる。
 盛夏、蝉時雨の中、久しぶりにそのスタジオを訪ねる。
 一週間後の8月29日より、竹林スタジオ&オンラインショップでafa真砂三千代展が開かれるからだ。

 三千代さんとは昔からの縁だ。
 どのくらい昔からか、思い出せないくらい。
 三十年近く前のことだろう。
 爾来、ウチの布を使ってもらい、今は無き弊スタジオ青山店で何度か展示会を開いてもらい、ganga maki 工房開設後には何度か足を運んでもらって服作りのご指導ご鞭撻を頂いている。言わば姉妹スタジオみたいなものだ。

 昨年新装成ったafaスタジオ。
 新しいスタッフも加わり、この厳しい状況下、しっかりとした仕事を続けているご様子。葉山の自然や環境と融け合った生活スタイルには、いつもながら学ぶところが多い。

 スタジオ内の一室で、今回、竹林に展示してもらう作品と出会う。
 弊スタジオの布や、afaで新たに手懸けた布々を使って、真砂三千代の世界が創り出される。
 ちょっと意表を突かれたのは、我々も久しく目にしていない、弊スタジオの布々が新しい衣になっていることだ。たとえば、左下写真で三千代さんが手にしている上衣。これに使われている布は、タッサーシルクを使ってデリー工房で作られたジャカード織だ。afaで大事に保管され、このたび形を与えられて現れた。
 そんな驚きもafa展ならではのことだろう。
 今回は薄いシルクや麻生地服が中心に八十点ほど出展。
 afaの別ブランド「life afa」のインナーやニットも。

afa真砂三千代展
8月29日(土)〜9月2日(水)
竹林shop および オンラインshop


 

8月23日(日) afa展のランチ「プレヤッサ」

 竹林スタジオでの展示会に際しては、ランチや珈琲もお楽しみ。
 毎回、いろんな人々に登場願っている。

 今回の珈琲は、1年ぶり、変態珈琲屋「ねじまき雲」。
 初体験のブラジル豆「フルーツバスケット」を引っ提げての出演である。

 ランチは初登場、カフェ「ソメイエ」。ねじまき雲による推薦だ。
 立川に店のあるソメイエさんには、昨年、やはりねじまき雲とのコラボでデザートを出してもらっている。そのときのロールケーキは今も語り草だ。
 そして今回はランチ。メニューは「プレヤッサ」。
 これは西アフリカの料理だという。実は私ぱるばは若きみぎり西アフリカのナイジェリアに1年ほど滞在していたのだが、そんな料理は初耳。
 聞くところによると、プレヤッサはセネガルのディッシュなんだそうだ。セネガルと言えば旧フランス領で文化的にも進んでいるという噂なので、どんな料理か興味津々。ねじまきの長沼氏によると、絶品!なんだそうだ。
 ねじ氏がそう言うんだからまず間違いはあるまいが、それでも企画者の責任上、事前調査は必要。それで昨日、立川のカフェソメイエにでかけ、看板メニューであるプレヤッサを注文したのであった。(左写真)。物も言わずに一気に食する。その感想は⋯ねじ氏と同様であった。う〜ん、西アフリカにこんなうまいものがあったのか。
 afa展は今週末から5日間であるが、ランチは冒頭の土日のみなので、ご注意。
 ランチのほかに、昨年同様デザートの提供も。ねじ珈琲との相性も抜群なので、こちらもお楽しみに!
 なお、ねじまき雲の出演は冒頭から3日間。




 

8月24日(月) ニューノーマルな展示会準備

 今回の疫禍により、展示会にもいろいろ変化が生じている。
 いちばん大きいのは、オンラインショップ同時開催であろう。
 日本中どこにいても、夜中や早朝でも、ワンクリックで参加できるのは便利なことだ。
 ただ、そのためには、特別な準備が必要になる。
 オンライン展示会の場合、アイテムごとの撮影が必須なのだ。

 ちゃんとした撮影には、スタジオも必要だし、フォトグラファーも必要だ。
 このような販売形態は想定していなかったから、弊スタジオにその準備は無い。
 それで、撮影用のボードなど家具調度を自作し、竹林shopの一部をスタジオとして使い、スタッフの服部謙二郎がフォトグラファーとなり撮影している。
 弊スタジオonline shop掲載の写真は、みなこうして撮影されているのである。

 今回のafa展も同様。今日は葉山のafaスタジオからスタッフがひとり、作品とともに駆けつけ、一緒に撮影する。(写真左)。
 写真中のモデルは大村恭子。シルクオルガンザ藍染を使用したafaコートを羽織っている。その右奥でアイロンをかけているのが、afaスタッフの植村さん(旧姓武笠)。弊スタジオとは十年以上の付き合いなので、お互い仕事が捗る。
 加うるに店舗の展示も2〜3日がかりの作業だ。つまり、展示会の準備に今までの倍くらい手間がかかるということ。
 これがコロナ下でのニューノーマル(新状態)というわけだ。順応せねば。
 オンラインショップでの展示は今週木曜あたりから順次見られるようになるので、まずはご参考までにどうぞ! (このあたりもニューノーマルの便利なところ)

afa真砂三千代展
8月29日(土)〜9月2日(水)
竹林shop および オンラインshop


 

8月27日(木) 空中用務員

 明後日からAfa真砂三千代展。
 真夏日の続く中、用務員仕事もたけなわだ。
 今日はベリースペシャル用務員の登場。
 市内在住のH氏だ。
 もともと弊スタジオのお客さんであるH氏、本職は造園家だ。
 先日スタジオに来訪した折、庭のケヤキを見上げ、枯れ枝に気づく。
 ケヤキは枯れ枝が頻繁に落下するのである。
 お客さんの上に落ちたら大変。「私が処理してあげましょう」ということで、今日、プロ用機材をいろいろ持参し、竹林に登場。
 この世には、マウンテン・クライミングならぬツリー・クライミングなる分野があるらしい。平たく言えば木登りなんだが、彼はその専門家なのだ。
 見よ、左写真。真ん中に走るオレンジ色のロープの上方、黒く見える人影が、H氏。右下がshopだ。私ぱるばも木登りは嫌いではないが、あんな高所は足がすくんで、まず無理。下から見上げるのとは大違いで、樹上では非常に高く感じるものだ。もちろん、足を滑らせて落下したら、命にかかわる。
 あそこまで、梯子も使わず、ロープ一本で登っていくのだ。そして、高所にある太い枯れ枝を、ロープを使いながら次々に落としていく。
 ケヤキの枯れ枝は私の好物である。太いのは薪になり、細いのはウッドチップになる。おかげで今日は、三週間ぶんの薪材と、三平米ぶんのウッドチップ材が手に入る。このチップはshop前に敷設される。
 ともあれ、さすがウチのお客さん。タダ者ではない。


9月1日(火) 日印二元中継 真砂三千代×真木千秋

 現在、開催中のAfa真砂三千代展。
 初日の8月29日は、三千代さんが東京五日市の弊スタジオに来展。
 そこで、現在インドganga maki 工房にて布づくり中の真木千秋を結んで、遠隔インスタライブ対談をする。
 久しぶりの対面。二十数年前に遡る二人の出会いや、沖縄西表島の石垣昭子さんとの生活など、いろいろ興味深い。
 酷暑日であったが、途中、大村恭子も闖入し、プチ衣ショーなども。
 そのインスタライブを編集してYouTube にupしたのが下の画面。
 なにせ相手がインドの田舎なので、通信状態がイマイチで、ちょっと会話が噛み合わなかったり、画面が不明瞭なところもあるが、そこはご愛敬ということで。
 


 

9月6日(日) タカキビもろこし高梁

 雨の晴れ間を見て拙畑に出る。
 8月の高温のせいか、夏野菜が元気。特にゴーヤーとかオクラ。原産地は熱帯アジアや西アフリカだ。

 もうひとつ、アフリカ原産とされる作物が、タカキビ。(左写真)
 その名の如く、高さは3mを超える。
 この作物はいろんな名前で呼ばれる。もろこしとか、高梁(コウリャン)とか、ソルガムとか。呼称が多いということは、世界各地で栽培されているということだろう。
 拙畑でもときどき栽培する。ただ、食用ではなく、ほうき用だ。

 ほうきと言っても、もろこしぼうき。糸繰り用品だ。
 穂先で小さなほうきを作る。それを使って、繭から糸口を探るのだ。
 種は西表島からいただく。ただ、農業技術が未熟なせいか発芽率が悪く、育ったのは2〜3本。それでも分岐して10ほどの穂が出たから、ほうきも幾つかできるだろう。

 タカキビの左隣が、藍草。
 7月の不順な気候のせいか、生育がイマイチ。


9月13日(日) マスクと種痘

 みなさん、マスクしてますか?
 私ぱるばはチト苦手で、時々忘れてしまうのだが、もしかしたら思わぬ効果があるのかも!?

 インドの日刊紙 Times of India の電子版に、面白い記事が出ていた。
 マスクには種痘のような効果があるという話だ。
 米カリフォルニア大学の研究者たちによる新説。
 曰く、マスクをつけていると、大きな飛沫はブロックされる。しかし、少量のウイルスは入ってくる。それによって、新型コロナウイルスに軽く感染する。そのことによって、ウイルスに対する抗体が形成される。
 これは種痘によって天然痘に軽く感染し、抗体を作ることに似ている。
 抗体が形成されると、本格的に感染した際にも、無症状ないし軽く済むという。
 「そのせいで幾つかの国々では重症率が低く抑えられている」とその研究者たちは語る。おそらくその「国々」には日本も入るのだろう。
 デリーにある公立肝胆学研究所の所長も、この説に関して、「デリー人口の29%が抗体を持っていながら、本格感染していない理由は、そのあたりにあるのかも」と語っている。

 実際、7月末のCNNニュースによると、抗体検査の結果、「インド西部の都市ムンバイのスラム街で、住民の半数以上が新型コロナウイルスに感染している」ことが明らかになった。ただ「米ジョンズ・ホプキンス大学の集計によれば、インド全体で新型ウイルスによる人口10万人当たりの死者は2.47人と、米国の45.24人、英国の68.95人と比べてはるかに少ない」とのこと。
 これもマスクと関係があるのだろうか。
 インドも、「Mask India」をしっかり励行すれば、今もって拡大傾向にある感染も、そのうち収まってくるのか!?

 ところで、この記事によると、種痘はインドでは紀元前1000年に行われていたそうだ。
 えっ、種痘って西洋起源じゃないの!? ジェンナーとか。
 調べてみると、ジャンナーの手法は牛痘法と言って、牛の天然痘を利用している。
 それ以前にアジアでは、インドや中国で、人間の天然痘を使った人痘法が行われていた。それは江戸時代には日本にも伝わっていた。ところが、西洋化の波ですっかり忘れ去られてしまっている。
 アジアは深い。

 ともあれ、普通のマスクはウイルスを通してしまうので、今までのところ、自分の感染防止というより、他人に感染させない、という観点で着用されていたように思う。
 しかし、このような種痘効果があるのなら、自分を守るという意味でも効果があるわけだ。
 弊スタジオもいろんなマスクを製作しているので、有効にご活用を!!
 


 

9月21日(月) 原色の炸裂

 畑に出ていて、左上写真みないなモノに出くわすと、かなりショックを受ける。
 熟したゴーヤーの実だ。
 緑一色の繁みの中に、突如、異様な色彩が出現する。
 胡瓜もそうだが、未熟のうちに採らないといけない。うっかり見落としたりしていると、ある日、衝撃の原色が炸裂するのだ。

 拙畑は山里に位置しているので、獣害虫害が甚だしい。猿、イノシシ、いろんな虫々。
 ところが、このゴーヤーは便利な作物で、そうした一切とは無縁。あんな苦いもん、食う奴はいないのだ。虫もつかないから無農薬でまったく問題ない。

 ただ、ゴーヤーも、好き好んで苦くなっているわけではあるまい。食われたくないから、苦いのだ。
 その証拠に、炸裂した果実の、赤い実を口にすると、甘いのだ。黄色い果肉も、別に苦くない。(美味くも無いが)
 しかしこの色彩⋯。ゴーヤーは緑のカーテンに使われるくらいだから、鬱蒼と繁る。それゆえにこそ、こうした衝撃的色彩を示すのであろう。リンゴが赤く色づくのと同じ道理だ。

 赤くて甘い種皮の中に、種子が入っている。(左下写真)
 これをとっておくと、来年は買わなくても良い。自家採種の循環だ。

 今年は8月が暑かったから、ゴーヤーも元気であった。
 私の子供の頃はこんな野菜は食卓に上らなかった。
 そもそもは熱帯アジアが原産で、これを使ったサブジ(インド野菜料理)は私の好物。
 日本の8月はインド以上の熱帯だから、ゴーヤーの本土上陸も自然の趨勢であろうか。
 




 

11月20日(金) 織師サジャッドの帰郷

 真木千秋の信頼も厚い織師サジャッド。デリー時代からもう27年もMakiのために織り続けている。
 出身は1300km離れた機織の村。そこに妻子を置いて、ここganga maki 工房で働いている。
 稀に見る愛妻家で、日に五度、妻のカディジャと電話で話すという。日に五度ということは、相手も一日中彼の電話を待っているということだろう。まことに仲睦まじきことだ。
 サジャッドは通常、五ヶ月働いて一ヶ月村に帰る。ところが今回はコロナで足止めを食って、七ヶ月ぶりの帰郷。カディジャもさぞかし首を長くして待っていることだろう。今日がその最終日。午後五時、夕暮れの中、足取りも軽く家路に就くサジャッドであった。
 
サジャッドのほか、グラム、タヒール、ユスフといった弊工房の職人もみな同じ村出身で、明日、四人一緒に村に戻る。腕利き職人が四人もいなくなって、ちょっと淋しい真木千秋である。

 今日は日本時間午後3時からインスタライブ「織師サジャッドの帰郷」を放映。なにせインドの田舎なので電波状況がどうなるか心配だったが、映像の乱れもなく26分間、無事にお届けできた。映像の中で、サジャッドが一枚一枚どのように変化をつけて織り分けているか秘話が明かされ興味深い。
 明日も午後3時から今度は染め場からインスタライブを放映する予定。もうちょっとコンパクトにやろうと思うので、ご用とお急ぎでない方はインスタグラム#makitextilestudioにぜひどうぞ! また本日分もインスタグラムのIGTVに収録してあるのでいつでも視聴可能。 ↓ ↓ ↓
https://www.instagram.com/tv/CHzXsNdl67q/?igshid=3xf0ebmp591


 

11月19日(木) 執念の四ポケットシャツ

 今朝の午前0時、田中ぱるばganga maki 工房到着。(詳しい経緯について知りたい人はこちらを参照)
 工房には八月から真木千秋が滞在して、布作りに励んでいる。

 11月は当地では最高の季節だろう。暑からず寒からず、毎日晴天。
 私ぱるばは今年の2月下旬以来、9ヶ月ぶりの来訪だ。その間、日印とも大変な日々であったが(今でも大変だが)、ヒマラヤの山裾の工房は見たところ平穏で、いつもの通りに稼働している。真木千秋やラケッシュ夫婦、スープリヤ、そしてスタッフ一同、元気そうでなによりだ。

 朝一番に、針場からお呼びがかかる。
 私用にシャツを作ったが、ポケットはどうするかという相談だった。
 形については私にほとんど決定権は無いのだが、ポケットについては一言ある。
 たくさん欲しいのだ。サファリスーツのように四つ。
 四つと聞いて真木千秋は一瞬たじろいだが、おじさんたちは入れるものがいろいろあるのだ。
 何とか説き伏せ、モノは試しで、四ポケットにしてもらう。ただ、四つとも同じだとつまらないということで、デザインをする真木千秋(左上写真)。ま、そのくらいやらせてやらないとな。右側は腕利きテーラーのビジェイ。真ん中が針場主任のスープリヤ。
 テーラーが控えているからすぐできてしまう。当たり前だが便利。
 下写真が完成形。maki初の四ポケット男性用シャツだ。やっぱり実用的。しばらくはコレばかり着ることになりそう。材質は厚手のシルクで、染めは工房産のメヘンディ。
どうだろう、男性諸氏で四ポケットシャツ欲しい人はいるだろうか?

 ところで、最近ハマっているインスタライブ。
 せっかく私が来たので、明日やりたいと思う。 そのためにiPhoneも新調してきたし。
 3pmから、タイトルは「織師サジャッドの帰郷」。
 ネット状況が良ければだが。インスタグラムmakitextilestudioにて。




 

11月17日(火) 世界の藍

 東京新宿に文化学園服飾博物館というのがある。
 文化服装学院の博物館だ。
 現在、「世界の藍」という展覧会が開かれている。
 いろいろ勉強になった。

 たとえば「藍靛」というコトバ。「らんてん」と読む。
 これは弊スタジオでも良く使ってきた。インド藍の泥藍を固めたものだ。英語でindigo cakeと呼ばれる。藍靛と言うのか、漢語では。これから使おう♪
 そのインド藍は、高純度の藍色により世界を席巻したのだが、ヒンドゥー世界では衣としてあまり用いられることがなかった。これは意外。そういえば確かに見かけることが少ないかも。

 面白かったのは、ナイジェリアのカノ。この街はアフリカにおける藍染の中心地なんだそうだ。じつは私ぱるば、三十数年前この街に1年ほど滞在したのだ。知らなかった。よく見ておけばよかった。
 タイトル通り、世界中の藍染が展示されている同展。ほとんどが同博物館の収蔵品だという。その中で一番目を惹いたのがアフリカの作品だった。技法はアラビア経由で伝わったようだが、細幅の手紡ぎ手織り木綿布に染め付ける原初のパワーに圧倒される。そこに施される刺繍は野蚕糸を使っているのだという。う〜ん、着てみたい。




 

11月14日(土) 広徳寺の銀杏

 あきる野の古刹・広徳寺。
 銀杏で有名だ。
 今日の土曜日。素晴らしい晴天に恵まれ、多くの人々が訪れていた。
 ところで、銀杏と書いてなんと読む。イチョウ? ギンナン?

 黄葉の盛りはこれからだが、ギンナンの盛りは過ぎてしまった。
 左写真は3日前の様子。風がそよぐと上からパラパラとギンナンが落下してきて、ヘルメットが欲しいくらい。でも観光客はその実にあまり興味がない様子。おかげで拾い放題。けっこう美味であった。
 それで今日も拾いに行ったのだが、もうほとんど無かった。寺で始末してしまったのだろうか。黄葉見物にギンナンは邪魔物であろう。靴がベトつくし、独特の臭気があるし。
 
 弊スタジオのお客さんの中には、広徳寺と組み合わせて来訪する人もしばしばだ。ここから広徳寺まではどのくらいかかりますか、とよく聞かれる。歩いて約三十分。2kmほどの行程だ。近くにある秋川の歩道橋「あゆみ橋」経由で行くと、今ごろの晴れた日など、実に爽快な散歩コースだ。




 

11月11日(水) 落葉作戦

 「絲つなぐ絲」展も終わって静かな竹林。
 訪れる人も絶えた庭に、ケヤキの葉が降り積もる。
 風情はあるのだが、そのままにもしておけない。
 これから12月末まで、落葉との長い付き合いだ。

 そこでこのたび導入したのが、エンジン・ブロワー。
 先日、お客さんでもある造園家に勧められて購入する。左写真、軒上で用務員が扱っているのがそれ。勢いよく舞い上がる落葉が快感。ちなみにこの落葉は五日分だ。
 今まで電気式のブロワーを使っていたのだが、効率が三倍くらい違う。もっと早く入れれば良かった。
 これで竹林の環境も少々改善されるであろう。




 

11月2日(月) 絲つなぐインスタライブ

 一昨日から始まった「絲つなぐ絲」展
 竹林shopとオンラインの同時開催であるが、母屋二階の紙芝居もやはり同時開催。
 毎日1時半から、インスタライブで放映している。
 真木千秋がインドから出演するなど新しい試みも導入。
 今日で三日目なのだが、慣れないせいもあって、必ずしもスムーズではない。
 一番の問題は、母屋の二階端っこでやっているせいで、Wifi電波が弱いのだ。それで今日なども途中で2〜3度、放映が途切れるなどして、ネット視聴者の皆さんにはだいぶご迷惑をかけてしまった。
 明日はWifiを使わず、携帯4Gの電波でお伝えしようと思うので、今までみたいな不具合は起こらないはず。
 それでは明日、1:30PMに、お会いしましょう!




 

10月29日(木) 藍の蜜

 ちょうどひと月前に刈り取った藍草
 刈り取った株からまた芽が出て、葉が生え、そして花が咲が咲いた。
 その花を目がけて、虫たちがやってくる。
 写真の右側にいる小さな蝶が、ヤマトシジミ。
 そして左側には、ミツバチが見える。(写真をクリックするとよく見える)
 横縞がハッキリしているので、おそらく日本ミツバチであろう。
 実は先日、近所の本田さんと昭ちゃんがそれぞれ日本ミツバチの巣箱を畑に仕掛けたのだ。そこから来ているのであろうか。

 日本ミツバチと言えば、ganga maki 工房のあるヒマラヤ地方の東洋ミツバチと同種だ。ヒマラヤの蜂蜜は工房でもよく使っているが、コクがあってじつに美味しいものだ。ときどき竹林イベントで販売したりもしたが、運んで来るのが重たくて⋯。
 でも今年は、運が良ければ、地元の日本蜂蜜、それも藍蜜の入ったのが味わえるかもしれない。

 そしてこれら虫たちのおかげで、藍が受粉し、種となり、また来年に繋がるのである。


 

10月26日(月) 本日のインスタライブ利用法

 現在、岐阜多治見のギャルリ百草にて、「蚕衣無縫(さんいむほう)展」開催中。
 この蚕衣無縫というのは言うまでもなく、天衣無縫の漢字ダジャレである。
 で、百草主人の安藤雅信氏のたまはく、「ホームページはもはや死んでいる。 Facebookでさえ死にかけている。今はインスタグラムだ」との由。遺憾ながら私もそんな気がするのである。それで、展示会初日の10月25日、百草展示会場でも急遽、インスタライブを挙行したのであった。さすが炯眼の百草ずいぶん前からインスタグラムを活用しているようであるが、インスタライブは初体験ということで、tocoro cafeの指南を受けつつ三人がかりでやったという次第。
 しかしこのインスタグラム、流行の先端ゆえか、やたらに仕様変更があるようである。こちら無料で使わせてもらってる手前、文句を言う筋合いもないのであるが、使う度にどこかが違っているので戸惑う。
 私はそもそもインスタなどまったく興味がなかった。これを読んでいる皆さんもおそらくご同類であろうと想像されるが、多少は知っておいても損は無いかも。
 それで、今日現在における、インスタライブの見方をご紹介しようと思う。

 スマホでもパソコンでもいいから、インスタグラムを開く。そして検索欄に @momogusa、あるいは「ギャルリ百草」と入力。すると「momogusaギャルリ百草」という文字が現れるであろうから、それを選ぶ。
 すると、左上写真みたいな画面になるはず。
 そうしたら、矢印の先の円形「蚕衣無縫XII」をクリック。
 そう、蚕衣無縫展は2001年の初回以来、今年で12回目なのだ。
 この円形をクリックすると、15秒ほどの短編映像が二本流れる。本編が見たい人は、画面上をタップすると、「IGTV動画を見る」という吹き出しが現れるので、そこをタップする。(左下写真)。するとかなり長い本編が放映されるというわけ。なお、1本目は66分という長いものだが、41分あたりからインド生中継の真木千秋が登場。そこから衣ショーが始まって、2本目に続くという流れである。
 当日はカメラを2台使い、百草インスタとMaki インスタで同時中継したのであった。それゆえ、同じ場面であるがやや視点の違う映像が、@makitextilestudio でも見られる。
 ご参考までに。
 しかしこれはあくまでも現時点におけるインスタグラムの仕様であって、またいつ変わるかもわからない。


10月19日(月) インドの奇跡!?

 毎朝、とあるグラフをチェックすることが日課になっている。
 インドの日刊紙Times of India電子版に掲載されているインドのコロナ感染者数グラフだ。
 真木千秋がインドに渡航したのが7月29日。当時は感染者総数が百万を超え、日々の感染者数も毎日5万ほどであった。日本と比べるとものすごい数字だ。人口が日本の十倍強であることを割り引いても、やっぱり多い。
 ただ、ganga maki 工房のあるウッタラカンド州は、インドでも感染率の低く、また工房は国立公園に程近い自然の豊かなところにある。ここ竹林スタジオと似た立地なので、まぁ、武蔵五日市と同じくらいの状況なのでは⋯と思っていた。
 それでも日々増加する感染者数には、心中穏やかならざるものがある。9月の中頃には毎日9万人台の後半になり、10万超えも時間の問題かと思われる。いったいどこまで行くのだろう?
 ところが、それから異変が⋯。伸びが止まったのだ。過去にも同じようなことがあったので、どうせ一時的なものだろう、と思っていたところが、グラフはそれから下降していく。
 そして、それから一ヶ月。今朝の数値は5万5千人にまで下がる。そしてTimes of Indiaには「インドのパンデミック、2月末までに落ち着く可能性も」という記事が掲載される。
 それによると、インド政府のコロナ専門家会議が昨日、報告書を公にする。
 その中にはちょっと驚くべき数字が見られる。たとえば、インド全体でコロナに対する免疫を持っている人が全体の30%。人口換算すると4億人ということになる。公式の感染者総数は今日現在で755万人だから、その50倍以上の人々が何らかの形で感染したということか。
 


 そして死亡率は0.04%以下。つまり1万人の感染者のうち4人以下ということになる。そういえば真木千秋によると、近郊の町リシケシでは「たとえ罹患しても死にゃしない」と皆かなりリラックスしているとのことだった。やはり聖地は違う。
 ともあれ、免疫率30%といえば集団免疫に近い数値だから、2月末にも落ち着くという観測に結びつく。確かに上グラフの下降線を延長していくと、来年2月にはかなりゼロの線に近付く。ただ、油断は禁物と専門家会議は言う。
 一ヶ月ちょっと前、9月13日の本欄で↓、やはりTimes of India の記事から、マスクには種痘と同じような効果がという話をご紹介した。この頃がインドの感染ピークであったが、人々がしっかりマスクをしていればやがて感染も収まるかも!?と予言致したのであった。その通りになったのかな!?
 ま、インドだからね、何だって起こりうる。ここでひとつ、奇跡の感染終息を見せて欲しいものだ。他人事じゃないのだが。




 

10月11日(日) NHK放映顛末

 今日は日曜日。
 こちら武蔵五日市(東京都あきる野市)は、台風の影響で三日間降り続いていた雨もやっと上がる。ただ直撃されたわけではないので、台風一過みたいな晴天ではぜんぜんない。
 さて、お騒がせのNHK・BS1ニュース番組、10月1日にいちおう放映される。
 いちおうというのは、本放送がキャンセルされたからだ。大リーグ中継のせい。
 これはかなり複雑怪奇な話であったが、まず大リーグの某試合の中継が急遽決まる。なんでも日本人投手が登板するのだと。それでBS1が表と裏に二分割され、大リーグが表、そしてニュース番組は裏に回される。更に直前になって、別の大リーグ試合で別の日本人選手出場ということで、それが裏に入って、表裏とも大リーグ。弊スタジオの出るニュース番組は消え去る。米大リーグってそんなに重要なんだぁ、と再認識。
 それでもニュース番組は収録されていたようで、それが11時に再放送される。(左写真がそれで、クリックすると見られる)。
 タイトルには「織物工房の労働環境を改善」。特に労働環境は赤文字だ。
 確かに、私も手織工房はいろいろ訪ねたが、労働環境はおそらくインド随一であろう。これもスタジオムンバイの協力があってこそだが、意図したというより、自然の成り行きであった。真木千秋にすれば、ただひたすら自分の好きなことをやっているだけ。
 今回の取材でも、その「好きなこと」、現時点では、工房産インド藍の藍建てとか、芭蕉の糸取りとか、ずいぶんカメラに収められたのだが、放送には登場しなかった。残念ではあったが、10分弱の時間しかなかったし、ニュース番組という性格上、「労働環境を改善」が主題に据えられたのも致し方ないか。もともと5分という時間枠だったようで、それを思えば、来訪のNHKカメラマン氏もよくぐゎんばってくれたと言うべきであろう。私も現地を離れてもう八ヶ月近く。映像を見て、この厳しい状況下、真木千秋を含め皆しっかりやっているようだと、感心&安心した次第。
 今度はどこか文化&アート番組で取材してくれないだろうか。




 

9月29日(火) NHK・BS1でインド工房紹介

 ganga maki 工房に先週、日本人特派員を含むNHKインド支局の取材陣が来訪。丸3日間に渉って工房を取材する。
 その映像作品が、明後日の10月1日、NHK・BS1にて全国放映される。
 作品といっても5分間の特集だ。
 3日分の収録から5分間なので、編集するのもさぞや大変なことであろう。記者氏もだいぶ熱が入っているようで、デリー支局に戻った後も、真木千秋のもとに昔の写真提供の依頼が次々にやってくる。しかし真木千秋の手許に写真は無い。それで私ぱるばにお鉢が回ってくるわけだ。お陰でここ三日ほどは仕事にならない。拙宅やスタジオを引っ掻きまわし、三十年以上も昔のポジやらプリントやら、あるいはデジタルやら、数千枚の写真をチェックし、フィルムスキャナで複製して送ったりという作業に奔走する。少しは役立っただろうか!?
 現地の取材では勢い余って、工房スタッフによるファッションショーまで敢行したようだ。
 あさっては朝8時から始まる「キャッチ! 世界のニュース」という報道番組の中で放映される。正確な時間はわからないのだが、おそらく8:20~30の間だということ。同日午前11時から再放送もある。(どうやら野球中継の影響で、8時からの回はBS1のサブチャンネル102になるようだ。NHKのホームページ参照)
 左写真、左から織師シャザッド、真木千秋、糸主任バビータ、テーラーのビジェイ、シャザッドやバビータはインタビューもされていた。請うご期待!

追記 (2020/10/01)
 8時からの放映は中止。午前11からの一回のみに。


 

9月28日(月) 藍の生葉染 2020

 ようやく晴れた今日、9月28日。
 かなり遅蒔きながら、今年の藍生葉染を行う。

 本来なれば、遅くとも二週間くらい前までにやらないといけない。
 というのも、そのあたりから藍の花穂が出始め、そっちに養分が行ってしまうからだ。
 それゆえこの二週間は、茶摘みならぬ花穂摘みに大わらわであった。それでどうにか食い止めたという感じ。
 全般的に、今年は藍の成長がイマイチであった。7月の天候不順が響いたのではないかと思う。8月に入ると丸々1ヶ月、激暑だったが、それもあまりよろしくなかったかも。
 それでも、最終的には、例年に近い藍葉の収穫があった。
 上写真は今朝、藍を刈り取る農夫ぱるば。昨日まで雨だったから、地面がゆるく、やや刈り取りづらい。葉っぱ自体は緑の濃い、良い色をしている。

 でっかいガーデンバケツに三杯、竹林スタジオに運び込み、葉っぱをむしる。
 藍の色素は葉にしか含まれないので、純度を高めるために葉を一枚一枚、藍草からむしるのだ。
 これがなかなかの手間。
 毎年ボランティアに手伝ってもらうのだが、今年は雨による延期に次ぐ延期で、みなさん都合がつかなくなる。
 それでも久々の青空の下、盛夏みたいに暑くなく、残暑でもなく、木漏れ日の中、おしゃべりしながら快適な作業であった。(中写真)

 葉っぱちぎりに並行して、井戸の前では、染色作業が始まる。
 通常、藍は発酵させて色素を濃縮し、染色する。
 しかし、生葉染は発酵の過程を経ず、葉っぱそのものから染める。
 生の葉っぱがないとできない、夏限定の染色だ。
 そして、発酵染では出ない爽やかな空色が染まる。

 染めた糸は、主に今年の春繭からスタジオで挽いた糸だ。
 透明感のある糸なので、生葉の爽やかさもいっそう生える。
 藍葉の青汁に糸を浸け、よく水洗いし、パタパタとはたいて空気中の酸素と反応させる。すると徐々に青味が現れる。このあたりが生葉染の楽しいところだ。下写真をクリック拡大してみるとわかるが、左側の人物二人がパタパタやっている糸カセが、緑から青に変身中だ。

 毎年行う作業なので、スタッフも手慣れている。
 今日染めたのは、約五十桛(かせ)。
 1年分の空色手挽き糸だ。夕方6時ころに作業が終わる。秋分を過ぎて、日暮も早い。スタッフの手も青く染まっている。
 染められた糸はインドに運ばれ、ストールに織り込まれる。

 ところで、今週木曜、NHK・BSでインド工房放映! それについてはまた明日お知らせ致そう。 
 




 

9月23日(水) タデ食う山羊

 本来なれば今日、スタジオ総出で藍の生葉染めを行う予定であった。ところが、台風が来るというので急遽中止。
 そのわりには大して雨も降らないので、畑に出て藍草の手入れをする。
 そこへ近所に棲息するハムが通りかかる。ハムというのは雌の山羊。草を食む(はむ)から、ハムと命名される。別にソーセージになるわけではない。
 そのハム、拙畑の脇に生える苧麻をむしゃむしゃとはんでいる。それで私の頭に良からぬ考えが⋯。果たしてハムは藍草をはむであろうか。
 藍はタデ科の植物である。タデと言えば、「タデ食う虫も好きずき」という言葉がある通り、あまり美味くないと思われる。わけても藍の場合、藍染の布には駆虫効果があると言われるから、輪をかけて不味いのではないか!?
 手近に生えていたイヌタデ(あかまんま)を与えてみると、平気ではむ。
 藍草を一本引き抜いて与えてみると(左写真)、最初は無視していたが、そのうちハムハムと食べてしまった。山羊は何だって食べるようだ。
 二週間前の写真↓と比べると、藍もだいぶ育っている。あさって生葉染めの予定だが、さて天気は⋯!?



 

11月21日(土) ガジュマルで染める

 ガジュマルという木がある。
 日本では沖縄に生長し、精霊の宿る樹として大切にされている。
 インドでも特別な存在で、街路樹として巨木が並んでいる姿は印象的だ。枝から気根を垂らし、それが着地すると木になって成長する。コルカタの植物園にある世界最大のガジュマルは、一本の木が拡がって今では森のようになっている。日本語ではベンガル菩提樹とも呼ばれるようだ。(左下写真)
 ところが、街路樹となったことが悲劇を呼ぶこともある。今インドは経済成長の真っ最中で、道路がどんどん拡張される。そしてガジュマルは巨木が多いので、移植するのもままならない。それで伐採され、道路脇に無残な姿を晒すことにもなる。本体は無事でも、気根が邪魔になって切り払われたり。弊工房の近辺にもそんな例があった。
 そこで真木千秋は考えた。この切り払われた気根で染められないか。沖縄でもガジュマルで染色していたようだ。
 そこで試してみた。気根の樹皮を煮出し、染め重ね
ると、左上写真のような鮮やかな赤茶色になる。ヒルギ染めに似た色合いだが、より赤味が強いかも。
 ガジュマル染めは、樹皮の赤茶ばかりではない。残りの木芯を炭にして、墨染めも試みている。墨染めなるものも弊スタジオ初だ。これも真木千秋が今春、八重山西表の紅露工房で学んできたものだ。墨染め、いったいどんな雰囲気を醸し出すのか。

 今日のインスタライブはそのガジュマル染めを中心にお送りした。
 その リンクはこちら
 ただ、今日はスマホを横向きにして撮影したので、パソコンでは映像が横倒しになってしまった。う〜ん、インスタってそういう仕様だったっけ!?
 毎日試行錯誤である。明日は縦でやろう。
 それでも、こちらの通信事情が思ったより良く、今のところ二日とも順調に送信できているようだ。
 明日も午後3時から放映を予定している。弊スタジオの畑に出ようと思っているが、さて電波が届くか!?


 

11月23日(月) ハギレ市用ウールのタテ糸づくり

 グーグルマップで見てもらうとわかるが、ganga maki のメイン工房は、L字型の建物が四つで中庭を囲む形になっている。左上から反時計回りに一号棟、左下が二号棟、右下が三号棟、右上が四号棟。(この数え方、誰が決めたのか知らないが未だに馴染めない)
 一と四が製織棟(機場 /はたば)。三が縫製棟(針場/はりば)。そして二が真木千秋の作業棟だ。千秋はこの二号棟か染色棟(メイン工房の外)に居ることが多い。

 今日の午前中は、二号棟でタテ糸づくり。
 この二号棟には、真木千秋の作業台のほか、タテ糸を作る整経機が設置されており、千秋のアシスタントであるシャバーズが常駐している。シャバーズは織師サジャッド(11月20日の項参照)の長男で、ganga maki でもう4年働いている。覚えが早く、今では千秋の右腕的存在だ。(左上写真)

 今日のタテ糸は、ウール。ハギレ市に出品する反物だ。
 ハギレ市は来年正月9日から一週間の予定で竹林shopにて開催。
 今から織るの!? という感じだが、今年はコロナ下の工房ロックダウンの影響で、仕事がだいぶ遅れ気味なのだ。特に、ウールの織成が直撃を受ける。
 ヒマラヤウールはその名の通り、ヒマラヤ山中にある羊毛の村々で手紡ぎされるが、その供給はだいたい例年通りであった。あまりコロナの影響を受けなかったのであろう。それで今、工房にはヒマラヤウールが潤沢にある。第二棟の中にもあちこちにコロコロ存在している(左下写真)。それゆえに現在、職人総出で織成中。左下写真の右端にも、普段ジャカード機を操っているアスラムやサラウディンが通常の高機に向かってウールを織っている。ちょっと珍しい風景だ。(もちろん職人だからしっかりウールも織れる)
 というわけで、ウールの織物がこれから潤沢に供給されるから、正月のハギレ市では、いつもよりお買い得の値段で竹林shopに並ぶことになるであろう。
  今日のウールタテ糸づくりは、インスタライブで放映。電波状況のせいで途中2〜3度ストップするが、ganga maki の中心である工房第二棟の雰囲気がうかがえるので、ぜひご覧を!


 

11月25日(水) 芭蕉の森

 ganga maki 工房は敷地面積三千坪少々。
 うち、建物部分は数百坪であろう。
 あとは、いろんな植物が育っている。

 最近、とみに生息域を広げているのが、芭蕉だ。
 真木千秋がやたらに植えるのである。

 芭蕉といえば沖縄だが、東京五日市の拙宅近所にも育っている。
 けっこう強い植物なのだ。
 こちらganga maki 工房でも、左上写真のごとくちょっとした森をなしている。
 一見するとバナナだが、芭蕉だ。いちおうバナナみたいな実もつけるのだが、食えるのか不明。
 かつてはホンモノのバナナも植えられていたが、ほとんど芭蕉に駆逐されてしまった。

 染織工房だから、食用植物より繊維植物の方が優遇されるのだ。
 芭蕉は幹から糸を取る。
 沖縄では芭蕉布が名高いが、真木千秋も西表の紅露工房に通い詰め、石垣昭子さんから糸作りの指導を受けてきた。また石垣金星氏から芭蕉手入れ法の伝授も受ける。東京五日市ではほとんど畑に出ない真木千秋であるが、芭蕉の世話は楽しいらしく、率先して野良に出る。

 左下写真が、芭蕉(&苧麻)から採れた繊維と糸。
 いろいろな使い方ができる。
 五日前にご紹介したサジャッドの織りにも使われている。
 今日、インスタライブで放映したので、ぜひご覧を


 

11月26日(木) 織り出し

 織物にはいろんな工程がある。
 23日にご紹介したのがタテ糸づくり。
 タテ糸ができると、次は「巻取り」だ。タテ糸をビーム(横棒)に巻き取る。
 その次が「糸通し」。ビームを織機に設置し、タテ糸を
一本一本、綜絖(そうこう)と筬(おさ)に通す。
 次が「織り出し」。タテ糸に様々なヨコ糸を打ち込み、様子を見る。試し織りだ。

 上写真はサラウディンの機。(皿うどんと覚える)
 タテ糸はウールの天然色グレーと、藍のストライプ。この藍は工房の畑で収穫されたインド藍を半発酵で染めたものだ。
 真木千秋が横について、様々なヨコ糸を指示する。手許にない糸は、アシスタントのシャバーズ君がササッと糸巻きに用意し、織師サラウディンに手渡し、その場で織り込まれる。ダークグレー、淡い藍などいろいろなヨコ糸を試した後、ライトグレーのヨコ糸に落ち着く。
 ヨコ糸が決まったら、本製作に入る。下写真は本製作に入ってしばらくしたところ。来年正月9日から始まるハギレ市に出品する反物だ。

 上写真、左上には、織師が二人、機の下に潜り込んでいる。機の調整だ。ウールとシルクでは、当然のことながら、糸の性質が異なる。ウールの方が太いし、摩擦の具合も違う。そこで機のセッティングを変える必要がある。ウールのスペシャリストである織師マンガルがそのあたりは詳しい。それで織師アスラム(緑ベスト)の機の下に潜り込んで、微調整を施している。このあたり職人たちのチームワークだ。
 先日も述べたが、今ウール素材がたくさんあるので、ハギレ市目指して総出でウールの織成に励んでいるのである。このアスラムの機では綾織のウール反物が織られる予定なので、またご紹介しよう。
 
 なおこのあたりの模様は、本日のインスタライブ、ウールの経糸巻取り、糸通し、織出しで放映したので、ぜひご覧を!


 

11月27日(金) 機(ハタ)の上で作る衣

 「ハサミを入れるのがもったいない」
 これは衣づくりの折に良く聞かれる言葉だ。
 確かに、繊維素材の生産から紡糸、染色、織成と、多くの動植物や人手を経てできあがった布を裁断するとなると、やはりそれなりの覚悟が必要となるであろう。
 布の作り手ともなると、その気持ちもひとしおだ。
 それで、少しでも布をそのまま使えるような衣を作りたい — ということでいろいろ工夫してきた。

 たとえば、腰巻。
 ヒマラヤウールをしっかり織り上げた布は、腰に纏うと、これからの時期、暖かくて心地良い。
 より快適に纏えるよう、織の設計を考える。特に腰回りなど、ウールや強撚タッサーシルクの縮絨性と、それら素材の組合せ方により、生地に変化をつけている。
 特筆すべきは腰紐。
縫い付けるのではなく、ヨコ糸を延長し、フェルト化して紐にしている。腰巻と完全に一体だ。これもヒマラヤウールならではのこと。上写真、真木千秋が手にしているのが、延長したヨコ糸だ。機上の腰巻から伸びている。これを後にフェルト化して紐に仕上げる。

 下写真は、コティボレロという名の上衣だ。
 これもかなりユニーク。
 づづら織という技法により、機の上で、穴を三つ織り出す。首と両腕の穴だ。それを切り離し、少々ハサミを入れ、折紙のように折り、少々縫製して形を作る。(裁断切れからポケットも作る)。それから水通しをして、仕上げる。
 衣だけれども、布を羽織っているような着心地だ。
 今日のインスタライブは、そうした機の上で作る衣についてのお話


 

11月28日(土) 牧童職人マンガル

 工房第四棟。
 ここに据えられた織師マンガルの機には、ウール・ストライプのタテ糸がかかっている。マンガルは、飛び杼を使い、四本のペダルを踏み分けながらウールのヨコ糸を打ち込み、綾織の布を織っている。
 だいたい一秒に一本のペースで打ち込んでいる。この速さはウールに関する限り、当工房随一だ。速ければ良いというわけではない。均一の張力と打力を保ちながら、踏み違いなく、美しく織る。職人技が要求される。
 普通、インドの織り職人の稼ぎは、自営/雇用を問わず、出来高払いだ。。いきおい、どうしても速く織りたがる。しかし当スタジオは固定給だから、速く織ったところで別段トクにはならない。まず大事なのは織りのクオリティだ。とは言え、あまり仕事が遅いのも困る。それゆえ、高クオリティかつ早業のマンガルみたいな職人は、工房主の我々にとっては、有難い存在だ。
 その職人技の秘密は、ひとつには、ウールに対する愛なのであろう。ヒマラヤ山中の牧羊の村に生まれ育ち、12歳の時から牧童として羊の群を追う。長じて織工に転じ、ウール専門に織り続けている。羊のことなら揺り籠から墓場まで知悉している人間なのだ。その羊愛については、本日のインスタライブ「牧童職人マンガル」にてうかがえよう。

 閑話休題。
 今日のランチは特別であった。
 私ぱるばの「歓迎会」で、タンドールに火が入ったのだ。
 タンドールというのは、木炭を使った北インドの炭火竈。
 工房のキッチンにもひとつ据えられているのだが、手間暇(&カネ)がかかるので、特別な客が来ない限り火は入らない。今日も二ヶ月ぶりの点火だった。下写真はスタッフ慰労も兼ねてのタンドーリ・チキン。
 インド滞在の楽しみは、ひとつにはインド料理にある。私も毎日三度満喫している。基本的に薬膳だから、例の病にもきっと効果あるはず。

 そう言えば今朝、NHK総合テレビ朝のニュースで弊工房のことが放送されたようだ。二ヶ月ほど前の教育テレビでの放送と同一ソースだが、よりコンパクトにまとめられていたようだ。またご紹介いたそう。
 


11月30日(月) 印度婚姻事情

 インドに通い始めて三十数年になるが、いまだ驚くこともいろいろだ。
 今朝、ganga maki 工房に青年がひとり訪ねてきた。もうじき30歳になるS君だ。求職の面接である。
 有機農業の知識があって、英語もそこそこできるし、ちょっと面白い存在だ。しかし、まず大事なのは人柄なので、しばし雑談を試みる。
 まだ未婚だそうだ。1年くらいしたら結婚するかもと言う。アレンジ結婚希望だ。アレンジ婚とは、親が相手を決める形態。インドではよくあることだ。
 今どきの若者だから恋愛希望かと思っていたが、そうではないらしい。
 なんでも、両親の面倒を見てもらうためだという。
 工房長のラケッシュいはく、恋愛婚ではその点があまり期待できないらしい。
 つまり家のための結婚なのだ。そういえば日本も一昔前はそんなだったかも。ざっと二世代くらい前か!?

 弊工房のスタッフも大勢はそんな感じ。ラケッシュ自身も、その恋女房スリスティは、もともとアレンジであった。(はたして夫の両親に尽くしているのかな!?)
 僻遠の農村出身の織師J君も、二年ほど前に結婚。ところが新妻を実家に残し、当地にひとりで住んでいる。別に寮生活でもないんだから一緒に暮らせば良いのにと思うのだが 、いろいろ事情があるのだろう。現代の日本の農家ではちょっと考えられまい。

 今日、もうひとり、用務員のM君が、新婚の嫁を連れて休暇から戻ってきた。今まで二度ほど破談になって周囲をやきもきさせたが、念願叶って、やっと結婚できたのだ。こちらもアレンジ。ただ彼の場合は当地で一緒に暮らすらしい。幸運を祈る!


 
 

12月1日(火) ウール織物の仕上 & うめだ阪急

 ウール、殊にヒマラヤウールは、機織(はたおり)の後も、いろいろ手間がかかる。
 織り上がった布を広げ、ケバを取り、織り糸の修正をする。表と裏の両面だ。
 織成工房の第一棟。窓際の明るいところに、仕上げ台が設けられている。天板は大理石。(インドには大理石が豊富なので、いたるところに使われる)
 今日、作業に当たっているのは、クスム(左上)とキラン(左下)の両名。ともに旧工房以来のスタッフで、6〜7年のキャリアを持っている。
 クスム(左上)の取り組む布は、コート生地。グレーの色は白羊と黒羊の毛を混ぜた天然色だ。
 キラン(左下)の生地は、絹&ウールの混紡糸を使った横縞の織物。これは来月のハギレ市に登場する。
 このウール仕上の模様はインスタライブで放映しているのでご覧を。

 さて、ひるがえって日本。明日12月2日から7日までの六日間、大阪うめだ阪急9階アートステージにて弊スタジオ展示会を開催。(右写真)。
 昨年に続き、広々した会場である。来年はどうなるかわからないので、都合のつく方はどうぞ!
 初日から6日までは弊スタジオスタッフも在廊。


 

12月2日(水) ウールを打擲する

 ヒマラヤウール布づくりの最終段階は洗いだ。
 それがちょっと変わっている。
 ヒマラヤウールというのは、その名の通り、ヒマラヤ山中で遊牧される羊だ。
 みなさんご存知のメリノウールとはチト違い、チベット種の羊にメリノの入ったハイブリッドだ。ワイルドでありながら柔らかい。

 写真のように二人がかりで、木の棒でぶったたく。これはヒマラヤウールのみの工程だ。
 布をひっくり返しながら、この作業が十数分おこなわれる。
 これによって、硬くて短い繊維が脱落し、布がしっかり馴染んでくる。
 そして暖かい服地となるのである。

 静かな工房に、湿った打擲音が鳴り渡る。
 これは動画で見てもらった方が良い。
 左写真をクリックするとインスタライブが再生されるはず。


 

12月3日(木) チャイ・タイム

 インドの茶は、チャイと呼ばれる。
 その昔、遠く中国から伝わったものだ。
 インドで飲まれるチャイは、茶葉がアッサム。つまりインド国産だが、これは中国茶や日本茶とは品種がチト違うらしい。
 その濃色の茶葉を、ミルクとスパイスで煮出し、たっぷり砂糖を入れる。インド国民飲料のミルクティーだ。
 弊工房でも、午前11時と午後4時に供される。
 厨房でシェフのマニッシュが準備し、女性スタッフがアルマイトのヤカンに入れて運んでくる。(アルマイトとは懐かしい響きだが、まさにそんな感じの昭和チックな薬罐)
 カーンと鐘が鳴り、チャイタイムが告げられると、職人やスタッフは仕事の手を休め、中庭に集まってくる。それぞれ自分のカップを持参。ガラスのもあれば、金属のものも。そこにミルクティーがドバドバと注がれる。
 甘くて濃厚。不二家のミルキーみたい。日本のインド料理店でも(別料金で)出てくるが、まさにアレである。

 インドは世界第八のコーヒー生産国でもあり、産地の南インドではチャイよりもコーヒーが好まれる。やはり濃厚なミルクコーヒーで、すこぶる美味なものである。
 こちら北インドでは、もっぱらチャイ。真木千秋などは日本から持参の珈琲を有難く頂いているが、私ぱるばはやっぱりチャイであるな。ただ弊工房の福利厚生チャイはチト甘すぎるかも。それで特別に砂糖抜きで作ってもらう。(日本の別料金チャイも砂糖別の場合が多いから、私が別に異常というわけでもあるまい)

 左下写真は今日の午後のチャイ。
 夕陽を浴びて織師たちがくつろいでいる。
 


 

12月4日(金) 手織ジャカード機

 工房で一番大きくて背の高い織機、ジャカード機。紋様を織り出す機(はた)だ。
 左上写真、上方にある四角いボックスが、その心臓部であるジャカード。このボックスが指令を出して、タテ糸を上げ下げする。そして織師がヨコ糸を入れると、紋様が織り出されるという仕組み。紋様を指定するのは、左下写真に見える紋紙(パンチカード)だ。
 このジャカード機は工房に四つ設置してある。

 現代のジャカード機はコンピュータ化されているようだが、当工房のはかなり古い形態で、箱も木製だ。現在インドでも木製ジャカードを使っているのは、隣州ウッタルプラデシュのゴラクプールのみだという。当地から850kmほど離れた街だ。
 この機を操る職人アスラム(左写真)も、そのゴラクプール出身。当工房に加わって五年になる。
 十歳の頃から機に馴染み、まず九年間は紋紙の紐通しをしていたという。左下写真・紋紙の左右に紐が通してあるが、それを通す作業だ。これがきちんと通されていないと製織に支障が出る。
 その後六年間は紋紙切り。長方形のボール紙にタガネとハンマー丸い穴を空ける。
 そしてその後、製織にも携わるようになる。

 つまり、ジャカード職人は、織りのみならず、紋紙切りや、紐通しもできないといけない。
 現在はゴラクプールでも自動機が主流となり、ジャカード手機の仕事は激減しているようだ。ただ、Makiの好むような手づくり糸を織り入れるとなると、やはり手動機でなければなるまい。
 たとえば、右写真は、今日アスラムの機にかかっていた織物。琉装スディナ用の生地だ。ズリ出し絹糸や芭蕉糸が使われている。こうした糸々には、一本一本大事に打ち込む手動機が欠かせない。
 この織成の模様は本日のインスタライブにて。


 

12月5日(土) つなぎ布

 こちらインドは連日の快晴。
 毎日気温は23〜24℃くらいまで上がる。
 ただ日が沈むとサッと下降し、最低気温は13℃台。
 ちょうど東京五日市の拙宅とは、最高最低とも10℃くらいずつ高い感じ。(晴天の場合)
 もうじき帰国だから、覚悟しておかないと。

 インドの弊工房は土曜日も稼働だ。
 工房第四棟では、真木千秋がつなぎ布のデザインをしている。
 これは、ウールの裂(きれ)をつなぎ合わせたものだ。

 服地を織り上げると、裁断の際に、ハギレや余り布が出てくる。
 あるいは、試織の布とか 。
 上写真、真木千秋の背後に山なしているのがそうした布だ。(ついでに左奥に見えるのがそれを織った職人マンガル)
 今年の秋、そうした布々をつないでみようと思い立つ。これがけっこう楽しい作業で、真木千秋は夜な夜なひとりでつないでいた。
 やがてアシスタントもつけ、チクチクと縫い、洗い場で縮絨する。
 そうしてストールやインテリア布に仕上げ、今年11月竹林shopの絲つなぐ絲展や、現在開催中の各地展示会でご披露している。

 この「つなぎ欲」はいまだ衰えを見せず、素材のウール裂もあることだし、今年いっぱいこの作業は続きそうだ。
 下写真はアシスタントのタニヤ。ウール裂の構成は真木千秋の仕事だが、タニヤにもある程度任せている。千秋の思いつかないような意外性があるという。タニヤの前にあるのはつなぎ布小ストール。これから日本に送られ、1月9日からの竹林ハギレ市に並ぶ予定。
 今日のインスタライブはそのつなぎ布




 

12月17日(木) 2021ハギレ&反物市

 このような状況下、迷うところである。
 でも、考えたってどうしようもないし、ここは一番、開催することに決定。
 2021年ハギレ&反物市。

 例年、週末に開始して賑やかな
初日を迎えるのだが、今回は今のところ、地味に平日スタート。1月5日火曜から一週間を考えている。
 是非お越しを!と言いたいところだが、そのあたりは何とも微妙なところ。
 しかし、準備だけはやっておかねばならない。
 竹林を広々と使い、密を避けてお楽しみいただけるよう工夫するつもり。
 たとえば、福袋。例年だと中身が見られるが、そうすると周辺に渋滞が起こる。そこで今回は密封。その分おトクな詰め合わせだ。
 スタジオ西側の都道沿いも竹垣を新調する。敷地の孟宗竹を利用。冬の青空にキリリと映えている。


12月20日(日) インドの奇跡!? その2

 二ヶ月前の10月19日、「インドの奇跡!?」というタイトルでインドの感染状況についてお伝えした。
 先日インドから帰国したが、よく「大丈夫でしたか!?」と聞かれる。例の疫病の件であろう。
 右図は本日のインド日刊紙Times of India電子版掲載のインド国内新規感染者数グラフだ。ご覧の通り、9月中旬にピークを迎えた後、ほぼ一本調子に減少している。11月は横這いであったが、これはインドの正月や祭&選挙の影響であるらしい。ピーク時の一日あたり感染者数は10万人近かったが、昨日は2万5千少々で、およそ四分の一まで落ちている。人口比にすると昨日の日本の新規感染者数より少ないことになる。(ただし確認数だから実数とは限らない)。
 日本は現在「第三波」まっただなかであるが、昨日の同紙には、「インドに第二波は来ない? — 専門家」という記事があった。
 某専門家によると、血清抗体調査から推測するに、感染実数は確認数の16倍ほどになるかもしれない。現在の確認数は1千万人なので、1億6千万人ということだ。可能性として累計3〜4億人に上ることも考えられる。
 それゆえ専門家たちの見立によると、まだ集団免疫の状態にまで達しているとは言えないものの、ある程度の抵抗力があり、多少の波はあるかもしれないが、ウイルスに異変がない限り、西側諸国に見られるような第二波は来ないであろう。
 インドでは今月末からワクチン接種が始まる見通しだが、それが順調に行けば、3月25日までにはこの疫病をコントロールできる — と語る専門家も。

 



 ところで、インドは世界No.1のワクチン製造大国であるらしい。全世界で使用されるワクチンの60%がインド製なんだそうだ。
 英国アストラゼネカのワクチンも、インドで接種する分は自国で製造される。インドのワクチンは価格と信頼性で競争力が高く、コロナワクチンでも途上国から大きな期待を寄せられている。インド政府も、自国のみならず、まずはネパールやバングラデシュなど周辺の途上国から援助の手を差し伸べていく算段だ。(NIKKEI Asia 「インド製COVIDワクチン世界を救う」)
 というわけで、一昨日、累計感染者数1千万を超えたインドであるが、何となく前途に光が差してきたようである。このまま沈静化してくれると、世界にとってもひとつの光となるのだが。




 

12月23日(水) 令和の小修理

 竹林母屋。
 文政年間の建築だというから、もう二百年近く経っているわけだ。
 古い建物だから、ときどき手を加えないといけない。
 先日気づいたのが、二階の網戸。これはさすがに江戸時代ではないが、少なくとも二代前の昭和モノ。前の入居者であった東芝府中が設けたものか。端っこの方から剥がれてきている。それから、皆さん気づいていたかどうかわからぬが、木枠に白っぽいプラスチック板が張ってあったりして、見てくれもイマイチであった。それで大工さんに頼んで新調する。
 非常にマイナーな修繕なので、おそらく誰も気づかないとは思うが⋯。

 ハギレ&反物市を控え、用務員ぱるばも小径にウッドチップを敷設するなど、環境整備に努めている。
 次回お越しの節は、先日ご紹介の竹垣ともどもよろしく。


12月30日(水) 2020年を回顧する

 ホント、たいへんな年であった。
 創業三十有余年で一番たいへんだったかも。
 弊スタジオはインドと日本で稼働しているので、それぞれの事情を抱え、複雑さも二倍であった。

 私(ぱるば)は今年(2020年)1月中旬から一ヶ月程インドに滞在していたのだが、当初はほとんど感染者も存在せず、対岸の火事であった。
 その後、徐々に感染が拡大。そして3月22日、まだ感染率が日本よりずっと低い段階で突如、インド政府は全土ロックダウンを敢行。ganga maki 工房も以後1ヶ月半ほど操業停止を余儀なくされる。真木千秋も3月25日、這々の体で日本帰国。
 ただ、工房のあるウッタラカンド州はインドでも感染率が低く、ロックダウンも早めに解除される。5月初旬のこと。とはいえ、当時は日本が非常事態の真っ最中だったこともあり、しばらくは半分くらいの稼働とする。インドも外国人の入国を禁じたので、真木千秋も日本から遠隔でものづくりを行わざるを得ない。
 インドの外国人入国禁止が少々緩和されたのが7月下旬。ただ、特別の事情がある場合のみだ。そこで、懇意にしてもらっているインド航空の助力も得ながら、インド大使館にかけあい、「インドの弊社工房40人の雇用がかかっています」と愁訴し、やっとのことでビザを取得する。そして、7月29日、インド航空の「インド国民退避便」に便乗し、約四ヶ月ぶりにインドに戻る。同便に搭乗していた日本人は、現地赴任の外交官と真木千秋二人だけだった。以来、12月初旬の帰国まで約四ヶ月、インド工房でスタッフともども布衣づくりに励むのであった。その間、自家栽培インド藍灰汁発酵建てや墨染め、ガジュマル染め、芭蕉糸づくりなど、様々な新しい試みにも挑戦する。
 インドの感染状況は、ちょっと興味深い展開を見せている。春から夏にかけて感染者数はうなぎ上り。一時はアメリカをも抜き、日本でもしばしば報道される。ところが、9月17日にピークを迎えた後、感染者の数は基本的に減少の一途を辿っている。昨日(12/29)の新規感染は約2万人で、ピーク時の5分の1ほどだ。人口比からすると現在の日本より低い。もしかしたら集団免疫に近い状態ではないかという希望的観測もある。弊工房の稼働も現在、コロナ前とほとんど同じくらいの水準に回復している。

 




 一方、こちら日本の真木テキスタイルスタジオは、インド以上にしんどかったかも 。
 ご存知の通り、疫病下の巣ごもり、外出自粛によって、繊維衣料業界は大きな打撃を蒙る。弊スタジオは分野的には美術工芸なのであるが、販売は衣料品が主であるから状況は同じだ。
 特に春先の百貨店展示会は目も当てられない有様であった。 (同じく大打撃であった宿泊、旅行、飲食業界には、GoToトラベルとかGoToイートとかがあったが、GoToウエアというのは検討すらされなかったし⋯)
 それでいろいろ悪足掻きするのであった。 たとえば、ネット販売。以前一度やってみたのだが、あまり上手くいかなかった。しかしそんなことも言っておられず、試行錯誤でなんとか運営している。
 そして、政府行政や銀行の様々な援助⋯。しかし何より、ご縁のあるみなさんの暖かい支援。これが有難かった。感謝!!
 お陰でなんとか年を越せそうである。

 さて、きたる2021年はどうなるのであろうか。
 インドは何となく、最悪期を脱したような気分になっている。
 しかし、今朝の新聞によると、イギリス由来のウイルス新変種がインドでも確認された由。真木千秋は1月6日に再びインドに向かう予定であるが、また外国人入国禁止ってことにはならないか。日本では既にそうなっているし。
 そして第三波のまっただなかの日本は??
 欧米ではワクチンの接種も始まっているが、その効果のほどは??
 来年もしばらくは薄氷のスタジオ運営を迫られそうである。

PS
そういえばこのページもそもそもは「絲絲雑記帳」というタイトルで、新井ラマ(淳一)師にもご愛読いただいたりしていたのだが、春あたりから「絲絲奮戦記」と改称。今ご覧のページは2020年後半部であるが、2020年前半部を見返すと、のどかな年初から、悪疫発生、非常事態宣言など、刻々と変化する状況と弊スタジオの悪戦苦闘ぶりが生々しく伝わってくるはず。早く元の「雑記帳」に戻したい!


 

 

ホームページへ戻る