絲絲雑記帳

exhibitions/newface/shop/top
過去帳 14春/13秋/13夏/13春/12秋/12夏/12春/11秋/11夏/11春/10後/10前/09後/09前/08後/08前/07後/07前/06後/06前/05後/05前/04後/04前/03後/03前/02後/02前/99/98/97/96
竹林日誌 10前/09後/09前/08後/08前/07秋/07夏/07春/06秋/06夏/06春/05秋/05夏/05春/04秋/ 04夏/04春/03秋/03夏/03春/02後/02前/01/99-0
0/「建設篇」





 

5月7日(水) 晴耕雨織!?

 GWも終わり、いつもの日々が始まる。
 天気が良ければ、野良仕事だ。
 4月初めから、インド、中国、カディ展と続いてきたので、ここはひと頑張り。
 インゲンとか、大根、胡瓜、紫蘇、レタスなど、様々な種を蒔く。

 草掻きで畑を整えていると、あちこちからミミズが這い出してくる。
 けっこうデカい。30cm近いのもいる。
 陽の照りつける地表になぜわざわざ這い出るかというと、これはおそらくモグラと勘違いするからだろう。ミミズ最大の天敵はモグラだ。草掻きで地面をガシガシ引っ掻いていると、その震動がモグラの活動を彷彿とさせるのだな。それで、あわてて這い出してくるのだ。地上は鳥などもいて危険なんだが、モグラの脅威に比べればマシなのだろう。
 ウチの畑は農薬など化学資材を使わないので、きっとミミズにとって棲みやすいのだろう。ミミズがいると土壌も改善され、我々にとっても有難い。

 みなさんも、遠回しであるが、その恩恵に与っているのである。
 たとえば、香菜。
 これは、インドや東南アジア料理に欠かせない香味野菜だ。
 ただ、武蔵五日市みたいな田舎には、なかなか売っていない。
 たまにあっても、半分しおれたような状態で、しかもメッチャ高い。(インドでは八百屋がオマケにくれるのに…)
 かなり生命力旺盛で、ウチの畑では上写真のごとくだ。
 その新鮮な香菜で、ラケッシュは毎日、香り高いチャツネを作っていた。(下写真・右端の緑がそれ)
 香菜は特殊な薬効を持つ食材だ。体内の重金属を排出してくれるんだという。

 今回食べそびれた人は、まぁ、7月のイベントにでも来てくれたまへ。
 献立はまだ決めてないのだが、おそらくタンドール(土竈)を使うことになるであろう。ウチの野菜も、出来が良ければ、供されるかも。
 





 

5月14日(水) 種のいろいろ 〈真木千秋より〉

 みなさんこんにちは。真夏のインドからです。
 新工房建設も本格的に始まって、久しぶりにこの時期にganga工房に滞在しています。

 今日も昼間は34度を超しましたが、夕方になるとす〜っと涼しくなります。
 仕事の終わり頃になるとみんななにやら今日のおみやげを….。

 上写真の下側、赤っぽいのがオクラの種、左上の袋には苦瓜、瓜、カボチャの種。
 右上の黒い種はナーベラ(ヘチマ類)だそうです。
 近くのお店で買ったり、村から帰ってきた人にもらったり。
 この種は?と聞いたりすると、みんながどこの村の種は良いとか、あれはだめだとか会話がはじまります。

 これらの種はディーパ(下写真の人物)のもの。
 ディーパはganga工房で仕上げの作業をしてくれています。
 出ている糸をカットしたり、張りのあるシルクを手で揉んだり、ウールの毛羽を取ったりと、日々忙しく手を動かしています。

 昨日、織り師のジテンドラも小さな新聞紙の包みを手に持って、いそいそと帰ろうとしていたので、それなあに?って聞いたら、赤唐辛子の苗をここの庭からひとつもらったんだよ、との答え。
 日々みんな野菜の種やら苗やらを手に家に帰っていきます。

 またお便りします。


 



 

5月18日(日) 多元的養蚕起源説

 ちょっと学問的なお話。

 卑弥呼の陵墓とも考えられる箸墓古墳のある、奈良県の纒向(まきむく)遺跡。
 紀元三世紀に遡るというこの遺跡から、巾着型の布製品が出土している。
 この断片を化学者が分析したところ、山繭(天蚕)の糸が使われていたという。(『化学』2013年10月号)
 つまり、中国から家蚕が伝来する以前に、日本でも山繭による養蚕(半養蚕)が行われていたという可能性もあるということだ。

 同誌にはまたインドの事例も紹介されている。
 最近の研究によると、インダス文明のハラッパ遺跡から、ムガ蚕由来の絹が発見されたという。紀元前2400年ごろというから、卑弥呼から更に2600年以上も前だ。
 現在ムガ蚕は世界でもアッサム州の周辺でしか産しないので、そこから2000kmも離れたハラッパでムガ蚕絹が発見されたというのはちょっと驚きだ。古代は現パキスタンにもムガ蚕がいたのか、あるいは、あの魅惑の金色が遥か西方まで伝わったのか。
 太古のインド神話にはタッサーシルク(タサール蚕)も登場するので、中国から家蚕が伝来する以前から、野蚕は利用されていたと考えてよかろう。

 家蚕の起源は、中国・長江中上流域だと考えられている。特に四川省成都西側の山地あたりがアヤシいらしい。そのあたりで、桑の「害虫」クワコから蚕が作られたのだ。
 しかしながら、研究者たちの間では別の可能性も考えられている。
 たとえば、私たちの重宝している、黄繭・ニスタリ(左写真)。これは学問的には「熱帯多化蚕」と呼ばれ、南方アジアで広く養蚕されている。(たとえば、カンボジアの「カンボウジュ」とか)。
 小さくて、多分に原種的な要素を残していると見られるこの熱帯多化蚕、果たして中国で生まれた蚕の後裔なのか!?
 これについてはまだハッキリとはわからないらしい。もしかしたら南アジアで別個に生まれたのかも。
 どちらにせよ、いろんな蚕のお世話になっているMaki Textile Studioである。 


 

5月28日(水) モヘンジョダロ

 Maki Textile Studioインド新工房の建築現場。
 前回その様子をお伝えしたのが、一月半ほど前のこと
 以来、ずいぶん進んだようである。
 
 上写真は、ギャラリー。
 先月は地面を掘って整地する段階であったが、今はもうしっかり基壇の石組みができている。

 中写真の赤レンガが工房本体。
 先月はまったくの畑地だったから、チトびっくり。

 下写真は、工房本体の真ん中に位置する階段。
 現在の案によると、ここはグレーに塗装されるようだ。
 ま、このあたりはおいおい詰めていくのだが。
 なんとなくモヘンジョダロを思わせるものがある。
 数百年後、ここもまたひとつの遺跡となるのであろうか。

 現地はまさに盛夏で、日中は四十度を超すこともあるようだ。
 そんな酷暑の中、工房建設に携わる皆の衆、職務に励んでいる様子である。
 (さすがインド人は暑さに強い!)



 

6月6日(金) 梅雨入り

 「6月6日に雨ザーザー…」という唄があったけれども、ここ関東地方は昨日、梅雨入り。
 今日6日はほんとに唄の如くザーザー降っている。
 通常、梅雨入りといえばシトシト雨なんだが、今回は出鼻からけっこう派手だ。
 おかげで、竹林shopのアプローチは水浸し。
 これはマズい。
 こんな日でも、有難いことに、お客さんは来てくださるのである。
 週末でもあるし。

 それで、竹林の用務員としては、急遽、道路工事にかかる。
 雨もものかは、排水路を作り、砂利を敷く。
 奮闘二時間余、なんとか人が通れるようになる。
 マーフィーの法則から言うと、こういうことをすると雨が降らなくなったりするのだが、ま、それも仕方あるまい。





 

6月18日(水) 繭が来た 2014

 スタジオ玄関に妙な人影。
 八王子・長田養蚕の長田夫妻である。
 毎年この頃になると、かかる怪しい風体で弊スタジオに現れるのだ。
 もっとも、怪しいのはダンナの誠一氏だけで、ヨメの晶さん(上写真・右側)は諦め顔で脇に佇んでいる。
 誠一氏は手に新ジャガをひと箱。掘りたての男爵だ。晶さんは手に採りたてのキャベツ。どちらも我が畑にはないので有難い。

 春繭を10kg届けてくれたのだ。
 蚕種はいつものごとく、春嶺鐘月(しゅんれいしょうげつ)。
 今年は五月末から異常高温で、養蚕も難儀したようである。
 それでも誠一氏、今年はほとんとひとりで50アールの桑園を世話し、3万5千粒の繭を得ている。桑都八王子に三軒だけ残っている養蚕農家のひとつである。

 今回お二人のなれそめをチト耳にした。街育ちの晶さんであるが、蚕糸が大好きで誠一氏と一緒になった…とばかり思っていたのだが、そうでもないらしい。専業農家だとは承知していたが、養蚕をしていたとは知らなかった。家に行ってみて、虫がいっぱいで驚いたという。
 それだけ養蚕農家は珍しくなっているということだろう。

 今年長田家では通常の春繭(はるご)の後、新しい取り組みも行っている。桑都の期待を担い、桑の新品種「創輝」を飼料として蚕種「あけぼの」の飼育を行うんだそうだ。あけぼの種は繊度も細いので、どんな糸ができるかチト楽しみである。



 

6月20日(金) 春繭座繰り

 一昨日、繭が届く。(18日欄参照)
 昨日、真木千秋、沖縄・八重山から戻る。紅露工房にて、石垣昭子さん、真砂三千代さんらと、作業かたがた、真南風(まあぱい)プロジェクトなど今後の企画について密議を凝らしてきたらしい。

 明けて本日はさっそく、春繭の糸挽きだ。
 母屋の縁側に陣取り、上州座繰り機を繰る。
 やや低目の水温を保ち、太目の糸を挽く。
 低温だと糸がより柔らかくなる。
 太目の手挽き糸はなかなか手に入らないので、こうして自分たちで繰るほかない。

 背景ではラケッシュが、挽いた糸をカセ上げしている。
 今のところ空梅雨ぎみなので、例年より空気も乾燥している。
 すると挽いた糸も乾きが早いので、作業も手早く行う必要がある。
 ?木(かせぎ)に巻いたまま乾いてしまうと、手挽き独特の「糸の揺らぎ」が失われてしまうのだ。





 

6月22日(日) パニパニ♪

 今しがた、インドの新工房建築現場から写真が届く。
 一昨日からリグ(掘削機)を入れて水井戸を掘っていたのだが、ついさきほど、水が噴出したのだ。(写真上)
 現地はカラカラの気温38℃。
 「パニパニ!」という声が聞こえてくるようだ。(パニとはヒンディー語で水という意味)

 インドは日本ほど水に恵まれていない。ことに乾季は。
 新工房にも水道は引かれるが、近所との兼ね合いもあり、充分とは言えない。
 自前の水源も必要なのだ。
 水井戸を掘るには、水位の一番下がる今が良い。乾季の最後だからだ。
 事前調査で水位は地表下270フィート(約82m)ということだったが、220フィート(約67m)掘ったところで噴出。(インドはイギリス領だったから今でもフィートが使われる)
 出なければ場所を変えて掘り直しだから、まずは目出度い。

 そういえば私ぱるばも若きみぎり、アフリカのサバンナで水井戸を掘っていたことがあった。(写真下)
 写真の日付は1984年6月となっているので、ちょうど30年前のこと。
 (と言っても、実際にリグを操っていたわけじゃなくて、事務職)

 ちなみに「パニパニ」と言えば、今、インドで流行の歌だ。
 ボリウッドの映画音楽で、すこぶるノリが良い。
 ganga工房でパーティをやる時も、最近は定番曲だ。
 今夜あたり、みんなで踊っているかも。
 (もっともオリジナルのパニパニはずいぶん雰囲気が違うが)



 

6月23日(月) 『住む』2014夏号

 雑誌『住む』の最新号が発売になった。
 特集は「木の家、木の家具、木の話」。
 Makiにゆかりの木工デザイナー・三谷龍二さんが大活躍している。それから塗師・赤城明登さんの連載記事も。

 151頁には、ganga工房についての編集部レポートも。
 これはMakiのキュレーターでもある石田紀佳が、今春ganga工房を訪ねた折の話だ。
 新たに設けられた地機を通じ、工房の方向性を探っている。
 関心ある方はご一読を!



 

6月25日(水) 田中ぱるば講演会/放送大学

 ちょっと告知が遅かったんだけれども、四日後の日曜(6/26)、真木テキスタイルスタジオ会長(兼用務員)の田中ぱるばによる講演会がある。
 場所は東京・足立区にある放送大学足立生涯学習センター
 タイトルは『インド絲絲物語〜亜大陸に伝わる伝統的な糸素材〜』。
 様々な画像資料を用いながら、インドの伝統的糸素材を紹介する。

 田中ぱるば会長は、ここ竹林スタジオのイベントなどで、よくこの手の講演を致すのであるが、放送大学(足立)のT氏がよく足を運んで下さっており、ご自身の学習センターでもぜひ、ということで今回の催しとなった。

 当スタジオではインドの様々な繊維材料が用いられているのであるが、田中会長は亜大陸の隅々まで足を運び、時代の流れの中で徐々に消えゆく伝統的な糸作りの様子を親しく見聞し、記録に収め、かつそれを自スタジオの織物にも導入を試みてきた。
 一時間半という限られた時間の中で、その一端をご紹介したいと思うので、入場無料でもあるし、お近くのみなさんは是非どうぞ!!

 





 

6月26日(木) エリ蚕大作戦

 当スタジオスタッフのK嬢は野蚕大好き。
 自宅でここ数ヶ月、エリ蚕なんぞを養っている。
 エリ蚕の主食樹は蓖麻(ひま)やキャッサバであるが、東京にそんなものはなかなか無い。それで現在はニワウルシの生葉を食わしているが、それとて入手は難しい。ご苦労なことである。
 エリ蚕は多化性。すなわち、年中、営繭・繁殖を繰り返す。つまり、休み無く餌を与えないといけない。
 養蚕を始めて三代目が、先日、繭を結んだ。
 糸を採るためにスタジオに持ち込まれた繭(写真上)。もう羽化が始まっている。

 エリ蚕の繭にはもともと穴が開いているなど、繭や糸の性質が家蚕とは異なり、通常、生糸を挽くことはしない。
 ただ、一昨年訪ねたタイ東北部には挽いているところもあるので、試しにやってみる。タッサーシルクのギッチャ糸のように、ズリ出して、太腿で撚りをかけるのだ。なかなか難しい。織り糸として使い物になるか!?

 次いで、真綿にしてみる。
 インドのアッサム州では伝統的に真綿から糸を紡ぐ
 三年前に撮影したビデオなどを参照しながら、真綿を作る。
 アッサム人は、ぬるま湯の中で繭をトントンと叩き、真綿にしていた。
 それに倣ってみると、アラ不思議、繭は自然に解舒し、平たい真綿になるのであった。(写真下)
 今日はここまで。後日、糸を紡ぐことにする。
 アッサム産のエリ蚕糸は三年ほど前からMakiでもよく用いているが、さて、竹林ではどんな糸が紡がれるであろうか。





 

6月28日(土) 赤城の節糸

 昨6月27日、北関東の群馬県に出かける。
 今さら申すまでもなくここ上州群馬は、本邦絹産業の一代中心地であった。つい最近も富岡の製糸場跡が世界文化遺産に登録され、大きな話題になっている。
 当スタジオも上州のみなさんにはだいぶお世話になっている。
 そのひとつが、赤城山麓、富士見町の糸繭商・石田さん。(上写真中央)
 こちらで扱う「赤城の節糸」は、Makiにはなくてはならない糸素材だ。
 
 手挽(てび)きの座繰り生糸だが、そもそも「節糸」とはいったい何か。
 石田さんによると、これは江戸期以来の当地特有の呼称らしい。
 かつては「おばあ糸」とも「黒糸」とも呼ばれる。上繭は出荷され、残ったクズ繭から自家用に挽かれたわけだ。クズ繭というのは、色が悪かったり、シミがあったり、繭層が薄かったり、形が悪かったりする繭だ。
 こうした繭から挽いた糸には、節ができやすい。加えて、モロコシ箒(ほうき)を使って手挽きするので、箒で繭糸をたぐり寄せた時、さらに節が加わるわけだ。それがもともとの節糸だったらしい。
 現在は、上繭に玉繭を混ぜて挽き、節ができているようである。(だからもはや「黒糸」ではない)
 こうして手挽きされた糸が、着尺の染織家などの間で重宝されている。

 養蚕が盛んなりし頃には、どの農家でも副業として座繰りが行われていた。今では赤城山麓でも四〜五軒を残すのみ。
 石田さんのところには作業場が併設され、四人の主婦たちが座繰りに精を出している(写真下)。煮た繭から、生皮苧(きびそ)を取っているところだ。
 座繰りにしても、さすがプロは手際が違う。真木千秋はじめ、ラケッシュやスープリアも興味深げに見学。
 インドのganga工房でも、上州で学んだ座繰りの技を使って糸が挽かれ始めている。気候風土が違うと挽かれる糸も違うものだ。まだまだ研究改善の余地は大きい。



 

7月12日(土) 半世紀目のリベンジ
 ただいま展示会開催中の新宿伊勢丹。
 ここには、とあるホロ苦い思い出がある。

 今から半世紀前の1960年代中頃、田中ぱるば少年は小学校の低学年生。
 当時、一家は東京中野に在住。少年は母親のお供で伊勢丹に連れて行かれる。館内で母子が時間を過ごすのは、ほとんど洋品売場だ。年端のいかぬ少年にとって、洋品売場ほど退屈な場所もない。デパートで唯一価値ある場所はオモチャ売場なのだ。
 いつ果てるとも知れぬ長い長い時間をひたすら耐え忍ぶ少年。
 その後、上階の大食堂に連れて行かれ、いささかの慰撫を得るのであった。

 というわけで、新宿伊勢丹といえば私の中でも一種特別の存在。いつか弊スタジオの展示会を開いてみたいと思っていた。
 それが今回実現したというわけ。
 場所は本館5階リビングフロアの一画であるウエストパーク。
 この活気あるフロアには、家具調度から工芸美術まで数多の品々がにぎにぎしく鎮座ましまし、かつてのオモチャ売場くらい価値あるスポットである。
 昼休みには7階の「イセタンダイニング」を訪ねてみる。洋食から中華和食、お子様ランチまでなんでもござれの大食堂は、半世紀を経て、ややモダンに、そして小さくなったようだが(本人が大きくなったのか!?)、かつて得たささやかな慰撫をほのかに彷彿とさせるものがあった。(まだ存在したとはオドロキ。大村恭子によると今どき大食堂のある百貨店は珍しいとのこと)
 仕事帰りに、お隣にある末広亭に寄り、伝統の話芸を堪能する。
 新宿伊勢丹は思いのほか楽しいところであった。(展示会は7月15日まで)



 

7月30日(水) 竹林の竹垣

 七月も末、竹林では庭の整備が終わる。
 庭仕事は通常、用務員たる私田中ぱるばの仕事であるが、ちょっと不得手なものもある。
 たとえば竹垣づくり。

 コレに関しては、近所に住まわれる乙津悦郎(おつえつお)さんにお願いする。
 乙津悦郎さんって、知らないだろうなぁ…
 実は昨夏、テレビ東京の「アド街ック」で当市あきる野が特集された折、ウチもチロっと出演したんだが、それに引き続いて紹介されたのが乙津悦郎家だったのである。たしか、「盛夏でも涼しいお宅」って感じだったと思う。というわけで、ちょっと奇妙なご縁だったりするのだ。
 さて、この乙津さん、公務員をリタイア後、悠々自適で植木職を楽しんでおられる。そのセンスは真木千秋のお気に入りだ。それで竹林やアトリエの庭をいつもお願いしているのである。
 どうです、なかなか麗しいでしょう。先月の写真に比べ、かなりスッキリしている。(この竹垣はかつてラケッシュが臨時に造ったもの)
 というわけで、明後日からの8月saleも、皆さんを気持ち良くお迎えできそう。


 

8月2日(土) インドから暑中見舞

 三日ほど前にインドに渡った真木千秋から暑中見舞が届く —

 みなさん、暑中お見舞い申し上げます。
 昨日デラドンに到着しました。こちらはモンスーンまっただ中。
 日本の湿気もなんのその….湿気と太陽でこちらはもっとすごいです。
 そのおかげで植物がすくすくと育っています 。
 今日は2ヶ月ぶりに新工房の敷地に行ってきま
した。
 インド藍がすくすくと育っています。(写真左上)
 そろそろ一度刈り採って水につけ込み、半発酵生葉染めをする予定です。

 木綿もすくすくと育ちます。ちょっと雨で濡れましたが…。(写真左下)



糸芭蕉もこんなに!(写真右)

9月の頭までこちらで制作をしますので、またお便りします。

真木千秋より








 

8月22日(金) 新工房の藍草

 ganga新工房は現在、雨期で休工中。
 ただ、その間も、新工房の敷地に植えられた藍草(インド藍)は、夏の太陽と雨水によって成長を続けている。
 藍草はインドでは、現ganga工房と新工房の両方で育てているが、今回は新工房の藍を使って藍染を試みている。(8月初旬)
 その様子を真木千秋がレポート;

 もう2週間前のことになりますが、インドに来て間もなく、新工房で育ったインド藍を刈り採って半発酵染めをしました。
 今回はafaの真砂三千代さんから特別に藍の生葉の色を染めてほしいという依頼がありました。
 三千代さんがデザインする衣装に使う為だということでした。
 現ganga工房の藍もすくすくと育って幹も太くなって時期になると染められるようになっていて、糸染めをしていますが、新工房の藍がちょうどよい時期だったので、真砂さんへの布を染めることにしました。

 8月の北インドはモンスーンまっただ中。時々ものすごい勢いで雨が降ったかと思うとすぐに太陽が顔を出して、もわ〜っと蒸気がのぼるような湿気の暑さの中、藍はあおあおと育っていました。(左写真上)
 少し若目かなと思いましたが、まず前日に刈り取り水につけ込みました。(左写真中)
 ganga工房はたくさんスタッフがいるのでみんなの手をかりて、息をあわせて。
 藍は太陽と風、水の具合で青を発色してくれます。
 育ったところの土もあると思います。その頃の気候も全部含めて彩となって布に染まります。
 青緑の藍の液の中で緑色だった布を外に出して、風や太陽を受けるとみるみると水色になる(写真左下)、その移り変わりを体験できることが一番の楽しみです。まるで沖縄の海の色のよう…..。

 藍の葉を刈り採ってすぐに染色する方法と少しちがって、半発酵の方法でここまで澄んだ色がでたのははじめてでした。(写真右)
 これが舞台衣装になる日を楽しみに、明日日本に帰るスタッフ(スープリア)に託します。

真木千秋より




 

8月31日(日) こっちの藍

 先日はインドganga工房の藍草についてお伝えしたけれども、藍を育てているのはインドばかりではない。
 こちら武蔵五日市でも毎年スクスクと育っているのである。
 インドはインド藍、こちらはタデ藍で植物的にはまるきり違うのであるが。(画面・下半分がタデ藍。右奥の背の高いのはオクラ)

 ただ、このタデ藍、なかなか微妙に難しい作物なのだ。
 まあ、私ぱるばのウデも悪いんだろうが、昨年に引き続き、今年も自前の種がよく発芽しない。
 それで六月になって急遽、長田養蚕の長田夫妻や、当スタジオキュレーターの石田紀佳から苗をわけてもらって、移植したのである。それゆえ葉の形も違ったりする。(タデ藍にも品種がいろいろあるのだ)
 諸嬢諸氏の慈愛に支えられつつ、こちら弊スタジオの畑にも、染めるに足るほどの藍草が育ったのであった。
 実際の染め作業は来月中旬の予定。


9月8日(月) インドの二人称

 現在、インド娘のスープリア(18歳)が当家滞在中。ラケッシュの妹だ。毎日、日本語学校に通い、語学習得に励んでいる。
 今日は「〜したことがあります」という表現を学んだそうだ。英語で言えば「to have done〜」てぇとこか。
 毎日、夕食時に進捗状況をチェックしているのだが、今晩、面白い発見があった。
 インド語の二人称についてだ。
 
 スープリアの母語はヒンディー語だが、両親はその北部方言であるガルワーリ語を母語としている。
 ヒンディー語にしても、ガルワーリ語にしても、二人称には親称がある。親称というのは、「おまえ」という感じの親しい呼びかけだ。
 英語は一括してyouだが、英語以外のヨーロッパ言語には親称がある。たとえばフランス語やイタリア語の「tu」、ドイツ語の「du」。
 ヒンディーおよびガルワーリの親称も「tu トゥー」。やはり印欧語に属しているから似ている。
 他に、尊称の「aap アープ」、中間的な「tum トゥム」がある。それぞれ、「あなた」、「あんた、キミ」に相当すると言えよう。

 その使い方も、日本語に似ている。
 スープリアは五人きょうだいの末っ子だが、姉や兄はみな彼女のことを「tu」と呼び、彼女は姉兄を「aap」と呼ぶ。ただ末姉とはお互いに「tu」と呼び合うそうで、これは年齢が近いせいだという。
 父親は母親を「tu」と呼び、母は父を「tum」と呼ぶ。「おまえ」、「アンタ」という感じか。ただ、両人の母語ガルワーリ語には「aap」は存在しないようで、これは想像するに「aap」は比較的新しい言葉で、方言の方が古形を残しているのであろう。
 三人の姉たちはみな結婚しているが、夫は妻を「tu」と呼び、妻は夫を「aap」と呼ぶそうだ。「おまえ」、「アナタ」という感じか。
 ただ、末姉だけはときどきダンナを「tu」と呼ぶことがあるそうで、これは恋愛結婚だからだという。他の二人の姉はアレンジ結婚。
 スープリアには甥や姪がいるが、彼らに対しては「tu」、彼らからは「aap」。学校の先生に対しては「aap」、先生からは「tum」。これらは順当なところだろう。
 神様に対しては「tu」も使われるようで、これは欧州言語でもそうだが、神との親しい関係を表している。

 ただ、昨今は全般的に「aap」の使用頻度が増しているようだ。
 これは日本語でも言えることだろう。歌舞伎などを観ていると、日本ではかつて夫婦ともども互いに「おまえ」と呼び合ったようである。おまえとは国語辞典によると「御前 — おおまえ(大前)の音変化で、神仏・貴人の前を敬っていう。転じて、間接的に人物を表し、貴人の敬称」なんだそうだ。
 これだけでも大層な言葉なのに、今では互いにあなたと呼びあう場合もある。「御前」から更に「山のアナタの空遠く」まで退いてしまった。
 どこの国でも言葉だけは大仰になっていくようだ。










 

9月15日(月) 藍の生葉染め2014

 真木千秋&ラケッシュは一昨日インドより帰国。
 ゆっくり休む暇もなく、今日は朝から出動。
 藍の生葉染めだ。
 9月になって藍の一部に花穂がつき始めたので、もう放っておけないのだ。
 まずは、四ヶ月育てた藍草を刈り取る。(写真左上)

 それをスタジオに運び込み、みんなで葉をちぎる。
 今日はひとり助っ人が。オランダから来たアーリアさんだ。交換留学生として多摩美術大学で二ヶ月間、テキスタイルの勉強をしているのだという。(写真左中、右から二番目人物)
 彼女、もともとはウクライナ人で、それも同国東北部出身のロシア系ウクライナ人。今世界の注目を浴びているあたりで生まれ育った人だ。現在の状況をどう思うかと聞くと、「あれはロシアの侵略で、イケないことだ」と言う。ロシア系でもそう言うんだから、やっぱりイケないことなんだろう、と思わぬところで時事問題を勉強。
 というわけで、今日の生葉染めは、日本+インド+ウクライナ(オランダ)という、けっこう珍しい国際交流となったのである。写真左中の左端は真木千秋。今日染める苧麻糸を準備している。

 葉っぱをちぎり取ったら、それをミキサーで潰し、布で濾して、抹茶のような藍葉ジュースを作る。
 その中に糸や布を入れて染めるのだ。(写真左下)
 染液から出した直後は緑色だが、空気をあてるとだんだん青変していく。

 写真右下は染め上がり。
 糸は主に絹。赤城節糸竹林手挽き糸だ。
 写真右下の緑色は、重ね染め。フクギで黄色に染めた糸に藍生葉を重ねる。
 今日染めた糸は、今年の冬、インドの工房に運び、ストールの中に織り込まれる。



9月17日(水) 用の美

 日本橋高島屋にて、「民藝展」が開かれている。
 民藝と言えば、柳宗悦らの提唱したひとつの美学的運動であり、「用の美」を旨としている。
 柳は美学者として知られているが、その本分は宗教哲学者であろう。民藝展会場には柳の大きな写真が掲げられているが、その手許にある書籍は『手仕事の日本』ではなく、『妙好人』だ。妙好人(みょうこうにん)と言えば、たとえば石見の浅原才市。名もない下駄職人であった。
 その民藝展と並行して芹沢C介展が開催されている。チケットを入手して、観覧。そして、ちょっと疑問に思う。さてこの人は「民藝」のアイデアをどれほど体現しているのであろう。
 たとえば、芭蕉布の上に型染めが施されていたりする。地となる芭蕉布は、まさに「用の美」そのものだ。その上に手間ひまかけて絵柄を施し、さて、もともとの「用の美」がどれほど増進しているのだろう。少なくともあまりコスパの良い営為とは言えまい。
 同じ日本橋高島屋の一階下で、今、Maki Textile Studio展が開かれている。こちらは入場無料。民藝運動とは何の関わりもないが、巧まずして用の美だ。きっと製作中は「妙好人」に接近しているのかも。


 

9月19日(金) 『住む』2104秋号

 以前よりこの雑誌には当スタジオもいろいろ関係しているが、今号は特別である。
 とある掲載記事のため、真木千秋が今年6月から頑張ってきたのである。ひとりで頑張ってくれれば良いのだが、文章に関してはヒトまで巻き込むから困ったものだ。おかげで私(ぱるば)は、夏休みの旅先にまで原稿を送りつけられ、おちおち遊山もできないという始末。
 その力作が、本号・特別企画「いまインドで、その地の素材・技・知恵を集めて」。
 8ページにわたり、記事とカラー写真とで、現在インドで進行中の新工房プロジェクトが紹介されている。当プロジェクトに関してはこのHP上で私もたびたびごお伝えしているのでご存知の皆さんも多かろうと思われるが、張本人の真木千秋が書いているのでよくわかる。
 こんな零細工房にもかかわらず、設計が始まってもう二年も経つのに、まだ土台も完成していない — これは、さすがインドと言うよりも、関係各方面によほどのこだわりがあるせいであろう。そのあたりの様子がこの特集記事でよくうかがえるのである。
 本号にはそのほか、中村好文氏や赤城明登氏など興味深い記事が盛り沢山なので、一度手にとってご覧いただくとよろしかろう。くわしくはこちら


 

9月29日(月) 八年後のデッキ普請

 秋晴れの今日、竹林shopから槌音がする。
 ウッドデッキを作り替えているのだ。
 shopが完成したのはちょうど八年前の今ごろ。店本体は今も新品同様(!?)だが、デッキはだいぶ疲れてきた。
 自然な感触を活かすため、表面に塗装を施さなかったのだ。また木陰でもあるので雨が降ると乾きが遅い。それで傷みが早い。一昨年、表面の板をかなり張り替えたのだが、今回、全面的に作り替えることにした。
 今日は旧デッキの撤去と、新デッキの土台づくり。土台となる白木は地元産の檜だ。良い香りがする。
 旧デッキの用材が左側に山をなしている。これも無駄にせず活用される。薪になってストーブの燃料となり、木炭になれば囲炉裏の火となって我々を温めてくれる予定。


 

10月3日(金) 沙羅ブレーション

 先日お伝えしたデッキ普請。
 二日間で完了し、一昨日の10月1日に新装オープン。
 今までは松材だったが、今回はちょっとグレードアップして、セランガンバツという材を使う。
 これは東南アジア産なのだが、調べてみると、沙羅と同種らしい。沙羅材はインドでもよく利用され、手織機の材にも使われる。ganga工房の周辺も沙羅の樹林帯だ。沙羅はまたタッサーシルクの食樹であり、沙羅の葉からは食器も作られる。(それで皿と言うわけでもあるまいが)
 というわけで、当スタジオにとっても縁の深い樹なのである。
 そして、一昨日は、竹林shop満8歳の誕生日。今年は各地の展示会でみんな出払っていたこともあり、特にパーティなどもなし。
 デッキを新調してセレブレーション iiiiii ←ロウソク八本。


 

10月25日(土) 11月16日カゴ編みワークショプ

 来月中旬開催の「晩秋のMaki展」の三日目、11月16日(日曜日)に、真木雅子による「カゴ編みワークショップ」がある。
 毎回好評のこのワークショップ、今回は「いろいろに使える小さなカゴ」を作る。
 左写真はイメージ写真で、前回作ったもの。今回どんなものになるかは当日のお楽しみ!
 (真木雅子というのはバスケタリー作家で真木千秋の母親)
 参加希望者は27日から電話受付を開始するので、042-595-1534までご連絡のこと。
 定員25名。

•日時  11月16日(日曜日) 11:00 — 13:30
•参加費 3,500円
•持参品 エプロン、持ち帰り用の袋(スーパーのポリ袋等)


 

10月27日(月) 上海にて

 ただいま中国滞在中。
 上海にあるギャラリーショップ「失物招領 Lost & Found」にてMakiの展示会が始まったからだ。
 失物招領では今春、北京本店で展示会をしたが、それに続いての展示会。
 北京本店と同様、市内の落ち着いた一画に店が構えられている。古い建物を改造した三階建てで、木の構造が活かされ洒落た雰囲気を醸し出している。
 我々(真木千秋&田中ぱるば)は展示会の前日(24日)に到着したのだが、既に上手に展示も終わっており、真木千秋が手を出す幕もなかった。改めてオーナーの李小猫さんらの感覚や手腕に感嘆。
 昨26日(日曜日)は布好きのお客さんを上海内外から集め、映像を交えてお話会をする。(写真上)。通訳を介して約二時間、みなさん熱心に話を聞き、そして質疑応答に参加してくれたのであった。
 北京と上海でお客さんの姿勢に違いはあるかと聞くと、李小猫さんによれば、北京の方が鷹揚な感じで、上海は物の見方がキビシかったりするんだそうだ。
 店の一階は美味しいカフェになっているから、期間中上海に行かれる人がいたらぜひご訪問を! 所在地は;
 上海市盧湾区南昌路116号 (〜11月9日)

 展示会の合間に市内をあちこち探訪する。
 写真下はとある骨董品展で古い麻布を見つけて喜ぶ真木千秋。
 これは前世紀の中葉、上海の北、長江河口の崇明島で手織されたものだ。もはや途絶えた伝統の貴重品。いずれみなさんのお目に掛けることもあるだろう。





 

10月29日(水) 蘇州・絲綢博物館

 絲綢とは中国語で絹のこと。
 言うまでもなく中国は絹の故郷だが、私の知る限り、この国には絹の博物館が二つある。ひとつは杭州、そしてもうひとつが蘇州だ。
 今日その蘇州にある絲綢博物館を訪ねる。
 蘇州は同国絹産業の一大中心地だ。かつて呉国の都の置かれたところで、日本語の「呉服」にも窺えるごとく絹織物文化の世界的発信地であった。
 同博物館では、新石器時代に遡る中国の絹織物史を辿ることができる。

 ひとつ面白いことに気づいた。
 数千年前の新石器時代の絹織物は、いちばん基本的な平織だった。しかしほどなく、より複雑な織りが現れる。今から三千以上前の商(殷)代には、菱形の紋織りが織成されている。それは更に複雑化し、錦と呼ばれる織物が生まれる。上写真は今から二千三百年前、戦国時代の「舞人動物紋錦」(模造品)。
 下写真は現在、同地方で織られている「宋錦」だ。
 この間二千年以上にわたり、技法としての錦にさほど大きな違いは見られない。何が変わったかと言えば、色づかいや、図案の複雑さ、細密さだ。おそらく素材としての絹は同じだ。(あるいは、大量生産に向く蚕種に「改良」されているから、素材としては退化しているかもしれない)。
 そのせいだと思うが、戦国時代以降の同館の展示品には、あまり興味を惹かれない。表面的な華美を競うばかりだからだ。

 同様のことは、中国磁器の博物館でも感じたことだ。目を惹くのは南宋時代までで、その後、景徳鎮が幅を利かせるようになると、とたんにつまらなくなる。これは「地」としての磁器が南宋時代に完成し、それ以降の努力は「表面塗装」にのみ向けられるからであろう。
 織物に関して言うと、高温焼成というプロセスがないだけ、地としての織物はもっと早期に完成している。素材としての絹も完成している。あとは表面塗装と機械的均質性しか残っていないというわけだ。
 もちろん、博物館に並ぶような作品は宮廷に近い著名工房で製作されたものであり、一般の工人たちはもっと基本的なモノを作っていたことだろう。
 錦の名産地だから仕方ないかもしれないが、展示が錦という技法に片寄り、素材としての蚕糸や、染材についてまったく触れられていないのは、絹博物館としてはいかにも片手落ちであろう。同館は11月1日から改装のためしばらく休館ということだが、そうした点を考慮してくれれば、より意義あるものとなるであろう。







 

11月6日(木) ねじ珈琲のリハーサル

 昨5日の水曜日、珈琲店「ねじまき雲」の長沼氏来訪。
 ねじ氏には、来週金曜から始まる晩秋のmakiにて、竹林珈琲店をオープンしてもらうのだ。
 ねじまき雲の実店舗は国分寺(&青梅)にあり、平生、私ぱるばを始め、スタッフ一同、しげしげと通っては珈琲を楽しんでいる。余分な装飾を排しての求道者のごときストイックな雰囲気が良い。

 ねじ氏に竹林珈琲店をお願いするのは今回が三度目。
 自ら豆を選んで焙煎し、かつ店で珈琲を淹れるねじ氏は多忙を極めるのだが、そこんところを拝み倒して、今回は会期中なんと五日間も店開きしてもらうのである。(つまり14日〜18日)。親愛なるみなさんにねじ氏の珈琲をご紹介できる歓びはもちろんだが、これでオレも五日間居ながらにしてねじ珈琲を賞翫できるという僥倖に与れるというわけ。

 自店を休んでまで来てくれるねじ氏は、いつも心に何らかの企みを抱いて現れる。昨秋は弊スタジオにちなんで亜大陸に産する豆・インドモンスーンの登場。
 今回の企みはその名もズバリ「晩秋ブレンド」。なんでも、 深煎ウガンダAA有機、中煎ペルー・カフェオルキディア無農薬、浅煎コスタリカ・アキアレスRAというかなり物々しい三種の豆を調合したものだそうだ。更にはMaki布を使って濾してみようみたいな遠謀もある。
 煎りたての豆を挽いて、さっそく珈琲を淹れるねじ氏。(写真上)。竹林母屋は芳香に包まれ、時あたかも午後のティータイムにさしかかるあたり、makiスタッフ一同は、灯火に群れる蛾、いや花蜜に惹かれる蝶のように、ねじ氏の回りに集まるのであった。(写真下)
 それがどういう味わいであったか、ここに記すのはやめておこう。興味ある人はぜひ足を運んでいただきたい。ストレートとラテで提供される。
 場所は竹林母屋一階。11月も中旬になるとそぞろに寒くなったりするだろうから、囲炉裏端で火にあたりながら晩秋ブレンドっていうのも、ちょっと良いのではないかと思う。

ねじまき雲・竹林珈琲店
11月14日(金) — 18日(火)
12:00-17:30 LO/17:00







 

11月11日(火) 百年スツール

 春からの懸案を、今日やっと実行する。

 自宅近くの谷底に、大木が横たわっていた。
 日陰対策で伐倒された杉なのだが、引き上げる方途もなく放置されていた。直径50cmを超える迫力。
 これは竹林庭のスツールに良いのではないかと、チェーンソーで玉切りにする。今年4月頃の話。
 切ったは良いが、あまりに重たくて、ひとりではどうしようもない。車道まで標高差は二十m以上。
 今週末からの竹林秋季大祭を前に、今朝、ラケッシュの手助けを得て、ようやく引き上げる。(上写真真ん中が切り株。右端、ラケッシュの手前にあるのが本体の丸太)。

 竹林の庭に、天然木を玉切りにした「テーブル席」がある。
 その座席のひとつにしようというわけだ。
 さっそく運び込み、据え付けて、座ってみる。やはり具合良い。
 座面が広いし、なにより重たいから安定感がある。これなら逸ノ城でも大丈夫!?(下写真)
 年輪を数えてみたところ、百ほどあった。
 ここに座って、久しぶりのラケッシュ・カレーを食するのも、また良いであろう。

 谷底にはもうひとつ玉切りした百年スツールが転がっているのだが、もう一度この苦行を努めるかどうかは、ラケッシュと思案中。
 

 

 

11月12日(水) 火遊びボーイズ

 もう夜の7時半になるが、まだカマドで火遊びに興じる私ぱるば。
 西表島・紅露工房から送られてきた紅露(くうる=ソメモノイモ)を煮出しているのだ。
 なにも秋季大祭を明後日に控えてわざわざ夜の火遊びに興じる必要もあるまいと思われようが、大いに必要あるのだ。
 というのも、あまりにタキギが貯まってしまい、タキギ置き場の収拾がつかなくなっているからだ。これでは皆さんを気持ち良く迎えることができない…という現状なのである。タキギというのは、主にケヤキの枯れ枝や、孟宗竹だ。それが容赦なく貯まるのである。周囲は住宅地だから気軽に焚き火というわけにもいかないし。
 それでタキギ処理も兼ねての煮出しだ。そうすれば、イベント期間中も暇を見て染色できるから、皆さんにご覧いただくこともできるし。
 紅露はその名の如く赤系の色を出す。赤系の染料は、前もって煮出しておくと、酸化により時間の経過に従って赤色が濃くなるという特質がある。夏だと腐敗の恐れもあるが、今なら冷涼だから数日は大丈夫だろう。
 煙突の無い簡易カマドだからPM2.5はだいぶ吸い込んでしまったが、ガスレンジでやるよりずっと楽しい。(燃料費タダの再生可能エネルギーだし)

 上方ではシェフのラケッシュがキッチンで火遊び。
 こちらは砂糖を溶かして、インド菓子バルフィを作っている。

 







 

11月13日(木) コリアンダーチャツネ

 今年は秋野菜の出来がヤケに良い。
 とりわけ良いのが香菜。
 爆発的に繁茂している。
 意図的に播いたやつより、こぼれ種から発芽したのがスゴい。
 他の作物の邪魔になって、除草したいくらいだ。こんなの初めて。

 しかし、それで喜んだのが、シェフのラケッシュ。
 インド料理に香菜は必須なのだ。
 この田舎では、需要が少ないせいか、なかなか売っていない。売っていても、活きのイマイチのが、メッチャ高かったりする。

 ところが、今年は拙畑で爆発しているから、採り放題。(左写真上)
 今日はチャツネ用と料理用に両手一杯収穫する。「店で買うと6000円ぶん」と嬉しそうなラケッシュ。それだけ採ってもほとんど減っていない。(商売始めようかな!?)

 ついでに青唐辛子も収穫。(写真左中)。これもチャツネには必須なのだ。
 赤いのもあるが、通常、赤唐辛子は乾燥させて使うんだそうだ。
 生の時は青。香菜とは色もマッチする。

 竹林カフェのキッチンで料理する。(左写真下)
 香菜と青唐辛子のほか、ミント葉、トマト、タマネギ、ニンニク、クミン、岩塩を使う。

 出来上がったコリアンダーチャツネが、右写真。
 ちょっと味見してみたら、う〜ん、いつもより香り高い感じ。(親の欲目!?)

 ぱるば野菜は今回、この香菜&青唐辛子のほか、サラダ用に大根葉が使われる予定。
 みなさん、竹林カフェでラケッシュカレーをご注文の折には、そのあたりをちゃんと味わうように!!







 


11月23日(日) 地の骨

 昨夜、というより、今朝早朝、インド北部のganga工房到着。
 東京・武蔵五日市の自宅を発って、ほぼ24時間の長旅であった。
 私ぱるばにとっては七ヶ月ぶりのインド。今回の目的は新工房建設の進捗状況検分だ。

 七ヶ月分の進捗といえば、日本だったら相当なものだろう。ウチくらいの規模の工事なら、ほとんど完成してるんじゃあるまいか。
 しかしインドでは、上写真の通り。
 その間じつは三ヶ月ほど、休工していたのだ。その理由は雨期+祭祀。これもインドらしい。お釈迦さんだってこの時期は行脚の足を止めて雨安居したのである。

 上写真は工房本体の基礎工事現場。幅・深さとも1メートル以上掘られて、川石を敷きつめ、漆喰で固められる。
 この石は近所の川床で採取されたものだ。角の取れた丸っこい石だ。
 こうした石は、このあたりの土を掘ると、ゴロゴロと出てくる。写真下で私が触れている巨石も、その場所に埋まっていたものだ。それをそのまま土台の一部に使っている。まさに地の骨だ。(地骨とは石のこと)。
 建物を建てるため、その地骨を凝集させたのが、この土台というわけだ。
 地元産のありふれた素材である川石なんだけども、土地のエッセンスとも言うべき存在感がある。
 上物ができたら隠れてしまうので、その前にちょっとご紹介という次第。

 
 

 







 

11月24日(月) 驚異のビーマル

 こちらインドにはビーマルという木がある。
 日本で言えばシナノキではないかと思うのだが、私たちもお世話になっている。
 この樹皮から紐を作っているのだ。

 今日はそのビーマルの意外な利用法を伝授される。
 シャンプーだ。

 ラケッシュの祖母が、工房に来る道中、ビーマルの枝を採取して来た。
 それを石でたたいて皮を剥き(写真上)、その皮を束にして更にたたき、水の中で揉みしだく。
 すると粘っこい樹液が滲出する。それがシャンプーになるのだと。
 ヒマラヤ山中の村々に伝わる生活の知恵だ。

 それで真木千秋もさっそく試してみる。
 ビーマル液を頭にたらし、地肌にモミモミ塗り込む。(写真中)
 そのまま2〜3時間おいてから、風呂場で更にビーマル液で普通にごしごし洗髪して、水で洗い流す。水の量は、手桶に3杯くらいでじゅうぶん。
 ぱさぱさしないからリンスもいらない。
 乾いたら、すっきり、しなやか。香りも良いし、きれいに洗えている。
 真木千秋いはく、「大感動!! これをやってたら、ラケッシュ父が寄ってきて、『40年くらい前までは、村では女の人はみなビーマルで髪の毛を洗っていましたよ』と言っていました。ラケッシュ母も、『いいでしょ?シルキーでしょ?』ってうれしそうでした。もうここではシャンプーはいらないかも」
 下写真はシルキーヘアでご満悦の真木千秋。

 ところで、同写真で真木千秋が手にしている布。
 ヒマラヤウールのハギレだ。
 ビーマル液で洗髪しながら、フト思いつく —
 もしかして、これでフェルトができるのでは?
 ganga工房ではウール生地の裁断面をフェルト化で処理したりする。
 木灰を併用するなど工夫しながらやってみると、石鹸を使用した時と同じようにフェルトができたのであった。それがこの布。
 これは使えるかも。

 身近な樹木にもまだまだいろんな利用法があるようだ。








 

11月25日(火) タヒール復活

 少し広くなったganga工房に、ひとつなつかしい顔があった。
 織師タヒールだ。(上写真)
 昔からの読者には聞き覚えのある名前だろう。十年ほど前、デリー工房で働いていた職人だ。当時はまだ若く、真木千秋とのとんちんかんなやりとりなど、いろいろ思い出もある。
 それでも名手サジャッドの従弟だけあって腕がよく、千秋マダムの信頼も厚かった。幻のAA7ストールなども彼の機で織られたものだ。
 四年ほどデリー工房で頑張った後、病を得て、故郷の村に戻る。バングラデシュとの国境に近い、遥か東部のジャールカンド州だ。故郷の村では兄とともに燃料販売の仕事に携わっていたという。
 昨年夏、名手サジャッドがganga工房に加わる。工房ではシルクの織成も始めたのだ。今年になって、織り手が足りなくなってきたので、シャザッドに相談すると、同じ村出身のタヒールを推挙する。そこで彼をこちらに呼んだというわけ。故郷に妻と二子を置いての単身赴任だ。
 十年ぶりに見るタヒールは、昔より落ち着いて、身なりもこざっぱりしている。
 脇目も振らず一心に機を織るその姿は、かつてのデリー工房そのままだ。

 職人が増えたことで、工房も少々拡張される。(新工房もなかなか完成しそうにないし…)
 下写真、干された布々の向こうに見える平屋が、拡張部分。簡単な構造だ。今、この平屋に、針場(縫製場)と織機一台が入っている。
 屋根の上の怪しい人影は私ぱるば。じつは太陽光パネルを設置しようという話があるので、日陰の影響を測定しているのだ。西側(写真奥)に隣家の二階屋と樹木が迫っていて、特に冬場はちょっと問題かもしれない。
 ただ、ここ北インドは、雨季三ヶ月以外はうらやましいくらいの晴天続きで、ソーラー発電には好適な土地柄だと言えよう。太陽光線の強烈なことは、地元民の肌色を見てもうかがえる。(雨季も日本みたいに一日中降っているわけではない)
 毎日停電もあるし、できるだけエネルギーは自給したいものだ。ただ、日本みたいな行政補助も余剰電力買取もないから、財政的にチト難しいんだが…。モディ氏がどうにかしてくれないだろうか。


11月26日(水) 藍の家&仕込み

 藍はここganga工房でも大事な染料だ。
 天然のインド藍を用いて、灰汁発酵建てで染めている。
 ここインドでは、こうした伝統的な染め方をする人々がほとんど残っていないので、沖縄・紅露工房で学んだりしながら、少しずつ経験を積んでいる。

 今日はまず藍の家造りをする。
 藍は生き物だから、保温が大事だ。ここ北インドは冬期、気温が0度近くまで下がるので、通年藍染をするには工夫が要る。今までの藍家は周囲を土で固めていたが、秋も深くなると水温低下が避けられない。そこで今回は火で加温できるような藍家を造ってみる。
 ganga工房には大工(元)もいるので、何でも気軽に実験できる。材料は近所で調達できるものばかりだ。
 


1 
朝一で近くの農家に牛糞をもらいに行く。できたてのフレッシュなのが必要だ。牛糞には繊維分が多量に含まれているので、それがスサ代わりになる。貴重な建材なのだ。フレッシュだからチト匂うんだけれども、インド人は平気らしい。

 


2
織工&大工であるジテンドラ(写真上)を中心に藍家を造る。煉瓦の構造物は昨夕ジテンドラが組み立てたもの。牛糞&土の混合物を煉瓦の上に手で塗りつける。工房スタッフのディーパ(手前)も元々農婦だから牛糞の扱いは手慣れたものだ。真木千秋も楽しそうに泥いじり。その背後にあるのが現在の藍家。


3
一時間半ほどで完成。中に藍瓶を入れてみる。左端のジテンドラは、モト大工だけあってなかなか器用だ。右端の染師ディネッシュも嬉しそう。
 
4
これより藍の仕込み。カマドで湯を沸かし、ジャグリ(粗糖)を溶かす染師ディネッシュ。この粗糖も、周辺のサトウキビを原料にして近所の製糖工場で造られたものだ。石灰を使っていないので柔らか。味見すると、すこぶる美味。ちなみにこのカマドも藍家と同様にこしらえたもの。

5
藍瓶に、まず灰汁を入れるラケッシュ。この灰汁は前もって木灰から作っておいたものだ。
 
6
続いて藍を入れる。南インド・タミル州のアンバラガン氏が作っているインド藍だ。いわゆる泥藍。それを水に溶いて入れる。

7
次いで酒。藍建ての先生である紅露工房では泡盛を使うが、こちらでは隣州で醸造されたラム酒。かつては密造酒なんかも使ったが、最近は合法的に。
 
8
先ほど湯に溶かした粗糖を入れる。かつては固形のまま投入したが、紅露工房に倣い、溶かして入れる。更にph調整のため石灰を少々入れる。

9
資材投入が終わったら、みんなでお祈り。生き物相手だから、ここのところが重要なのである。このあたり、インド人の最も得意とする技だ。

 
10
最後によくかきまぜる。「地獄建て」とも呼ばれる困難な作業で、二年ほど前は勝率五割くらい。今はだいたい建つのであるが、建ち方にもいろいろで、たゆまぬ研鑽が必要である。

11月27日(木) 工房の朝・現場の夕べ

 ここganga工房の緯度は北緯30度。日本で言うと屋久島くらい。ただ、内陸で標高が500mほどあるので、気候はだいぶ違う。
 日中の気温は25℃を超えるが、朝夕は10℃を下回る。日較差が20℃前後あるので、夜になると東京よりも寒く感じたりする。
 乾季である今は、空にほとんど雲はない。毎日快晴だ。気温の変動もあまりないので、気象予報士の出番もない。
 工房の始業時間は朝の8時半。インドだからみんな時間にルーズ…ってことはなくて、毎日ちゃんと8時半には仕事が始まる。我々日本人よりしっかりしてるかも。
 朝の冷涼な空気の中、それぞれの持ち場で、仕事に励んでいる。
 一昨日、ちょっと数えてみたら、二十人を超える人々が、この工房で働いていた。う〜ん、我々の責任も重大だ。




昨日も登場した織工&大工のジテンドラ。半ば真木千秋のアシスタント的存在だ。今朝はまず、地機の補修とセッティング。(地機の織り手であるマンガル夫妻は、息子の結婚式のためヒマラヤ山中の村に帰省中で不在)

 



ヨコ糸を考える真木千秋。
昨日、ジテンドラの機にタテ糸をかける。カラフルなシルクストールだ。そのためのヨコ糸設計。順調に行けばクリスマスに間に合うかもしれない。


昨日仕込んだ藍をチェックする染師ディネッシュ。ほのかな発酵臭がただよい、順調に推移しているようだ。背後には昨日仕上げた藍の家が朝日を浴びている。夕方には壺を収めて、火を入れる予定。
 

中庭ので布の仕上げ作業に勤しむ人々。近所に住む主婦や娘たちだ。日なたで黙々と手を動かしている。遠くに見えるのはサトウキビの畑。
 さて、今回、三人してインドにやってきたのは、新工房建築の打ち合わせのためだ。
 設計者のビジョイ・ジェイン先生は忙しく世界中を飛び回っているので、こちらが合わせないといけない。11月末なら現場に来られると言うことだったので、我々も22日に日本を発ったのだ。そして今日の午後、無事、ムンバイからビジョイ到着。
 デラドン空港からさっそく現場に向かう。空港から十分ほどの道のりなので便利だ。
 ビジョイが現場に来るのは四ヶ月ぶり。二時間ほど見て回り、「とても良くできている」と満足げな様子だ。我々もひとまず安心。


今回ムンバイのスタジオから運ばれて来た主工房の模型。この模型に使われている煉瓦は、スタジオで実際に焼かれたミニチュア煉瓦だ。実物は人物の背後に建設中。
 

煉瓦製土台の上に置かれる石の梁を検分するビジョイ(左から二人目)。石は西部ラジャスタン州から運ばれてきた砂岩(たぶん)で、石工が手作業で割ったものだ。

11月28日(金) 現場中継

 今日は一日、ビジョイ・ジェイン氏と新工房建築現場で過ごす。
 振り返れば、昨年のおとといが起工式であった
 一年経って、さて、進み具合は如何?
 ビジョイが初めて当地を訪れたのは一昨年の8月だが、彼によるともうそのとき既に計画の概要が目に浮かび、まさにその通りに事が進んでいるという。その進捗度は自分にとっては「記録的に早い」んだそうだ。
 今日は現場を半分ほど巡り、建物の詳細についてビジョイが建築スタッフに指示を与える。それを聞いていると、建築家というのはホントに様々な要素を頭に入れ、細々としたところまで気を配るものだ、と誠に感心する。そういうことがよほど好きなのだろうが、頭の配線も私や真木千秋などとはかなり異なっているようだ。でもビジョイ曰く、そうした細々したことは自分にとっては自明なことだが、それを皆に伝えることがタイヘン、なんだそうだ。
 

補助棟の食堂&キッチン部分について助手のシュリジャヤに指示を与えるビジョイ。補助棟は来年3月までには使用可能となるという。

 


スタッフへの指示と並行して、真木千秋にもいろいろ説明。背景は補助棟のトイレ部分。斜面に建設されている。



これが最新の模型。主工房とギャラリーの屋根に天窓がついている。(ただし天窓の構造は変更され、この模型より簡素化される予定)

 
夕方、ギャラリーの検討を行う。向こうの壁の外に皆が建っている。なんだかギリシアの神殿跡のようだ。彼方に夕陽が見える。来年5月までには屋根がつくそうだ。


近在の煉瓦工場からトラックで煉瓦が運び込まれていた。


 
新工房の畑では既に作物が採れる。これは大根。細いけれども濃厚で美味。

11月29日(土) 現場中継 その2

 今日も朝から晩まで、スタジオムンバイの建築家ビジョイ・ジェイン氏と新工房建築現場で過ごす。
 11月末で朝夕は冷えるとは言え、日中の陽差しはやはりインド。かなり強烈だ。それゆえ、真木千秋は帽子+サングラス+ショールで日射を防いでいる。ビジョイはさすがインド人、そのままで平気そう。
 今日は居住棟と主工房というメインの部分を詰める。

 途中、来客が一組。IIT(インド工科大学)教授のアヌモル氏とガンディー氏だ。実はアヌモル氏は、ビジョイのアシスタント・シュリジャヤ嬢の父君で、構造の専門家だ。ヒマラヤ山中の水利ダムの仕事ついでに、当地に寄る。娘にいろいろ案内された後、「この現場の構造はどうですか」と聞いてみたところ、「Good」とのことであった。
 
 

敷地の一番上にある居住棟。真木千秋とシュリジャヤ(ビジョイのアシスタント)を相手に、北側の遠景の説明をするビジョイ。北側はヒマラヤの最南端で、それが遙かな借景となる。

 


ヒマラヤの端っこを背景に、みんなで記念写真。左から三人目がアヌモル教授。その右側が娘のシュリジャヤ(アシスタント)。今日のビジョイは当スタジオ製のシャツを着用。



居住棟は高い所にあるから眺めが良い。西側が開けているので、夕方いつまでも明るく、日没が美しい。今のところ遺跡発掘のような雰囲気だが、そのすぐ下が工房となる。

 
居住棟の下にある主工房。土を削ったので、土留めが必要だ。その作業が始まったところ。まず煉瓦で壁を立ち上げ、煉瓦壁と断崖の間に石と石灰を詰め込んで、しっかりと土を留める。


11月30日(日) 現場中継 その3

 今日はビジョイ滞在の最終日。
 朝、いつもより30分早く現場に向かう。
 そういえば今日は日曜日。工房の主要スタッフは休日返上で出勤だ。
 雨季が終わって毎日快晴。暑すぎず、祭礼もなく(インドはコレが問題)、今が最高の建築シーズンだ。われらが新工房プロジェクトもエンジンがかかったようで、作業は目に見えて進んでいる。もしかしたら、ビジョイの言うように、来年の今ごろにはホントにここで布づくり作業が始まっているかもしれない。
 

下水処理もぬかりない。屎尿などの汚水は四槽構造の自然処理槽(バーミカルチャー)で、電力などを使わず処理。窒素分に富んだ残滓は畑の肥料にする。洗濯水など経度の汚水は植物を有効に使い、周囲の環境を汚染しないよう配慮する。

 


補助棟の一番奥は藍の部屋。藍甕を四つ据える予定だ。その保温法などを検討しているところ。藍専用の部屋ができるなんて贅沢なことだ。後列中央が染師ディネッシュ。自分に直接関わることだからいっそう真剣な表情。背後は居住棟。


一番上の居住棟に砂岩の石版を運ぶネパール人労働者。この石版は私もちょっと持ち上げてみたが、めっちゃ重たい。日本だったら重機を使うんだろうが、こっちは人海戦術。彼らを見ていると精強なネパール人部隊「グルカ兵」を思い出す。

 
煉瓦を頭に載せて運ぶ農婦たち。近隣の住民で、もともと新工房の農作業のために雇用されている。(近所対策という面もある)。頭からじかに地面に煉瓦を落とす。けっこう荒っぽいが、ま、漆喰に塗り込められるわけだから、いいか。

藍畑から見る主工房の土台。青空と煉瓦と竹製の足場が良い感じ。次回来る時にはこの土台の上に白い構造物が載っているのであろう。藍はマメ科のインド藍で、その種は西表島・紅露工房からもらってきたもの。インド藍は草ではなく低木なので、この畑は基本的にこれからずっと藍畑になる。


 
現場の皆に別れを告げるビジョイ。その頭上には上弦の月が昇っている。右端の助手シュリジャヤは現場に残って作業を監督。ビジョイは夕方の便でムンバイに戻る。今週末にはムンバイ市立博物館のコンペ最終結果の発表だという。ハディドや槙文彦らのチームに交じって最終選考に残ったのだそうな。幸運を祈る!!

 

12月18日(水) フライ・ハイ

 冬晴れの朝。
 紺青の空に差し出されたラケッシュの掌上にあるのは、木灰。
 実は彼、妹のスープリアともども、明朝、インドへ向かうのである。
 その手土産のひとつが木灰。その量5kg。

 インドに灰を持参するというのはチト風変わりだが、これは重要な染色材料なのである。
 たとえば、藍染。
 灰汁発酵建てには、欠かすことのできない資材だ。

 木灰を得るのはなかなか難しい。
 毎日焚き火をするような環境でないと、染色に使えるようなまとまった量は貯まらない。
 幸い、弊アトリエには薪ストーブがある。今冬の低温(&真木千秋の寒がり)のせいでフル稼働だ。おかげで結構な量の木灰が発生する。

 木灰の原料であるタキギも、たとえば、竹林スタジオの孟宗竹だったり、ケヤキの枯れ枝だったり。
 それをインドの工房に運び、今朝の空のような紺青が染め出され、それが布となって竹林に戻ってくる。遙かなるサイクルだ。

 明日の昼ごろ、写真の白雲のあたりを、JAL749便デリー行きが西(右)に向かって飛んでいく。
 Fly high ならぬ Fly 灰 。
 

 

 

12月28日(日) オーダーメイド・バッグ

 熊谷・梵天の高橋夫妻来訪。
 梵天というのはもう二十年もおつきあいのあるギャラリーだ。
 先月末に十数回目のMaki Textile展を終え、今日はその反省会でお越しになる。

 今回の展示会では、新たな試みとして、Maki布を使ったバッグを製作したという。トートバッグとショルダーだ。
 夫君の良至氏はそもそもテーラーで、革と布を使って自らバッグを十数個縫製する。
 氏(真ん中人物)の手許にあるバッグはショルダーのひとつで、ナーシ絹×木綿の布を使っている。他にナーシ100%とカティア絹100%の布を使ったバッグも製作したそうだ。

 それで考えたのが、私ぱるばのビジネスバッグ。
 現在は革製のものを使っているが、Maki布を使ったらどうなるか!?
 そこで、良至氏に作ってもらうことにする。
 写真左端の大きなのが現在使用のマイバッグ。莫大な数のポケットがあって、そこにパソコンを始め仕事に必要なもの合切が詰め込まれている。
 新しいビジネスバッグは、ナーシ100%の絹布を使うことにする。真木千秋(左人物)の手許にあるのがそのナーシ布。それを見ながら良至氏が紙上にいろいろ書き留めておられる。
 いつごろ出来上がるか定かではないが、完成したらまたご紹介しよう。
 


 

ホームページへ戻る